6-15 どうか、私に魔法をかけて下さい
「ふむ。やる気はまだあるようですね。では、こうしましょう」
ティアマトが言った次の瞬間、いや、次の瞬間は何も感じなかった。
異変に気づいたのはもう二拍ぐらい置いた後で、その時には既に私の体が前に倒れ込もうとしていた。
”ナナエ!!”
叫び声と共に、一瞬だけ時間がゆっくりと進んで私に状況を理解する余裕が与えられる。
地面にキスをする前に私が理解できたのは、両ひざに丸い穴が出来ていて、そこから足と胴体が千切れようとする事だった。
(攻撃された? でも何も見えなかった!)
後悔の言葉と共に倒れた私はすぐに顔を上げてティアマトを睨みつける。
「やはり、ここまで集中すればさしもの貴方も感知できませんでしたか」
こんな状況だと言うのに、ティアマトのその優しい響きを聞くと敵意が抜けてしまいそうだった。
倒すべき相手だと言うのを思い起こさんとばかりに私は声を上げる。
「何をしたんですか!」
「咆哮を集中させて細くしただけの事です。威力としては低くなりましたが、使った私の力も微量で、なおかつ速度自体は比べようもなく早くなった。
ええ、これで貴方の感知という特性は潰せましたね。ああ、その足もですが」
千切れたはずなのに不思議と足に痛みは無かった。足は今もまだそこにあってすぐに動かせそうな気さえする。
けれども、私が出来るのは白いティアマトの欠片が積もった地面の上でもがくだけだった。
もがき、這いつくばったまま、私はティアマトと視線を合わせ続ける。今この場で目を逸らすことは出来ない。
「まだ、何か?」
ティアマトの言葉に私は視線だけで返答を返す。折れていないという心だけを見せるためだけに。
「その目は厄介ですね。こんな状況を繰り返していると、あなたには何の手段も無いはずなのに、あるような気がしてくる」
事実、私の両膝から下は無く、左腕も無いし魔力さえほとんど無い。
あるのは、右腕とそこに握られているティアマトを殺せる槍だけ。
勝つ手段なんて、今この場には何もなかった。けれど、何かできる事はきっとあるはず。
どんなにやられてもいいから、最後に勝てればいい。肉も私も全て切らせていいから、その代わりにこの槍を打ち込めるような手段がきっと見つかるはず。
”強いわね、ナナエは”
(私は弱いままですよ、イナンナ様)
返事を返すも、不意に掛けられたイナンナ様のその言葉で、私は小さく笑みを浮かべてしまう。
そして、こんなタイミングでの笑みは、えてしてティアマトにこれまでと違う対応を取らせるきっかけへと繋がった。
「この場で動けない相手に対して、不用意に近づいて逆襲を受けるような失態を晒したくはないですね。
私の咆哮で全てを吸収してしまうのも良いのですが、出来る事ならばナナエも私の孫になって欲しいと思っています。
ナナエにはかわいそうですが、少し削らせてもらう事にしましょう。
最後までしっかりと壊すつもりはありませんが、その目は意思が強すぎる。少し大人しくなってもらいましょう」
そう言った後で、人を模したティアマトの前に出て来たのは、やはりその四肢を竜のものにしたままのりるちゃんの姿だった。
「何、少しだけ《分解》の咆哮を受けてもらうだけですよ。
多少なりとも苦痛は感じるでしょうが、そのぐらいであなたの存在は消えないと信じています。
いずれにせよ、マルドゥクのくびきを割ってこちら側になってもらう為にも必要な事なので、しばし耐えて下さい」
私は言われた言葉を必死で咀嚼する。
単純にりるちゃんの咆哮を受けろと言う事は理解できる。ただ、それを受けるとどうなるのかは……想像したくはない。
それと、もう一つ言えるのは、その咆哮を今の私は確実に避けられないと言う事。
必死になって打つ手を探す私に、
”私が少しだけ時間を稼いであげる。その間に何としても突破口を見つけ出して頂戴。お願いよ、ナナエ”
(イナンナ様、何をするつもりですか!?)
その雰囲気と彼女の言葉に、私は最低の手段しか思い浮かばなかった。
魔力も体もない彼女に出来る事は一つしかない。
でも、神様であるイナンナ様にそんな事をさせるわけにはいかない。
だって私は人間なんだし、イナンナ様は神様なんだから。
直後、私達はりるちゃんから放たれた白い咆哮に包まれる。
私が苦痛を感じるよりも早く耳に届いたのは、誰かの叫び。
”ああああ!!!”
私には感じない。何も感じない。
想像した通り、私が受けるはずだったその全てを、イナンナ様が受け止めていたのだから。
(イナンナ様!!)
”私の事はいいから! それよりも、早く手を見つけなさい!”
苦痛の時は早く過ぎ去ればいいという思いと裏腹に、時は遅くなり、思考速度だけが上がった。
最後の猶予なのか。残った魔力を使い果たして、一瞬の時だけれど私にその場を巻き返す為の時間が与えられる。
今の私は、はっきりと知覚出来るぐらいに顕現したイナンナ様の存在に包まれていた。
そして、そのイナンナ様は、私の代わりになって白い咆哮に存在を削られ続けている。
人間ならば魔力や生命力と言ってもいいような力。イナンナ様が存在すると感じられる力が、苦痛の叫びと共に急速に消えていく。
私が痛むのは体ではなくて、心の方だった。
でも、いくら心が痛もうとも、私に彼女の心配をする暇は無い。
この場には誰も無事な人なんていない。みんなが命を賭した事を継いで、私がやり遂げないと。
余計な事を考える事はしない。私は目を開き、魔力の流れを見る。勝利への手がかりを見つけなければ。
《分解》と言っていた白い放射は、そのままだと単に水のように放射されているだけだけれど、よくよく目を凝らしてみるとそれは沢山の粒子の集まりのようだった。
液体のように見えて、全てを溶かしていくティアマトの黒い放射とは違って、こちらは白い粒子が魔力と一緒に飛来し、やすりで削り取るようにイナンナ様を分解していくのがわかる。
それの元に居るりるちゃんは、無尽蔵とも言えるぐらいにその咆哮を吐き続けていた。
感覚をさらに凝らしてその姿を見る。気にするべき所はここだと直感が告げている。
ほんの少し前、地面に倒れていた時の彼女の体には魔力の反応が無かった。なのに、こんなにも魔力を放射を出来ているのには何かタネがあるはず。
実際には刹那の時間。それでも、思考が加速された状態に居る私には、それのカラクリを理解するには十分な時間だった。
そして、もう一つの事を確信する。そのカラクリは、私が最後に賭けるべき一手となるであろうとも。
止まない白い放射の中で、私は死にかけているイナンナ様に言った。
(一つだけ、お願いがあります)
”ええ、なんでもいいわよ。言いたい事があるなら私が消える前にお願いするわ”
(美の女神イナンナ様。どうか、私に魔法をかけて下さい)
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