6-16 みんな、信じているから

(美の女神イナンナ様。どうか、私に魔法をかけて下さい。イナンナ様の一番得意な魔法を)


 渾身の思いに対して、返事は迅速だった。


”いいわよ。でも、その前に私が消えなければね”


(大丈夫です。機会はすぐに私が作りますから)


”出来るだけ早くにね……”


 イナンナ様は既に放射に削られて半分以上消えかかっている。

 事態は一刻の猶予もない。そして、私は彼女に伝えた事を気休めで終わらす気も無い。


 もう一度私はりるちゃんをよく見た。

 私達の死地を作っている彼女と、そこにある活路を確実にするために。


 苦境ばかりに投げ込まれてずっとその状況を見て来た私の目には、りるちゃんの周りにある大きな二つの仕掛けが透けていた。


 一つ目は今も続く放射の事。

 りるちゃんは、放射するための膨大な魔力を、自分で生み出すのではなくその場で周りから吸収して賄っていた。

 さっき倒れていた時のりるちゃんは魔力を持っていなかった。多分それは間違いではなかったんだと思う。

 けれど、今は地面に山積している白いティアマトの欠片から膨大な魔力を吸収し、白い粒子と一緒に放出している。

 原理まではわからないし、もしかしたら、魔力を吸収するのはティアマトの特性なのかもしれない。でも、やっている事だけは理解できた。


 そして、わかった事はもう一つ。

 今のりるちゃんは、本当に操られているって事。

 彼女の心臓のあたりには、とても強い魔力……と言うより、なにかの存在の塊があった。それは今の人型になったティアマトの体とそっくりで、私はすぐにりるちゃんの本体とも言える大事な所なんだと理解する。

 私の目は、そのりるちゃんの大切な存在が、鎖の様な別の存在による力によって縛られていることを見抜いていた。


 魔力が外部から供給されている今、その心臓にある存在は暴れ滾っていた。でも、がんじがらめにまとわりつく鎖はその動きを封じていて、それだけではなくて、りるちゃんは意思に反して鎖によって強制的に動かされているようだった。

 反抗すると締め上げられて、動きは鎖に制御されている。その鎖の魔力は、彼女のものではなくて、別の……


 ああ、わかった。


 私は感覚で理解する。

 真ん中に居る魔力がきっとりるちゃんの本体。

 そして、その鎖は元々ギルガメッシュ様がりるちゃんを縛る為に作ったもので、今はティアマトがそれを使って操っているんだと。


 そして、頭で解釈する。

 きっと、今のりるちゃんは嫌がっているに違いない。

 自分の意思に反して縛られて操られている今の状態を。


 この戦いが始まる前に、ギルガメッシュ様は何と言っていたか。

 りるちゃんに刷り込まれたのは、『私を守る事』だったと言っていたはず。

 『私を守る事』を封じられて、逆に『私を攻撃』している今の状況を、彼女は嫌がっているに違いない。


 こんなの都合のいい解釈だって、頭のどこかでは気付いていた。

 それに、決して私のりるちゃんの縁は長くない。たった二週間ぐらいの姉妹生活だったんだし。

 それでも、私達は一緒に生活して、色んな時間を過ごした。事ある毎に何度も、不甲斐ない私にりるちゃんは守ってくれると言い続けてくれたんだ。


 だから、私は、信じる。りるちゃんは今も内心で反抗し続けていて、私との約束を守る為に頑張ってくれているんだって。


 だから、きっと、きっと、きっかけさえあればりるちゃんは応えてくれるはず。

 りるちゃんは今魔力を十分に得ているから、きっと私がお願いすればそれに応えてくれるはず。



 りるちゃん、私は出来の悪いおねぇちゃんだけれど、りるちゃんの事、本当に信じているからね?



 最後の猶予とも言える加速した思考が元に戻るその時に、私は叫んだ。



「りるちゃん! 私を助けて!!」


 

 言葉に魔力なんて乗っていない。ただの叫び。

 そのただの叫びは、この荒唐無稽な場にも溶けることは無く彼女に届く。


 届いた瞬間、りるちゃんの中にある魔力が一気に膨れ上がり、彼女を縛っていたいた魔力の鎖を千々に引き裂いたのだった。



「なん……!!」



 母神の驚きの声は、即座に向きを変えたりるちゃんの白い咆哮にかき消される。


”一体何をしたの……?”


 一瞬にして状況が逆転した事に驚くイナンナ様。

 そんな暇はないとばかりに、今度は彼女にお願いをする。


(イナンナ様、お願いします! 私に、魔法を!)


”え、ええ。でも、何をすればいい?”


(イナンナ様の一番得意な魔法で、私の認識を変えて下さい!)


 イナンナ様の一番の魔法。それは認識の変換。

 本来は美意識をイナンナ様が一番美しいと認識するように変える事に使うのだけれど、私はそれである事を変えて欲しいと願った。


(私に、『やれば出来る』って、思い込ませて下さい!)


 一呼吸の後で、彼女から返ってくるのは「何が?」も「何を?」もない、簡単な一言。


”いいわ”


 その後すぐに、彼女イナンナ様はこう続けた。


”出来たわよ。うん、今のナナエは何でも出来るわ”


 次の瞬間、私の顔から一瞬だけ表情が抜け落ちる。


 あっ……と漏れそうになる口を閉じ、私は、この期に及んで貴重な時間を少しだけ心の整理に費やす。


 イナンナ様は出来たと言った。

 そう、出来たと言った。


 でも、一緒に居る私にはわかってしまう。

 彼女イナンナ様の体は限界だった事に。

 彼女にとっての簡単な魔法すら使えていない事に。

 私を守る事だけで、もう死の瀬戸際まで来ていたのだと……


 ううん、それでも、私の為に彼女は出来たと言ったのだ。今までついた事のない明らかな嘘を。


 うん、そうだよね。


 心の整理はすぐに出来た。

 お父さんや田中さんは、その命を賭して私達の道を作ってくれた。

 霧峰さんとギルガメッシュ様だって、自分の命も顧みず、元来の目的とイナンナ様の救出の為にティアマトの討滅に挑んだ。

 りるちゃんだって、私の為に約束を守ってくれてたんだ。


 みんな、信じる物があって、その為に必要があれば命も惜しまなかったんだって、改めて理解する。


 私は、倒れたみんなの意思を継いで、ううん、自分の意志でこの戦いを勝たなければいけない。

 さっきは、私とりるちゃん意思と絆のお陰で状況をひっくり返せたんだ。


 次は、私とイナンナ様の番だ。


 魔法なんて使われていなくたって、何の関係があろうか。


 私は、彼女イナンナ様がそう言ったのであれば信じる。

 彼女が『やれば出来る』と言ったのならば、私は『やれば出来る』んだ。


 今の私の体にある残存魔力なんて、本当にカスしかなかった。

 それでも、体の中に意識を集中させて、魔力を集める為に励起を開始する。

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