5-38 人神の決意と人間の置き土産
「ああ、俺達は勝つさ。勝ったら何でも言う事を聞いてやるよ。
マルドゥクの親父からだけでなく、俺からもな」
”ええ、出来る事ならば、私からもね”
ギルガメッシュ様に続いてイナンナ様が言った直後に、私の視界から色が抜ける。前触れもなく思考加速された状態に入れられ、加速に体がついていけるように体中に一気に熱が入った。
思考が加速された世界というのにも拘らず、ギルガメッシュ様の逆手で錫杖を振り上げる速度は尋常では無かった。
当てられる前に槍を引き戻す事には成功したものの、一旦振り上げられた錫杖の先は、そのまま振り下ろされて私を突き刺そうと迫る。
前になった右手の力を緩めて手管にしてから、後ろの左手で槍を突き出し、振り下ろされる錫杖にタイミングを合わせて外に回す。
実際には一瞬の出来事のはずだったと思う。
振り下ろされかけた彼の錫杖は、私の槍の穂先でがっちりと止められていた。
「まぁ、これなら戦力として数えられるな」
色の戻った世界で、ギルガメッシュ様はそう言って錫杖を戻した。
私も槍を収めたと共に、全身に再度熱い感覚が走って肉体が正常に修復されるのがわかる。
彼のこの行動に対して私に不満は無い。
試された。と言うより、これは単なる確認だと私にはわかっているから。
”単なる人間よりはマシよ”
「ああ。人間よりは、マシだな」
それを認めさせようとするイナンナ様の言葉と、対するギルガメッシュ様の言葉は、繰り返しただけなのに少しだけ彼の方が口調が重かった。
錫杖を地面に突いた後、ギルガメッシュ様は私に背を向ける。
その背中は、私への負い目を感じているのか、なんだかとても声を掛けにくい雰囲気を背負っていた。
”あら、珍しく人間だった部分に引きずられているのかしら?”
声を掛けられないでいる私の代わりに、イナンナ様が声を掛ける。
「余計な事を言うな」
”余計な事? そうかしら? まだナナエに言っていない事があるでしょう。今のうちに言った方がいいのではなくて?”
その物言いは、ちょっとだけ高圧的で、なんだか最初に私と会った時のような感じがした。
「好きにしろ。言いたいなら勝手に言え」
そして、ギルガメッシュ様の方は明らかにそれを嫌がっている。
方や高圧的で、方やそれを嫌がっていると言うのに、二人はなんだかその関係が自然とばかりに会話を続けていく。
”言った方がいいと思うけれど、私の口よりは貴方の口からの方がいいんじゃないかしら?”
「クソが。余計な事を言い始めてからこっちに振るな!」
”だって、彼方の事でしょう? それに、この場で言えない事を持ち続ける方がどうかと思うけれど?
恥ずかしくて自分の口から言えないって言うのなら、私が代わりに言ってあげてもいいのよ?
世に名高い人神がお願いをすると言うのであれば、それを叶える事にやぶさかではないわよ?”
黙って聞いていたけれど、二人の会話は……なんというか、ちょっと汚い。
人間味あふれると言えば聞こえはいいけれど、神々しさなんて微塵もない会話だった。
もう少しだけ罵詈雑言連ねた後で、時間が無いと言う一言がきっかけとなり、最終的にはギルガメッシュ様の方が折れていた。
神同士の口喧嘩で折れた彼は、私に向いて隠していた事実を明らかにする。
「簡単に説明するとだ、
元々の名前は
後の事は察しろ。これ以上はもう言わん」
彼の苦い顔を前にして、今度は私が目を丸くする番だった。
……私と同じ苗字?
”そう。貴女のお父さんの
二人の言葉に頭がぐらっと来て、槍を杖代わりにしてしまう。
「……ギルガメッシュ様がお父さんの息子?」
口に出した言葉を頭の中で反芻する事で、私には言わんとする事の一端が見えてくる。
”そう言う事。ある意味、
本当の一臣と言う人は、お父さんの息子はギルガメッシュ様に全てを渡して消えてしまったと言う事だった。
でも、だから、彼は一臣と言う人間として振舞うことが出来たのか。
”それと、何だかんだ彼も甘いのよ。自分が食ったくせに、その親の前で息子らしく振舞い続けるんだから”
彼女の言葉を聞いたギルガメッシュ様は、これ以上言わんと言ったのにも関わらずすぐに反論する。
「悪いか? それでも一臣にとっては親なんだよ。親を思わない子がどこにいる?
