母なる神様と、その子孫達の行く末 

6-1 神々の母にして邪竜《ティアマト》再来

 それは、とても大きな姿だった。

 そして、予想していた通り、私の知っている姿と何ら変わりない姿をした巨大な竜だった。


「あれが……!」


 口から自然と声が漏れる。

 視線は固定されて、その姿からは離せない。一区画では収まらないような巨体と、その胴体から生える蝙蝠のような一対の羽。長い首と尻尾は時折振り回されて空へと突き上がる。

 元からそこに居たように突然現れた巨体は、周りにあったはずの建物をも全て溶かすように消していた。


 それを凝視していたのは私だけではなく、ギルガメッシュ様もだった。

 漏れ出た私の言葉に、彼は話を合わせた。


「ああそうだ。まぁ、魔力の多い所に現出するのはいつもの傾向だな」


 その言葉にピンときた私は、先を読んで答える。


「もしかして、龍神教も、最初から復活場所を特定するための撒き餌みたいなものなんですか?」


 邪竜ティアマトが復活した場所は、方角的に龍神教の施設があった所に違いなかった。

 龍神教がティアマトに繋がるんだから、そこの施設で復活するのはおかしくない話ではあるのだけれど、私はそこに疑問を感じていた。


 そもそも龍神教が無かったら、ティアマトは復活しなかったのではないか。


 それに、霧峰さんは、ギルガメッシュ様は、龍神教の事をあまりにも知り過ぎていたように思う。だから、潰そうと思えば潰せたはずなんじゃないかとも私は思っていた。

 出来たのにそれをしなかった。もしそれが正しいならば、彼には他に理由があるはず。


 私なりの回答が、今聞いた事だった。

 そして、彼からの返事が返るまでに一瞬の間が過ぎる。


「何をどうした所で、いずれ復活するのは間違いない事だからな。ティアマトの手をこちらが利用した所で、何の問題もないさ」


 その物言いは、正しいとも間違っているとも判断がつかなかった。

 私の質問をはぐらかしたギルガメッシュ様は、そのまま話を続ける。


「今はウルクの大杯人のいる世界が一時停止状態になっている。動けるのは神かそれに連なる者達のみだ。ティアマトが衆目に晒される事は無いから安心していいぞ。

 それよりも、目下の問題は今いる場所が予定よりちょっと遠いって所だな。前回よりも距離がある」


 彼は話しながら歩みを進めていく。ただし、それは直線で近づくと言うよりは、横にずれるように道を選んで。


 横目には彼の姿を捉えることが出来ていた。でも、は私の目は依然としてその巨竜から離れなかった。距離は十分にあるのに、その姿は、巨大で……荘厳で、身の毛もよだつと言うよりは神々しささえ感じ取れる。あまりにも非常識過ぎて、ともすれば見惚れてしまうぐらいに。


 そんな姿が遠くにありながら、そして、それから目を離す事は危険だとも思えるのに、彼はどうと言う事も無いように私が凝視するティアマトから目を離していた。


 危なくないんですか? と問い正したい所をグッと私は押し留める。

 無条件で信頼するつもりは無かったけれど、彼がそうして居るならば大丈夫な理由があるのだろうと勝手に理解を進めていく。


”今は警戒するだけ無駄って事でしょ。素直に後を追いましょう”


 イナンナ様の後押しもあって、私はティアマトをずっと見続けながら彼の後を追う。


「奈苗ちゃん、色々言いたい事はあるけれど、一言だけ言わせてくれ」


 追いついて早々、ギルガメッシュ様は振り向かずにそう言った。


「なんですか?」と返事を戻したのたけれど、次に返した彼の言葉はとても重苦しそうだった。


「これからティアマトと少し話をするけれど、奈苗ちゃんは、奴に負けないでくれ」


「負ける……?」


”大丈夫。何かあったら守ってあげるから”


 理解できていない私と、そんな私を守ろうとしてくれるイナンナ様。


「ああ、そうだな。直接話をするのはイナンナも初めてか。大丈夫とは思うがお前も自失するなよ?」


 彼の言葉に心中で首を傾げる私達。

 そして、丁度二車線の直線でティアマトのいるブロックが良く見える位置まで移動した所で、やおら彼は足を止める。

 すぅと大きく息を吸ってから彼は大声で言った。


「お目覚めの気分はどうですか! 邪悪なお母様!」


 遠くに居座る竜の首がもたげられ、その先の顔がこちらに向けられる。

 表情までは見える距離ではなかった。一キロやそこらは離れているだろう。


 でも、はっきりと見えないはずなのに、私にはその姿が恐ろしく感じてしまう。

 どこからこの恐怖が来ているかさえわからなかった。それでも、私はそれが恐怖の対象であると心と体で認識する。


”この場で恐怖を覚える事は正しいわよ”


 イナンナ様のその声には、かすかに震えが混じっていた。


(イナンナ様……?)


