6-3 アナスタシア
《この状況、興味深い。と言うべきでしょうね》
ティアマトが優しい声で語りかけてくる。
《反応からすると、そこの半端な神は本当に知らされていないようですし。
となれば、始まりから見せた方がよいでしょう》
何をするのかわからない私達は、一つの体を二人で使い、何があっても対応できるように魔力を
《人の神よ。用意なさい》
ティアマトが声を掛けた先はギルガメッシュ様だった。
「俺はあくまであなたの敵だ。手として使われて、二人に誤解するような真似は控えて欲しい」
《遅かれ早かれ、いずれする事を先に行った所で何の問題があるというのです?
私はこのような面白い場を、詰まらない事で台無しにはしたくないのですよ》
不思議だった。敵であるはずのティアマトと会話しているこの状況が。そして、ティアマトが私達の事を気にかけていると言う事が。
ギルガメッシュ様は「クソっ」といつも通りの悪態をつき、それに応対する。その後で、彼はティアマトにわざとらしく背を向けてこちらの方へ振り返った。
「これから行うのは、神話で詠われたマルドゥクの力を借りたものだ。
曰く、マルドゥクは七つの風をもってティアマトを倒したとな。
その力を今ここで使う」
「風……?」
口に出したその言葉に、私はイナンナ様に見せられた
たしか、その時は……?
”一の風は、私達をティアマトから守ってくれるのよ”
割って入るイナンナ様の言葉。
「ああ。風とは言っているが、単にマルドゥクの力の奔流で出来た防御膜みたいなものだ。これが無いと、俺たちはティアマトのそばに近づく事すらできん」
「……何をしようとしているのですか?」
解説を続けるギルガメッシュ様に私はそう尋ねた。
「こっちを警戒するな。言葉の通りだ。この場ではティアマトは心底こちらを気遣ってくれているのさ」
嫌々そうに言うそれが、彼なりの肯定を表現しているのだろう。
続けざまに、彼は錫杖を地面に突いた。
銀色の光の波紋が地面から広がり、私達二人を包む大きさになった所で、それは地面から抜け出て光の輪となり上空へと進む。
光の輪が全身を潜り抜けたところでそれは収束し、消えていった。
「薄いぞ。すぐに破られるし、破られたらティアマトに吸収されると思え」
目にフィルターを掛けて魔力を知覚できるようにしたのだけれど、私達の全身には本当に微量の魔力光が残るだけしかない。
これで大丈夫なのか心配になる前に、すぐにそれは実証されることになる。
《準備できましたね? では、始めるとしましょう》
ティアマトが叫んだ。いや、その声は相変わらず優しかったのだけれど、声量と言うか、その力の量が今までとは格段に違っていた。
次の瞬間、避ける間もなくティアマトから広がった黒が私達を呑み込んだ。
視界にあるものすべてが黒に代わり、ティアマトとギルガメッシュ様のみが異物としてその世界に残っていた。
地面も無くて、宙に浮いている感覚はしないけれど、かといって地に足をつけているかどうかもわからない。
私がパニックにならなかったのは、多分その感覚が、
そして、その感覚が何かを考えた瞬間に、広がった黒と同じ速さで世界が戻る。
戻った視界に映る光景は、
《創造にも飲み込まれませんでしたね。無事で何よりです。
ここは前回を模した世界です。
寸劇、孫達は好きなようですね。
これから、私が再現する寸劇にて全てを教えてあげましょう》
目の前に居たのは、別のティアマトだった。
音の全くしない静寂の世界で、いつの間にかティアマトの足元に居た私はその姿を見上げる。
大きい。なんて、一言で言えるような姿ではない。それは巨大で畏怖するしかない代物だった。
全身をいくつもの銀色の輪に包まれ、その巨体を拘束されているティアマトは、しかし、首だけは何とか動かして黒い咆哮を吐き出している。
再現だと言う以上、それが私には影響しないのはわかっているのだけれど、間近で見るその光景は恐ろしいものだった。
矢継ぎ早なんという表現では足らない、矢で無くてマシンガンでもなくて、ビームとかそんな感じの、止まる事を知らないような黒い咆哮がほとんど隙間なく前方にぶちまけられ続けている。
間違いなく、その先に居るのは私の夢に出てくる、この槍を持った女性なのだろう。
絶対的に恐怖を覚えるべきその状況に、イナンナ様は萎縮してしまっていた。
けれど、私には、この光景が懐かしくさえ覚えてしまう。
ああ、戻ってきたのか。という感覚さえある。
「アナスタシア。この名前、記憶にあるか? イナンナ」
その質問は、ギルガメッシュ様から突然投げかけられた。
この場に全く関係ないような質問に、怪訝な雰囲気を持ってイナンナ様はそれに答える。
”アナスタシア・アントノーヴナ・イグナーチェヴァ。素質は高かったけれど、発揮する前に父親に虐待されて死んだ可哀そうな娘。
これのこと? こんな時にどうしたの?”
