(09/09) 山しか穿たん

 トマトを丸ごとを握りつぶしたみたいなことになった。

 血の池に横たわる巨体は、少しの間痙攣していたが、やがて動かなくなった。

 あんまり絵面がよろしくない。

 とりあえず、聞いてみる。

「何をしたんだ?」

「接触回線で、心臓にアクセスして、握りつぶした」

 片手に握れる大きさの心臓で良かったよ、と呟く。

 素地になっていた獣のサイズのままだった、ということだろう。

「血にアクセスすることで、権限を上書きオーバーライドした」

「そんなまさか」とジェレン。「〈失恋卿ブロウクンハート〉の御伽噺みたい」

「ああ、それ。わたしだよ」

「ええっ」

「誰それ」とぼく。

「知らないんですか、〈失恋卿ブロウクンハート〉。恋多き吸血鬼ですよ。本にもなってるじゃないですか、それとも文字、あなたの国では普及していないんですか?」

「文字は普及しているよ」

 魔術文字とは別、普段使う文字なら、それなりに普及している。

 がまあ、ぼくの祖国の識字率など、この少女には興味のないことだろう。

「求婚した者多かれども、全部振った。好んだ婦人フロイラインからは、みんなに振られた。そこでついた名前が、失恋卿の吸血鬼です」

 永遠不朽の命を得た者が、愛したものは一つも手に入れられなかった、という話。

 あまり名誉な二つ名とも思えなかった。

 〈浄解士〉が話している間にも、吸血鬼は手際良く魔物を解体していった。皮剥ぎと内臓剥がしの魔法。それに加えて、血流操作のスキルときている。瞬く間に、魔物は魔物だったものとなり、過食部位が見えてきていた。計六本あった脚のうち、二本はダメらしい――純粋に魔物として成立している部位だからだ。

「この辺りは食えそうだな」

 そう言って、もいだ脚をシートの上に投げる吸血鬼。

 当然、辺りには瘴気が立ち込めているので、ぼくはスカーフを口まで上げた。ダイレクトに吸い込むとよくない。

 一方、〈浄解士〉は十字架を背負っているので影響を受けないようだ。瘴気を濾過するフィールドが彼女の周囲には展開されているらしい。

 過食部位と言っても、もちろんこの瘴気の問題があるので、そのまま食べることはできない。瘴気中毒になる恐れがある。錯乱、発狂、壊死など。そういう意味でも冒険者たろうとするのであれば、この世に未練がなくなるまで、燻蒸消毒する必要がある(これには最速で数日を要する)。

「ジェレン、頼んだぜ」

「了解でーす」

 と彼女は言って、ミグラスを操作する。ガシャンと景気の良い音がして、十字架の脚部先端から針が飛び出す。それを肉の山に突き刺すと、肉から地面から光が浮き出してきた。

「――はい、終わりましたよ」

「えっもう?」とぼくは拍子抜けだ。

「次席ですから」と胸を張る〈浄解士〉。「星角ほしカクも良いですしね。処理能力が段違いですよ」


 後は焼くだけだった。

 火を起こすのはぼくの仕事だ。ちゃんと詠唱する時間をくれるなら、火種の一つ用意することくらいできる。騎士団でもよくやったことだ。ピュッと飛び出ることもない。

 このようにして、日常生活のあちらこちらに魔法が登場することになるわけだが、料理の中で一つだけどうにもならない部分がある――調味料だ。得に香辛料の類は、如何ともし難い。食べ物も飲み物も使い果たしていたぼくらではあったが、調味料の類はまだ残っていた。

 ほどなく、肉が焼けた。

 吸血鬼はすぐさまかぶりつくが、ぼくの方にはあと少し勇気が必要だった。

 それも、そう長くは保たなかった。こいつは本当に美味しそうに肉を食う。かぶりつくと、肉汁がこぼれる。月下に照らされるその様を見ると、引き寄せられるようにして、口の中に涎が溢れ出した。

