(05/09) 十字架のぶっ刺さった女

「浄解士ですか……」 

 イエスかノーの問題に、そう濁るならワケありだ。

「いるにはいるんですが、そのぅ」

「わぁっ、グッドラックですね、戦士様っ」まだシナを作るフラン・ティエル。

 ぴょんと跳ねる吸血鬼。

「待て、フラン。”いるにはいる”だぞ。何か事情があるらしい」

「紹介料が高いとか? チッ」

「ありうる」

 ありえた。

 浄解士は特殊な職業だ。戦士や魔術師とは違う。

 戦士や魔術師の場合、基本的に誰でも名乗ることはできる。極論、能力がなくたって自称でいける。問題があるとすれば、名乗ったあと。戦士の場合は功績がものを言い、魔術師の場合は実演が言葉を持つ。酒場でも宮廷勤めをする時でもこれは一緒だ。すでに名前が知られている場合は、もっと簡単にコトが進む。

 今の僕らには、別に経歴なんて必要ないが。

 さて、一方の浄解士。

 これはまるっきり性質が違う。彼らは全員、専門的な教育を受けているし、その卒業証書がなければ名乗ることは許されない。騎士と同じで、資格がいる。厳密な規則があり、それに違反すれば重罪だ。

 浄解士は、瘴気に対する術を持つ人々だ。

 ここには科学の進歩がある。

 たとえば、魔物の軍勢から城壁を守る仕事があるとする。魑魅魍魎は見かけが悪いだけでなく、攻撃的なことも多いから、城内に入れるわけにはいかない。しかし、入らなければ良いかというとそうではなく、かなり離れた場所で退治する必要がある。多くの魔物は瘴気を纏っているし、これは倒してもそう簡単に消えない。風に乗って城下町に降りでもしたら最悪だ。大勢が病に伏すことになるし、意味もなく悲嘆にくれることになる。そうなれば国は衰えてしまう。

 魔物と戦うということは、瘴気を浴びるということだ。魔物の群れを殲滅したなら、僕らは土で大きなカマクラを作り、剣と鎧をそこに入れ、しばらく火で焼かなければならない――この世に未練がなくなって、粒子のひとつひとつが意味をなくすまで。その間中、ぼくらは祈りながら、煙の中で暮らさなければならない。服を脱ぎ、兜の内側のマスクだけをつけて、飲まず食わずで三日ほど。そういう浄化の儀式を経て、ようやく僕らは城壁の中に入れる。けれども、瘴気を完全に払えるわけでもなく、常に一定のリスクは残っていた。

 浄解技術の進歩によって、今では瘴気の憑きにくい装備や、より効果的な祈りが開発されつつある。カマクラの精度も上がってきたし、浄化の儀式さえ済ませば、恐ることなく街に戻れるようになっている。

 冒険者にとっての重要性は、この辺りにある。

 道中魔物に遭遇したとして、やっとの思いで倒したとしても、儀式に数日を費やしていたのでは、難儀する。だいたい、忍耐力のないやつが冒険者になるのだ。そういうやつらが、儀式をちゃんとやるだなんて信じられないし、祈りの言葉が完全かも疑わしい。瘴気のリスクを孕んだまま、街に入られることを考えただけでもぞっとする(もっとも、これを防ぐために、今では関門に浄解士が駐在することになりつつある)。

 まあそのようにして、浄解士は現代の冒険に必須の人材なわけだった。

 だから紹介料も高くつく。

「合わせてくれるだけでも良いんです、お願いします」とフランが言った。

 こいつ、頭を下げられるのか。

「わかりました」

「良いんですか?」と僕。「これで紹介成立、紹介金を払えって言いませんか」

「ああ、それは良いです」とお姉さん。「というか引き取ってもらえると嬉しいですからね……」

 何やら不吉なことを言って、彼女は僕らを連れて行く。


・・・♪・・・


 ドアを開くと死体があった。

 いやいや。

 背中の中心に特徴的な十字架が刺さっていて、それが杭のように彼女の体を床に留めていた。

「こちら、故=ジェレン・ミジェルナさんです」

 床にうつ伏せになって寝っ転がっている少女を指して、受付の女性はそう紹介する。

「死んでるじゃん」とフラン。

「死んでるよな」と僕。

 浅葱色の髪の少女は、僕の半分くらいの年齢のようにも見えた。それが顔面を木の床にべったりとつけて、微動だにしない。伸ばされた右手には、紙片を握りしめており、そこには何かが書いてあるが、滲んでいることもあり、読み解けそうにはなかった。

 彼女はどこかに行こうとしたのだろうか。

 握り拳の先に目を向けると、注文用の小窓がある。どこの宿にもあるが、そこに注文を書いた紙を入れると、受付まで届くという仕組みだ。食事や飲み物や所用、あるいは夜の供に至るまで、要望を出すだけならなんでも可能だ(もっとも、あまり度を過ぎると、ユマニ会中の噂になってしまうので注意)。

「今は、そうですね」

「死に今も昔もあるってのか?」フランはいつもの通りに戻っていた。

 哲学かよ。

「一昨日までは元気だったんです」と受付の女性は語る。「背中に十字架も刺さっていませんでしたし、元気に挨拶もしてくれました。丁寧で、素直で、明るくて……ほら、浄解士の人たちってみんな上から目線じゃないですか」

