第3話 玉露
寝れない。全然寝れない。この人とは腕と首の相性が悪いみたいだ。でもこのまま力を抜いたら私の頭重いだろうな。腕、痺れちゃうよな。うーん。起こしちゃうかもしれないけど腕枕やめよう。名残惜しいけどしょうがない。
右耳の軟骨につけたままのピアスが彼を傷つけてしまわないように丁寧に頭をあげて、抱きしめ合っていた体をそっと離してみる。彼の規則正しい寝息が少し乱れて、思わず息を飲む。寝返りをうった彼の胸はまた同じリズムで動き出した。大丈夫、起きてない。また身体の右側を下にして、今度は彼の左腕に抱きつく形になってみた。
これはいい、もう寝ちゃいそう。
「おはよ。よく寝れた?」
私の寝返りに合わせて目覚めた彼と目が合って、そう聞かれたらつい「全然」なんて可愛くないことを言ってしまった。もうこういうところ。素直すぎるところだよ。私のダメなとこ。
「まじか。ごめんね。」
「ううん、昨日起きるの遅かっただけだから。」
嘘。私は本当は仰向けで寝たいんだけど、それだといびきをかいちゃうかもしれないし、めちゃめちゃお腹が空いてたから、お腹が鳴ってしまうかもという不安が頭の中を埋め尽くしていたから寝れなかっただけ。そんなとこだけ変に女の子っぽくて嫌になる彼とまた目が合って、反射的に小さく笑った。彼があまりに見つめてくるから、
「なに見てんの、やめて」
なんて言って、彼の胸に顔を埋めた。
昨日酔っ払ってしまったから、こんな風に今があるし、非の打ち所がないほどどストライクな彼の容姿を褒め過ぎてしまったから、こんな風に彼が見つめてくる。
俺のことが好きな女。扱いやすい女。
そんなふうに思ってるんでしょう。
昔はそれが嫌だった。どうしようもないくらい切なかった。でも今はそれでいい。
彼の出勤時間を考えるとギリギリもう一回ってところかな?なんて考えているとやっぱり彼の右手が私の頬を包み込んだ。
「今度お茶でも行こう。」
彼と別れた電車の中で、こんなラインがきて少し驚いた。明るいうちから会ってくれるってこと?夜だけじゃなくて?
昔はこんな風に思わなかったのに。好きな人からのお誘いには自然と口角が上がっていたのに。今はデートなんてそんな想像ができない。夜だけでいい、会えるだけでいい、そんな風に思わせられる男が増えれば増えるほど、自分の本当の気持ちがわからなくなってきている。本気にならないで済むのは楽だけど、それが良いことなのか悪いことなのかわからない。
人に期待しなければ落ち込むこともないしなあ。
「うん!」と一言だけ送って、私はスマホをカバンにしまった。
彼からの返事がないまま1週間が経った。相変わらずの日常。仕事場で唯一彼との関係を知る先輩からは連絡しなよ!なんて言われるけど、出来っこない。最近一番怖いものは既読無視なんだもん。
来店の波が去って、待機席で先輩と雑談をしていたらスマホが光った。お客様かな!と思ってワクワクして画面を見ると「くまちゃん」の文字が浮かび、一瞬で胸が高鳴った。
「だれだれ〜!もしかしてくまちゃん?」
女の勘はなんて鋭いんだ。私そんなに顔に出やすいのかな、なんて思いながらスマホを見せると、先輩がわかりやすくにやけた。
「やったじゃん!飲み行こうよ!多分私のお気に入りも一緒に飲んでる!」
少し待ってから返信すると案の定いつものメンバーで飲んでいるようだった。ここで行ってしまったらお店にも来てくれなくなるし、好きなのバレバレだよなあなんて思ったけど、どんな思いも会いたいという気持ちには勝てなかった。
仕事を終えてエレベーターで一階に降りると、私と先輩のお気に入りたちが寒さに肩をすくめながら立っていた。
「久しぶりだね、ってそうでもないか。笑」
寒さに肩をすくめながら笑う彼は、1週間ぶりに見ても相変わらずかっこいい。
「カラオケ?ダーツ?飲む?」
