第20話 「チャーミングなお嬢さん、名前を聞いていいかな?」

 〇桐生院知花


「チャーミングなお嬢さん、名前を聞いていいかな?」


 千里がトイレに行ってる間、あたしの隣に座ってる男性が笑顔で言った。


「あ、チハナといいます。主人はチサト。」


「チハナにチサト。俺はショーン。君たちは、とてもお似合いの夫婦だね。」


「あ…ありがとうございます。」



 カプリで食事をした後…

 Lipsに来て。

 すぐに、この男性と千里が意気投合した。

 とても優しい笑顔の人で…歳は、いくつぐらいかなあ…



「チサトはバンドマンかい?」


「あ…はい。分かりますか?」


「見た目がロックだね。カッコいい旦那さんだ。」


「あはは…ありがとうございます。」


 何だか照れちゃう。

 日本では二人で飲みに行くことなんてないし…

 あたし達を知らない土地で、知らない人に褒められるなんて…くすぐったい。


「F'sっていうバンドでボーカルしてるんです。」


 あたしがグラスを両手で持って言うと。

 ショーンは『そう』と言った後、『ん?』と首を傾げて…


「F's?」


 あたしの顔を覗き込んだ。


「はい…F's…」


 失礼だけど、ハードロックなんてご存知ないかなあ…なんて思って、打ち明けた。

 でも、よく考えると…父さんと同じぐらいの年齢の人なのかな。

 父さんは見た目が若々しいから…実年齢を忘れちゃいそうになるけど…高齢。

 だけど、ここはアメリカ。

 ご高齢の方だって…ハードロックは聴く…よね…


 ショーンが少し呆気にとられたような顔をしてると。


『お集まりの皆さん。こんばんは』


 突然、照明が落ちて…千里の声が聞こえた。

 あたしとショーンがステージの脇を見ると、そこに少しだけ物置みたいになってたピアノが開かれて…

 千里がマイクをセットしながら喋ってた。


『今夜は…この店に来た記念に、何曲か歌わせて下さい』


 え…?え?ええ…?ええええっ!?


 あたしが立ち上がると、千里は右手で座るようジェスチャーした。

 千里、確かに…楽器は一通りなんでも出来る人…なはずだけど…

 ピアノの弾き語りなんて、出来るの!?



