第17話 「咲華、もっと食え。」

 〇二階堂咲華


「咲華、もっと食え。」


「もうっ。あたし、どれだけ大食いなの。」


 明日…あたしとリズは渡米する。

 一足先に発った海さんとの生活が…また始まる。

 沙都ちゃんと曽根君も一緒に渡米するんだけど…

 彼らは休む間もなく、新曲リリースに向けて忙しくなる。



 今夜は…父さんと母さんが二人で暮らしてる、おじいちゃまのマンションで。

 あたしとリズのために…食事会が開かれた。

 ここに家族勢揃いなんて、ちょっと不思議な感じ。

 いつも大部屋で、ゆったりと過ごすのに…

 ここは、二人には広いかもしれないけど…



「あたっ。なっちゃん、足が長いのは分かるけど、そんなに伸ばして座らないでくれる?」


「仕方ないだろ。リズが座ってるんだから。なー。」


「んぱっぱっ。うっうー。」


「ほら。」


「何がほらよ~。」


 海さん以外、勢揃いだから…ちょっと、窮屈。

 だけど、その窮屈さも楽しくて。

 海さんも居れたら良かったのになあ…って、少しだけ寂しく思った。


 …こんな事で寂しくなっちゃダメ。

 これから、あたしはリズちゃんと二人で過ごさなきゃいけない時間なんて、山ほどあるんだから。



 食事の後、和室では男性陣が並んで寝転んで。

 そのお腹の上をリズに這わせて遊んだりして。


「リズ、移動しろ。移動。」


「華音、落とすなよ?」


「聖、もっとこっち詰めろ。」


「親父が最後って…リズ、ここで止まっていいぞ~。」


「うっ。リズ…そこに乗るのは危険だ…」


「あはは。聖、悪さが過ぎるんじゃねーか?」


 笑い声が響く中。

 あたしと華月と母さん、そしておばあちゃまは、ソファーで紅茶を飲みながら、その光景を眺めてる。


「動画撮って海さんに見せてあげよっと。」


 桐生院家の男性陣、愛し過ぎる。なんて思いながら…

 あたしは笑いながら、その様子をスマホで撮った。



「あ~…笑い過ぎて顔が熱い。ちょっと風に当たって来るね。」


 あたしがそう言ってベランダに出ようとすると。


「冷えないようにね。」


 そう言って、母さんがストールを差し出した。


「ありがと。」


 賑やかな和室を振り返りながら、ベランダに出ると。

 冷たい風が火照った頬にちょうど良くて。


「はー…気持ちいい。」


 あたしは前髪をかきあげて、空を見上げた。

 しばらくそうやって夜空を眺めてると…


「どうした。」


 隣に…父さんがやって来た。


「…何?」


「おまえが飯を残すなんて、体調が悪いとしか思えない。」


「あっ、何よそれー。」


「まあ、あずきで俺より食ったから仕方ないか。」


「父さんがご飯くれるから。」



 帰国して…海さんが華音に殴られたり、父さんに結婚を反対されたり、両親が別居したり、F'sのライヴがあったり…

 何だか、目まぐるしい二ヶ月間だった。

 …だけど、すごく…あたしの人生の中で重要な二ヶ月だったと思う。


 桐生院家の中で、自分だけが蚊帳の外…なんて、変な被害妄想をコッソリと抱えてたあたしは。

 こんなに家族に大事にされて愛されてる事に気付けたし…

 何より、少し距離を作ってしまってた父さんと…ちゃんと絆を作れた。


 元々、あたしは家族が大好き。

 だから…自分から垣根を作ってしまってた事、後悔もしたし…反省もした。



「あたし…」


 無言で夜空を見てる父さんに、小さくつぶやく。


「…海さんと結婚した事、後悔してないって口では言うものの…許して欲しくてたまらないんだと思う。」


「…誰に。」


「…しーくんと朝子ちゃん…」


 手すりに寄り掛かってそうつぶやくと、自然とため息も出た。


 …あたしって、醜い。

 自分が楽になりたいからって、朝子ちゃんに嫌な想いさせた。

