4-23 白と黒とチョコレートと

 視界に映るのは、いつか見た白黒の世界。

 イナンナ様に会ったときの最初の夜、私が気絶していた時に見せられた光景と全く同じ世界。


 その時は水墨画のようだと思ったのだけれど、今回はそれよりももっとはっきりとした映像が視界に広がっている。

 その中で私は、はっきりとワゴンカーとそこに乗った二人の人を認識することが出来た。

 

 そして、もう一つ。いや、一つと言うか、複数の……ゆっくりと私に近づいてくる銃弾でさえも。


 白黒の波紋を作りながら迫りくるそれはとてもゆっくりとしたもので、この速度なら逃げられる、そう知覚できる程度の速度だった。


 これなら避けれる。

 そう思って体に力を入れる。

 銃弾を避けながら車の進行方向と反対に飛べばいい。


 理屈を考える前に、体を動かそうと私は思った。


 私は思った。


 体を動かそうと思った。

 思ってる。

 思ってるんだから動いて!! 動いて!!! お願いだから!!!


 余裕はすぐに焦りに変わり、思いとは裏腹に動いた体はほんの少しだけで、白黒の銃弾のいくつかはノロノロとではあるけれど確実に私の体に到達しつつあった。


 一つ目、二つ目の軌道は私の体に当たるコースじゃなかった。

 でも、三つ目の銃弾は、私のわき腹の方に。


 必死で体を捻って逃げようとする。でも、体を動かすことは本当に少ししか叶わなかった。


 それは吸い込まれるように。

 私の知覚している中で、黒い銃弾はコートを貫き、服を貫き、柔らかいわき腹に到着する。


 ちょっとだけ後ろに押されるような衝撃。


 感覚が麻痺してしまったのか、恐怖はあまり感じなかった。

 それに痛くもなかったけれど、白黒の世界の中にあって場違いな茶色いチョコレート色の液体が私の後ろから飛び散る。



 もうこれ、私二度とチョコレート食べたなくないな……


 ああでも、これから私の体チョコレートまみれになるんだから関係ないか。



 そんな達観をし始めた私に聞こえるのは一抹の希望。


”ナナエ!! ありったけの魔力を前に出して!!!”


 もはや条件反射に近かった。

 イナンナ様の声に反応して、私は全力で魔力を励起させた。


 全てが遅くなって、体はろくに動かないモノクロの世界に、今度は金色が走る。

 私の体から溢れた金色に光る魔力は、一瞬で体を風船で包み込むように広がりつくす。飛来する黒点は金色に触るや否や、勢いを完全に止められてその場に静止していった。


 意識が遠のきそうなぐらいの全力を出したつもりだった。

 でも、逆に白黒の世界の輪郭ははっきりとしていき、心なしか気分も上がってくる。


”よくやったわ。

 ナナエの魔力を使って耐衝撃用の防壁を展開したわ。傷の応急処置も出来たし、頭の方も覚醒状態を維持できるようにしたから、ひとまずは安心して”


(どういうことですか? イナンナ様?)


 体から広がった金色の魔力は既に飛散していたが、かわりに透明の……プラスチックの板のような被膜が円形に私の体を包んでいた。

 遅くなった知覚の中で、ゆっくりと通り過ぎ行くワゴンカーの中からは未だに多数の黒点が飛来してきていたが、それらの全ては被膜に当たると曲面に沿うように軌道が逸れていく。

 いつか見た、いや、私が気絶していた時の光景にそれは近かった。


”近いけれど、結構無茶したわ。

 こういう魔法コトって私の範疇じゃないから”


 と、はっきりとイナンナ様が弱腰な言葉を告げる。


(無茶?)


”説明は全部後! 気にする前に、もう少しこのまま維持して!”

 

 その言葉に意識を今の危機に向け直す。

 ワゴンはほとんど私の体を通り越していたが、依然として飛来物の量は変わっていなかった。

 とは言え、全てのそれらは被膜に当たるとスムーズに外に押し流されていく。


 体はろくに動かなくても、それを観察出来るぐらい迄の余裕は出来ていた。

 そんな私に、気を抜くなとばかりにイナンナ様の声が掛かる。


”多分最後に爆発物が来るわ。確実に守って!”


