(02/09)吸血鬼のお嬢さんは、お腹が空いています。


 どうしてこいつと食事に出ているんだろう、と私は思った。

「あのさ、騎士様、あんたも若いんだし”私”って一人称、どうかと思うよ」

 そう言いながら、ティエリコはエールの瓶を空にする。

 吸血鬼も酒には酔うらしく、七本目にしてようやく、頬に赤みが見え始めた。

 そう、ここに来るまで、もう七本目だ。一人で飲ませるのも妙に思われたので、私も相伴に預かっていた。なんかこいつが吸血鬼とか、どうでもよくなってきたな。

「ティエリコ」

「フラン」

「フラン。その、私の――」

「俺の。あるいは、僕の、としろよ。じゃなきゃ口聞かないぜ」

「僕の――」

「あーだめだめ。僕って柄じゃない。独白は僕でもいいけど、喋る時は”俺”にしろ。じゃなきゃ口を聞かないからな」

「俺の心を読むな」

「飲み足りないのか? 騎士様。おい、給仕! エールの樽が空いたぞもっともってこい!」

 よく通る声でフランは周りに命じる。

 適当なビストロを見繕い、その真ん中に空いていたテーブルについてから、1時間ほど。

 半ばこの吸血鬼に引きずられる形で、この店に来た。

 椅子に這い上がって腰を下ろした頃には、フランチェスカ・ヴァン・ティエリコはあらかた注文を済ませていた頃だった。

 金を持っているのか、と聞くが、持っていないと答える。

「俺のおごりかよ」

「慣れてきたねぇ。そうだよ、騎士様。腐ってもナイトじゃん。最悪、その宝剣を質に入れるか、王国にツケれば良い」

 宝剣というほどの代物ではないことを、知っての発言だ。この吸血鬼、見る目はあるらしい。僕の名前を看破した時もそうだけど、魔術に精通している。文字が読めるということは、それを使える可能性がある――これはこの世界の常識だ。

「この剣は、俺以外には抜けないんだぜ」

「そういう呪いか。ふうん、製作者は君のことが好きだったんだな。”この剣を抜くときはわたしのことを思い出して”ってか」

 シナを作った声を出す吸血鬼。

 酔っていなかったら、あるいはもっと泥酔していたら、こいつを切り捨てていたかもしれない。

「怒るなよ、騎士様。あんたの故郷の女のことなんか知らない」

「俺は魔法使いが女だなんて一言も」

「顔に出てるんだよ、騎士様」

「顔にって……」

 最初に頼んだものが、高い部類のものだったらしく、金の払いが良い客と認定された。それからは、彼女の命令も歓迎の色をもって応えられる。もちろん、全て僕の付けだ。

「エールが来ましたよぉ! おら、飲めよ騎士様」

 確かに酒を飲むのは久しぶりだった。

 今まで節約の旅路だったのだ。

 ジョッキを掴んで、グイッと飲み干す。いっぱいくらい酒を追加したところで、まだどうにかなるだろう。

「……うっまいなぁこれ」

「だろ? どんなに死にたくてもさ、エールはまた別よ。エールの美味さに負けない死にたさが、真の死にたさだとわたし思うね。死すべきその時まで、エールとは美味しく付き合いたい」

「死にたさがエールの美味さに負けたらどうするんだ?」

「エールに生きれば良いんだよ。どうせ我々はいつか死ぬ。死にたさは形を変えてやって来るんだ。今回避できても、その内やってきてくれるよ」

「わっけわかんねぇ」

「飲み足りないんじゃねぇのか? おぅ、騎士様よぉ」

「溢れてる、溢れてる」

「ほーい! 何やら大皿が来ましたよォ!」

「ひとの話を聞けよ」

 ぼくはフランからピッチャーを奪い取った。

 彼女は両手を叩いて、次の料理を歓迎している。

「刮目しろよ、騎士様。来た来た。子ドラゴンの胸のローストだってよ。いやぁ、残酷だねぇ。かわいそうにねぇ。美味しそうだねぇ。いただきます! んーやっぱここらのドラゴンも元は鳥だな。マジュマジュしい感じが全然ないもん」

