6-6 真のティアマト

 いざ行きますよとは言ったものの、こちらは万全を期していても、勝ち目なんてほとんど見えない。

 対峙して初めて、私は全身で理解する。


 それだけティアマトの力は歴然としていた。


 四肢をしっかりと大地に食い込ませ、二本の長い首をこちらに向けるその姿は麻痺していた私の恐怖心を再び呼び起こす。


”大丈夫。ナナエならやれるわ”


 イナンナ様の言葉で少しだけ気を楽にしたのだけれど、そんな私をよそに、横で大きなため息が聞こえた。


「こんな時でもお優しいお母様だ事」


 首を振りながらギルガメッシュ様はそう言った。

 今や火ぶたが切られそうなタイミングだったというのに、それを全く意に介さないような話しぶりで彼は続ける。


「本来はもう一本生やせれるのではないですか? 遠慮はしなくてもいいのですよ?」



 ……もう一本?



”まさか……?”


 首が……?


 イナンナ様と私の気持ちと言葉が交差した後、それは現実へ反映されてしまう。

 胴体から突き上がるように伸びた三本目の頭。他の二本と大きさも変わらないそれらは、共に揃って私達を睨みつけた。


 三本目が出てきた瞬間、魔力の圧は質を変えて私達に押し寄せる。

 力強く押してくる今までとは変わって、今の魔力は包み込んで固めてしまっているようだった。

 水中で動くような感じに近い。少し動くだけでも普段の何倍も体力と精神力が削れていく。


 三つの頭は同時に叫び声をあげた。

 見る人が見れば力を誇示しているようにも感じるのだろうけれど、私はそれが単にあくびのような物だと感じてしまう。

 ただ、そのあくびだけで、ティアマトを中心にした黒い領域はさらに広がり、そこにあった存在は全てそれに呑み込まれていった。


 足元に地面があったのは感じている。

 けれど、もう私の足元もとっくに黒に飲み込まれて、その上の空間も全て黒くなって境がつかなくなっていた。

 ともすれば黒い空間に浮かんでいる感じさえしなくはない。そんな事は無いとわかって入るんだけれど。


 きっとこの状態でティアマトが口から黒い放射を行ったのならば、それは周囲の黒と同化して見えないのだろう。

 一撃必殺でかつ視認不可。

 私はこの状態で出来る最善の方法を考え続ける。


 首が一本ならば、見えなくてもきっと面を使って避けることが出来たはず。

 二本でも、私の命を十分に使えばこの槍を届かせることが出来ると信じて奮い立たせることが出来ていた。

 でも、三本目の首が出た今、私はその攻撃を避け続けるイメージが出来ななかった。


 グルグルと思考を回し続ける私の横では、ギルガメッシュ様が姿勢も表情も崩さずそこに立っている。

 そんな私達に向けて、ティアマトの真ん中の一本の頭だけが少し下がり、こちらに向かって言葉を発した。


《万が一の期待も自分から潰しにかかって、一体どうするつもりですか?》


 それは言葉の通りだった。


「どうもこうも、正攻法ですよ。

 全力の相手を正面からぶち抜いた方が倒し甲斐があるってもんでしょう?」


 受けたギルガメッシュ様は不遜な態度を取り続けて返答を返す。


 あまりにもそれっぽい雰囲気なのだけれど、この期に及んで彼に策があるとは思い難かった。

 ティアマトでさえ、警戒をしてはいるものの有利は揺るがないという姿勢を崩さないでいる。


《一度敗れた身で良くもそこまで言えますね。

 三本目の頭まで戻った以上、以前のように風で固められることはありませんよ?

 マルドゥク本人ならいざ知らず、借り物の力を使うあなたでは役不足でしよう》


「ああ、やはりそうでしたか。今の俺の力では抑えきれないか」


 これも読んでいたのか、不利な状況を確認した彼は頷いた。

 これは例の空城の計、無手をわざと晒して相手に別の策があるように警戒させる事なんだろうか? 理解に苦しむ状況での会話はまだ続く。


《ええ。この姿を見た以上、今の私に勝つのは不可能だと悟ったでしょう?

 私はあなたたちに無理をして傷ついて欲しくは無いのです。

 今からでも遅くはありません。

 素直に私に従う事を勧めます。……どうですか?》


「まぁ、このままだと勝ち目は確実に無い」


 一貫した態度を続けるティアマトに対して、ギルガメッシュ様はそれを認めた。

 そして、使った「このままだと」、という単語に私は反応する。


 前回はギルガメッシュ様とイナンナ様対、ティアマトだった。今はこの場にイレギュラーな存在として私が居る。

 つまり、私はこままの勝ち目が無い状況を打開する為の鍵になりえるかもしれないと。


 少なくとも私とイナンナ様の存在は、マルドゥク様の何かの策らしい。

 何度か話に上ったそれを、期待されていると解釈した私は全力で魔力を紡いだ。


 それは、本当に全力の魔力。


”ティアマトに取り込まれて死ななければ、マルドゥクお父様が寿命さえも戻してくれるわ”


 イナンナ様のその言葉で私はさらに全力を出す。

 全身の細胞から魔力を熾す。それは、生まれてから初めての経験だった。

 今は何も気にする必要が無いんだ。物を壊す事も、人を壊す事も無い。

 ティアマト以外周囲には壊すものでさえ何もない。


 熾した魔力を全身に留めつつ、その半分は手にした槍に預ける。


 今のイナンナ様の魔力と遜色ないぐらいの莫大な魔力が私の体と槍に保たれていく。

 これを神の力と言うのならばそうだろう。素直に納得できるような、自分でも信じられないぐらいの魔力が、私からおこされてそこにある。


 ……惜しむらくは、こんな莫大な量であっても、今のティアマトの魔力とは全く太刀打ちの出来る量ではなかったのだけれど。


 それでも、ティアマトは明らかに私の方を向いた。

 話している一本はそのままギルガメッシュ様に、残りの二本が私を睨みつける。


 私には力押し以外の手が無い。だからこそ、それをブラフにして他の可能性を相手に推測させる。迷いを誘ってそれに付け込むしかない。

 きっと、後の手はギルガメッシュ様が組んでくれているだろう。

 言葉少ないイナンナ様の雰囲気も察しながら、私は槍を構え、希薄な大地の感触を確かめて突撃する機会を伺う。


 一歩でも、いや、指一つでも私が動けばそこから戦いが始まるんだ。


 機を見るに、お互いの呼吸を探る。静かに呼吸を整えながら、相手の動きを観察していく。

 微かに揺れ動く二本の首。



 私がタイミングを取る為に観察を続ける中、その一本の首のそばで、黒に塗りつぶされた空間に亀裂が入った。



 次に見えたのは、するりと、ティアマトの三本のうちの一本の首が落ちゆく光景だった。

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