「騎士もな」

 耳が痛かった。

 何か言い返そうとしてフランを見たが、彼女もまた少女の死体に興味津々のようだった。 

「そんなことより」と話題を変えようとした。「死体を二日も放っておいたんですか?」

 死は瘴気にとって餌になる。

 速やかに然るべき手順を踏んで埋葬しないと、魔物を呼び寄せないとも限らない。そうすれば、悲劇だ。この冒険者ギルドはお取り潰しになるだろうし、ひいてはユマニ会全体の不利益となるだろう。

「死ってなんでしょうね……」

「永遠に動かなくなること、朽ち果てること、瘴気を放つこと」

 フランは言って、

「そして忘れられることだ」と続けた。その目は鋭く、目の前の少女を睨みつけている風でもあった。

 良かった、”路銀が尽きること”とか言わなくて。

「あっ、そうです」

 と受付の女性が勢いよく頷く。

「それなんです。わたし達がどうしようか迷っていたのは、そこなんです」

「どういうことです」と僕は尋ねずにいられなかった。

「ジェレン・ミジェルナさんは、今朝もちゃんと朝食をお召し上がりになりました」


 彼女の話によると、こうなる。

 ジェレン・ミジェルナはミグラ機関(浄会士を育成する機関はいくつか派閥があり、その内のひとつ)卒業後、見聞を深めるために諸国漫遊の旅に出た。その道中、しばらくは一人で旅をしていたが、偶にはパーティで行くのも良かろうと、この冒険者ギルドに寄ったらしい。

 それが一昨日の話。

 ジェレン・ミジェルナには金があった。そして欲望――具体的には、好きなだけカリカリのベーコンを食べたいという夢があった。この宿に着いてからの二日間、彼女は山盛りのカリカリベーコンだけを食べていたらしい。朝に一盛り、昼にも一盛り、夕方に一盛り食べて、夜が長引けば二山を食べた。

「最後に注文があったのは?」

「それが、昨日の晩です」

「なるほど、となると十字架が刺さったのはその後――あれ、いや待てよ」

 僕は混乱した。

「お姉さん、こいつは今朝もベーコンを頼んだのか?」とフラン。

「あっ、いいえ。今朝は茹でたセラ豆でした。ご用意していたんですが、ベーコンには手をつけなくて……」

 飽きたのだろうか、と僕は思う。

 呑気なこと言ってんじゃねぇぞ、とフランの目が刺さる。

「何を食ったのかはどうでもいい。わたしが聞きたいのはな、ってことなんだよ」

 フランがそう言うと、受付の女性は目を丸くした。

「どうしてわかったんですか……!」

 本当に刺さってたのか。

「そこじゃねぇよ、イェル」

「どういうことだ、フラン」

「頭を使えよ、キシ様。刺さってたってのも確かに異常ではあるけどさ、問題は、こいつが十字架が刺さっても動ける人間だってことだ」

「そんなバカな」

「そうです! だってわたし、見ました!」と受付のお姉さん。

 幻覚ではなかろうか。

 このお姉さんが、この少女を気に入っていたことは明らかだった。冒険者ギルドなどという治安のよろしくない場所だ。そんな中に、丁寧で素直で明るい少女が現れた日には、清涼剤のようにも感じられるだろう。山盛りのカリカリベーコンを死ぬほど食べたいと言って、繰り返し注文しては、美味しそうに食べていたなら、愛着だって沸くだろう。

 そこまで考えれば、幻覚を見たとしても不思議はない。突然その少女が死んでしまったことについて、深い悲しみに襲われて、十字架の突き刺さったまま歩くだのという姿を見ても――


「種明かしの時間だぜ!」

 突然フランはそう叫び、ミグラ式十字架の両腕を掴んで、勢いよく引き抜いた。

「いよいしょお!」

「ぐぇええええ!」


 浅葱色の髪の少女が仰け反りながら起き上がる。叫び声をあげたところを見るに、相当痛かったらしい。騎士時代のことを思い出した。魔物の牙が二の腕を貫通し、同僚に抜いてもらった時のこと。あれもかなり痛かったが、今の彼女ほどではなかったかもしれない。

 少女はしばらく、大きく目を見開いたまま、変な姿勢で硬直していた。

 自分の置かれた状況がよくわからないらしい。

 しかしすぐ、彼女の目からスーッと涙が溢れ出した。それは果たして生き返った喜びか――そもそも本当に死んでいたのか――

「神界との接続が……途絶えた……」

「抜いてやったことに感謝しろよ、人間」とフランは言う。

「抜い――あなたですか、抜いたのは!」

 バッと立ち上がって、くるりと回り、命の恩人に向き直る少女。

「それにそれ、わたしのミグラスですよね。返しなさい!」

「こんな神聖くさいもの要らないよ」

「神聖なのに床に投げた! バチが辺りますよ!」

 今まで死の疑いがかけられていたとは思えないほどの元気っぷりだった。ちらりと見えたがお腹に穴は開いていなかった。てっきり十字架が――脚の部分がひどく尖っていた――少女の腹を貫通して床に突き刺さっていたとばかり思っていただけに、これは意外だった。

 だいたい、出血とかどうなっているんだろう。

 しかしそういう疑問は、となりに崩れて泣いている受付のお姉さんを見て、保留となった。

「よかった……生きててよかった……」

 確かにね。

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