金曜の銀座だもん。ダーツはおそらく埋まっているだろうし、飲み屋も同じだろう。そう考えてカラオケを選択する。店から歩いて数分のカラオケボックスはいつも空いてるんだ。
先輩に急かされながら曲を選ぶ彼に、
「普段ダンス系?しか聴かないと、こういう時何を歌えば良いか悩むよね。」と言うと、彼は少し驚いて私を見た。
「よく覚えてるね!そうなんだよ、最近の曲全然わからない。笑」
「私もだよ。あれから少し聴いてみたけど、オススメしてくれたアーティストいい感じだった。ありがと。」
男の趣味、特に音楽と休みの過ごし方は絶対に忘れない。そして共感、これ大事。
曲を決めかねた彼がタバコに火をつける。先輩が急かすようにこちらを見てきたから、どうせ聴きもしないでいちゃつくに決まってると、テキトーに曲をいれてテキトーに歌った。予想通りの行動をする先輩達を見て、私たちは笑いあった。
数時間が経ってカラオケを出ようと廊下を歩いていると、彼が急に振り返ってキスしてきた。これは予想外すぎた。いたずらに笑う彼をよそに、この人は酔ってるんだ酔ってるんだ酔ってるんだ酔ってるんだ、、、と必死に自分に言い聞かせる。いつのまにかマスクで隠れた彼の表情が読めなくて、期待しそうになる心に気づかないふりで先輩の後を追いかけた。この男には振り回されすぎる。
目がさめると1週間ぶりの彼の家だった。昨日はあの後バーで飲み直したんだっけ。少し胸のあたりが気持ち悪い。帰りのタクシーで得た情報によると、彼は今日夕方の便で北海道に旅行に行くから、午前中は2人でゆっくり過ごせるんだ。
彼の寝顔を見ているうちに、先週の夜を思い出した。あれは最高だったなあ。次いつ会えるかわからないし、もう起こしてもいいかな。
私は彼の右頬に手を添えて、そのまま彼の方に体を寄せた。彼の体がピクッと跳ねて、少し開いた瞳の端で私をとらえると、彼は左手で私を抱き寄せた。
ここで寝かせるには私が自分の腕を彼の体にまわせばいいんだけど、別の選択肢を使う。
「また寝ちゃうの?」
少し顎を上げて彼の閉じられた目を見ながらそう言うと、彼は目をあけてそのままじっと見つめてくる。口の端をちょっと上げた彼を見て、私はそっと目を閉じ唇への甘い刺激を待つ。想像通りの動きをしてくるこの男に対し、少しの優越感とたまらない愛しさを感じてしまう。
寝かせるわけない。今のところあなたとのセックスが一番好きなんだから。
彼は寝る前は深く、起きてからは本能のまま愛撫してくる。どちらも好きだからどちらも味わわなきゃ損だよね。
上半身を起こして少し寝ぼけたような彼を押し倒す。彼は全て素直に反応するから好きだ。快感に歪む顔なんてもう本当にご馳走さまです!って感じ。相性も最高。
「お腹すいたね、何か食べに行く?」
「ううん、めんどくさいから出前とろ。」
「あり。」
嘘、ほんとはできるだけ二人でいたかったの。こんな風にゆったり過ごすことなんて、付き合ってもない二人の社会人にはなかなかない機会だから。
遅すぎる朝ごはんが届くまでの間、彼はパソコンでお気に入りの動画を見せてくれた。一昔前におもしろ5秒動画で流行った男の人がゲーム実況をしているものだった。正直全然面白くなかったけど彼に合わせて笑った。
シャワーを浴びて部屋に戻ると彼の匂いが違っていた。
「いい匂い。香水何使ってるの?」
私が聞くと彼は見覚えのある瓶をリュックから取り出して見せてくれた。
なるほどな。でも例え彼がこれを使っていなかったとしても、私は初めて会った日にここにきてたな。売り出し方とは反対にこの香水は意外と上品な香りで、彼の体臭とアメスピによく合う。次に会えるのはいつだろう。この匂いを街で嗅いで、あなたを思い出すよりも早く会えればいい。いつもより早く過ぎてしまう時間に抗えないまま、私たちは部屋を出た。
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