(02/06) プランニング
山の片面に、三段階に別れて領土は広がっている。
山の中腹にある屋敷は、領主のもの。
平野には、農地が広がっていて、ぼくらがいた町部分は、彼らの家が集まった場所だった。建物の密集地に要として、扇状に農地が広がっている。農地、小屋のような家、農地、小屋のように家……。それは仮の住まいのようにも見えた。家系図をそのまま、地面に写し取ったようにも見えた。
さらにその先には、森がある。魔の森だ。単に開拓されていないだけだが、開拓には労力がいる。木を切って終わりでは済まないのだ。耕す必要もあるだろうし、瘴気が立ち込めているなら〈浄解士〉を呼ばなければならない。そういう工程を経て、文明圏としての権利を獲得してはじめて、人が住める場所になる。
それだけの労力がこの町にあるのか。
大抵の場合、そういうことは領主が手配する。事務的な仕事は役所の人間が行うにしても、開拓係や〈浄解士〉の手配に必要なコネクションは、領主が持っているわけだし、その名の下に行使されるわけだ。
屋敷の上には、教会の塔が見える。何派だろうが十字架の権威作用は働くから、教会を中心にして一定のエリアは聖域化される。町全体を覆うにはもちろん足りない。人口の増加に合わせて、その領地を丸ごとカバーするとなれば、十字架も大きくしていくしかない。その出資源はどこか――これも領主だ。
税はそのように使われる。
この町の人間は、教会に収める分と領主に収める分という二重の課税を受け入れている。よくあることだ。そして、ひとが変わる前の領主までは、代々、無理のないような徴税がされてきたという。人が変わってからは、税が重くなった。
それにしても、冒険者慣れしている町だった。
ぼくらのような余所者を煙たがるようでもない。
ところで、一人の青年の言葉で領主をどうこうしたとあれば、事件である。
ちゃんとした依頼として受けるのであれば、ユマニ商会に認定してもらうのが手っ取り早い。
この町の規模では、ユマニ商会も支部を出しておらず、役所の中に間借りしているようだった。
役所はそれなりに目立つ建物だった。
他の家は木造だったが、そこだけ石で作られている。町の人々の信頼とか、誇りといったものが表れているようでもあった。
「頼んだところで、どうにかなる話だと思うか?」とぼくは聞いてみる。
「ノーだね」
「じゃあ、どうしますか?」
自分からやると言っておいて、計画性のない少女だった。
「脅迫だよ。トラウマも与えてやれば良い。常套手段だろ」
常套手段になってたまるか。
そういえば、偽銀細工師をどうするかの話の際も、似たようなことを言っていたなと思い出す。先日の魔物を加工した際もそうだが、彼女には拷問系技能がある。それを人間相手に使うシーンなんて見たくもないな、とぼくは思う。
「そうですよ、成敗しましょう」と〈浄解士〉までが言う。
それにしたって、計画は必要なのだ。行き当たりばったりでは困る。事前の打ち合わせとか、適切な役割分担とか。
いや、どうなんだろうか。
騎士時代は、そういうものが割としっかりしていた。情報を集めて、入念な計画を立てること。もちろん、戦場ともあれば、現場判断で動かなければならないという事態も起こる。それだって、何をどのようにすべきか、という大筋のところはしっかりしていた。
今のぼくはそういうものから逃げてきている。行き当たりばったりで、適当にふらついて、安いからと聞いた宿で吸血鬼と出会った。領主をどうこうしてほしい、というのにも同情はするが、積極的な動機というのは見当たらない。
ただ、流されているだけだ。
このままで良いんだろうか、とか思った。小石を蹴って、剣の柄を撫でた。もっとも、路銀が尽きるまで行ってみようということしか考えていなかったのだ。ぼくは、あの魔法使いとは違う。この吸血鬼みたいに死ぬために精一杯生きようというわけでもないし、浄解士のようにその場の倫理観で動くような奴でもない。
ふと気づくと、二人はぼくより先を歩いていた。知らない間に、ぼくの歩くスピードが遅くなっていたのだ。追いつかなくては、と思ったが、同時にその必要があるのか、と聞いてくる声もあった。このまま立ち止まって、このままあいつらと別れてしまっても良いのではないか、と。
吸血鬼が振り返って、ぼくを見た。
だけど、すぐには何も言わなかった。
これくらいの距離だ。ぼくの心もきっと読まれていたに違いない。ほとんど立ち止まっていたぼくを心配する風でもなく(そんなことする女じゃない)、疑問に思う風でもなかった。彼女がぼくに求めるものがあるとすれば、それは元・騎士という肩書きだ。
「アンタさ、汽車って見たことあるか?」
「ないけど」
「実のところ、わたしもない。偽銀細工師の件はあるが、とりあえず、それを見てみた方が良いと思うんだよな、わたしは」
「そんなの見て何になるんだ?」
「さあな。何にもならないかもしれない。わからないよ。またひとつ新しい時代に入ろうとしてるらしいが、そんなのはいつものことだ。魔導機関の列車も、そのうちありふれたものになるんだろう」
と三百歳越えの女は言う。
「でも、それは今の話じゃない。まだ猶予がある。その新しいものを、新しいうちに見ておくってのは、そう悪いものじゃないと思うんだよ」
「それはぼくにとってか?」
「そこまでは知らん」
「一般論だな」
「そうとも。で、だ。その”一般論”いわく、”これは見ものだぜ”、”面白くなるぜ”ってとこだ。本当かどうかは、自分の目で見てみなきゃわからん。行ってみてがっかりすることもあるかもしれない。だけどさ、ひょっとしたら、すっげぇ感動するかもしれないんだぜ」
「おまえはそういうの、求めてるのか?」
「わたしは死にたいだけだからなあ」と吸血鬼は言う。「でもま、そうだな。試してみるのも悪くない。ここの領主の話もそうだ。ジェレンを見ろよ。やる気満々、正義感でいっぱいだ。そういうのを特等席で見られるんだ――”面白くなるぜ”」
「本当かよ」とぼくは言った。
「知らねえよ」と吸血鬼は笑って、ぼくに背を向けた。
ジェレンが一人で歩いていることに気づき、振り返る。
「早く行きますよ!」
拒否権はないようだった。
役所は目と鼻の先である。
「”裏を取ってから”とか言い出したのはあなたでしょう、イェル」
いつの間にか呼び捨てだった。
どうするんだ、と今回はちゃんと問うように、もう一度吸血鬼がこちらを見た。
「今行くよ」とぼくは声を張った。
動機なんて、なんでも良いのかもしれない。ひょっとしたら、そんなものは他人に任せても良いのかもしれなかった。ぼくは吸血鬼の提案とも言えない提案に乗ることにした。列車を見に行く、正義感の邁進を特等席で見学する――他人から見たらどうでも良いような、語るに足りないようなこと。
さっき蹴飛ばした小石のところが落ちていた。
ぼくはそれを拾い上げ、ポケットに入れた。
空は広過ぎた。
雲はなかった。
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