(08/09) 鹿しか撃たん
「嫁ェ!」いちいち奇声をあげる〈浄解士〉である。
「誤解だ。そういう関係だったわけじゃない」とぼくは言う。
「でも許嫁ではあったんだろ?」
心を読む吸血鬼を相手にすると、これだから困る。
「それも相手方の言い分だ。ぼくは断った」
「――最終的には、な」
「なんですか、含み、ありますね」
嬉々として聞いてくるジェレン。身を乗り出してくる。こう突っ込んでくるタイプだとは思わなかった。吸血鬼に魅了されて
「元、だ」とぼくは言った。
「自分がふさわしい男じゃないとかで、元つってるだけだろ」と吸血鬼は言う。
その通りなので、何も言えなかった。
騎士団に入るにも、いろんな手順がある。
もっとも、騎士団にも使い潰しの効く人材は欲しい。荷物持ちや盾代わりになる人間のことだ。もちろん、そういう見込みでスカウトした人間に、非凡な才能があるとなれば、それは良いにこしたことがない。
ということで、ぼくの生まれ育った村にも、リクルーターはやってきた。
木剣試合で類稀な才能を発揮したとか、聖剣を抜いたとか、そういう話ではなかった。ぼくの場合は、正直、今になってもなぜ自分が選ばれたのかわからないのだ。リクルーターの頭の中なんて、誰にもわからない。
それが魔法使いの頭の中とくれば、輪をかけてわからなくなる。
彼女の口添えがあって、ぼくは騎士団への入団を許可された。
補欠合格という形で。
どこにでもいる普通の少年が、そうして曲がりなりとも騎士になれたわけだ。家業を継ぐよりも、もっと多くのお金を家に入れることができる。それは、長子でないぼくにとっては、やっぱりちょっとだけ誇らしいことだった。
その後の養成所時代がいかに苦しいものであったとしても、おとぎ話に出てくるような騎士になれるのだという――今になって思えばあさはかな――確信は、ぼくを勇気づけてくれた。これは自分勝手な理屈だ。
もちろん、ぼくに目をかけてくれた魔法使いには、恩義を感じていた。彼女の期待にも応えようと思ったし、実際、結構訓練は真面目にやった。
ただし、自分と結婚しろと言われれば、話は別だった。
彼女に魅力を感じなかったわけではない。けれども、その時のぼくは大層凹んでいて、そんな気にはなれなかった。対人戦闘でも敵とされる奴らの首の一つも持ってこない、単なる荷物持ち――そんな自分には、彼女のような家柄に加わる資格はないと思った。
だから、ぼくは、王宮を去ることにしたのだ。
その選別として、受け取ったのがこの魔剣――〈アウグスタ〉。
ただの剣ではない。
由緒正しい家柄の魔法使いが鋳造した剣だ。
次席〈浄解士〉=ジェレン・ミジェルナのミグラスがそうであるように、この剣もまたある種のネットワークに接続している。もっと個人的なものだ。魔術の力場通信のようなもので、その頭文字をとって、マジクラネットなどと呼ばれている。
「ここ見ろよ」とぼくは言いながら、刀身の付け根を見せる。
「瞼に見えますね」
「まさしくその通りなんだよ」
「つまり?」とジェレン。
「鞘から抜くと、瞼が開く仕組みになっている。で、見たまんまの映像が造り手の水晶に映し出されることになっている」
ぼくは監視されているのだ。
「……別に良いんじゃないんですか?」
「別に良いよなあ?」
「おまえ達は、あの女を知らないからそう言えるんだよ」
他の女といるところを見られるというのは、そこそこまずい。
「だが、このままだとわたし達は――いや、おまらか――とにかく全滅なんだぜ?」
「そうですよ、お腹が空きましたよ」と〈浄解士〉は言う。
ぼくも同じだ。
撃たねば死ぬのも事実だった。
「起きろ、アウグスタ」
ぼくがそう言うと、吸血鬼は噴き出す。驚く〈浄解士〉。耳の先に火でも付けられたように赤面するぼく。「えっなに、詠唱必要なの?」
「しかも
剣を抜く。
だからイヤだったんだ!
定量生産の剣とは異なって、素材選びから鋳造まで自分で行い、自分の名前まで銘につけた剣。それがアウグスタ。これは彼女の想いであり、(一方的な)絆の証でもあった。定められた持ち主しか使えないため、生体認証にも手順が必要である。掌紋、声、汗とか血液、そして、瞼の開いた水晶球と目を合わせること――最後のやつが特に辛い。
おまけに、抜いた時にちゃんと視線が合うためには、剣をこう、目の高さに持ってくる必要がある。その状態で、詠唱。これが恥ずかしい。オーダーメイドのソードはこれだからイヤなんだ。
「ねぇ、ブラン、このひと、嫁の名前呼んで嫁の名前の剣、抜きましたよ?」
「ああ、見たぜ、ジェレン。マジで”元”なのか?」
「”ふさわしい男になる”って言った口ですよ」
「ちょっと、おまえら、黙ってくれよ」
いつの間にか意気投合している奴らである。
共通のネタがあるとこうもなろう。
剣の柄の瞼が開く。その水晶眼の視界にこいつらが入らないことを祈りはするが、回の夜営の後はばっちり映ってたしまっただろう。あの魔法使いにとっては、その一瞬の情報で足りる。覚えのない不貞のカドを見つけるにはそれで十分だった。多分、近いうちに本人がやってきてしまうだろう。
ぼくは籠手を水平に構え、その上に剣の腹を置いた。
魔法剣というのには、両面のいたるところに葉脈に似た筋が通っている。フィラーと呼ばれるこの細管は、水晶球と同じ素材でできている。ここを通じて、魔力を宿すことになるのだ。そうしなけれれば、
この細工が巧妙なほど、上等な品とされる。その点でいえば、ぼくの
白鳥の羽根のような繊細さすら……あ。
「白鳥の羽根のような繊細さすらある、だってさ!」
吸血鬼が心を読めること、忘れてたよな。
「このひとどんだけ好きなんですか」
インタープレテラー、死すべし。
「夕飯抜きで良いのかおまえら!」
「バカ、大声出すなよ!」
「ブランもですよ!」
三人して茂みから立ち上がってしまっていた。
トリケラ鹿がこちらを見ていた。
「クソ!」
魔物にも色々いる。獣時代の判断基準でもって、逃げる個体もいるにはいる。しかし、その個体は逆だった。獰猛といってもいい。逃げるよりは、ぼくらを始末する方を選んだのだ。地面を蹴って、突撃してくる。
ぼくは魔法が得意ではない。繰り返すが、本物のトリケラ鹿を見たのも今日がはじめてだ。体毛の魔術耐性を計算している暇なんてなかった。
「後先考えるな、とにかく当てろ!」
吸血鬼は叫ぶ。
それにしたって集中が必要だった。自分が普段生きている身体とは別の次元、魔術的次元――影のようなものだ――を
銃の方が普及しますよこんなん。
弾込めりゃ誰でも撃てるんですもん。
「ぶつぶつ言ってねぇで撃て!」
背中を蹴飛ばされて、つい出てしまった。出力の計算なんてできたもんじゃない。とにかく魔力じみたものが、ビュッと出た。
追いかけるようにぼくは詠唱する。
「
詠唱とは、事物に対する呼びかけだ。魔法剣の先端から射出された魔力は、ぼくのものとして登録されているが、それだけでは力が弱い。空気中に含まれている魔力素子などと力を協働して、ようやく成果を上げる必要がある。
そのための、詠唱。
ただし、ぼくがやったのは”後追い”と呼ばれる詠唱だ。魔力の立場になってもらえれば、わかりやすいと思う。いきなり放り出されたのでは、何をすれば良いのかわからない。指示がなされれば、いくらかその通りに動くことができる。とはいえ、当然、出力は落ちる。
魔力もがんばった。
周囲の熱量を吸い上げ、氷の軌跡ができる。
ちゃんと氷の弾となって、敵に飛んでいく。
しかし、掠めた。
小さな傷ができただけだった。
血が少し出るが、そんなものは大した量ではない。ぼくら人間にとってもそうだ。
だいたい、騎士時代も、ぼくは魔法で何かを殺めたことなんてほとんどないのだ。
「こっち来ますよ!」と〈浄解士〉は叫ぶ。「うわあもうダメです!」
「――いや、これで十分」
吸血鬼は倒木を飛び越える。ひらりと
「傷ができて、中に触れれば良いんだ」
ブランの手が魔物の傷口に触れる。
「元騎士様に合わせて名乗るがねぇ? 我が名はブランシェスカ・ヴァン・ティエリコ――、伊達に三百年、吸血鬼やってるわけじゃない」
風船の弾けるような音がした。
直後、穴という穴から血を噴き出して、目の前にトリケラ鹿が倒れた。
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