6-17 抱擁

 体の中に意識を集中させて、魔力を集める為に励起を開始する。


《集まって!》


 私は認識を変えて、近くにあるティアマトの欠片を自分の一部だと思い込んだ。

 そして、普通ならば自分の体の中から励起させて熾す魔力を、から引き出そうとする。


 うん、出来る。私は出来る。


 自分の一部であるならば、ティアマトの欠片からでも魔力を引き出せるはず。


 あり得ない話ではあるけれど、私にはそれを信じるに足る理由もちゃんとあった。


 天地創造の聖典、エヌマエリシュにも書いてあった事。この地はティアマトの体から作られたって。

 ギルガメッシュ様も言っていた。この世界はティアマトに戻りやすいって。

 だから私はこう考えた。きっと私の体も、この魔力と呼んでいる力も、元々はティアマトのものだったんだって。

 

 私の目の前でりるちゃんはティアマトの欠片から魔力を吸い出していた。

 りるちゃんはほとんどティアマトに属するものだから、出来て当然かもしれない。

 そう思っていたんだけれど、きっと違う。


 私は人間。マルドゥク様の手によって創られ、ティアマトの血肉から生まれた者。

 私だって、きっとティアマトだったものの一部が残っているはず。

 そう考えれば、私もりるちゃんと同じティアマトに属する者なんだって。


 だから出来る。

 酷い理屈なんかじゃない。

 りるちゃんに出来る事は私にだって出来る!

 イナンナ様もやれば出来るって言ってくれたんだから!



 理由はどうでもよかった。事実もどうでもよかった。

 現実として、ティアマトの欠片は今や私の体の一部になった。

 私はそこから莫大な魔力を励起させる。



 右手に残された槍が、かすかに温かみを帯びた。

 それと共に、励起された魔力が槍の中に染み入ってくる。

 私の体の感覚は実体の境界を失って朧になっていた。イナンナ様も、意識を失っているのか、存在感こそあれども虚ろになっている。


 けれども、一瞬のうちに、手にした槍には許容量を埋めるに等しい魔力が充てんされた。


 それは、十分すぎる量の魔力。

 これだけあれば、きっと足りる。


 目の前では、白い奔流からようやく抜けたティアマトが、その漆黒の棒状になった咆哮でりるちゃんを叩き伏せていた。

 母神は見るからに満身創痍で、私の方までは明らかに警戒していない。けれど、彼我の距離はある。



 距離を詰める為に最後の最後に使うのは、私の一番慣れた魔法だった。

 魔力の無駄遣いって言われているけれど、きっとこの場では一番の解決策。


 槍を右手に持ち、地面に這いつくばったままの姿勢で、詠唱さえもいらないその魔法を私は口にした。





 槍の石突から蓄積された魔力が発射され、それを握る私ごと、槍は致命の砲弾と化す。



 思考加速とかじゃなくて、一周だけの走馬灯が回る間に。



 ティアマトは私の方を振り向いた。

 漆黒の咆哮を突き出し、私を迎撃しようとする。

 その一撃は私を掠めた。

 けれど、掠めただけで傷付き果てた母神の体はそれ以上動くことは無かった。

 槍は、母神の胸をしっかりと捉えた。



 そして、走馬灯は走るのを止めた。



* * * * * * * * * *



 はっきりと気づいた時には、私はティアマトの胸の中に居た。

 そこはとても居心地が良くて、愛おしげに頭を撫でられているのでさえ気づかずに、ずっと居たい気分になる。

 ぼんやりして眠りそうになった瞬間、私に声が掛けられた。


「貴方の勝ちです」


 その優しくて蕩ける声を聞いた瞬間、逆に目が覚める。


「あなたの一撃は私の本体を破壊しました。すぐにこの身も散る事になるでしょう」


 私はティアマトの顔を見る事が出来なかった。残った右腕の感覚も無くて、私の顔はティアマトの胸の中に包まれているような……そんな感覚しかなかった。


「マルドゥクの創造物にして、私の孫、人間のナナエ」


 顔を上げたくなる。母神ティアマトの顔を見たくなったのだけれど、私の体は動かない。


「あなたはこれから私の子達、神と呼ばれる存在達の世界へ進む事になるでしょう。

 私が言うのもおかしい話ですが、くれぐれも用心して下さい。きっとあなたは今以上の大変な事に巻き込まれるでしょうから。

 いいですか? 努々ゆめゆめ忘れない事です。あなた自身を信じる事を。

 それがナナエ、あなたの一番の力なのですから」


 無性に私はその母神の顔を見たかった。あれだけの死闘を繰り広げたというのに、最後まで優しい声を掛けてくれるその女神の顔を。


「さぁ、最後に私から褒美を差し上げましょう。このぐらいであればマルドゥクも文句は言わないはずです」


 柔らかくて暖かいものに包まれていた感触が離れていく。

 代わりに感じるのは、地面の感触。両の足で立っている感触。右手に感じる槍の重み。

 色々な感覚が戻っていき、目を開いた瞬間。


 その視界に邪竜と称され、今の今まで私達とやりあっていたはずの母神ティアマトの存在は、居なくなっていた。


 失ったはずの私の四肢が戻った事を確認する。

 恐らくこれは、ティアマトが最後に戻してくれたもの。

 心には達成感とも虚無感ともいえない気持ちが流れ過ぎていく。


 今ここにあるのは、ティアマトに塗り潰された黒い世界。漆黒の中に散らばる白いティアマトの欠片。

 皆がたおれて、誰もいない。私だけの世界。


(イナンナ様?)


 ……


(ねぇ、イナンナ様?)


 …………


(イナンナ様まで消えてしまったんですか?)



 ………………しばらくの後に、



”ええ、生きているわよ。何とかね”



 そして、黒い世界にヒビが入る。


”やり遂げたのね、ナナエ。

 ありがとう。これからマルドゥクお父様による再生が始まるわ”


 ヒビから洩れた光はとても眩しくて、私はそのまま意識も白くなっていく。



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