 守ると言ってもどうすれば……?


 疑問を起こすのと、ワゴンカーの中から転がり落ちていく複数の球体が見えたのはほぼ同時。

 閃光爆弾フラッシュボムの事が脳裏に走り、反射的に目を閉じようとしたけれど、この世界だとそれは出来なかった。


”余計な事を考えないで! もう一度魔力を出して!!”


 後先なんて考えずにもう一度私は魔力を紡ぐ。どんどんと気分が高まって、うん、気持ちが高揚していく。


 うん、うふふ。

 今なら魔力もまだまだ出せるような気がする。

 イナンナ様がコントロールしてくれるなら、何でもできるよね。

 それならもっと出してもいいかな? 


 全身に走るプチプチと魚卵を噛み潰すような感覚と共に、さらに魔力を励起させる。

 眼前では、魔力が固まってより目に見えるレベルの被膜……防壁って言ってたよね、イナンナ様。そう、防壁が組まれていた。


 防壁が完全になった瞬間、転がり来る球体は破裂し綺麗に飛散した。


 本来、私はそれが被害を与えるはずの領域に居たはずだったのだけれど、一切合切の飛散物は私の防壁に弾かれていた。


 そして、この攻撃が本当に最後の攻撃となった。

 成果が上がらないとわかったのか、ワゴンカーはそのまま走り去っていく。


 その姿を見ても、私は決して気を抜くことは無かった。

 イナンナ様が言った通り、頭は澄み切って覚醒している。


 そんな状態の私に隙が出来る訳が無い。

 視界に映る防壁の確認と、出来る限り後ろにも気を配る。

 気を抜いた瞬間、違う所から一発。なんてことが無くはないから。


 周囲に気を配りながら、向けた視線の先ではワゴンカーが信号を全く気にせずに突進していた。


 出来れば応戦なり、相手の確保をした方が良いのだろうけれど、今の私にはそれは無理。

 こんな判断まで冷静にできる。

 だから、今は守りを固めるのが上策。


 うっすらと視界に色が付き始め、それに従うようにワゴンカーの速度も現実の速度に戻っていく。

 そして、次第に速度を上げて離れていくその車は、一ブロック、二ブロックと通り去ろうとしたところで急に上に跳ね上がった。

 文字通り。というか、本当にそれは文字通り過ぎる跳ね上がり方だった。

 

 いつの間にか視界には完全に色が戻っていた。


 跳ね上がった瞬間には、世界は今までのスローな速度ではなく現実と変わらずで、唐突にドンっという破裂音と共に、車は元々の車の車高と同じぐらいまで一瞬で飛び上がる。

 その後の車の後部ドアに二発のクレーターのようなくぼみが出来、詳しく確認をする間もなく、その直後、地面に着地したワゴンカーは爆発し、燃え盛る花火になっていた。


 それを見ながら、手早く脳内でイナンナ様に質問を投げる。

 

”イナンナ様、あれは?”


(まだ油断しないで。

 味方の援護の可能性もあるし、作戦失敗の為の自壊の可能性もあるわ。

 後者ならば最低でももう一波、来るわよ)


 お互いに認識は共通している。

 私を助けるために、何をしたの? とか、そんな事をイナンナ様に聞くことはしない。

 今はこの状況に集中しないと。


”私には護衛はいないはずです。だから、もう一度やられる可能性あるんですよね?”


(……)


 その言葉に返事は無かった。

 でも私はそれに気を留めずに状況に集中する。


 燃え続ける車に目を向け続けながら、周囲の様子も警戒し続ける。

 ガソリンに引火したのか、可燃物が大量にあったのか、そもそも車の事故現場をちゃんと見たことが無いからこれが普通なのかわからないけれど、車はずっと燃え盛っていた。


 そして、そんな中でも周囲に人気ひとけは無い。


 こんな時間だとは言え、流石におかしい。

 車が燃えたなら通報ぐらいされるはず。


 そのまま、未知の危険を警戒し続ける私の耳にようやく届いたのは、燃え盛る車を挟んで私の真後ろより走り寄る人の足音だった。

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