(03/09) パートタイム・ナイト

「起きろよ、イェリック・パスランド」

 夢にしては明確な声に、目を覚まさざるを得なかった。

 鍵はかけてあったはずだ。

 それなのに、そいつ――フランチェスカ・ヴァン・ティエリコは僕のベッドの端に腰掛けていた。

 吸血鬼に壁抜けの技能スキルがあったろうか、と考えながら、ドアの方を見る。

 見事に蹴破られていた。

「お前なぁ……」と僕は頭を抱える。

「あんたこそ昨日、わたしの部屋のドアを蹴っ飛ばしただろ」

 その通りだった。

「それに、あんたには金があるんだから良いじゃねぇか。気前よく払えよ、騎士様」

「そういう問題じゃない」

 確かに、金は払わなければならないだろう。

 自分でしでかしたコトの始末は自分でつける。

 このホテルの人間が見逃してくれるとしても(そんなことは万に一つもないだろうが)、僕の方から金を払うつもりだ。

 旅銀が底をついた時に死のうと決めていた僕にとっては、ドア一枚を蹴破るのも死に近づく行いだ。

「良いじゃねぇか、願ったり叶ったりだろ」

 ティエリコは皿の上のパンくずを丸めて、親指で弾いてくる。

「行儀の悪い奴だ」

 僕が眉を潜めても彼女は気にしない。

「むしろ感謝して欲しいくらいだね。わたしだって死にたいのに、あんたと一緒に飯まで食って、おかげで今日は朝から気分が良い。最高だね! だからドアも蹴破った。サービスだよ」

 またパンくずを飛ばしてくる。

「それ止めろよ」

 払いのけながら僕は言う。

 見下ろしてみると、枕の周りがパンくずだらけだった。宿の人間に「あの元騎士様、寝ながらパンを食べてたのかしら」「それでクビになったんじゃないの?」などと噂されるのは勘弁願いたい。

 ドアを二枚も蹴破って、寝ながらパンを食べる、あるいはパンを食べながら寝る、元騎士。

 辛い。

 パシッとパンくずが額のど真ん中に当たった。

「お前……」

「あんたが食べるかと思ったんだよ」

「う」

 僕は今朝見た夢を思い出して、言葉に詰まった。

「鳩になった気分はどうだった? イェリック・パスランド」

 どうやら今朝の悪夢も、こいつのサービスらしかった。


・・・♪・・・


「飛ばないあんたが悪かったんだよ」とティエリコは言う。

 今朝の夢の話だ。

 ティエリコの言い分を採用すると、彼女は昨晩の食事の礼として、僕に鳩になる夢を見せたのだと言う。一羽の無力な鳩になっていた僕は、顔の見えない人間に囲まれていた、奴らは石を僕に投げてきていて、僕にできることといえば、その枝みたいな足で右に左に走ったりするだけだった。

「飛ぶなんて発想がなかった」

「それは嘘だね」

「夢の中で考えたことまでわかるのか」

「わかんないね。わたしはあくまで夢のネタを与えるだけだ。あんたの夢を見ることはできる。あれはんだ。まるで自分にそんな資格はないって思い込んでるみたいにね」

 彼女はそう言って、この地域の郷土料理らしいパイを齧る。

 よく食べる吸血鬼だ。

 水を通す硝子の筒のように、日差しが彼女の髪を流れていた。その中で繊細に輝く様子を見ていると、まるで彼女の髪自体が、陽光を編んだようにも思われる。

 ティエリコは、ドレスのような服の上から、皮の上着を羽織っていた。ずいぶん着ているらしく、ところどころほつれている。それ以外の持ち物は何もない。

 こいつは今までどうやって生きてきたのだろう、と思わずにはいられない。

「あんたのその感想に答える気はないよ」

「また心を読んだのか」

「聞こえるんだよ、あんたの声はな。鴉みたいだ」

「気分良くないな」

「お互い様だよ」とティエリコは言って、パイを包んでいた紙を丸めてポケットにしまう。

 当然、これも僕の奢りだ。

 また死に近づいた、とため息をついた。

 これは予期せぬ接近だった。

 僕はあくまで、旅銀の全額を自分の余生に換算し、出費のランダム性に余命を任せていたのだ。騎士時代に各地で開設した口座の帳簿に書かれた数字と、手元の袋の中身の金貨――それが僕の人生。それを全て消費したとき、僕は自分の大して長くもない半生を清算したことになる。

 預金がゼロになれば、残るのは僕の身体ひとつになる。

 アウグスタも残っているかもしれない。

 その時、僕はきっと、剣を胸に突き立てて死ぬのだろう。

 急にティエリコが笑い出した。

「なんだ」

「ハハハ、いやな、騎士はロマンティックな生き物なんだなって思っただけだよ。アハハ」

 気に食わない奴だ。

 僕は話題を変えることにする。

「俺に着いてきて欲しいところというのは、どこなんだ」

「もう見えてるだろ」

 僕はあたりを見回したが、何がそこなのはわからなかった。

「ほら、あれだよ」細く小さな顎で、ティエリコは先を指す。「駅だ」


 僕が騎士になったのが、十四の時。その頃には、鉄道というのは始まっていた。あくまで当時は試験的なもので人々の交通の要となるほどではなかった。僕の騎士としてのキャリアは、この鉄道の進歩とほとんど一緒だった。

 魔導機関を発明した僕の祖国は、その技術を独占していたから、周辺の小国を支配したり、友好関係を締結したりして(一方的だった)、だんだん鉄道網を広げてきていた。しかしもっぱらそれは、大型の機械や物資を運ぶのに使われていたので、人間を乗せて運ぶなんてことはなかった。

