6-18 元に戻った世界
『二月二十三日、土曜日。おはようございます。朝のニュースです』
ラジカセから響くそのニュースは、激戦の日から三日を経過した事を告げていた。
「「「いただきます」」」
私と、お父さんと、りるちゃんは年季の入った食卓テーブルを囲んで朝ご飯に取り掛かる。
メニューは相変わらずの和食で、ご飯と漬物とみそ汁と卵焼きと薄い焼き鮭。
諸事情により納豆はしばらくお預けになりました。
誰も何も話さずに、静かに食事時間は過ぎていく。
誰も何も言わなかった。終わってから、誰も何も
けれど、みんなは何も知らない顔で戻ってきていた。
家ではお父さんが居て、りるちゃんも居て、ホテル住まいを続ける霧峰さんの隣には田中さんがいた。
一度だけ会話をした時に、田中さんは家族の愚痴を私にこぼしてくれたりもした。
学校では先生が義手を使って焼きそばパンを食べていたし、夜野さんも普通に私に接してくれていた。
みんな、戻ってきた。
それと、みんなだけじゃなくて、爆発で焼けたはずの私の家も全てがそのままに戻ってきていた。
一つだけ違うのは、イナンナ様が呼びかけても返事をしない事ぐらいで。
全てが嘘だったのかもしれない。
この二週間は何かの悪夢を見ていただけかもしれない。
そんな事を考えなくは無かった。
でも、私の部屋にある母神殺しの槍が全てを否定する。
これは、事後だと。終わった後なんだって。
静かで平穏な朝食を堪能した後で、食後のお茶を用意する私にお父さんはこう言った。
「奈苗、午後から
心のどこかで私の気持ちが切り替わる。
お父さんは、若と言わずにギルガメッシュ様と言った。
「はい」とだけ返事を返す。戦いの事をどこまで覚えているのか、それをお父さんに聞くことは出来なかった。
「いってらっしゃい、ななえ」
「気をつけてな」
昼になって出かける前に二人が見送りしてくれたのだけれど、どことなくみんなの雰囲気は固く感じて、どうしてなのか私は聞けなかった。
* * * * * * * * * *
「時間通りだったな。さすが奈苗ちゃんだ」
ギルガメッシュ様と二人でいるここは、もう見慣れてしまったホテルのスィートルーム。
見慣れた相手だと言うのに、私はちょっと緊張していた。
「人神ギルガメッシュ様、お招き頂いてありがとうございます」
私は立ったまま恭しく会釈をする。いつもの対応ではなくて、目上の人用のちゃんとした対応を心掛けた。
どちらも同じ人なのはわかっているけれど、今回はギルガメッシュ様と名指しされている以上、何かがあると感じていた。
そんな私をよそに、ギルガメッシュ様はいつも通りに返答を返す。
「ああ、そんなに気にしなくていいぞ。いつもと同じく霧峰だった時のように接してくれれば構わないさ」
「それでは、失礼します」
「だからそんなに気にしないで、普段通りの俺に話しかける口調に戻してくれ。堅苦しいとこっちの調子が狂う。
俺は最初から変わっていないんだから、前と変わらずにいてくれ。下手に神扱いされるのは嫌なんだよ。
奈苗ちゃんならわかるだろう?」
……もちろんわかる。私の今までの人生そんな感じだったんだし。
昔を思い起こそうとしたのだけれど、すぐに思い浮かぶのはここ二週間の激戦の記憶だけ。
私は大きく息を吸って、吐いた。
「普段通りに戻したいんですが、あの戦いが終わってから普段通りってのが良く分からなくなっていてどうも調子が掴めないんです」
正直な所、あの戦いが終わってからずっと私は違和感を……ううん、むしろ、不安をさえ感じていた。
夢物語で済まされない激戦を繰り広げておきながら、突如として普通の世界に戻ったんだから仕方ないとは思っているのだけれど、それでも、私はその状況に馴染めないでいた。
誰もその話に触れない。忌避しているのか、それともみんなは覚えていないのか。それすらもわからず、けれども、私から聞き出せないまま、はや三日。
心の中ではもやもやとした気分が積もり続けるばかり。
こういう時の相談役だったイナンナ様が返事をしなくなった事も、私の調子を崩す大きな原因になっていた。
「まぁ、そうだよな。初戦で超のつく大物相手に立ちまわったんだ。
変な気分になるのもわからないでもない」
そんな私の様子を見て納得した彼は、ジェスチャーで私をソファーに座るように促す。
その後で、二つのワイングラスにぶどうジュースを注ぎ、片方を私に渡した。
応接テーブルを挟んで対面する私達。
ギルガメッシュ様はグラスを手に持ち、戸惑う私に同じように目の前に掲げるように誘う。
