6-13 起死回生
「今です! 二の風を使って下さい!!」
私の大声はその場に響き、そのまま消えゆく。
その間も、二人は全く動きを止める事はなかった。
…………
”土壇場で見事な失敗ね”
彼女の声を無視して私は打ち合う二人に集中する。
彼のやり取りを見ていて気づいた事があった。大事なのは一手の決め手よりも、そこに持っていくための布石なのだと。
この一手で失敗なんてことは無い、状況が動くならば。
状況が動けばチャンスは必ず生まれるはず。
そんな私の予想通り、変化の切り口とばかりにティアマトは口を開く。
「そう、二の風と言いましたね。あれは本当に厄介でした。
ですが、今の私には効きません」
「何故だ!」
叫ぶような声に合わせたギルガメッシュ様の一撃は強打に見せてフェイントを織り込んだものだったが、余裕でそれは流されて、まだ自分の手番とばかりにティアマトは言葉を続ける。
「知っているのでは?
あの風は竜の姿である私を封じるもの。人の大きさに対しては効果が無いのです。魔力の大きさを対象にするように見せておいて、その実、単純な大きさのみで判断するとは盲点でした。
怪我の功名でしたか。今のような状況にならない限り気づきはしなかったでしょう」
動ける事を公言した母神はこの瞬間から手を繰り出していく。緩やかな徒手空拳ではあるけれど、触られるとまずいと判断したのかギルガメッシュ様は受けよりも回避を選び、それらを避ける。
一方的な攻防だったそれは、次第に回避と受け流しの舞踏へと変化していった。
二人の死の舞踊は美しく、また、割って入る事の出来ない空間を作り出していた。
そんな中でも、ティアマトは優しく微笑みかけ、それにギルガメッシュ様が苦苦しく笑みを返す。
傍から見たら状況は悪くなっているのははっきりわかる。
それでも、私はこの状況が起死回生の手になりうる事を信じていた。
後は、彼に切れる札が残っているかどうかだけ。
「動く事が出来るのは、本当にそれが理由だと思っていますか?」
彼のその言葉には不敵な口調は既に無く、休む暇のない攻防のせいか疲れがにじみ出る。
「どういうことですか?」
それでも、その内容は確実にティアマトの関心を引いた。
「例えば、実は私が二の風を解除していて、今は使っていないという現実をお母様にお教えするというのはどうでしょうか?」
続けて言い放つのは、疑念と言う名の一滴の毒。
嘘にしか聞こえないけれど、それは疑念としてその場に広がる。
「どうぞ。おやりなさい」
「ではお言葉に甘えて」
流れるように交わされるやり取りの後で、ギルガメッシュ様は後ろに飛んで距離を離した。
その姿は、はっきりと事を起こすぞとわざわざ相手に伝えるような行動で、その粗末さに破れかぶれになったような印象さえ受ける。
ただ、最初の一回目であればそれは隙を作る事が出来ただろうけれど、今この場においては私を騙す事すらできない粗末な行動だった。
何か行うのだろう。という期待が私にもティアマトにもできてしまっている。直接的な期待と、期待を裏切るであろう期待の両方とも。
息をのむ中、次に彼が取った行動はこうだった。
「いけ! 奈苗ちゃん!!」
叫んだ声に対し、私はピクリと動く事しか対応できない。
ティアマトは反応すらしなかった。
続けざまに、彼はもう一度叫ぶ。
「いけ! りる!!」
倒れたままのりるちゃんは反応すらせず、当然ながらそれにティアマトは構いもしない。
流石にこんな状況だと、本当は彼は万策尽きていて、二の風も使えなくて破れかぶれなんじゃないかと思えてくる。
「失態だと侮る事はしません。切り札が無いのであればそろそろ止めをさしてあげましょう!」
ここに来て、初めてティアマトが先に動いた。
彼よりも早く距離を詰め、拳を捨て打ちした後に錫杖を奪おうと掴みかかる。
当然それは回避するものの、攻防は確実に逆転していた。
ギルガメッシュ様の方が押し負けてじりじりと下がっていく。
「切れる札があるのならば早く切ったらどうですか? 二の風を使えるのならば、使った方が良いタイミングでしょう?」