「いいぞー!!」


 ショーンは何だか盛り上がって、大きな拍手と声援を送ってる。

 お店の奥の方でダーツをしてた人達は…少しめんどくさそうな顔でこっちを見てたけど、ダーツの方に戻って行った。

 他のお客さん達は…だるそうに拍手だけしてる。


『じゃあ…最愛の妻に捧げる歌を。Trying Not To Love You…』


 千里の指が鍵盤を弾き始めて…

 あたしはタイトルを聞いただけで泣きそうになってしまったのに、千里がピアノでこの曲を弾き語ってくれるなんて…って…

 もう、胸がいっぱい…


「……」


 千里が歌い始めると、それまでお店の奥でダーツをしてた人達が、ゆっくりと歩いてステージのそばまでやって来た。

 見渡すと…トランプをしてた人達も、手を止めて千里を見てる。


 …あー…

 やっぱり、すごいよ…千里。

 あなたの歌って、こんなにも人を惹き付ける力がある。

 なのに…こんなに素敵な歌を、あたしに捧げてくれるなんて…


 F'sのライヴで聴いたこの曲も最高だったけど…

 ピアノでの弾き語りは、もっと…気持ちが入ってるように思えて、感動した。

 拭いても拭いても溢れる涙。

 千里は時々、そんなあたしを見ながら…小さく笑う。


 あたし…あなたのすべてが好き。

 本当に…

 あの日、あのマンションで…あたしと結婚するって決めてくれて…ありがとう。

 それが例え自分達の欲を満たす偽装結婚だったとしても。

 あれがあっての今。

 あの時、千里が決断してくれてなかったら…あたし達は、今ここにいなかった。



『思った以上のご清聴、どうもありがとう』


 歌い終わった千里がそう言うと。


「F'sのカミチサトだ!!」


「マジかよ!!こんな小さな店で!?」


「ホンモノか!?」


 客席は…そんな声でいっぱいになった。


『あはは。マジか。俺、結構有名なんだな』


 そんな声に、千里は手を拭きながら笑う。


「みんな知ってるさー!!」


「このあいだのネット配信見たぜ!!」


「アンコールしていいか!?もっと聞かせてくれー!!」


 何だか…客席…大盛り上がり…


『ふむ…なるほど。こういうのも気持ちいいもんだな』


 千里はマイクスタンドを調整し直すと。


『じゃあ、一緒に歌ってくれ。Never Gonna Be Alone』


 そう言って…歌い始めた。


 …わあ…

 この大好きな曲をピアノで聴けるなんて…

 すごく得した気分。


 千里はあたしの大事な旦那様だけど…

 あたしは、神千里のファンでもあるから…


 ああ…

 まだ旅行初日なのに…

 帰りたくなくなっちゃう…。



『Never Gonna Be Alone』は客席との大合唱になった。

 気付いたら、隣にいたはずのショーンも立ち上がってステージのそばに行ってて。

 両手を上げて、合唱に参加してる。


 …あたしが行きたい場所ばかりを提案して…

 本当は、少し気が引ける部分もあったけど。

 千里、すごく楽しんでくれてる。

 …嬉しいな。


 楽しんでくれてるだけじゃない。

 あたしの事…本当に大事にしてくれてるって…伝わる。



『あー…盛り上がったな。でもさすがに前の店から飲んでるから、酔っ払って指が思うように動かねー』


 歌い終わった千里が、両手をプラプラさせながら言うと。


「もう一曲だけ!!」


「アンコール!!」


 口笛が鳴り響いた。

 それを聞いた千里は、うつむいて鼻で笑って…


『…じゃあ、最後に特別な歌を』


 そう言って…座り直した。


 特別な歌?


『If It's Love』


「え……」


 グラスを手にしかけたあたしの動きが止まった。

 千里が歌い始めたのは…父さんと母さんの、愛の歌。

『If It's Love』だ…



 朝起きたらさ、おまえが隣に居る

 おかしいな…これはリアルなのか?って

 毎朝そんな気持ちになるなんて…夢みたいな幸せって事だよな


 もしおまえに悲しみが訪れたら、俺がおまえを殺してやる

 おまえを悲しませない

 俺が苦しむとしても


 それは愛なのか?って、誰もが言うんだ

 俺は笑顔で、全力で言うさ

 愛だ

 いや

 愛以上だ

 愛以上なんだ


 もしおまえに苦しみが訪れたら、俺がおまえを殺してやる

 おまえを苦しませない

 俺に罰が与えられるとしても


 それは愛なのか?って、誰もが言うんだ

 俺は笑顔で、全力で言うさ

 愛だ

 いや

 愛以上だ

 愛以上なんだ





 〇神 千里


 この店がどんなに寂れてようが、知ったこっちゃねーんだが。

 そうなんだが。

 高原さんと義母さんの、思い出の店だ。

 あまりの寂れ具合に我慢できなくなった俺は。

 トイレに立った後、偶然出くわしたオーナーとやらに『歌わせてくれないか』と頼んだ。


 最初は渋られたが…知らねーかなーと思いながらも、F'sの神千里だと言うと。

 意外にも快くOKされた。


 埃まみれの鍵盤をタオルで軽く拭いた後、『Trying Not To Love You』と『Never Gonna Be Alone』を歌った。

 最初はガラガラだったステージ前も、すぐに埋まった。

 アンコールまでもらった。


 だが、さすがに酔っ払ってる。

 指が辛い。

 そんなわけで…最後の曲はアレにした。

 高原さんと…義母さんの愛の歌。

『If It's Love』



 カウンターに座ってる知花は、ずっと泣いてる。

 基本、あいつが泣くのは好きじゃないが…

 俺の歌で泣かれるのは…まあ、許そう。


 ワンコーラスを歌い終えた所で、適当に弾きながら。


『知花、来いよ』


 知花に呼びかける。

 すると知花は少し悩んだ風だったが…立ち上がって、ゆっくりとピアノのそばに来た。


「コードをGまで上げるから、おまえメイン歌え。俺は下でハモる。」


 少し位置をズレて、椅子の半分に知花を座らせてそう言うと。

 知花はマイクスタンドからマイクを手に取って…


「…ありがと…千里…」


 チュッ…と、軽く。

 俺の頬にキスをした。


『#』


 一瞬鍵盤を弾き違えて、知花が小さく笑った。

 …おまえのせいだぜ!?