お互いがグラスを掲げた所で彼はこう言った。
「俺達は勝った。そして、奈苗ちゃんはその立役者だ。こちらが感謝を込めて頭を下げる事こそすれ、人間だ神だとくだらない事で距離を置く必要は無い。
それは死線をくぐり抜けた俺達の仲では無粋な話だ。そうだとわかってくれ」
チンとだけ軽くグラスを当ててから、彼は中身を飲み干す。
私は「わかりました」と言ってからそれを呷った。
甘みが強くて、酸味は少しだけ。残る渋みがアクセントになる、そんなぶどうジュース。
味だけはちゃんと理解できた。
ああ、おいしいって。
「肩肘は張らなくていい。事は終わったんだから、今はゆっくりくつろいでくれて構わないよ」
自分からソファーに深く腰を掛けてくつろぐ彼の姿を見て、私は静かに口を開いた。
「本当に終わったんですか?」
「ああ、終わった。ティアマトの討滅は無事完了した。」
「本当に?」
「ああ、本当だ。全員が死力を尽くして、最後に奈苗ちゃんがティアマトを討滅した。まぁ、俺はその場を見ていないがな」
「今のこれが夢だったりしませんか?」
「しない。現実だ。大丈夫だ。安心しろ」
それから彼は少しだけ怪訝な顔をして、ふむと考えこむ。
「イナンナとは話をしていないのか」
「はい。返事してくれませんから。……ここにいるんですよね? 死んでたりしませんよね?」
「ああ、そこにいるよ。だんまりを決め込んだ女神様は。首を洗って待ってるって感じだな」
「……首?」
首をかしげる私の後ろで、声がした。
”……覚悟は出来たわ”
それは、聞き慣れた女神の声。
一言聞くだけで、ちょっとだけ嬉しくなる気持ちを押し留める事は出来なかった。
(イナンナ様?)
”ええ。返事をしないでごめんなさいね、ナナエ”
(大丈夫なんですか?)
”大丈夫よ。ちょっと覚悟を決めるのに時間が掛っただけだから”
(……覚悟?)
浮かんだ疑問と共に会話が一瞬止まり、タイミングを合わせたようにギルガメッシュ様が話を続けた。
「ああ、じゃあ今回の用事の事を話そうか。一つは貸していた槍を返してもらう事。
あともう一つは、今回の一件の報奨の事なんだ。マルドゥクの親父から幾つか言伝を受けている。イナンナと、奈苗ちゃん、両名共にだ」
「それと覚悟って何か関係があるんですか?」
目の前の彼は不敵な笑みを浮かべ、私の疑問に答える。
「関係はある。じゃあそっちから先に行こうか」
前置きをした後で厳かに彼は言った。
「女神イナンナに、人神ギルガメッシュより、マルドゥクお父様の言葉を代理として伝える。
『先の戦いで敗北を喫っした件は、今回の勝利で
ただし、諸々の事情があったとはいえ、今回の
だそうだ」
”受領するわ”と静かに返すイナンナ様の雰囲気を感じて、すぐに私は理解する。
イナンナ様はマルドゥク様に怒られるのが怖かったんだって。
神とは言っても、父親のような相手に怒られるのは怖いし、嫌だものねって。
そう思った私を置いて、続けざまに彼は聞き捨てならない質問をした。
「ちなみに、降臨体を再度選び直す事は出来るそうだがどうする?」
”このままナナエを選ぶわ”
「了解した。あとでその様に伝えよう」
(イナンナ様、いいんですか?)
”当り前よ。他に変えは居ないわ”
間を置かずに続けられた会話。
私はほっとした。
深い事はあんまり考えなかった。純粋に、イナンナ様が戻ってきて、私と一緒に居てくれって言ってくれた事が嬉しかったから。
少しだけ浮ついた気分になった所で、今度は私の番だった。
「じゃあ、奈苗ちゃんの方だけれど、一応こちらは規則に則って確認させてもらおう。
奈苗ちゃんは、マルドゥクお父様からの報奨を受け取るかい?」
浮かれた気分のまま、もちろんとばかりに「はい」と私が口に出そうとした瞬間、彼女が割り込む。
”いい? ちゃんとよく考えて、ナナエ”
一瞬だけ私は考えた。
でも、考えたのは一瞬だけ。
だってそりゃあね?
貰えるものは貰うとかそんな単純な事以前に、神々のお父様であるマルドゥク様からの直々の報奨。断るわけにはいかないじゃない。
もちろん中身もすごく気にもなるけれど。
二つ返事で返した私の回答に頷いたギルガメッシュ様は、やけににこやかな表情を取ってその報奨を明らかにした。
「そうか。それならば、マルドゥクお父様の代理として、人神ギルガメッシュが先のティアマト討滅の報奨を稲月 奈苗に授ける事にする。
報奨内容は、
…………は?
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