4-20 無事に帰るまでがイベントです
「毛……が生えた……」
「毛……よね……? あれは本当に?」
呆然と口にする私と夜野さん。
「毛が生えただけ?」
と、りるちゃんだけは当然何が起こったのか理解していなかった。
手鏡を渡された教頭先生は、ほぼ半狂乱の様子で自分の頭を触ったり見たりしていた。
当然と言ったら当然だろう。本来はほぼ不可能なはずの髪の毛の再生が、こんな単純な事で出来てしまったのだから。
「さて、皆様。
驚いているかとは思いますが、このように彼の頭部には黒々とした新しい毛が生えてきました!
再生の為にエネルギーを使っている事もありますので、あくまで今回は毛根、新しい髪の毛を作る機能の再生のみにさせて頂きました。
今後数か月も経たないうちに、このお方には黒々とした髪の毛が復活するでしょう!」
上手な司会だった。
魔法の事をほとんど何も知らない普通の人たちは、ハゲが治ったことに対して笑いと歓声を上げていた。
逆に、私達みたいな魔法を使う事の出来る人はそれを聞いて言葉を失っている。
真偽を試すはずだった教頭先生が、驚きながら頭を見たり触ったりしている姿を見ると、それだけで十分な説得力が出てしまっていた。
普通の魔法の範疇で考えるとありえないのだから。
「まさか、教頭先生までグルだったなんてことは……考えにくいわよね」
と、私の気持ちと同じ事を呟く夜野さん。
「うん。でも、それなら、あの液体みたいなものが……本物ってこと?」
私の言葉に呼応するように、頭痛が少し走る。
……確定らしい。
「さて、もう少し皆様にご覧になって頂きたいところではありますが、この方にも日常の生活があります。
ですので、今回も裏手の方からスタッフと共に退場して頂くことになります。
この場で色々と問い質したい事はおありかと思いますが、ご来場の方々には可能な限り、彼の日常を変えないようにお願いいたします」
司会者の説明の後、スタッフに連れて行かれていく教頭先生の表情は驚きがほとんどだったけれども、私には喜んでいるようにも見えていた。
教頭先生が退場した後でステージ上の椅子が片付けられ、また司会者がステージ中央に立つ。
「さて、長い間お付き合い頂きありがとうございました。本日の午後の部の講演は以上になります。
申し訳ありませんが、色々と時間も取ってしまった事ですので、入信に関しての説明は割愛とさせていただきます。
今回の講演を見て我々龍神教に関して興味を持たれた方は、ご退場前にステージ横のスタッフエリアに立ち寄るか、もしくは近くにいるスタッフに一言お声を掛けて頂けますでしょうか。 その際に、入信の手続きや、その他こまごまとした情報が載った冊子等をお配り致します。
我々は決して無理強いは致しません。ですので、あくまでご自分の意思に従っての行動をお願い致します」
私は自分が酷く厳しい表情になっていると自覚出来た。そのぐらい、なんと言うか、この龍神教はおかしかった。
全く自分からは押さない。努めて与えるだけ。求めているのは自発的な行動のみ。
……よく考えるとおかしくは何もない気はする。聖人とか、偉人とかの欲しがる前にまず与えよって行動パターンと同じなんだし。
でも、それを実際に行う人達がいるだなんて、にわかには信じられなかった。
霧峰さんの、『魅力的な力も持っていて、それを武器にして表からでも裏からでも自在に自分たちの根を広げる相手なんだ』と言う言葉を脳裏に思い起こす。
確かに魅力には溢れている。これが龍神教の手口なのかな。
そんな事を考えている間に、司会者はもう一つ興味深い事を会場に向けて言った。
「もう一つ、皆様にご連絡になりますが、来る2月21日の木曜日に、この神殿の建立記念として、龍神教の創始者様にご来殿頂く催し物を開催する予定となっております。
生憎とその日は平日になる為、ご来殿されるのが難しい方も多いかとは思いますが、もしお時間に都合がつきましたらご来殿頂ければ幸いです。
その際には、龍神教のさらなる秘儀秘伝をお見せ頂けるかと思います」
創始者が来る? さらなる秘儀秘伝?
それは色々と興味深かい言葉だった。
これ以上何が起こるのか、すごく気になってしまう。
あ、でも、平日。学校をサボっては私には無理かな……
いや、その前に。
と、私は即座に思考を切り替える。
そして、特に何事も無い風を装って、夜野さんとりるちゃんにこう告げた。
「さ、イベントも見たし、そろそろ夜野さんの家に行こうか?」
意図に気付いたのか、即座に夜野さんもそれに乗っかって反応する。
「そうね。ちょっと早いけれど、帰ってうどんにしましょ?」
いや、時間は多分まだ二時ぐらいだし、うどんはまだ早いんじゃないかなと思ったのだけれど、目論見的には上手く行ったみたいで、りるちゃんの目はきらきらして止まらない状態になってしまっていた。
私と夜野さんは目で合図を交わす。
何がある、ないに関わらず、いや、無い方が絶対にいいんだけれど、夜野さんの家まで行くまでは私は気を抜かないつもりだった。
夜野さんにもそれを目で確認していた。
うどんを連呼するりるちゃんの手を握りながら、私達は人の流れに沿ってその場を後にする。
出店のエリアには未だに賑わっていて人が多かった。多分イベントから出てきた人がまた色々と手を伸ばしているせいなのだと思う。
そんな人混みを抜けて、私達は入り口の門のところまで行く。
朝には見なかった、未だ来る来場者や、退場者に対して丁寧にパンフレットを配るスタッフ達を交わして私達は入り口の門を通って外に出た。
……結界の不快感は変わらなかったけれど、今回の私はそれを表情には出さない事に成功した。
(何にもなかったですね?)
と、門の外に出た時点ですぐにイナンナ様に思考を向ける。
”……”
けれど、雰囲気だけで返事は無い。
その意味に気付いた私は、すぐに気を締め直した。
これって……まだ何かあるかもしれないってこと?
ブルっと、どこからか寒風がコートの中に入ってしまったのか、体が軽く震える。
「稲月さん、大丈夫?」
私の様子にすぐに反応する夜野さん。
「ううん、多分ずっと立っていたから寒くなっただけだと思う」
「本当にそれだけ?」
「うん、本当、本当」
夜野さんが追及してくる気持ちもわからなくはなかった。いろんな意味で心配していると言うか、気遣っているのだろう。
だから、歩きながら同じように私も返す。
「夜野さんはどうなの? 大丈夫?」
と、自分を心配されると思っていなかったのか、一瞬止まる夜野さん。
「うん、私も大丈夫よ。何も問題ないし、むしろ何も問題なさすぎるわ」
「問題ないならそれでいいじゃない?」
夜野さんが何もない事を逆に気にしているのは良く分かったけれど、何もない事自体は良い事だよね。
どうせならと私は良い事を思いつく。
早く帰るのと、体を温める事の出来る一石二鳥のアイデアを。
「元気なら、少し走るか早足で夜野さんの家に行かない? 走れば寒いのも少しはましになると思うし、何ならりるちゃんは私がおぶっていくから」
そして、それは簡単に二人の賛同を得ることが出来たのでした。
「ん、りるも走る! 早くうどん!」
「じゃあみんなでかけっこだね」
……ちなみに、思ったよりもりるちゃんは早かった。それに体力もあった。
早足ぐらい出来たらいいかなと思っていたのだけれど、それより気持ち二回りぐらい早くて、それに輪をかけて、信号以外では全然止まることが無かった。
そして、一番乗りで夜野さんのうどん屋に着いたりるちゃんはこう叫んだのでした。
「うどんー!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます