(06/09) Let's 山越え!
「で、十字架のぶっ刺さってた女よ」
「ジェレンです。ジェレン・ミジェルナ」
舌を噛みそうな名前だった。
「十字架をぶっ刺して何してたんだ?」
あれ?
ぶっ刺されていたのではなく?
吸血鬼のセリフに間違いがなければ、この〈浄解士〉は自分で自分に十字架を刺していたということになる。事件の匂いを嗅ぎづけていたぼくとしては、これは意外だった。
「チェスです」
「チェス」とこれはぼく。
「ポーンとかルークとかビショップのいるやつですよ。相手のキングを獲れば勝ちです」
受付のお嬢さんは教えてくれるが、それくらいはぼくも知っていた。
「もう少しで勝ててたんですよ。あなたが
実に悔しそうにする少女であった。
「ごめん、わからない」とぼくはやはり言ってしまう。「どうして、十字架が刺さってるとチェスができるんだ? 誰と?」
「ああ、一般の方にはわからないかもですね」
彼女の話を整理するとこうだ。
十字架はあくまで
三次元チェスってなんだよ。
それってほんとに実在するのか?
「あくまで身内の連絡網ですから、わたし達は〈インターネット〉と呼んでいますけどね」
――さっぱりわからない。
しかし身に覚えがないわけではなかった。
遠見の魔法というのはあるわけだし、神様は常に見ているのだと幼い頃から聞かされてもきた。隣にひとの心を読む吸血鬼もいる。ジェレン・ミジェルナの言う、”インターネット”という方式自体ははじめて聞いたが、常に誰かに何らかの形で監視されているのだ――というのは、珍しくもない。
遠見の水晶を通じて映った映像を、壁一面に上映されていた元騎士だっているのだ。
受付のお嬢さんは去る。ジェレン・ミジェルナの手を握り、生きててよかったですう、と言っていた。
「やだなあ、そうそう死ぬわけないじゃないですか」
と彼女は答えた。
「で、あなた達はいつまでそこにいるんですか?」と〈浄解士〉。
それもその通りだった。
ミステリがあるならともかく、自然に解決されてしまえば、仕方がない。
彼女に言われて、吸血鬼も用事を思い出したらしい。
「おお、そうだ」
そう言いながら、〈浄解士〉に滲み寄る。
こうして並べてみると、彼女らは身長があまり変わらない。ぼくより頭二つ分くらいずつ小さい。150cmあるかないか。こうして見ると、ぼくの存在ってなんなのだろう、とか思う。引率の先生か? 学童時代を思い出そうとしそうになったので、やめた。
吸血鬼に押し切られて、〈浄解士〉は壁際に追いやられる。
そして壁ドンが発生した。
吸血鬼は壁ドンをする。それには、準備が必要だった。大抵の事柄は無から生まれない。
ティエリコが両手を揉み合わせると、良い匂いが漂う。咲いた、と言った方が適切かもしれない。薔薇の香り。実際、赤い花弁が開くのが見えた気がした。そのように見せることもできる。
身だしなみの魔法。舞踏会とかでよくやるやつだ。
彼女はそのまま前髪から、全体をかきあげる。
髪がかっちり固まって、尖った耳先も顕になる。
魔法を使えると色々と便利だが、こういうこともできるのだった。魔術文字が読めない場合――もっとも、舞踏会に参加できるなら、魔術文字の教育は受けていると思って良いが、それにしたって得意不得意はある――普通に整髪料を使う。香水も使う。ただし、その後で手がベタベタする。洗うにも水がいる。身だしなみとはそういうものだ。
そういった手順をどこまで再現し、省略できるか。
ここに魔法の技巧がある。
さすが三百歳以上の吸血鬼。詠唱もせず、魔法陣も書かず、手の揉み合せだけで実行してしまった。その手際の良さには、舌を巻く。よほどの暇がなければ、(こんな)身だしなみの魔法なんてものを、ここまで組むことなんてしないからだ(貴族連中は別である。奴らにはそうするだけの暇がある)。
「なんですか、撃ちますよ」
ジェレンは床に転がった十字架――これも〈浄解士〉の身長くらいあるデカい代物だ――の方に足を伸ばす。靴先で手繰り寄せて良いものなの、と彼女の信仰心には疑問を禁じ得ない。仮に寄せたとして、何を撃つというのだ。
「騒がしい女だな」
ブランシェスカ・ヴァン・ティエリコは言う。
名前を裏切らぬ貴族っぽさ全開だった。あるいは、本当にそうだったのかもしれない。
「次席ですよ!?」
ジェレン・ミジェルナは言う。
〈浄解士〉育成機関の次席、ということだろう。滅多にいるものじゃない。ので、価値はある。普通なら。
「だからなんだってんだ」
それもそうだった。
ぼくの方からは、ティエリコの片目しか見えなかった。紅い宝石みたいな目。多分ジェレン・ミジェルナからは両眼が見えている。真っ直ぐに見ているはずだった。吸血鬼の両目ほど、覗き込んだらアウトなものもない。
なぜなら、吸血鬼というのは〈
「――おまえ、わたしの手下になれ」とティエリコは命じる。
「……ッ」
それでも、ジェレンは抵抗しようとした。”次席”の矜持というのもあったのだろう。彼女の体に力が入る。レジリエンスを高めるにも、まずは形から。しかし、実際にはそれは最後の一線だった。彼女はすでに、吸血鬼の目から視線を逸らせずにいる。次第に、〈浄解士〉の目がグルグルしてくるのが見えるようだった。
「二度は言わない」
吸血鬼は、少女の顎を持ち上げる。
「お返事は?」
「……はい♡」
〈浄解士〉の体から力が抜けた。
「お利口さん」と吸血鬼は言って、〈浄解士〉の頬にキスをした。わお。
・・・♪・・・
再度、食卓。
暇さえあれば、何かを食っているぼくらであった。もちろん、ぼくの奢りだ。また死に近づいた。それともいつか補填されるのだろうか。
人の金で食う肉は美味いよな、と言いながら、吸血鬼は分厚い肉を切り分けている。溢れ出す肉汁を目の肴に、ぼくはエールを飲んでいる。その横にいるのが、ぼんやり顔の〈浄解士〉。彼女の前には、カリカリのベーコンが山積みになっている。それもぼくの奢りだ。なにしろ、今の彼女には意思決定能力がほとんどない。そして、意思能力を喪失した少女の懐から金を拠出するほど、ぼくは落ちぶれてもいないのだった。
吸血鬼の命じるまま、調味料を手渡し、分厚い肉を食べる様を恍惚の目で見ている。
ともかくにも、これで〈浄解士〉が仲間になったわけだった。
――とぼくが思ったところで、ぴたりと吸血鬼が手を止める。
「そう簡単に仲間になってたまるかよ」
「ひとにナイフを向けるなよ」
「言っておくが、わたしはアンタやコイツを仲間と思っていない。今まで思ったこともないし――」
もぐもぐ。
「――出会ったばかりだからな――」
ごくん。
「――今後もそう思うことは、きっとない」
「だろうな」とぼくは適当に返す。
「大体、”仲間”ってなんなんだ?」と彼女は八つ当たりするように、肉を切る。「定義がわかんねぇんだよな」
騎士時代には、仲間と呼ばれる集団があった。あれはチームだったのだな、と今になって思う。指揮権のある者によって、配属された先の集合。団体として与えられた何らかの任務があり、そこで割り振られた役目があった。互いを庇い合いもしたが、それはそうせよとの命令があったからだった。使命感による連帯。
ちなみに、最年少のぼくは、荷物係。負傷した誰かの杖代わりだった。
「そうですねえ」
「恋人はわかる」
「わかるのかよ」
「300年も生きてりゃ、恋の一つや二つはしたさ。あれは直観だよ、インスピレーションだ。目を見ればわかる。恋する乙女の甘い瞳……」
遠い目をする吸血鬼。
「この子みたいな?」
ぼくは横の〈浄解士〉を指す。トロンとした目の少女はまさしく、恋をしているかのようでもあった。
「これよりもっと熱い」
否定はしないのだな、とぼくは思った。
「まあいい。そんな話は良いんだ」
最後の一切れを口に放り込み、彼女はプレートを脇に避けて、地図を広げた。広げたといっても、ほとんど投げるような仕方だったので、乱暴だった。ていうか、ベーコンの山を覆う形で広げられた。当然油が染みる。端の方だから良いのかもしれないが、そういうのすごく気になる。
「おい、ジェレン。そのベーコンを重しにしろよ」
「はい♡」
言われるままの〈浄解士〉だった。
「
あーそんな話でしたね。
彼女は線路を指で辿る。
海沿いを行く道だ。岬に沿って、線路は続いている。
「線路沿いには、結界が張ってるあるはずだよな?」
列車を動かすための魔導機関は、膨大な出力を得る代わりに、繊細な部分もある。新しい技術なので、聖とも俗とも魔とも言えない、第四の次元が敷かれているのだ。おまけに、複数の国が関わっている国際的な企画でもあるから、何かがあっては困る。
「そのはずだな」とぼくは答えた。
一応、並走する街道はついているものの、ぼくらの移動手段は現段階で徒歩しかない。
「ここを行くと疲れるし、追いつけるわけはない」
確かに吸血鬼とは相性の悪そうな話だった。
「だから、ここを突っ切る」
そう言って、彼女は山麓を横切る線を引く。
「そうか、がんばってくれ」
「アンタも来るんだよ」
「ええ……」
「美少女二人で山越えさせるつもりかよ」
「自分で言うなよ……」
ついさっき知り合ったばかりにも関わらず、意外と〈浄解士〉に対する評価が高い。言うほど、そんなに美少女か、と確認するために、ぼくはそちらを見た。
少女が十字架にベーコンを食わせていた。
「何やってんの!?」
十字架も十字架である。
基本的には、表面は白く、滑らかで陶器のようだ。
しかし、今、十字架を十字架たらしめている交差地点に、ギザギザの歯が浮かんできている。ジェレンの差し出すまま、ベーコンをガリガリ齧っている。飲み下しもする。肉食の十字架なんて聞いたこともなかった。
「食べなきゃ保ちませんよ」と〈浄解士〉。
「そんな当然みたいな顔で言われても」
「山を越えるんだぜ? 食わなきゃ保たねぇよ」
「……おかしいのぼくなのか?」
全然わかんなくなってきた。
ぼくはもう一つエールを頼むことにした。
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