3-8 特訓を開始する
どんなところに居ようと、朝の六時過ぎに起きる私の生活リズムは変わらない。
初めて経験するふかふかのベッドは思ったより寝にくかった。これなら、いつものせんべい布団の方が良く眠れたかもしれない。
朝食もせっかくホテルのレストランのバイキングなのに、あまり食欲が出なかった私は米と納豆と味噌汁だけで終わらせていた。
同じテーブルに居たはずのりるちゃんは、私が納豆を食べている間は出来るだけ遠くに逃げていたけれど。
……何これ、夢に見た生活なのに全然楽しくない。
”そうでしょうね”
昨日はああも言ったけれど、イナンナ様との会話はいつも通りで、ツッコミを聞き流しつつ部屋に戻ってから用意してあった新品の制服に着替える。
どうしてだか靴下だけやけに丈が長かった。足首でだぶだぶに余らせておいたけれど。
寒いから暖かくしろって心遣いなのかな? まぁいいや、あんまり格好は気にしないし。
りるちゃん用の服もあったけれど、りるちゃんは私のおさがりの方を着たそうな雰囲気をずっと出していた。
「これは洗うから、きれいになったら明日また着ようね?」
「……わかった」
渋るりるちゃんを説得して、昨日の服は全て部屋の中にある大きめバスケットに放り込む。
これに服を入れておけば、ルームキーパーの人がクリーニングに出してくれるそうだ。
至れり尽くせりのサービスだよなぁ、と思いながら朝の用意を済ます。
「小さいお嬢様は私の方でお預かりします」
と言う事だったので、私が学校に行っている間、りるちゃんは田中さんに預けておいた。
「お願いします」
「お任せ下さい」
最初は霧峰さんの警護と言っていたはずの田中さんは、今やベビーシッター……ではなくて子守役になっていた。
でも、ちゃんと警護してくれているならそれに越したことはないし良いかな。
* * * * * * * * * *
ホテルから通う学校の道はちょっとだけ新鮮だった。
ここからなら学校まで直通のバスがあったはずだけれど、今日は歩いて学校に行くことにした。
通り過ぎる人は私に声を掛けない。上を飛ぶ学生たちもそれは同じ。
あんな事件があったのに、それは公になってなって事だよね、と思いながら登校するそれは、とても静かな時間だった。
そして、学校内でも私の周りはすごく静かだった。
登校時に見かけたクラスメイトはみんな話しかけてこなかったし、引き戸を開けて教室に入った瞬間にも、みんなが静まり返ってしまったぐらい。
私が席に着くまで、ひそひそと声を潜めて話す音さえしなかった。
私も話をしたくないから、都合いいけれどね。
「……大丈夫なの? 稲月さん?」
案の定一番に声を掛けてきたのは夜野さんだった。
「大丈夫。気にしないで」
それ以上の会話をしたくないとばかりに、きっぱりとした口調で返答する。
次に声を掛けてきたのは、朝のホームルームに来た先生だった。
「その……稲月、来ても大丈夫なのか?」
「大丈夫です。私の事は気にしないで下さい」
「そう言ってもなぁ。家の方は大変なんじゃないのか? 学校の方でも少しは事情を聴いてるが、無理をして来なくてもいいんだぞ?」
「大丈夫ですから。普段通り授業をして下さい」
……心配されるのはわかるけれど、私にも事情があるんです。だから気にしなくて下さい。と、私なりの意思表示をしたつもりだった。
”今のナナエはそっちの方が大事なのよね……”
私の思いに答えてくれるイナンナ様。
(なんか、こんなに積極的に応えてくれるなんて変な感じ……)
これはイナンナ様に話しかけたつもりじゃないんだけれど……
”じゃあ、やめようか?”
(いえいえ、冗談です! 何でもないです。感謝してます、イナンナ様!)
頭の中ではこんなやり取りを挟みつつ、授業の時間は何事も無く過ぎて終業の時間へと進んでいった。
朝に話しかけてきた二人以外は誰も私に話をしなかったし、授業中でも全然当てられなかったから、何というか、早い授業時間だった。
* * * * * * * * * *
”で、今日もまたここなの? ナナエはよくよくこの場所が好きね”
放課後になってからすぐに、周りの目を気にも留めずに私がやってきたのはイナンナ様と最初に出会った(?)足稲山だった。
流石に今日はずぶ濡れにはなっていないけれど、それでも寒いし、体を温めるためにもと思って早足で坂を駆け上って山頂付近に行く。
好きで来ているわけではないけれど、人目の付かない所のアテと言って思いつく所がここしかなかった。
(この参道の近くに人があまり来ないけれどちょっと開けた場所があるんですよ。そこでなら少しぐらい魔法を使っても見られないし、大丈夫かなって)
”ああ、それ、多分私が儀式に使おうと思っていた場所よ”
ぶっ!
イナンナ様の答えに思わず吹き出してしまった。
足をゆるめて抗議する。
(あそこで私に怪しい儀式をするつもりだったんですか?)
”怪しくないわよ。普通の神降ろしの儀式よ。祭壇なんてしっかりした感じではなかったけれど”
……いい場所だと思ったのに、行きたくない気持ちでいっぱいになった。
なんだか因縁のありすぎる場所になっている。
”いえ、選択としては正しいと思うわ。間違いなく隠れて何かをするにはいい所よ”
お墨付きを貰ったところで気は進まないけれど、ここまで来たのだから仕方ない。
山道の防護柵を跨いで通り、人が入らないように封鎖された小道を歩いて行く。メインの山道から少し離れたところにその場所はあった。
もし状況が状況であれば、そこで私はイナンナ様に食われて消えていた。そんな曰く付きの場所。
おそらく時期によっては資材置き場にでも使う予定だったのだろう、木々に囲まれているけれど、少しだけ開けた場所に私は一人ついていた。
(ここ……あまり誰にも知られていないはずなんですけどね)
”神だもの。そのぐらいわかるわよ。必要ならここの外にも数か所、同じような条件でいい場所あるわよ?”
神だもので〆れるって、なんか神様ってずるいなぁ。
そう思いながら鞄を下ろし、準備体操代わりに体を少し伸ばす。
”さてと、ここに来たって事は、魔法の練習に付き合って欲しいって事よね?”
(その通りです。イナンナ様)
”で、具体的には私に何をしてほしいの?”
(魔法が使えるようにして欲しいです。
出来ればあの記憶で見たようなことが出来るように、それが出来なくても少なくとも人並みには使えるように)
コントロール不全。それが私の一番の問題だった。
出力過多のコントロール不全はどう見ても爆弾でしかないと思う。
”……すぐになにかは出来ないわね。まずはどこまで出来るか見せてくれる?”
静かに唾を飲んだ。
いや、こうなることは私もわかっていたはず。練習でも、何か魔法を使わないといけないと言う事を。
”怖いの?”
はい、と頷く。素直に魔法を使うことが怖い。
”……暴走するようなら止めてあげるから、心配しないでやってみなさい”
イナンナ様の言葉に自分の掌をじっと見つめた。寒さで冷え切った手。ここから魔法を使うんだと認識するように。
”手順は大丈夫なんでしょ?”
(はい、イナンナ様。それに関しては問題ないです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます