(07/09)ソロ振りタイム

「――はい、ということでね!」と吸血鬼は言う。

 彼女の声は山の中によく響いた。

 ぼくは倒木によりかかってぐったりしていた。

「遭難しちゃったわけですけども!」

「そうなんですか」

 バーン。

 沈黙。

 上から見ても、左から見ても、右から見ても、変わらなかった。

 順接も逆接もない。

 紛うことなき遭難だった。

 おまけに3日目に差し掛かろうとしていた。

 もともと、半日歩けば途中の町には着けるはずだったのだ。食料の備蓄もなく、水も切れていた。ぼくは計算をしていなかったし、ブランはガブガブ飲んでいた。ぼくもなんだかそれでいいような気がして、ご相伴に預かりまくっていた。スピリタスもしこたま買っていたが、それも無かった。というか、購入時点ですでにぼくらは出来上がっていたのだ。完全に酔っていた。

 そんな泥酔者二人が、ルンルン気分で山中に入っていたのだから、思い返すに恐れ入る。あの時のぼくらは無敵だったね。世界が自明に見えていたのだ。どうかしている。

 さて、もう一人――〈浄解士〉=ジェレン・ミジェルナ――は、未だに吸血鬼の〈魅了チャーム〉にかかってる状態で、ぼんやりとしていた。

 使い物にならない点では、どちらがマシかという話である。

 

 飲んでは吐いて歩いて飲み、吐いては笑ってまた飲んで、行き詰まった先がこの惨状ザマだった。


 実はこの吸血鬼、酒に弱いらしい。

「こっちだよこっち!」と言いながら、ズンズン進んでいくのだから、吸血鬼というのはエコーロケーションできるんだっけな、とか思ったりもした。それが間違いだった。そもそも、自分の頭を撃ち抜くような女だ。信じるべきではなかった。脳みそが足りているかも疑わしい。

「このままじゃ死ぬよ」とぼくは言う。

「おまえらは、そうだな」

 へらへらと笑う吸血鬼は、地面に寝そべっていた。マットの上に横たわり、お腹の上で両手を組んで、今は”内臓の位置を調節中”とのことだった。弱いくせに酒を飲むのが好きときている。心と体が一致していない。治癒魔法の応用だとかなんとかで――説明はされたが、正確なことは何も覚えていない――少しでも体調をマシにしようと奮闘中だった。

「……どゆこと」泥の詰め込まれたような頭で彼女の思考を手繰り寄せる。

「アンタらは死ぬかもしれないが、わたしは、違う」と吸血鬼は続ける。「そっちの〈浄解士〉の血は神聖くさいから飲めたものじゃないとして、アンタは違うってことだよ、元・騎士様。いざとなったら、アンタが干涸びるまで血を貰ってでも生き延びるつもりだ」

 こいつ、死にたがりの吸血鬼じゃなかったっけ?

「だから、だろ」心を読んで、彼女は言う。「死ぬにも作法があるんだ。銀の弾丸じゃなきゃ、わたしは殺せない。だから、それまでは、なにをしてでも生きてやる」

 ぼくらの間に仲間意識なんてものはなかった。

 それは単に、ブランシェスカが拒絶しているから、というだけではない。ぼくには他にやることがなかったからだし、この〈浄解士〉については魅了されてるわけだから、本人の意識とは関係ない。

 意識で現状が変わるのか? 答えはノーだ。

「とはいえ、だ」と健康を探しながら、そいつは言う。「別に不老不死で使命感があるから、楽観的なわけじゃないぜ」とブランは言う。「ちゃんと打算もある」

「その打算に巻き込まれた挙句がこれだろ……」

 この吸血鬼にとっても、目印なるものがあった。そう、正しく過去形で。脳みそ不足のこいつを信じるなら、それは確かに存在していたはずだが、今はなくなっていた。さて、消えたものはなんでしょう。気になりますね。正解はこちら、デーン、木になります。

 なるほどォ、と笑っていたぼくだった。

 頭が痛かった。

 この吸血鬼は、百十数年前の土地勘でもって、ぼくらをこの山に誘ったわけだ。

 バカも休み休み言え、と思う。

「……だから休んでんだろ」と睨んでくる目にも力がない。

 力がないのはぼくもだった。

 もうほとんど、2日も食べていない。なぜか。半日計算で食べ尽くしたからですね。

「あー」と虚しい声をあげてから、吸血鬼は言う。「もうすぐ、その〈浄解士〉の魅了が切れる頃合いだ。誓約を交わしたわけじゃないし、2日? 3日? ……そう、3日くらい経つしな……」

 不老不死が呆れた様だった。

 辺りでは、姿を見せぬままに謎の生き物が奇声を上げていた。嫌な予感がする山だったし、実際、瘴気のひんやりする気配があった。多分、ぼくらが山に入ったときに比べると、それはかなり濃密になっているのだと思う。酔っていたから気づかなかったし、吸血鬼と一緒だし、〈浄解士〉もいるし……ゆーてゆーてでしょうと思っていたのだ。

 でもなぜか、受付のお嬢さんの心配そうな顔が思い浮かぶのだ。

 ――大丈夫ですか、魔物出ますよ……

 ――らいじょうぶ・らいじょう。あらしキューケツひっく、らから!

