第12話

「あっはっは。あんたなかなか肝が据わってるじゃないか」

「……どうも」


 下の格納庫に、エレベーターに乗せた機体が降りたのを見届けたベテラン整備兵は、ムラクモの肩をポンと叩いてニヤリと笑った。


「開けない方が、良かったのでしょうか」

「良いんだよ。エミリアちゃんは構って貰いたいから、ああいうことやるんだよ」


 あの子、物心ついた頃には1人ぼっちだったからさ、とベテラン整備兵は、遠い目をしてそう言った。


「『トレンチ』沈没ちんぼつ事故、でしたっけ」

「ああ。あれでご両親も祖父母もいっぺんに、だからね。「空」は、あの子を独り占めしたかったのかもねぇ」


 ベテラン整備兵は開口部から見える、自らの中で交わされた戦火に悲しみも怒りもしない、穏やかな夕暮れの空に眉をひそめて言う。


 『トレンチ』沈没事故は、航空重巡級『トレンチ』と同『ヒル』が、濃霧で視界の悪い中で空中衝突した事故だ。


 はじけ飛んだ両者が岩山に衝突し、それと同時に『ヒル』の魔道エンジンが破損して暴走、『トレンチ』を巻き込んで大爆発を起こして沈んだ。


 結果として、両艦を喪失すると共に、その乗組員計500人全員が死亡した


 2隻の近くの艦に乗っていた彼女は、年が離れていたがエミリアの母の親友で、シュールストロムと共に親代わりになっていた。


「よし、辛気くさい話はこの辺にしてだ。軍曹殿のマシンは完璧に直したげるから安心しなよ!」

「お願いします」


 半ば強引に明るい声を出して、ベテラン整備兵はそう言って鼻の下をこすり、頼もしい笑みを浮かべた。





 ギリギリ体裁だけは保った、エミリアの最年少での50機撃墜勲章授与式の後、横付けしていた第5艦隊旗艦・航空戦艦『キング・ジェイク』が離れてから、ムラクモへ艦長室への呼び出しかかかった。