 最後は笑ってくれたけど…本当はもっと時間が必要だったはず。

 あの場には父さんもいたし…きっと嫌な想いをさせたよね…


 しーくんなんて…まだまだ心の整理なんてつかないはずなのに。

 あたしは、なぜか焦ってる。

 彼は海さんの部下で…二階堂にはなくてはならない存在。

 なのにあたし…彼を壊してしまった。


 あの日…うちに来て…刺さるような視線であたしを見たしーくん。

 海さんと富樫さんを本部の地下に閉じ込めるなんて…本当なら許されない事。

 …あたしが、そうさせた…



「帰国する前に…彼、うちに来たの。」


「…ああ、海に聞いた。」


「え…?」


「志麻に謝罪をしたが、今すぐに元通りの関係になるのは難しいと言ってた。」


「……」


 そっか…

 海さん、あたしが気にしてる事や、きっと両親が気にしてたであろうしーくんの事も…

 ちゃんと話してくれてたんだ…



「人間てのは勝手なもんで…」


 ふいに、あたしの頭にポンポンと手の感触。


「自分がされた事は許したくないのに、自分がした事は許されたいと強く願う。」


「……本当ね。」


 父さんの言葉は、あたしの胸に突き刺さるようだった。

 あたしは…しーくんが朝子ちゃんを構う事を許せずにいたクセに…

 もっと酷い事をしておきながら…許されたいって思ってる。


「許したり許されたりが完璧に行われる世の中なら、戦争も小さな揉め事も、何も起こらないんだろうけどな。」


「…そうだよね…」


 頭に置かれた父さんの手は、何だか…それだけでホッと出来た。


「そもそも、許されなくてもいーじゃねーか。」


「…え?」


 手すりから体を起こすと、自然と父さんの手も離れた。


「自分で酷い事をしたと思うなら、許されない方がいい。それを戒めと思って抱えて、誰かに優しくすればいい。」


「……」


「志麻には時間が必要だ。それに、あいつだって気付いてるはず。」


「…何に…?」


「おまえをどれだけ愛してたかって事と、どれだけ苦しめてたかって事をだよ。」


「……」


「これからおまえが一番に考えるべきは、志麻の事じゃない。海とリズとの将来だ。」


 …何だろ。

 朝子ちゃんに会って…スッキリしたいはずが、余計苦しくなって。

 ずっとモヤモヤしてたけど…

 少し楽になった。


 …許されなくていい…


 そうだよ…

 あたし、本当に傲慢だ。

 あたしが傷付いた以上に傷付けた人達に。

 何を求めてるんだろう。


 …みんなを大事にしよう。

 あたしを取り巻く全ての人達を…。



「…うん。そうだね。」


 背筋を伸ばして夜空を見上げる。


「…ありがと、父さん。」


 父さんを見上げてそう言うと。

 父さんは小さく鼻で笑って、首を傾げた。



「秘密の話?」


 後ろから声がして振り向くと、華月。


「全然。」


「あー、お姉ちゃんとりっちゃんがいなくなると寂しいー。」


「撮影で来る事あったら連絡して?」


「明日ついて行きたい。」


 華月があたしに抱き着いてそう言うと。


「俺が寂しくなるからダメだ。」


「……」


「……」


「…なんだ。」


「あはははは!!」


「もうっ!!やだ父さん!!真顔でー!!」


 父さんの一言に、あたしと華月は…しばらく笑い続けた。



 父さん。

 ありがと。





 大好き。




 〇桐生院知花


「…行っちゃったね…」


 飛び立った飛行機を眺めながら、小さくつぶやく。

 今、あたしの視線の先にある飛行機。

 まさにそれに…咲華とリズちゃん。

 そして、沙都ちゃんと曽根君が乗ってる。


 志麻さんと別れて…旅がしたいっていきなりのようにアメリカに行ってしまった咲華。

 それが、帰って来た時には…旦那様と可愛い娘を連れてて。