 ――れすって! そしてぼくは元騎士。

 ――ああっ柵を蹴破らないでください!

 ――あらしが壊しても騎士が払うよ! オロロロロ……

 これひょっとして、記憶か? とぼくの理性は首を傾げるが、あまり考えないようにします。

 

 さて、これは簡単な権利の問題だが、山頂に教会があるわけでもないなら、その山は危険だ。瘴気が渦を巻き、魔物が徘徊しているということになる。つまり、ぼくらは魔物に囲まれているということになるのだ。山頂に教会があるなら、そこは人類によって克服され、開拓された山である。文明の象徴ということだ。もちろん、全ての山がそうなるわけはない。範囲は限定される。たとえば、ある十字架を中心に、何キロメートルと規定される。

 〈浄解士〉の持つ十字架にも似た権能はあるはずだった。しかし、当の使い手が自失状態では仕方がない。

 そこに、吸血鬼の出番があった。

 山に入った頃は、吸血鬼もある意味で絶好調であった。同じ魔とはいえ、吸血鬼は(本来)理性を持った魔である。分別があり、プライドがある。縄張り意識があって、それを実現する能力も備えている。おまけに酔っ払って吹っ切れていたとあれば、襲い掛かる魔物はいなかったろう。

 逆に言うと、ぶっ倒れている今ならば。

 ――勝機があるということだ。

「――瘴気だけに」

 ボソッと吸血鬼は言った。 

 ちょっとイラッとした。

「思ってもなァ!」自分で出した声が頭に響くのだから困る。

「いやいやいや、言うだろそりゃさァ!」

「……叫ばないでくれ……」とぼくは弱く言う。頭に響く。

「元騎士様、おまえ、ズルいよ! いやわたしも具合悪ぃわ……」

 愚かもの達だった。

「――はっ」

 ジェレン・ミジェルナが目を覚ました。

 彼女は奇声をあげて、(ガンガン響く)、横に置いてあるミグラスに抱きついた。

「ここ、どこですか」

「山中です……」

「バカなここにあったカリベーは?」

 カリカリのベーコンをそう略すひと初めて見た。


・・・♪・・・


 自己紹介。主に紹介するのはぼくの役目だった。今更感もあるが、出会っていきなり自意識を奪ったのだから、仕方ない。

 当然ながら、ジェレン・ミジェルナも魔術文字が読める。我が魔剣〈アウグスタ〉には、こう書かれている――”最愛なるイェリック・パスランドへ捧ぐ”。それを読まれては、聞いてて耳の後ろが痒くなった。


「〈浄解士〉が目を覚ますとどうなるんだ?」とぼくはブランに聞いた。

「現在位置情報が取得できる」

「えっ」

「状況がわかりかねますが……できますよ、現在位置情報の取得。これでも次席ですから」と胸を張る。


 ミグラス――それは、上下左右のどの方向からも十字架に見える、とても立体的な十字架であり。衛星兵器だ。

 〈浄解士〉養成機関では、毎年、成績優秀者の上位三位までには専用の衛星が与えられる。それは卒業式の日に打ち上げられ、軌道上に待機する。彼女もその内のひとりというわけだった。その栄誉に預かることのできなかった他の〈浄解士〉は、無数に存在している衛星間ネットワークと連携することにより、〈浄解士〉としての能力を行使する。

 よくわからんが、この際、頼みの綱は彼女だけだった。

「仕方ないですねえ」と彼女は言って、ミグラスの裏を開ける。

 開くんだ、そこ。

「バッテリーが足りないみたいですね」示し合わせたように、彼女のお腹もぐうぅと鳴る。彼女は赤面するが、ぼくはその音を聞いて、昨日までを懐かしく思った。まだ食べ物と水があった時代。そして、飲み食いせずとも死にはしない吸血鬼に影響されて、バカみたいに食料と水を平らげていた自分を呪った。腹の虫? 死んだよ。

「なにか食べ物があれば、いけます」

「そんな都合よくいるわけないだろ」

 再び沈黙。

 辺りには奇怪な声が轟いている。

 いや、いるにはいるのだ。

「そう、いるにはいるんだよ」とティエルは指で示す。

 茂みの向こう。

「ちょうど良いところに、トリケラ鹿がいるじゃねぇか」


 肩までの高さが2メートルくらいある。

 教科書で見たことがある。実物は初めて見た。

 三本の角が生えており、脚と目が三対ずつある。気色が悪いが、かなりマッシヴだ。一口に魔物と言っても、ピンキリだが、こういう個体の場合は、ちゃんと来歴がある。たとえば、元々はただの鹿だったとして、猟師が撃ち損ねたとする。鹿にしてみれば命拾いしたことになるのだが、怪我を負う。こうすると、純朴であったとしても、疑問や恨みが生まれてくるものだ。そうして、鬱屈したものが、瘴気を伴い肉体をも変化させる。魔物には、そういう風にしてできあがるものもいる。