「失礼いたします――」


 デルタ中隊の当てこすりの悪口を全部無視して、艦長室へやって来て、かしこまった態度で入室したムラクモだったが。


「だぁー! 来ちまったじゃねーかエアリーズ!」

「ふぇー、勝手にしゃべってればいいじゃーん」


 シュールストロムが、デスクの前の応接セットでくつろぐエミリアと、うだうだめている光景を目にして彼女は固まった。

 エミリアの手には開封した缶詰が握られていて、少し湯気が立ち上っている。


「うまー」

「すまねえな。せっかく来させたのにこれで」

「もごっ、おでこ突っつかないでよー」

「いえ……」


 その辺に勲章を投げ出し、エミリアはムラクモが来てもお構いなしに、スプーンでトマト味に煮た数種類の豆を口に運ぶ。


「うまいうまい」

「せめて静かに食え。静かに」


 2人のその様子に困惑するムラクモは、ふと艦長机の上に、レーションの缶を温める装置があることに気が付いた。


「あれ良いでしょー? 艦長がくれたんだー」


 それに気が付いたエミリアは、屈託のない笑顔でそう説明した。


「わざわざ言わんでもいい!」

「あー、照れてるー」

「照れてねーよ!」


 サングラスの下の目が焦っているシュールストロムは、明らかに照れた様子でぶっきらぼうに答えた。


 これ以上構っていても時間の無駄だ、とエミリアをもう放っておく事にして、彼はチェアに引っかかっている白い上着を羽織って、そこにどっこらせと座った。


「おうそうだ。エアリーズ、パンいるか?」

「いるー」

「そうか。捕れよ」

「ういー」

「ほい」

「おっとっと」


 副長が差し入れしたパンが机の上にある事を発見し、シュールストロムはエミリアに投げて渡した。


「さてと。……おめえ、何そこで突っ立ってんだよ。こっち来い」


 半ば放って置かれていて、ドア脇で棒立ちのムラクモを手招きし、シュールストロムは怪訝けげんそうにそう指示した。


「艦長ー、ふつー指示しないと動かないよー」

「あー、そうか。お前で慣れちまったからな」

「しれっとディスられたー」


 全然哀しくなさそうに、哀しい! とエミリアは無駄に声を張って、スープで豪快にむせた。


「話しながら食うからそうなんだぞ、全くよ……」

「たすか――げっほげっほ」


 シュールストロム立ち上がって、き込むエミリアの後ろに周り、仕方のねえやつだ、と言ってその背中をさすった。


「それで、ご用件というのは?」


 話が一向に進まないので、眉間にしわを寄せるムラクモは、しびれを切らして自分から訊いた。


「すまんすまん。お前さんに、第5艦隊に転属してもらえねーかと思ってな」


 シュールストロムはエミリアにボトルの水を渡してから、再び席へと戻りつつそう言った。


「……はい?」

「まあ、そうカッカすんな」


 彼の言葉を聞いて、明らかに不愉快そうな顔をするムラクモをなだめ、


「左遷って訳じゃねえ。ちゃんとポストは用意してある」


 シュールストロムは、機密指定、と書かれた封筒の中身を彼女に渡した。


 それは分厚い紙に印刷された、1週間後の日付が書かれた異動通知書類で、ムラクモの階級欄は准尉になっていた。


「なぜ、いきなり尉官へ?」

「そりゃ、小将の副官が下士官じゃマズいだろ」

「はい? 副官?」

「おめえ、幹部候補相当の資格あんだろ? 引っこ抜くんだから、そんくらいたりめぇよ」


 幹部育成課程を修了し、空軍学校を飛び級で卒業したムラクモは、幹部候補の資格を持っていた。

 だが、ある事情でパイロット養成校に入り直し、規定通り下士官からスタートしていた。


「あれ、艦長昇格すんの?」

「一昨日言っただろ。来週から司令官だぞ、ってよ」

「うーん。そうだっけー」

「……さてはお前、寝てたな」

「あ、バレた?」


 話に割り込んできたエミリアは、空になった缶を艦長机横のダストシュートに放り込み、温めていたもう1個を開けた。


「お前なあ。って、まだ食うのか」

「飛ぶとお腹減っちゃって」

「そうか。食い過ぎんなよ」

「あいあい」

「すまん、また話がれた。で、どうだ。悪い話じゃねえだろ?」


 缶切りでギコギコやっているエミリアを横目で見つつ、シュールストロムは両眉を上げているムラクモへ問う。


「申し訳ありませんが、お断りします」

「姉貴の代わりになんて、ならんでも良いだろ」

「――ッ」


 なぜか、と訊いてくると思っていたムラクモは、いきなり核心を突かれて二の句が継げなくなった。


 この時点から2年前、過去10年でもっとも激しい戦闘が起こった、『共和国』との通算5度目の全面戦争があった。


 その最終局面に、大破した『共和国』軍の超戦艦『シュトゥルム』による、前線基地への自爆突貫の影響で『連邦』は講和条約のテーブルに引きずり出され、停戦を迎えた。


 『連邦』最強の第1艦隊S中隊所属だったムラクモの姉は、基地1つを消し飛ばした攻撃による、爆風の煽りを受け機体が制御不能になり、地面に衝突して機体ごと木っ端微塵ぱみじんとなって戦死した。


「それは……」

「まあじっくり決めてくれ。5日後までに返答頼む」


 それ以上は何も深掘りせずに、ムラクモへ帰って良いぞ、と伝えると、上着をまた椅子の背もたれに引っかけた。


「エミリア、立ってるついでに脱脂粉乳取ってくれ」

「へいへい」


 机の中から、コーヒー豆の袋とミルを取りだしたシュールストロムは、長ソファに戻ろうとするエミリアに、固定式冷蔵庫の上の棚から茶色い市販品の瓶を取らせた。


「ん? 出ろまで言わねえとダメか?」


 ゴリゴリ、と豆を砕きながら、まだ机の前にいるムラクモに彼は訊いた。


「いえ。失礼いたします」


 簡潔に答えたムラクモが、艦長室から出ようとしたときだった。


 音程の低いサイレン音が鳴り響き、『公国連合』軍の艦隊が防空識別圏に侵入したため、空母級『ランサー』他を援護せよ、と『キング・ジェイク』から入電した。


「チッ、せっかくいたってのによ」

「ええ……。せっかく開けたのに」


 2人とも同じ様な悪態をついて、シュールストロムはチェアの上着を、エミリアはテーブル上に置いてあったフライトジャケットを羽織り、艦橋へと向かって飛び出していった。


 まもなく、ムラクモにも修理を終えて、『グリーンズ』と合流した『フレイム』艦長から出撃命令が下った。


 彼女は2人が走って行った方向とは逆の、格納庫の方へと駆けだした。


 修理は間に合っていなかったが、ムラクモ機はノーカスタムなので、菱形タイプの代替機に乗って右のプラットホームに移動する。


「おいデルタ9! 今度は足引っ張るなよなー?」

「尻拭いのスーパーエース様はご不在よ?」


 デルタ5と7が無線でいびってきたが、ムラクモは完全無視して取り合わなかった。

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