 朝起きたらさ、あなたが隣に居るの

 おかしいな…これはリアルかな?って

 毎朝そんな気持ちになるなんて…夢みたいな幸せって事だよね



 知花が歌い始めると、客席の様子が…それまでとまたガラリと変わった。

 そりゃそーだな…

 どうだ。

 すげーだろ、俺の嫁はよ。



 もしあなたに悲しみが訪れたら、あたしがあなたを殺してあげる

 あなたを悲しませない

 あたしが苦しむとしても


 それは愛なの?って、誰もが言うんだけど

 あたしは笑顔で、全力で言うわ

 愛よ

 ううん

 愛以上よ

 愛以上なのよ


 もしあなたに苦しみが訪れたら、あたしがあなたを殺してあげる

 あなたを苦しませない

 あたしに罰が与えられるとしても


 それは愛なの?って、誰もが言うんだけど

 あたしは笑顔で、全力で言うわ

 愛よ

 ううん

 愛以上よ

 愛以上なのよ




 知花とハモって歌いながら…泣きそうになった。

 らしくねーけど…

 鳥肌が立つほど感動してる。


 俺達は共にシンガーだが、こんな風にピアノを弾きながら、一本のマイクを共有し頬を寄せ合って歌う事なんて過去一度もない。


 夫婦でありながら戦友でもある。

 お互いの領域に踏み込まない。

 そんな暗黙の了解の元、俺達は俺達のスタンスでやって来た。


 だが…こんなシチュエーションだ。

 オフで歌うのも、たまにはいいだろう。

 そんな軽い気持ちでのステージで…俺は掛け替えのない知花の、その感動的な歌声に改めて魅了された。


 知花の歌は…魂だ。


 …愛、以上だ…。





 〇桐生院知花


「すごい!!鳥肌が止まらない!!」


 何人もの人達にそう言われて、涙ながらに抱き着いて来る女の子や…


「F'sのカミチサトの妻って事は…SHE'S-HE'SのCか⁉︎」


 興奮した様子で早口に何か言ってる若い男の子達。

 そんな中…


「君はニッキーとシェリーの娘か!!」


 ふいに…ショーンがそう叫んだ。


 ニッキーと…シェリー…


「あ…あたしの両親を…?」


 あたしは驚いて、ピアノを片付けてる千里を振り返った。


「…すげー偶然だな。座ってゆっくり話を聞くとしよう。」


 千里はあたしの手を引いて、そのままカウンターにじゃなく…手を洗いにレストルームに連れて行った。


「ドキドキしてる…」


 あたしが胸の前で両手を握りしめて言うと。


 ギュッ。


 千里が…あたしを抱きしめた。


「…千里?」


「…おまえの歌、サイコーだった。」


「……」


 そ…そんなの…

 あたしの方が、何百倍も思ってるーーー!!


 体が離れたかと思うと…すかさず、濃厚な…キス…


「ち…」


「黙って。」


「…あ…」


 や…やだ!!

 人が来るってば…!!