俺は二度と父に同じ目に合わせない為にも色々な提案を飲んだんだ。
俺は神だ。だがな、俺の礎になった者の思いまでは無碍にするつもりはない!」
言い切ったその言葉は、誰の言葉だったのだろうか。
どちらでも私には良かった。どちらであれ、私には本当のギルガメッシュ様がどんな神であるかわかったから。
「もし私がイナンナ様に飲み込まれていたら、お父さんは二人目の子供を失うところだったんですね?」
「ああ、そうだ。
だから俺は爺の提案を飲んだんだ。
促成計画立案の話だがな、前も言った通り、神としての俺の意見は奈苗ちゃんの戦力化が出来るかどうかにしか観点はなかったんだ。
だがな、一臣であった俺の思いも、その場の事情とは一致していたって事だ。
神の事情のみで二人も子供を目の前から連れ去る事だけは、俺はしたくは無かったからな」
どこからが人の言葉で、どこからが神の言葉なのかわからなかったけれど、理解は、ちゃんとできた。
それが余計な事で、でも私には必要な事実だった。
ギルガメッシュ様が単に目的に忠実なだけの神じゃないってわかったから。思った以上に暖かい人なんだなってわかったから。
そんな彼は、とうとうと話を続ける。
「先に言うぞ、父とハタナカは俺の大切な手駒だった。
それでもな。ティアマト戦に付き合わす事に関しては俺は否定していたんだ。
実際にティアマトとの戦いになったのなら、人の分際であればクソの役にも立たんだろう事はわかっていたからな。
それでも奴らは志願したんだ。
俺と、お前達の負担を少しでも減らすために」
私はみんなの思いのすべてを知りたかった。
彼と視線を絡ませながら、無言で頷いて先を促す。
「どうせ二人とも比較的安全な後方に配置するつもりだったさ。ハタナカとて、俺が不用意な事を言わなければ、今頃はこの場を甲斐甲斐しく取り持っていてくれたろうよ。
俺にはそれだけで十分だったんだ。
後方でサポートしてくれる仲間が居る、それだけで微塵でも勝率を上げられると思っていた」
「けれど、父は殺された」
「ああ、ティアマトの一手でな。だからこそ俺は絶対に勝たねばならん。死んだ者たちの為ならず、一臣の為にもな」
「……それが、今のあなたの勝つ事への目的ですか?」
「ああ、そうだ。今回は何としても勝つ。その為に今までやってきたのだからな」
それはギルガメッシュ様の本心と決意だった。
けれど、言い切った後でふと上を向いた彼は、少し考えた後に突然閃いたかの様にこう言った。
「ああ、クソ! そう言う事か! ティアマトの一手なんかじゃないぞ!
ハタナカめ、乗ったふりして全部仕込みやがったな!」
ドン! と、前よりも荒々しく地面を突いた錫杖の響きは、彼の憤慨を表しているようだった。
憤慨を隠さないまま、彼は続きを聞いてくれと言わんばかりにこちらを見据える。
「どういうことですか?」
「どういう事もこういう事も、あいつの目的は家族を復活させることだ。
蘇生ではなく、復活と言ったのは、あいつの家族がティアマトに吸収されたと見込んだからだろう。その場合はティアマトに復活させるように願った方が、マルドゥクに頼むよりは容易だ。倫理的な部分を除けばな。
ただ、あいつの目的はその他にもあったんだよ」
「二つ目的があったと?」
私の問いに頷いた後、気を戻したのか、彼は神妙な顔持ちに切り替えて続きを話す。
「ああ、気付いてしまえばどちらが主の目的かすらわからんがな。
どこかのタイミングで、ハタナカはティアマトの戦いでは自分達が足手まといになる事をはっきりと認識したに違いない。
だから、あんな行動に出たんだ」
”……どういう事?”
私が聞く前に、同じ質問をイナンナ様がした。
「簡単だよ。さっきも言ったように、人間にはクソの役にも立たないから、足手まといになる前にハタナカはとっとと
死んだとしても、俺たちが勝てば生き返れるからな。そこまで打算づくでの行動だよ。
奴の事だ、すぐに俺がこの事を気づくと見込んでいたんだろうよ。
つまり、絶対に勝たないと大切な人は生き返らないって状況を作って、俺達に背水の陣を敷かせてくれたってわけだ」
田中さんは、そこまで考えていたの……?
その言葉が真実だとしたら、ううん、結局の所、私達にはやるべき事は一つしかない。彼はその事をさらに押したに過ぎない。
”一本取られたわね”
イナンナ様の言葉に対して、ギルガメッシュ様は頭を振った。
「一本どころか、踊らされっぱなしだな。あいつの行動はティアマトも俺も両方とも手玉に取っているぞ。
事が終わった後にはたっぷりと締め上げてやる」
勝った後の事を言って、彼なりの決意で言葉を〆る。
その後で苦い顔をさらに苦くした彼は、思い出したかのように腕時計をまた確認した。
「ああ、クソ、話はまだ終わっていないのにもう時間か」
「時間?」
問い返した私の目に映るのは、一臣さんではなく、間違いなくそれはギルガメッシュ様の雰囲気だった。
あらぬ方向を見据えて、決意を込めた顔つきになった彼はこう言った。
「お母様がお目覚めになる時間だよ」
時間は有限で、待ってくれなかったみたいだった。
時が過ぎて、日付が変わる。
日付が変わって、この世界のすべてが止まった。
動いているのは
二月の二十一日 木曜日。神々の母にして、邪竜と呼ばれるティアマトが、この世界に再度現れた。
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