6-14 品切れ
「経験不足がやはり私の課題ですね」
打たれ続けたまま、それでも穏やかな口調でティアマトはそう言った。
「こと、戦う事に関しては不慣れが過ぎます。産み育てる事が私の役目で、元々争い事をすることが無かったので仕方ない話なのですが」
打たれるたびに彼女の体からは血が噴き出る。
「人と言うのは、なかなかに良いものです。弱きを認めた上で、学ぶことが出来る」
ここぞとばかりに放たれる心臓への突きだけは身を開いて避けたけれども、続けられる薙ぎ払いまでは避けきれずにティアマトは遠くに弾き飛ばされた。
ここで距離を離してはいけないと思ったのだけれど、こちらの二人はティアマトに追撃をすることはしなかった。
見ると、二人とも肩で息をついている。それに、ギルガメッシュ様の貫かれたお腹の傷は治療されておらず、はた目にも良くはなさそうだった。
追撃しなかったのでは無く、出来なかったんだ。そう私が気づいた後で、ティアマトはゆっくりとその身を起こす。
「これで終わりですか?」
ティアマトのよろめくように立つその姿は血まみれで、元の美しさの半分も出ていない。
顔も血にまみれてはいたけれど、私はその目が光を失っていない事に気が付いた。
まだ終わってはいない。そんな気がする。
何も出来ない私の身がもどかしかった。
今からでも出来る事なら加勢したい。
けれど、魔力はほぼ枯渇していて、人間としてならば何かは出来ても、この場では何の意味も成さない事はわかっていた。
”気になるのはわかるわ。でも、もう終わりよ。今度こそ彼が勝つわ”
そう思いたい。そう信じるしかない。信じるしかなかった。
その思いと共に、ギルガメッシュ様が最後の口上を放つ。
「ああ、これで終わりだ。静かに斃れてくれ」
「ええ、それでは終わらせましょう」
言うや否や、ギルガメッシュ様とりるちゃんが飛び出した。
飛びざまにりるちゃんの口から放たれるのは、例の白い奔流ともいえる咆哮。
黒く放たれるティアマトのそれとは違っていたけれど、致命的と言う意味では同じの代物。
遠距離と近距離の二段構えに持ち込もうとする戦術は必勝を万全にする為の方策だった。
ティアマトに向けられた白い咆哮は、目標をたがわずに相手に襲い掛かる。
そして、ティアマトに向けられたはずのそれは、突如として目標をギルガメッシュ様に切り替えて襲い掛かった。
彼は寸での所で避ける。避けたのは良いけれど、それからの事態は誰にとっても予期しないものだった。
続けざまに始まったのは、殆ど動かないティアマトを前にしてのギルガメッシュ様とりるちゃんとの戦い。
言葉を失った私達の前に、切羽詰まった叫びが飛ぶ。
「何をした!」
手の空いたティアマトはゆっくりとそれに答える。
「マルドゥクに支配されていた我が身の分体を、貴神達から取り戻した迄の事です。
なんとかわいそうな我が分体。首輪を嵌められて、自らの意思を封じられて操り人形にされていようとは。
何度も素手で私に触れさせたのは間違いでしたね。時間は掛かりましたが、ようやく私の手で手綱を掴むことが出来ました」
殴られ続けている間に、ティアマトはりるちゃんの支配権を握ったというのか。
けれども、目に見えるのはそれを肯定するような光景。
ギルガメッシュ様が混乱したのは一瞬だけだった。あとは敵だと判断したのか容赦無く彼はりるちゃんへと錫杖を振るう。ただし、ティアマトの挙動を気にしているのか、精彩を欠いていた。
片やりるちゃんの方は、竜のままになっている四肢を使い、錫杖を事も無げに受けつつギルガメッシュ様に対してその爪を振るい続ける。
信じられなかった。いや、もう信じられない事ばかりだけれど、この期に及んでりるちゃんが敵につくなんて。
脳裏に浮かぶのは、あの可愛いりるちゃんと、私を守ると言い続けていた彼女の姿。
無表情で無言のまま、異形の爪を振るう姿とは全く似ても似つかない。
その本性がどうであれ、私は今の彼女の状況に怒りさえ覚えていた。結局、彼女も操られて振り回されている事に。
私が歯噛みしている間にも状況は目まぐるしく変わっていく。
りるちゃんの爪が引っかかったのか、ギルガメッシュ様は頭から血を流していた。
"このままだと負けるわね"
ようやく言葉を紡いだイナンナ様に私は頷く。そして一言。
(ごめんなさい。今から、無茶、します)
槍を握りしめ、魔力の励起を行う。体中から絞り出すように魔力を出す。
私が今まで散々言われ続けていた人に制御出来る量を超える魔力はどこへ行ったのか。かき集めても出来た魔力は普通の人間が出せる程度の魔力しか無かった。
"それでやれる?"
