第19話 「おー…意外と普通のホテルだな。」
〇神 千里
「おー…意外と普通のホテルだな。」
「何言ってるの、千里。すごく豪華よ?」
「いや、二階堂のホテルって聞いて、もっと寝るだけみたいな質素なイメージが…」
「どうして質素?あたしは思った通りだけど…」
「殺し屋は、もっと小汚いホテルに潜んでたりするじゃねーか。」
「…二階堂は殺し屋じゃありません。」
「秘密組織だ。似たようなもんだろ?」
「何言ってるの……わあ、見て。お風呂もすごい。」
「どれどれ…」
知花との新婚旅行。
行先は誰にも言わなかったが、なぜか環さんにだけはしつこく聞かれて…告白すると。
「うちのホテルに招待しよう。何泊してもらっても構わない。」
と言われた。
新婚旅行に二階堂のホテルなんて使えるか。
なんて思ったが…
知花の行きたがってるコースの近場である事と…
「咲華、驚くかな。」
「怒ったりしてな。」
「あー、あり得る。」
咲華と海の家とも、そう遠くない。
それに…
「うちのホテル、上の方は部屋にバーカウンターがあるよ。」
「…ほお。」
「お風呂もジャグジー付きで、かなり広いし。」
「…泊まらせていただこう。」
そんなわけで俺と知花は、誰にも行先を告げずに…ここアメリカはニューヨークに新婚旅行にやって来た。
環さんの好意に甘える事にして、二階堂のホテルの最上階。
窓からの景色は…まあ、夜が楽しみだ。
知花が提案した、知花の行きたい場所。
それは…
「父さんと母さんが出会った街に行きたいの。」
それを聞いた時、俺の中にもハッとする何かがあった。
俺の義父だが…
それ以前から、俺が憧れて止まなかった世界のDeep Redのフロントマン。
高原夏希が、当時若干14歳の女の子に骨抜きにされたという出会い。
それだけじゃないが…興味がある。
二人が、どんな経緯を持って波乱に満ちた人生を歩むことになったのか。
知花が自分のルーツを知りたいと思う事に、俺は大いに賛成だ。
元々自分に自信が持てない知花にとって、それは自己改革にもなる。
…春からメディアに出るんだ。
自信もだが…
メンタル面も鍛えられた方がいい。
「咲華の家にはいつ行く?連絡しておいた方がいいかな。」
窓から外を眺めてた知花が、俺を振り返って言った。
「…いや、サプライズって事で、先に海を捕まえて一緒に行くのはどうだ?」
隣に並んでそう言うと。
「あっ、楽しそう。」
知花は満面の笑み。
「それに、連絡っつっても…」
咲華は…渡米する前に。
「あたし、LINEやめるね。」
と、あっさりとグループから外れてアプリも消した。らしい。
と言うのも…
『時差があるのに、桐生院家の激しいやりとりには耐えられない』
『たぶんあたしには関係ない連絡が増えるだろうから』
『既読になって返事を期待されるのは嫌だから、LINEはやめる』
『用があったら時差を考慮して個人的にメールにして』
一方的に、言いたいだけ言いやがった。
…強くなったもんだ。
「メールだと文字打たなきゃね。」
知花が俺を見上げて笑う。
「写真を送ろう。」
俺は知花を後ろから抱きしめて、自撮りして。
「送信。」
咲華に写真だけを送った。
すると…
『新婚旅行スタートしたの?どこ?』
すぐに返信があった。
「教えねーよ。」
俺がそうスマホに向かって言うと。
「もう。親子ね。そこに向かって言っても、返事にはならないわよ。」
知花はクスクス笑って、咲華に『まだ出発してない♡』と楽しそうにメールをした。
嘘つきかっ。
* * *
「華音、ここのステージに立ったのね。」
今まで仕事で渡米したとしても、知花と一緒って事はなかったなー…なんて思いながら。
晩飯は『カプリ』にしようと提案した。
すると知花も『行きたいと思ってた』と。
「あいつらのライヴ経験って、ここがスタートみたいなもんだからな。」
ここは、DANGERがライヴをした事でも知られてる店。
大きなテントのような外観は、サーカス小屋を彷彿させる。
中に入ると中央にはステージがあって、それを囲むようにテーブル席がある。
メニューも豊富で、その内容は豪華と言うより豪快。
だが、カプリを知る者全員が口を揃えて言うのは…
『カニが美味い』だ。
「おまえら、こっちでデビューした時、ここで飯食ったりしてたのか?」
「……あたしは自炊が多かったから来た事はないけど…噂には聞いてたよ。」
その、噂のカニを食いながら…知花が控えめに言った。
どうして控えめだ?と思ったが…
ああ…そうか。
朝霧と暮らしてた頃だからか。
「……」
「……」
何でもない。
昔の事なのに。
なぜか、二人とも無言になってしまった。
「…知花。」
「…ん?」
「ほら。」
「え?」
「あーん。」
「え…えっ?」
「口開けろ。」
「ええ…えっ…あ…あーん…」
プリプリしたカニを、知花の口に押し込む。
「今のは大きかった。美味いか。」
「…う…うん…ありがと…」
口元を拭きながら、赤くなる知花。
ふっ。
なぜ照れる。
食わせてやっただけだぜ?
