第18話 咲華を見送りに空港に行って。
〇高原さくら
咲華を見送りに空港に行って。
千里さんと知花はランチを食べてから仕事に出るって言って、二人でどこかに消えた。
一時はどうなる事かと思ったけど…
今じゃ、以前に増して目も当てられない…
…んー…
て言うか…
知花の千里さんへの想いが、強くなってる気がする。
千里さんは変わらないかもしれないけど、彼はいつも全力。
うん。
全身全霊で知花の事、ずっと愛してきてくれてた。
それがちゃんと届いたのかな。
知花はそれで自信が持てて…の今って感じ。
良かった。
「聖、少し痩せたんじゃないか?」
あたし達もランチして帰ろうって事になって。
聖と三人でホテルのレストランに寄り道。
なっちゃんが聖の横顔を見て心配そうに言うと。
「あー、少し痩せたかな。でもちゃんと食ってるから心配ないよ。」
聖はゴキゲンな様子でサラダを取りながら言った。
「あっ、でも一昨日知花の所に行ったんでしょ?アレ作ってもらいに。」
あたしが思い出したように唇を尖らせて言うと。
「あー…姉ちゃんに口止めするの忘れてたー…」
聖は目を細めて。
「うちに菌を持ち込みたくなかったからさ。」
って言いながら、あたしのお皿にもサラダを取り分けてくれた。
アレ、は…
まあ、栄養ドリンクと言うか、風邪の引き始めにも効く飲み物。
レンコンとか大根とかニンジンとかゴボウとか…根野菜の汁がメイン。
もう、恐ろしく美味しくないんだけど、効き目は抜群なのよね。
知花は千里さん共々ボーカリストだから、いつでも飲めるように粉末にしてたり冷凍してたり。
初めて飲んだ時、相当美味しくなかったからか…
アレを飲むことになるのは嫌だから、風邪ひかない。みたいな気持ちもあるのか…
桐生院家、みんな元気。
…なのに。
聖、わざわざアレを飲みに知花の所に行ったなんて。
まあ…社長としての自覚があるからなのかなあ。
それはそれでいい事だけど。
ちょっと寂しかった。
姉ちゃんじゃなくて、母の所に来てー!!って。
「そう言えばさ…」
聖、バケットをきれいに食べるなあ…って、自分のお皿と聖のお皿を見比べてると、聖が言った。
「DEEBEE、上手くいってねーの?」
「……」
「……」
無言でなっちゃんを見ると、なっちゃんもチラリとあたしを見た。
「…どうなの、会長さん。」
「次期会長はどう思う?」
「あっ、いきなり話を振るー?」
「意見を聞きたい。」
「ぶー……」
なっちゃんに唇を尖らせた後…
「…正直、今のままじゃ先が見えちゃってる…って感じ。詩生君と彰ちゃん次第かなあ。」
思ったままを聖に言うと。
「詩生と彰次第か…。希世は?」
「及第点かな。」
聖の問いに、なっちゃんが答えた。
なっちゃんは…すごいなって思う。
F'sのライヴだって急だったのに、その間にも色んなバンドやアーティストの事、海外の事務所の事、社員さん達の事…
全部に目や耳を向けてる感じ。
里中君っていう強力サポートが居るとは言え…あたしに務まるのかなあ…
だけど…あたしはまだこの時、何も知らなかった。
なっちゃんが、会長を退く決意をした…
本当の理由を。
〇里中健太郎
…億劫だ。
今日からDEEBEEのリハに入る事になった。
高原さん直々に頼まれた事とは言え…
俺に出来るんだろうか。
「……ふー……」
スタジオの前で軽く深呼吸をする。
さあ…
スイッチを入れろ。
ガチャ。
スタジオの重いドアを開けると、中でセッティングをしていたDEEBEEの面々が一斉に俺を見た。
そして…あからさまに、眉間にしわを寄せた。
「…里中さん?」
「なんでここに…」
小声のつもりだろうが、聞こえてる。
ハリーは目を丸くして無言で俺を見ていたが…
何となく…予測がついたのか。
「ついに俺らんとこにも鬼軍曹が来たで。」
そっけなくそう言って、ベースを担いだ。
詩生と希世と彰は…うつむき気味。
ま、俺についての色んな噂を聞いてるだろうからな…
気は重いに違いない。
俺はパイプ椅子を出して座って足を組むと。
あらかじめ高原さんから渡されてたDEEBEEのファイルを開いた。
そこには、簡単なメンバーのプロフィールの他…
全作品の歌詞。
「…とりあえず、いつも通りやってみてくれ。」
普通にそう言っただけなのに、彰は少しビクついてる気がした。
京介の一人息子。
父親に似て、人見知り。
ギターに関する知識は深いし、四六時中ギターを手にしてる事で有名だったが…
他人にあまり興味がないせいか、自己流の弾き方しか出来ない。
二階堂や早乙女が開いてるクリニックにでも通えば、もっともっと上手くなるだろうに。
決して下手なわけではないが…今の自分に満足し過ぎだ。
ここ数年、新しい事をしていない。
SHE'S-HE'Sの鍵盤奏者、島沢の娘と結婚して子供が二人。
…私生活は順風満帆だな。
希世がカウントを取って、曲が始まった。
クリアトーンのギターのイントロに、ハリーのベースが絡む。
詩生のボーカルが入った。
…声はいいんだが…この歌い方じゃ、限界は見えてる。
夕べCDを聴き込んだが…少し様子が違って思えるのはー…なぜだ?