それは事実に見えた。そして、使えたとして使えるタイミングではない事も。
読まれているとは言え、何かをしないとこのままではどうしょうもないと思った矢先、ギルガメッシュ様が大きく屈んで攻撃を避けた後で、立ち上がりざまに彼は何かを落とした。
私の記憶にあるその物体を、地に落ちる前に彼は軽く蹴り上げる。
私が目を閉じた瞬間に響く爆音と、目を閉じていてもわかる光。
対人用の閃光爆弾。
ティアマトに効くはずがないと思えるそれを彼は使っていた。
その効果や如何に。
目を開けた私の目に飛び込んだのは、互いに錫杖と手刀で腹部を貫き合うティアマトとギルガメッシュ様の姿だった。
「相打ちですが、お見事」
ティアマトの言葉にギルガメッシュ様は何も答えなかった。
「人間の体は脆い。私が吸収しなくても、貴神の人としての体はもう終わりでしょう」
そう言って、先に手刀を抜いたのはティアマトの方だった。
そのまま、ギルガメッシュ様を突き飛ばす様にして、自分の体から錫杖を引き抜く。
「心の臓を貫けば良いといったのに、右の胸を貫くとは。運が無いというべきか、いえ、単にここまでだったのかもしれませんね」
ティアマトは自らの胸に空いた穴を確かめる。
その言動は、彼の行動が失敗した事を意味していた。
「良く戦いましたね。そして、そろそろ褒賞を受け取ってもらいましょう。
先ほど断られた褒賞ですが、私への回帰ではなく、手勢に加わってもらうというのはどうですか?
ああ、その状態ならばもう答える事は出来ませんか」
腹に大穴を開けたギルガメッシュ様はうつむいたまま、彼女がそう話す間もまだ二本の足で立ってはいた。
だけれど、話が終わると、それもここまでとばかりに彼は前へと倒れ伏そうとする。
彼が黒塗りの地面に伏した瞬間。
その背に隠されて放たれた白い奔流がティアマトに直撃した。
「なっ!!」
白い奔流は防ごうとしたティアマトの服を切り裂き、露出した肌を容赦なく削り取っていく。
けれども奔流の照射自体は長くは無く、多少の手傷を与えた程度でそれは止んでしまった。
目をやると、照射元にはりるちゃんが倒れ伏していた。その姿からは魔力の反応が全く見えなくて、照射で使い切ってしまったのだとわかってしまう。
”……これで終わりだっていうの?”
イナンナ様のそれは、希望が失せた乾いた声。
その攻撃が致命に至らぬことを確認し、私以外に動くものが無く、これ以上何も起こらない事を確認した後でティアマトはこう言った。
「最後の手がマルドゥクに縛られた私の分体とは。
私の持つ《吸収》や《創造》ではなく、《分解》の力の放射ですか。
なるほど、確かに今の私であれば倒し得る一撃ですが、早々に力尽きてくれて助かりました」
その言葉は私達への希望を断ち切るもので、母神に安心をもたらす。
終わったという思いがその場を支配する。
半ば放心した私たち二人と、激戦に勝利したティアマトは全く逆の意味で思いを共有する。
その空気に満足して、ティアマトが安心しきった瞬間だった。
倒れ伏していたはずのギルガメッシュ様がいつの間にかティアマトの側面に回り込んでいて、強力な薙ぎ払いをその胴体に打ち付けた。
ティアマトが横にくの字に曲がる姿は衝撃的だった。
恐らく本人の方がもっと衝撃的だったと思うけれども。
衝撃を殺す事なく与えられた一撃の後に、今度は反対側から望外とも言える一撃が入る事になる。
その主は、こちらも倒れていたはずのりるちゃんだった。
四肢を竜のままにしたりるちゃんの攻撃はティアマトの頭部に入り、血しぶきが上がる。
そこからは完全にギルガメッシュ様とりるちゃんの手番だった。
多少は防ごうとするも、放射で傷ついた体は以前のようには動かないようで、息の合った二人の棒と爪による滅多打ちは続いた。
ティアマトは、頭部と心臓だけは最低限守っていた。けれど、他の場所には致命的に思える強撃が幾つか入っていて、回復こそしているものの動きはどんどんと鈍っていった。
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