”あの姿に圧倒されない方がおかしいわ。私がそうなのだから、ナナエだってそうよ”


 何の気休めにもならないその言葉に、私は唾を飲み込む。

 気をしっかりと持たないといけない。


(負けるなって言われた理由、すぐにわかりましたね)


 そう私が彼女に言って、反応を待とうとした瞬間だった。

 神々の母にして、邪竜としてマルドゥク様に討滅された、最初の神であるティアマトがその口を開いた。


《待ちくたびれたわ、人の神よ》


 その言葉は、耳からだけでなく、五感全てを通して私の体に届く。

 一言だけなのに、私は理解してしまった。


 ギルガメッシュ様が「負けないでくれ」と言った理由。

 龍神教に関わった人たちが全て引きずり込まれた理由。

 水代先生が龍神教に引きずり込まれた理由。

 

 その声は、初めて聴いたはずなのに、母性を感じさせた。声だから本来は耳だけしか影響がないはずなのに、肌や舌や鼻からも、暖かいものに包まれた時の幸福感みたいなものが押し寄せてくる。

 視界で見たときの恐怖感は、その一言で吹き飛ばされてしまっていた。


 信じていい。

 身を委ねてもいい。

 包まれてしまいたい。


 そんな気持ちが沸々と湧き上がってくる。

 無意識に手と足がティアマトお母様の方に動こうとする。引き寄せられると言うよりは、自らが行きたくなるような。


 でも、私はそこで一歩を踏み出す前に、自分を取り戻した。


 私が踏み止まれた理由は、ひとえにイナンナ様の存在があったからだった。


 彼女は、私の中で震えていた。

 目には見えないし、私がそう感じているだけなのだけれど、イナンナ様は我を忘れたかのように震えていた。


”あれがお母様の声……

 なんという美しさ…………”


 呟くその言葉で私はすぐに理解する。

 美の女神であり、認識を司る女神イナンナ様は、自分のよりも次元が違う美しさに直面して自分を見失ったと言う事に。


 そんな姿を見て、私が呆けるわけにはいかなかった。

 それに、この場でイナンナ様を助けられるのは私しかいない。


(イナンナ様、しっかりして下さい!

 貴方は私の女神なんですよ!

 神様なのにこのまま自失しているようなら、逆に私がイナンナ様を乗っ取っちゃいますよ!)


 うん。我ながらこれは結構酷い言い草だと思う。

 それでも、これが効果的なのはなんとなくわかっていた。


”それだけは遠慮するわ”


 茫然としていたはずのイナンナ様は私の呼びかけに対し間を置かずに返事を返す。

 それでも、私は足りるとは思っていなかった。まだ彼女の調子は完全には戻っていないと感じる。

 だから私は追撃を行う。


(じゃあこのぐらいでヘタれないで下さい! 仮にもイナンナ様は神様なんですよ?)


”言われなくても、わかっているわ”


 返事は早かったけれど、まだ調子が戻っている気がしない。


(イナンナ様は美の神様なんですよ! 一番の美を決める人がヘタってどうするんですか!)


”そう、私は美の女神イナンナ。

 そう、私は美を司る神。

 神たる私が、こんな事で我を失っていられないわ。

 お母様がどうであれ、この世界の美の基準は私よ”


 彼女の返事から伝わる気概はだんだんと強くなっていく。


(そうですよ! その調子です!

 ヘタれたイナンナ様なんて、らしくないですよ!

 ヘタレイナンナなんて見たくないです!

 そんなにヘタれてたらヘタナンナになりますよ!)


 その後、もう三回ぐらいヘタレ! と私が連呼した所で、彼女はこう言った。


”ナナエ、もう大丈夫よ。心配かけたわね”


 冷静な口調で話すそれは、いつもの雰囲気に戻っていると確信できる。

 そして、いつもよりも冷たい口調に戻ったまま続ける彼女の言葉が、私の信じたものが正しいと表していた。


”ナナエ。感謝もするけれど、後で覚えておきなさい?

 私を何度もヘタレ呼ばわりした事、全部終わってからたっぷりお返ししてあげるから”


(ええ、お返しを受け取るためにも、勝ちましょう!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る