(やるしかないです。
せめてりるちゃんだけでも止めることが出来たら、まだ勝機はあるかもしれません)
そう伝えて一歩を踏み出す。けれど、それは今のこの場では一歩も二歩も遅い。
横槍が間に合うまでも無く、りるちゃんとの激戦を繰り広げているギルガメッシュ様に対して、母神ティアマトは諭すように声を掛ける。
「気にする事はありません。必要があるならばやりなさい。それがあなたの本分なのでしょう?」
それは呼び水になったのか、攻防の合間に一瞬の溜めを持った後でギルガメッシュ様は大きく錫杖を払った。
りるちゃんはその竜の両手で簡単に受け止めたものの、そのまま飛ばされる。
邪魔なものを弾き飛ばした後で彼が突撃する相手は、当然ながらティアマト。
いろんな手を尽くしたところで、結局最後の手段は力押しするしかなかった。
ギルガメッシュ様はティアマトに肉薄し、今までにない、明らかに最後の死力を尽くしたと思える速度で錫杖を突き込んだ。
「品切れだよ」
錫杖を突き込んだままの姿勢で止まったギルガメッシュ様は、静かにそう言った。
錫杖はたしかにティアマトの後ろに突き出ていた。
手を変え品を変え、最後に放った一撃は、人の形を取ったティアマトの胸に再度届いたのだった。
息を詰めたまま、私はそれを吐くことが出来なかった。
私達の目に映るそれは、心臓のある左胸を通してではなく左脇を素通りしてしまっていた。
そして、突き通せなかった代わりとばかりに、ギルガメッシュ様の背中からは黒い筒が突き出して地面にまで刺さっていた。
「なるほど、力の集中をすればこのような形でも
ティアマトがすっと手を横に払うと、その黒い筒は連動して動き、ギルガメッシュ様の体からすり抜けてその全身を露わにする。
今まで咆哮として、放つものとして扱っていたはずのそれは、筒に、いや、錫杖を模したような形で掌から突き出されていた。
「集中することでこのように形を変えられるとは、興味深い」
ティアマトがそう言った後で、ギルガメッシュ様の上が滑り落ちた。
それは、過去の私を見ているような、あっけない幕切れ。
動けない私達を前に、ティアマトはその身を屈め、切り離されたギルガメッシュ様の下肢を掴む。
次に起きたのは、私の半身に降りかかる運命だった事。
ギルガメッシュ様の下半身は、ティアマトの黒い咆哮を当てられて、かの母神に取り込まれた。全てが解けるように消えていき、ティアマトの中に回帰する。
彼の下半身を吸収したティアマトの変化は表面的なものだけだった。
全身の傷が癒え、美貌が元に戻る。ただ、その纏っている服はボロボロのままで、血痕も消えはしていない。
「この程度でも吸収すれば多少は回復出来るかと思ったのですが、魔力はほとんど残っていないのですね。
よくぞこの体でここまで戦いました。しばしそこでゆっくりお休みなさい。
全て片付けた後で、残った貴神には私の手勢に加えるように処置をしましょう」
死に体になったギルガメッシュ様に賛辞を吐いた後、ティアマトはその両目で私を見据えた。
「さて、ナナエ。あなたはこの後どうして欲しいですか?」
答えられない私は、両足で地面をしっかりと踏みしめ、残った右手で槍を強く握る。
母神はにこやかに微笑を浮かべてからこう言った。
「ふむ。やる気はまだあるようですね。では、こうしましょう」
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