 騎士としての仕事をしていた頃、僕らの乗り物は基本的に馬だった。竜に乗る者もいたが、それはハイクラスの、かつ専門的に訓練を詰んだ騎士のやることだった。僕はそこまでの位ではなかったし、馬に乗るのも好きだった。愛馬というのもちゃんといた(ハニードロップという名前だった。毛並みが蜂蜜を垂らしたみたいに見えるから、と魔法使いの子が名付けたのだ)。けれども、彼は僕が二十二の時に、戦場で命を落とした。

 駅舎は大きな建物だった。

 あたりには屋台が立ち並んでいて、地べたに座り込んで露店を開いている者もいた。総じて祭りのような雰囲気があった。人も多い。

「なんでここに連れてきたんだ」と僕は財布の重さを確かめながら言う。

「あんたに期待してるのはそっちじゃないよ」

 ティエリコはそう言って、僕の剣を指差した。

「これか?」

「そ。正確にはその威光だな。いくら元騎士様だって言っても、そんなことは黙ってりゃわからない。シャワーだって浴びたんだろ。髭も整えたな」

「お前に言われてな」

「完璧に仕上がってる。今日、この瞬間からあんたはわたしの騎士になれ。パートタイムのナイト様だ。あの混ぜ物をしたイカサマ銀細工師をとっちめるんだ」

 彼女は両手の拳を交互に素早く繰り出す。

「ボッコボコにしてやろうぜ、騎士様」

「キャラじゃない」と言ってみる。

「ドア蹴破っといて何言ってんだ」

 そう言って、この吸血鬼はカラリと笑う。

「作戦とかあるのか? 犯人の目星とか」

「あるに決まってんだろ。ハンド・トゥ・ハンドで商売したんだぜ」

 その時は金を持っていたのだろうか、と僕は思った。

「吸血鬼に不可能はねぇよ。相手の懐から金をかすめて、それを我が物顔で相手に見せびらかすなんてお手の物だ」

「それで手に入れた銀の弾丸が混ぜ物だった、と」

 自業自得では?

「人間の理屈を適応するなよ、イェリック・パスランド。どうせあいつもイカサマ師じゃねぇか。全うな金なら心が痛むかもしれないけどさ、イカサマで死んだ金に命を吹き込んでやったって思うね、わたしは」

「……わからん」

「はーこれだから騎士って生き物はダメだねぇ」

 バカにされているのだが、そもそも彼女の言っていることがほとんど理解できていないのだから、あまり響かないのだった。

「まあいいや。あんたはわたしの後ろから着いてきな。作戦とやらはこうだ。まずわたしが、あのイカサマ野郎を見つける。そしてイチャモンつける。それであいつが地面に頭を埋ずめながら、涙で溺れて窒息してくれりゃあ、簡単だが、そうはいかないかもしれない。そこで、あんたの出番だ、騎士様。公的権力を詐称しろ」

「重罪だぞ」

 騎士でない者が騎士を名乗ると大変なことになる。最悪死罪だ。この仕組みを利用した謀略事件だってあったのに、この吸血鬼は知らないのだろうか。

 サー・ペンゲローズは遠征中に騎士の資格を剥奪され、帰ってきた時に名乗りを上げて、そのまま詐称罪で首を刎ねられた話とか……。

「知るか」とティエリコは言い捨てる。「臆病者め。だったらあんたはわたしの後ろで愛しのアウグスタちゃんをチラチラさせるだけでもいいよ。そんなことしたら、露出狂の変態野郎って呼ぶけどな」

 最悪な女だ。

 僕はどうしてこいつと一緒に駅まで来てるんだろう。

 

 ずいずいと駅に向かっていくティエリコ曰く、銀細工師はこの列車に紛れるとの情報があったらしい。いつ仕入れたのだ、と聞いたら、出元は宿の受付クロークだと答えた。食材やらを仕入れる際に、あの少年は多くの人と世間話を交わすらしい。黙って聞いてても入ってくるんだとさ、とティエリコは言う。様々な噂話が絶えないのは、市民に活気のある証拠だ。

「あるいはロビーだな。あんたは気にもしてないだろうけど、あそこには記者がいるよ」

「記者?」

「作家かな? ともかく紙とインクとペンで世界を変えようとする大変冒涜的で野心家な連中の一人だ。金は持ってない。”人間観察には費用がかかりませんから”とか言ってたよ。つまらんから、あいつの座る椅子がグラグラする呪いをかけておいた」

 こいつ、ほんと性格悪いな。

「まあそいつのおかげで、この辺りでブイブイ言わせてるイカサマ野郎の名前もわかった。ゲミー・パルカー」

「役立ってるじゃないか」

「あんたほどじゃないよ。金がないんだからな。情報で腹が膨れるか?」


 切符を買う前に、僕らは列車を見ようと思った。待合広場の端から、柵の向こうに駅のホームが見えた。ガランとしていた。屋台もあそこまでは入っていかないのだろう。

 それにしても、この広場、人が少ない気がする。

 ふらふらと売店に近づくティエリコを止めて、そう尋ねると、

「確かにな」

 そう短く言って、ティエリコは駅員に近づいて言った。

 僕は着いていかなかった。駅に来たのも初めてなのだ。この大聖堂もかくやというほど広々とした空間。どの絵師に描かせたのは知らないが、大天井を埋める宗教画。整然と並べられた椅子。そしてクッション。この弾力は羊毛か? さすが王国が金を賭けるだけはある。

 僕の余命でこのクッションを買うことができるだろうか、と考えてみた。

 これから先の旅、どんなところで寝泊まりするかは決まっていない。

 また野宿ということもあるだろう。

 そんな時に、こんなクッションがあれば――そこまで考えた時に、ティエリコの怒声が聞こえてきた。


「列車はもう出ただとォ! 舐めたこと言ってんじゃねぇぞ人間風情が!」

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