「何か、気になる事は?」
”さぁ? 私の中に納まった子の一人としか覚えていないわ”
イナンナ様の言葉に嘘偽りは感じなかった。
そして、私はそれが彼女が忘れている事だと確信する。
「今避けているのが、そのアナスタシアさんです」
顔を見たのはあのショーウィンドー越しだけだったのだけれど、私はそう断言した。
”どうしてあなたがそんな事をわかるの?”
疑問は
「私、どうしてかはわかりませんが、この光景を見たことがあるんです」
元々静かな中で、一瞬の静寂が場を支配する。
「この光景、良く夢の中で出てくるんです。小柄でロシア人みたいな白い子が槍を持って巨竜と戦う夢。
この最後も、私は知っています」
静寂を守るかのようにティアマトの咆哮と放射は一旦止んだ。
私は理解する。ああ、ここは、あの一休憩の場所だなって。
私の言葉を追認するように、ギルガメッシュ様が誰にともなく話をし始めた。
「アナスタシアは可哀そうな娘だった。ロシアの片田舎の貧しい家に生まれた彼女は、母が早逝した後に父親に虐待されて育った。
彼女には魔法に関しての高い素質があったんだが、教会にも学校にも行かされなかったせいで、見つけられる迄に時間が掛ったんだ。
ようやくそれを発見した時、すぐにベール教の司祭が確保しようと動いたのだが、既に手遅れだったんだ。
結果として、アナスタシアの遺骸だけが、15年前のこの場に運ばれた。
イナンナの肉体として使うために」
この話の後で、作られた世界の中のティアマトが攻撃を再開する。
”……そんな記憶、私には無いわ。本当に私はこの時にティアマトと戦ったの?”
ティアマトの攻撃はほとんど無音だったにも関わらず、イナンナ様のその声は風で消えそうななぐらいの音量しかない。
「ああ、そうだ。これはアナスタシアで、お前の前回の戦いだ。
その最後も、きっとお前は忘れているだろうがな、実際に起こった事だ」
アナスタシアと呼ばれた前回のイナンナ様とその体の動きは、傍から見ると本当に人間離れしていた。
イナンナ様が私の体を操ってロボットを避けた時の動き。それよりも早い動きを常時行い続けている。それはつまり、本来ならば命を削っている事に変わりないのだけれど。
この時点で既にアナスタシアさんが死んでいる事に、私は少しだけ安堵を覚えていた。
人としてこの場に立つよりは、知らぬままでいた方がきっと幸せだったろう。それに、彼女の最後も私は知っているから。
”……嘘……”
「いえ、本当です。そしてこれがきっとイナンナ様が欲していた答えなんだと思います」
そこまでは私の中で確信があった。でも、私にはまだわからない事がある。
どうして私はこの事を夢に見るのか。
その答えは、きっとこの寸劇を最後まで見ればわかるのだろう。
そう思って、私は
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