 少しジタバタしてしまうと、千里は名残惜しそうに何度も小さなキスを繰り返しながらあたしから離れて。


「…もうホテルに帰りたい。」


 小さくつぶやいた。


「……」


 あたしがそれに無言で抵抗すると。


「…わーってるよ。さっきのじーさんのとこ、戻ろうぜ。」


 バシャバシャと手を洗って、あたしが差し出したハンカチで手を拭くと…


「……」


 また、あたしをギューッと抱きしめて。


「…よし。行く。」


 意を決したみたいな顔をして、カウンターに向かった。

 その様子がおかしくて…つい、クスクス笑ってしまう。


 千里が…色んな顔を見せてくれる…

 なんていい旅だろう…。



 カウンター席に戻ると、当然なのかもしれないけど…待ち構えてたショーンの周りにも、他のお客さん達が待ち構えてた。


「悪いが座らせてくれ。それと写真を撮りたいだろうが勘弁してくれ。プライベートだからな。」


 千里は大きな声でそう言ったけど…


「ええええ!!こんな奇跡を残せないのか!?」


 すでにスマホを手にした人達からは、ブーイングの嵐。

 千里が首をすくめて何かを言おうとすると…


「待てよみんな。こんな奇跡だからこそ、大事にしなきゃいけないんじゃないか?」


 ショーンが…あたしを隠すようにして言ってくれた。


「ロック好きは知ってると思うが、SHE'S-HE'Sは完全シークレットな存在だった。そのボーカリストに会えるなんて、本当奇跡だ。」


 その言葉に、スマホを手にしてた人達は…顔を見合わせて、それをポケットにしまった。


「こんな年寄の言う事を聞いてくれてありがとう。春にはメディアに出るんだろう?その頃にはまた、違う形で会えるね?」


 あたしを少しだけ振り返って…ショーンはそう言ってくれた。


「…ええ。」


 あたしからしてみると…

 歌ってる間に誰も写真を撮らなかった方が奇跡かな…って思ったけど…


「…みんなビビッて写真どころじゃなかっただろうからな。」


 ふいに、千里がそう言って…あたしは小さく笑う。

 すると…


「みんな、そこに並べ。記念撮影だ。」


「えっ!?」


「マジかよ!!」


「勝手に歌った俺が悪い。」


「ち…千里…」


「大丈夫。こっち来い。」


 ステージのマネキンをバックに、15人のお客さん。

 そして、ショーンと千里とあたし。

 千里は後ろから左手であたしの目を隠して。

 右手は…しっかりとあたしを抱きしめてて…


「笑え。」


 そう言って、あたしの頬にキスをした。


 目隠しされてるのに笑えって。

 もう…

 無茶言うんだから…


 オーナーさんが千里のスマホで写真を撮って。

 それから千里は一人ずつと、色んなポーズのツーショットを撮った。

 自分のスマホを手に、千里とのツーショットに並ぶお客さん達。


 千里は…笑顔で。

 でもそれが、すごく不自然じゃなくて…

 見てるだけで幸せになった。



「…ニッキーとシェリーは元気かい?」


 賑やかな写真撮影会を眺めながら、ショーンが言った。


「……」


 あたしはスマホを取り出すと。


「とてもハッピーです。」


 父さんと母さんのツーショット写真を見せた。


「……驚きだ。シェリーは歳を取らないのか?」


 ショーンはそう言って目を白黒させて。


「ここで歌っていた頃は21だと嘘をついていた。本当は14歳だったのに。」


 首を振りながら苦笑いをした。


「聞きました。母は父に本当の事を言うのが怖かった…って。」


「そりゃあそうだろうなあ。」


 ショーンはビールを一口飲むと。


「君が座ってるその席で、ニッキーはいつもシェリーのステージを観ていたんだよ。」


 そう言って、あたしを見下ろした。


「え…」


 ここから…?


「シェリーは…とても不思議な娘だった。」


「……」


 それからショーンは…

 当時、ここには母さんの他に数人のシンガーがいた事。

 時々開催されてたバンドギグに、地元の男の子達が組んでるカバーバンドで歌ってた事。

 バンド以外では、週に三日…ピアノの弾き語りをしてた事を話してくれた。


「あの頃は歌い手の面接もあって、それは俺が任されてた。」


 ショーンは父さんより少し年下で、当時のオーナーの甥にあたるそうで。

 バーテンダーをしながら、シンガーの女の子達の送迎をしたり、出演バンドの取りまとめもしていたらしい。


「シェリーが面接に来た日の事は、今も忘れられないよ。」


「面接…」


 母さんが面接。

 何となくだけど…椅子に躓いて転んだり…なんて想像してしまった。


「あたしの歌を聴いてください!!って、まっすぐな目をしてね。」


「……」


「ボブカットの痩せっぽちの女の子だった。もう、見た目でダメダメって追い返そうとしたら、21歳だって言い張って。」


「…信用したんですか?」


「まあ、こんな店だからね…未成年に歌わせてるって噂にでもなればヤバかっただろうけど、シェリーには…特技があったんだ。」


「特技?」


「変装だよ。」


「……」


「弾き語りの日は、ドレスアップしてメイクして…別人だったね。初めてシェリーの弾き語りの日に来たニッキーは、歌声を聴くまでシェリーとは気付かなかったぐらいだ。」


 変装…

 14歳で、そんな完璧な変装…


「幸せでいるなら良かった…ニッキーが手術を受けた事は、ネットニュースで知ったが…シェリーと一緒にいるかどうかまでは…ニュースでは知り得ない事だから。」


 …確かに。

 周子さんとの結婚は公けにされてたけど…

 母さんとの再婚は、伏せたまま。


 なぜだろう…って、その事も…ずっと気にかかってた。



 それからもショーンは…彼しか知らないような、当時のエピソードを話してくれた。

 あたしはそれを、自分が座ってる席に父さんを重ねながら…笑顔で聞いた。


 両親がここに居た時間を共有していた人。

 話してるうちに、ショーンまでが…まるで二十代のように思えた。


 あたしとショーンに気を利かしてくれたのか…

 千里は、ステージ前でお客さんを前に何か話してる。

 静かに話してると思うと、急にどっと笑い声が湧いたりして…楽しそう。

 そんな千里を振り返って。


「…意外だな。彼は、こんなキャラクターなのかい?」


 ショーンが小さく笑いながら言った。


「いえ…人見知りで無口な方です。」


 だけど…と思った。

 アズさんが言ってた事。

 昔は…誰にも笑顔で人懐っこい性格だった…って。

 もしかすると、この旅で…

 千里も、何か変わろうとしてるのかな…。

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