組んだ足、膝に頬杖をついて聴き入る。
目を閉じて、耳に入り込む楽曲を展開していく。
…希世だ。
希世が違う。
顔を上げて、しばらく希世を眺めた。
何だろう…この違和感。
DEEBEEに不釣り合いな…ドラミング。
今までは、もっとスタイリッシュな叩き方だった。
それが…どうした?
これじゃ、骨太なハードロックだ。
ハリーは上手く合わせてるが…
彰は弾きにくそうだな。
ついでに、詩生も歌いにくそうだ。
一曲目が終わらないうちに、体を起こしてファイルを開く。
高原さんのメモに『希世、沙也伽の代わりにDANGERのリハに参加。以降叩き方が変わる』
「……」
…なるほどな。
ファイルを閉じて立ち上がる。
すると、何も言ってないのにハリー以外の音が止まった。
「…どうして止める。」
「いえ…」
「また明日来る。」
「え…えっ?」
俺が怒鳴らずにスタジオを出たのが拍子抜けだったのか。
詩生は呆然としたまま。
彰に至っては…ホッとしていた。
…高原さん。
あなたの考えてる事は…
かなりの広範囲で、メンタルをやられる人物が続出しますよ…?
…俺も含めて…か。
気を強く持って挑まなきゃな…。
〇神 千里
咲華を見送って、知花とランチをして。
今日も仲睦まじく事務所に来ると、ロビーで注目された。
最近の俺は、ラフな格好しかしていない。
まるで『今日はどんなファッションで来るのか』と言わんばかりの待ち構えられぶりだ。
「…千里、ほんと…ラフになったよね…」
隣で小さくつぶやく知花に。
「おまえは可愛過ぎて離れるのが嫌だ。」
そう言って髪の毛にキスすると。
「…もう…」
赤くなりながらも…
「誰に褒められるより、千里にそう言われるのが一番嬉しい…」
………
ああああああ!!!!!
なんで俺の嫁は…!!
こんなに可愛いんだー!!!!
ギュッと抱きしめてキスしたい衝動に駆られたが。
「。」
ふいに、唇に知花の人差し指。
「…帰ってから、ね…?」
「……お…おお…。」
いやー…
やられたな。
やられたぜ。
「…何ニヤニヤしてんだよ。」
俺がいい気分に浸ってると、目の前にバサッと資料が投げられた。
見上げると、不機嫌そうな里中。
ああ…そうだ。
今日は里中に呼び出されたんだっけな。
会議室には、俺と里中二人きり。
これが知花なら…なんて思いながらも、さっきの『帰ってから、ね?』を思い出して…とりあえず集中することにした。
「どうした、社長。」
「そんな呼び方すんなよ…」
里中は俺のはす向かいに座ると、頭を抱えて。
「…頭いてーわ…」
大きくため息をついた。
「…これは?」
資料を手にする。
「…春のイベントのオーディション要項。明日一斉公開だ。」
「あー、あれか。」
SHE'S-HE'SとF's、そして沙都。
今の所、決定してる三つの枠以外は…すべてオーディションで決まる。
だがそれはそれはそれはー…狭き門だ。
選考者は、Deep Redの面々に加え、次期会長の義母さんと里中と…
SHE'S-HE'SとF'sだ。
身内だからって甘くはない。
今の調子だと、DEEBEEは絶対落ちるし…DANGERもまず無理だ。
「…今日、DEEBEEのリハに入ってみた。」
「ああ…怒鳴り上げたのか?」
資料をめくりながら、あまり興味もなさそうに問いかけると。
「…いや、一曲聴いて、明日また来るって言って出た。」
「……」
資料から目を上げて里中を見る。
里中が怒鳴らずにスタジオを出ただと?
「そんなにDEEBEEは酷かったのか。」
「ああ…酷かったな。バラバラだ。」
「原因は?」
詩生が華月にうつつを抜かして今の状態なら、どうにか尻に火を点けねーとな…なんて思ってたが。
里中のこの様子。
それどころじゃねーな。
「原因は…」
そこで里中は、意外な事を言った。
そして、新婚旅行を間近に控えた俺に。
気分が重くなるような事を…打ち明けた。
今言うなよ。
…バカヤロー。
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