「いただきます」

 確かに、豚よりは牛に近い感じがある。養殖用の子ドラゴンよりは、もっと牛に近い。全体的にはかなりマッシブだったし、筋っぽかった。

 ジェレンの食欲は凄まじかった。

 ぼくの腕の長さくらいあるものをペロリと平らげる。食べ盛りなのかもしれない。

「それにしても、これ、残りはどうするんだ?」とぼくは思う。肩までの高さが2メートルくらい、肩から尻までの長さが3メートルくらいある巨体だ。

 さすがに食べ切れるものではなかった。

「いくらか持ってくか?」吸血鬼は骨を焚き火にくべる。

「いくらかっておまえ……」

「あ、それなら問題ありませんよ」と〈浄解士〉。「現在位置、特定できました。近くの街まで一晩もかからないでしょう。携行食料は要りませんね」

 彼女はミグラスを地面に横たえる。

 焚き火の灯りを反射する表面に、この辺りの地図のようなものが表示されている。

 ジェレンの説明によると、地図上の大きな灯りが近くの町とのことだった。

 対して、三つの光点が集まっている部分がある。それがぼくららしい。◎がジェレン、○がぼく、×がブランとのこと。

「なんだわたしが”×”?」

「すみません、宗教的には相反する者なので……」

 地図上には、結構詳細に周辺の情報が描かれていた。

「とはいえ、星が見える位置だけですので、ここみたいに空が開けてないとわかりません。これ、衛星ほんたい視点の地形ですからね。地下の情報とかはどうにも……」

 彼女は釈明する。

「この鹿の残りはどうする?」とぼくは聞いてみた。

 そのまま放置するのもどうかと思われた。

 浄解はした。ジェレンの自意識もある。この瞬間においては、この場所は聖域化されている。瘴気が忍び込んでくるということはない。しかし、それも移動してしまえば、別だ。瘴気は流れ込んでくるだろうし、これ幸いとより強い魔物が生まれる可能性だってある。

「とりあえず、頭は持っていこうぜ」と提案する吸血鬼。「売れるかもしれない」

「そんなゲテモノどうするんだよ」

「壁に飾るんじゃねぇのか?」

「そういうひといますよねぇ」と言いながら、〈浄解士〉はこれもまた浄解するのだった。「残りの肉なら、それも大丈夫ですよ。ほら、ミグラス。おゆはんだよ」

 彼女の声に応えるようにして、ミグラスの表面がバキバキと割れる。ギザギザの歯が見える。それ自体はみたことがある。先日のまともな食卓でも似たようなことをやっていた。その時と違っていたのは、今回、十字架には腕が生えていたことだ。

 ジェレンが歯の生えた十字架をトリケラ鹿に当てると、咀嚼音が聞こえてきた。

「魔物を……食っている……?」

「噂には聞くけど、絵面悪ぃな」と吸血鬼ですら、若干引いている。

 骨も残さず、十字架は魔物の残骸をきれいに食べた。えらいね。

 はたして、本当にこの〈ミグラス〉という奴は神聖なものなのだろうか、とぼくは思った。

 世には聖とか俗とか魔といった方角があるが、客観的視点から見て絶対的な基準はない。

 東西南北ほどコトは単純ではない。

 真逆の方向に歩いていって、世界の裏側で合流するということも考えられる。理論的にはこれは正しい。この世界は球体なのだ。ただし、実際問題として、認められるかというとちょっと微妙。手の届く範囲には限りがあり、故に権利の問題があるのだから。

 閑話休題エニウェイ


 さて、村は川沿いにある。

 まず川に下りて、そこから下流に向かえば良さそうだ。

 それにしたって、もう2日はかかりそうに見える。

 そう告げると、お腹いっぱいの少女が胸を張った。

「お忘れですか、わたしは次席〈浄解士〉。困難な者には道を示す者です」


 彼女はミグラスを担ぐ。

「道がなければ、作るのです」彼女は宣言する。

 ミグラス……何?