「この後どうする?少し歩いてみるか?」
ビールを飲みながら問いかけると。
「…行きたいお店があるんだけど、いい?」
知花は俺が残してたソーセージを平らげて言った。
「おまえが行きたい所はどこでも行くっつったろ?」
俺がそう答えると、知花は少し首を傾げて…嬉しそうに笑った。
…ちくしょー…可愛いぜ…
「…ここって…」
ピエロの風貌をした男が、ギターで弾き語りをしているステージを観て。
知花が口を開いた。
「母さんが歌ってたステージなんだって。」
「…高原さんから?」
「最初は…光史に聞いたの。」
「朝霧?」
「Live Aliveの前…母さんと父さんがどうにか結ばれないか…って周りが動いてた頃、朝霧さんが光史に色々昔の話をしてくれたみたいで…」
知花は、その話を…ステージを眺めながら話した。
そこにはピエロの風貌をした男しかいないが。
知花には…義母さんが見えていたのかもしれない。
「母さんは…昔の話なんて、あたしにしなかったから…あたしからも何となく聞いちゃいけない気がして…聞けなかった。」
「……」
俺は…高原さんが喉の手術をする前に聞いた。
義母さんがレストランシンガーだった事。
本当は知花に話したかったんだろうが…勇気がなかったのかもしれない。
…知花に、嫌われる勇気が。
嫌いになるわけねーんだけどな…。
「でもね…千里と離れてる時に、父さんと母さんとで広縁で寝転んで…二人が『幸せ自慢大会』っていうのを始めたの。」
「ふっ…何だ、そのネーミング。」
「でしょ?でも…その時、二人が少しだけ…昔の事話してくれたの。」
「昔の幸せ話か。」
「んー…幸せを感じた瞬間…って感じかな。でも…そういうの話してくれるなんて珍しかったから…嬉しかった。」
「……」
義母さんは…秘密の多い人だ。
それは俺も…色んな人からの話で思ってた。
桐生院の親父さんからも…少しだが、情報をもらっている。
自他とも認める『おばあちゃん子』である華音からも…
『母さんに話していいのかどうか迷って…』と。
それに…環さんからも。
全部ではないとしても…知っておいて欲しい、と。
カプリを出て、歩いた。
風は冷たかったが、知花とじゃれ合いながらの道のりは、それを感じさせなかった。
マンションで一緒に暮らし始めてからの知花は…
相変わらず控えめだが、前よりはハッキリと意思表示もするようになったし…
何より、笑顔が増えた。
…それに、堂々と俺を手の平で転がしやがる…
全く…この女…
愛し過ぎるぜ…。
「…Lipsか。」
店の前で小さく笑うと、知花は俺を見上げて。
「え?千里…ここを知ってるの?」
目を丸くした。
「こっちの事務所のスタッフがよく通ってるらしい。」
「えーっ、そうなの?」
「華音もここで打ち上げをしたって言ってたぜ。」
「あたし聞いてなーいっ。」
「まあまあ。入ってみようぜ。」
頬を膨らませてる知花の肩を抱き寄せて、店に入る。
ここは…義母さんが年齢詐称をして歌ってたライヴバー。
この話は、聖が高原さんと義母さん二人にズバリ馴れ初めを直球で聞いた時に、高原さんが話してくれた。
店の名前は後付けで聞いたが、あの話を聞いた時は…あまりにも直球な聖にヒヤヒヤしながらも…
内心、二人の出会いを聞けてドキドキもした。
中に入ると、ステージと思われる場所には奇妙な衣装を着せられたマネキンが数体立たされていて。
ライヴバーとは言うものの…誰も歌ってないし、音楽はオールディーズが流れてるが、それもかなり小さな音量。
寂れた店にしてはそこそこに客はいるが、店の奥にある古いダーツを楽しんでる輩や、テーブル席でトランプをしてる面々。
店の片隅にあるピアノが物悲しく思えた。
「おっ、あんたの顔、見た事あるぜ。」
ふいに、カウンターに座ってる年配の男にそう言われた。
「こんな色男が世に二人も居るとは思えねーから、そりゃ間違いなく俺だな。」
真顔でそう答えると。
「……」
男は一瞬黙った後。
「こりゃいいや!!あんた日本人だろ!?まあ座って飲めよ!!」
自分の隣の席を叩いて笑った。
何となく好感の持てるじーさんで、俺は遠慮なく知花をそのじーさんと俺の間に挟んで座る。
「この可愛いお嬢さんは、奥さんかい?」
じーさんは知花を見た後、顔を突き出して俺に言った。
「ああ。最愛の妻だ。」
知花の肩を抱き寄せて、頭にキスをしながら言うと。
何度しても慣れてくれない知花は真っ赤になり…
じーさんは、満面の笑みになった。
知花はオレンジジュース、俺とじーさんはビールで乾杯をした。
「旅行かい?」
ピーナッツを食べながら、じーさんが言った。
「ああ。新婚旅行だ。」
「新婚なのか?そりゃハッピーだ。」
「結婚したのは30年以上前だが、ずっと新婚みたいなもんだ。」
「あははは!!あんた、ほんと面白いな!!」
笑うと目がなくなるじーさんは、人懐っこい笑顔で俺と知花を歓迎してくれた。
「それにしても、せっかくステージがあるのに誰も歌わないのか?」
ビールを飲みながら問いかけると。
「ああ…いつからかな。客が聴いてくれるような歌い手がいなくなってからは、ずっとあいつらのポジションさ。」
じーさんはそう言って、マネキンを振り返る。
「昔は良かった。下手なりに上手くなりたいって熱を持ってたり、誰かに届けたい気持ち…ちゃんと魂を持って歌う若者がたくさんいた。」
じーさんが遠い目をして語るのを、知花は興味深そうに聞き入っている。
まさに…その魂を持って歌ってた若者の中に…
義母さんがいたんだろうからな。
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