 何が気に入らなかったのか、怒りまくって海さんを殴った華音と。

 ただ単に咲華を取られた気がして腹が立ったであろう千里。

 咲華が旅立ったのがたった三ヶ月前の事なのに…

 色んな事があり過ぎた。


 あたしはあたしで…千里に別居を申し出て。

 離れている間に、色々…本当に、色々考える事が出来た。

 離れる事で、願いもしない別れが来るかもしれない。

 そんな気も…なくはなかったけど…



「さて…帰るか。」


 千里に手を差し出されて、あたしはじっと千里を見つめる。


「…うん。」


「…ん?」


「…ううん。」


「なんだよ。」


「なんでもない。」


「言わないと抱きしめるぞ?」


「じゃあ言わない。」


「……」


 ぎゅうっ。


 人がたくさんいるロビーで、千里に抱きしめられる。


「あー、はいはい。帰ってからにしよーな。」


 呆れた口調の聖と。


「知花が抱きしめられたいっつったんだぜ?」


 あたしを抱きしめたまま、嬉しそうな口調の千里。


「知花が素直…」


 母さんがパチパチと拍手すると。


「いい事だが、みんなが見てる。帰るぞ。」


 父さんが、あたしと千里の肩を叩いた。



 今日、華音と華月は仕事で来れなかったけど…

 咲華の事、笑顔で見送る事が出来て良かった。

 離れてる間に…思いがけず知る事となった千里の幼少期の出来事。

 それと…

 どうしたいのか自分でもわからないまま、有耶無耶な関係にイラついていたであろう千里。


 なのに。

 あたしの事、嫌いになるなんてあり得ない…って。

 それだけじゃない。

 F'sのライヴでは、あたしのために…って、ラブソングを歌ってくれた。

 そして、二人で新婚生活みたいに…って。

 父さんのマンションで始まった、二人きりの生活。


 出逢って31年…

 知ってたはず、分かってたはずの千里が、知らない人みたいに思える瞬間もあって。

 あたしは…また、千里に恋してる。



「新婚旅行、どこ行くの?」


 エスカレーターを降りながら、母さんがあたしの耳元で言った。


「…内緒。」


 首だけ振り返って言うと。


「あーん、もうっ。」


 母さんは可愛らしく頬を膨らませた。


「F'sもSHE'S-HE'Sも、一緒にまとまった休みが取れて良かったわね。」


 あたしの肩を後ろから揉むようにして、母さんがつぶやく。

 F'sとSHE'S-HE'Sは…来週26日から二週間、完全オフになった。


「売れっ子バンドが二つも一度に休み取れるなんてね。」


 何言っても教えないよ?って思いながら。


「ほんとにね。ありがと、会長様。」


 まだ会長をしてる父さんを振り返って言う。


「みんな旅行するようだな。」


「え?そうなの?」


 父さんの言葉に千里を見ると。


「そ。アズも京介もどこか行くっつってた。」


 前髪をかきあげながらそう言った。

 瞳さんも聖子も、そんな事言わなかったけどなあ…

 ただ、あたしに行先をしつこく聞いて来て…

 あたしが内緒って言うと、目を細めて…何か悪い事でも企んでるような顔をしてた。



 …別に秘密にする必要はないのかもしれないけど…

 今回の旅行…

 最初の数日間は、あたしの個人的な想いで決めさせてもらった。

 後半は…千里が『俺のしたいように組んでいいか?』って言ったから…お任せしてる。

 それについて…千里はプランをいつ練ってるのか。

 家でも全くそんな話をしない。


 ただ…


「旅行、後半はクタクタにしてやるぜ。」


 って…寝る前に耳元で言われちゃった…


 …ああ…

 何だか…



 良からぬ想像して赤くなっちゃう…!!

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