 十字架の頭の部分が展開し、エックス字型になる。あまりに乱暴な広がり方なので、ぼくは土を被ることになる(ブランはぼくを盾にした)。

「星角良好、お腹いっぱい。砲身固定……」

 ミグラスの腹がばかりと開き、中から軸が射出される。

「出力、20%でチャージ……完了コンプリート……」

 それが巨大な砲台なのだと理解するまで時間がかかった。


「聖蹟認定――!」


 十字架の爪先、針のように尖った部分から、光線が放たれた。

 空気をバリバリと鳴らす音。

 次いで高く嘆くような鳴き声。

「鯨みたいだ」と吸血鬼は言った。


 かくして、目の前に道ができた。

 森の一角が消し飛んだ。目の前にできているのは、焦げついた直線の道。

「直線距離で行けば朝までには着けるでしょう」

 でかいため息みたいな音を立てて、排気がなされる。それが済むと、ミグラスは再び元の十字架に戻る。

 呆気に取られていたブランが、笑い出す声で、ぼくも我に返った。

「なんだったんだ、今の」

 吸血鬼は腹を抱えて笑っている。

「ミグラス砲です」

 〈浄解士〉ってみんなこうなのか?

「これが次席〈浄解士〉の倫理観に任された威力――その20%です。本気を出せば山の一つや二つ、穿てますよ」

 地面にできた溝の向こうに、ポツポツと灯りがつきはじめていた。遠目にも見えてしまうほど、道はしっかりくっきりとできていた。

「起こしちゃったみたいだぜ」

 さすがに声は聞こえてこない。それまで聞こえていた、息することすら躊躇われるほどの静寂がどっと流れ込んできていた。

「じゃあ進むしかないよな」

 即席の緩やかな斜面を降りながら、ぼくはなんと説明したものか考えていた。それとも、そういうことは、この〈浄解士〉がやるのだろうか。

 いや多分、ぼくが説明することになるんだろうなあ。

「ところでさ」と吸血鬼は、〈浄解士〉の肩を抱きながら言う。「その大砲でわたしのことも抹消できたりするわけ?」

 死にたがりのチャンスは逃さない。

「やる気になれば、多分可能でしょう」と彼女は言うが、本当かどうかは疑わしい。神のみぞ知る。ただし、永遠不朽となれとも、確かに瘴気と同様、この世に未練がなくなるまで、その塵一つを残さないまでに消尽せしめることができるならば、チャンスはあるのかもな、など思う。

「じゃあさ」とワクワク顔のブラン。

「いいえ」先取り。「わたしの倫理観はノーと言っています。せっかく、御伽噺の失恋卿に会えたんですからね。悪いことをするなら、消し飛ばしてあげても良いです。でも見たところ、そういうことはしないんでしょう、血を吸いまくるとか?」

「うーん」

 ぼくは剣に手を伸ばした。

 反射的にそうしていた。だが、努めて解除した。ぼくには関係がない。いやどうだろう。伝説の吸血鬼と戦って死んだ――そういう死に方も、アリなのではないか? 気がついた時には、手は剣の柄に戻っていた。

「今はお腹がいっぱいだしな」と吸血鬼。「とうの昔に、人間の血も吸い飽きてる。ジェレン、アンタには言ってなかったけど、今のわたしは勝手に死にたいんだよ。自分の都合で、一人で、ひっそりとね」

「でしたら、わたしも、この砲身をあなたに向けることはないでしょうね」

「止めないのか?」

「わたしも十字架のぶっ刺さってた女ですからね。憧れる気持ちはわかります」と〈浄解士〉は言う。

 特別止めるわけでもない〈浄解士〉だった。

 彼女にも宗教はあるのだろうが、自殺についての項目はないのかもしれない。それとも死なず老いずの存在に対する暗黙の了解があるのかもしれない。

 焼けた道は、白銀で敷かれた線路のようにも見えた。

 よく見てみると、あちらこちらに小さな十字架が生えている。どうにも、ミグラス砲とやらを撃つと、その射線上にはこうして十字架が生えてくるらしい。それを収穫して育てたのが、ジェレンが持っているようなミグラスとのことだった。魔物も食うくらいだし、そういうこともあるかもしれないね。

 

 方角が異なるとはいえ、やはり吸血鬼には毒になるらしい。バックパックは前に回して、ぼくはブランを背負うことになった。〈浄解士〉は十字架を背に、前には浄解済みのトリケラ鹿の頭を持っている。奇妙な集団だった。

 白銀の線路を行くぼくらに、何か呼び名が必要だろうか?

 誰も何も提案しなかったし、その必要もおそらくなかった。

 ただ、町に歩いていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る