「マジュマジュしい?」

「魔術・魔術・しい。そんなことも知らないで生きてきたのか? 舌は鍛えてないようだな、騎士様よぉ。味覚は生の醍醐味だぞ。ドラゴンってほら、魔術的な生き物なわけよ。だから主クラスになると、魔術っぽい味がついて、そのままだとあんまり美味しくないんだよな。でもここらで飼われてる子ドラゴンクラスだと、魔術と無縁の環境で育つわけだ。ドラゴン肉本来の旨味がジューシーでさ、生きてるぜーって感じ、するわけよ」

 あまりに楽しそうに言う吸血鬼を見て、僕の口の中にもヨダレが湧いてきた。

 骨つきのドラゴン肉とされるものをガブリと行く。パキっと皮が割れて、どっと肉汁が吹き出してきた。淡白な油と、バターが溶け合ってわけがわからない。

「な? うまいだろ?」

「うまい……」

「これなぁ、我々吸血鬼ってのはさ、原初こそ人の血をすすってたわけよ。でもさ、血って一つじゃん。あんまり調理もできないんだよな。人間の食文化の前に敗れ去ったわけだ。で、今の我々がある。人間最高だよ」

 人間最高、と宣うこの吸血鬼をどうすれば良いのか、と僕は考えた。騎士であれば、潜在的な危険を排除すべく、この場で断ち切るべきだ。

 問題は、今のぼくが騎士ではない、という点にある。

「なあ、フラン。お前は人間が好きか?」

「いや別に」

 即答だった。

「好きでも嫌いでもないって意味だよ、念の為。別にどうでもいい。無作為。ただ、中には良い人間もいる。ここの給仕とか、料理人とか。でも、仮にこいつらが全員悪者だとしても、だからどうってこともない。いろいろいるんだろ、あんたらには」

 ぼくは自分の尋ねたかったことを見失う。

 フランは次の料理に大喜びしていた。給仕の説明をよく聞きながら、しきりに首を縦に振っている。

「うーん、これも美味しい。吸血鬼してた頃はさ、野菜なんて食べなかったよ。でもさ、やっぱ野菜ってうまいんだよな。一応、人間の体してるわけじゃん? 鉄分とかもさぁ、人間の血なんかよりこっちの方が2倍特じゃん。美味しいし、栄養にもなるし。あんたも食えよ、騎士さま」

 小皿によそって手渡してくる吸血鬼である。とにかく指が長い。

 ぼくはそれを受け取りながら、質問を思い出した。

「お前は人間を襲わないんだな?」

「基本的にはな」

「例外があるのか」

「ある」ごくん、と喉を鳴らして飲み込む。「わたしにあの混ざった銀の弾丸を売りつけた奴だ。あいつは絶対捕まえて、懲らしめてやる」

「殺すのか?」

「そうだったら、あんたはどうするんだ? ここでわたしを切る? 騎士様みたいに?」

 そんな義理はない。

「そんな義理はないよな」とフランは言った。「まあ安心しろよ、わたしは殺さない。わたしは脅かすだけだ。余生が辛くなるほど脅かす。あとは法に任せるよ。銀を混ぜる奴は極刑だろ?」

「詳しいんだな」

 ぼくはそう言うと同時に、安心していた。

 この吸血鬼が人を襲わないというなら、ただのたくさん食べる女の子だ。それを放置しても、人民に影響が出ないなら、僕もまた、騎士道に捉われなくてもすむ。ただの名もなき一人の男として、どこかで死ぬことができる。

 ぼくは席を立った。

「あれ、どこ行くんだ?」

「帰るんだよ」

「あのボロ屋に?」

「今日はけっこう歩いた。もうお腹もいっぱいだし……」

「マジか」

 僕は適当な量の金貨を机の上に並べて去った。


「で、なんでお前はついて来るんだ、フラン」

「お前がもういらねぇって言ったからだろ。あー食べたかったな、デザートをさぁ。日持ちしないんだぜ、あれ」

「知らないよ」

 金髪の少女は、僕のすぐ横に追いついてきた。

「あんたが死にたい理由は聞かないよ」

「聞かれても答えないけどな」

「いつかそれを言いたくなる日が来るよ、人間は弱いからな」

 知った風なことを言う少女。

「わたしが死にたい理由も、いつかあんたに教えてやるよ」

「聞く気もないけどな」

「だろうね。でもさ、ここで会ったのもなんかの導きだ。久しぶりに食卓を囲んだ仲じゃねぇか、帰りだって一緒だろ。歩こうぜ、イェリック」

 確かに見上げると月の綺麗な夜だった。

 酒屋を出ての帰り道、月光はまるで白銀の線路のように、海に向かって伸びていた。

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