 〈浄解士〉は、そういう鬱々とした気分を解消する職業だ。そのために、対象と象徴を接続して、衛星上おそらのうえのネットワークを利用する。代理演算と、その計算結果でもって、ポジティブに変換すること。

 本来の鹿部分と、瘴気由来の要素の分離ができる、ということだ。

「よぅ、騎士様。撃てよ」

「断るが」

「こんなわけのわからないところで死んでいいのか?」

「本当は魔法が撃てないんじゃないですか?」と〈浄解士〉の女が言った。「ナマクラなんじゃないですか? ただブラ下げてるだけなんじゃないですか?」

「おまえだって役に立たないくせに……」

「これから立ちますゥ! 今はお腹が空いてるだけですゥ!」

「ていうか、そこの吸血鬼」

「天上キュートな吸血鬼だが?」

 もはや隠すつもりはないらしい。

「おまえがやれよ」とぼくは続ける。「魅了を使うなり、人間にそうするみたいに首筋に齧りつくなりして、あの魔物を仕留めれば良いだろ。一番元気があるじゃないか」

 今宵は満月だった。

 ぶっ倒れてはいる。しかし、先ほどよりは血色が良い。

「イヤだが」と吸血鬼。「あのさァ、見ろよ、毛皮の歯触り最悪なんだよ」

「試してみろよ」

「試したことあるから言ってんだろ」

 あるのか。

「別にわたしもさ、全然何もしないって言ってんじゃないよ。解体作業なら手伝ってやる」吸血鬼はそう言いながら、腰元の鞘を叩いた。短剣が入っているものだ。この山に入る前に買わされたものだ。「こう見えても、皮剥かわはぎと内臓モツ剥がしの魔法は使える」

 ひゅんってなる。

「いや聞いたことはあるけどさあ」

 魔法には、初級・中級・上級があるとされる。具体的な境界線が引けるものではなく、教育によってかなり差が出る。文化圏によっても異なり、ある地域で上級とされる魔法が、別の地域では初級扱いということも稀に起こる。

 たとえば、花火産業が盛んなある都市では、周辺の都市に比べて明らかに炎系魔法の使える率が高かった。これは日頃から、爆発やら火炎に近しいことが原因とされている。こういう意味では、魔法というのは流行歌のようなもので、耳にする頻度が高ければ理解度も上がる傾向にある。

 さて、その上で、ブランの言った”皮剥の魔法”だ。

 これは、簡単な呪いのひとつ、さかむけの呪いの発展系と推測される。さかむけ、ささくれ、指先の皮が少し剥ける奴だ。あれができる呪いというのは昔からあって、広い地域に存在している。もっとも、自然にできることもあるから、当人にとっては呪われた結果かどうかわからないという問題がある。この呪い・魔法についても、発展系は多岐に渡る。たとえば、右手全部の指にさかむけができる、と数を増やすか、むしろ爪まで剥がれる、とするなどだ。拷問用に開発が進んだりしている。

 内臓剥がし――肉離れの呪いの発展系。

 肉離れの魔法については、まだそれほど難しいものではない。自分の脚を触ってみれば良い。ただし、それをより精密に実行して、結果を得るとなると、解剖学的な知識が必要になってくる(外科医とか、筋肉愛好系戦士の中には、この呪いを得意とする者も多い)。しかも、それが、人間以外の存在――四つ脚の・かつ・魔物となれば、更に自体は厄介になる。

 解体バラしたことのある対象にしか、通用しないものと思って良い(この点、精肉店は鶏を解体する魔法が得意だったりするので、農家とキッチンとの三店方式をとってるところもある)。

 役割が見えてきたな。

「……やるしかないのか……」

 やりたくねぇなあ、というのが正直なところ。

 でもなんか、いつの間にか、怠け者はぼく、ということになってきていた。

  ブランシェスカ・ヴァン・ティエリコ――、魔物の解体。

  ジェレン・ミジェルナ――魔物の浄解と、現在位置情報の取得。

  イェリック・パスランド――見てるだけ。

 それってちょっとあれなんじゃないか、とさすがのぼくも思う。

 剣の柄に手をかけた。

 できれば、これは抜きたくない。

「あ、おまえ、銃持ってなかったっけ」とぼくはブランに聞く。

「あるけど、弾丸がねぇよ」

「ダメかぁ」

「抜きたくないのはなんでなんですか? 盗品だからですか?」まだ煽ってくる〈浄解士〉。

「抜くと暴露バレるんだよ」

「バレるって誰にですか?」とは、専門職らしい疑問だった。

 だが、ぼくはそれにすら答えたくない。

 そして、答えたくなくても心は読まれる。おまけに、300年ほど生きていると、そこのあたりも知見があるとみえる。

「あれを撃たなきゃ飢えて死ぬんだぜ」と吸血鬼は言う。「それとも嫁にバレるのが怖いのか?」

 そういうことになる。

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