2-19 プライベート夜野さん
「で、どういう事なのかしら、稲月さん? 説明してもらえる?」
「え? 夜野……さん?」
言葉を発したのは、大体同時だった。
高そうなブーツに、暖かそうな白いボアコートを着て、浅く帽子を被っているその姿は……どこか大人っぽくて……夜野さんって、本当に私と同い年なんだろうか?
化粧こそしていないけれど、モデルの様に上から下までばっちり決まっているその姿は、私にはとても眩しかった。
まぁ、そんな姿でもいつも通り腕を組んで仁王立ちしてるんですけどね。夜野さん。
何故だかわからないけれど、仁王立ちは彼女のよくとるポーズだった。
「普通に買い物だけれど……」
先に口を開いた私は、自分の恰好を気にしながら返事を返す。
私の学校指定の紺のダッフルコートの中は……うん、今日はあんまり考えていないで適当に選んだ服だった。
「そういう事じゃなくてね。
稲月さん、普通に買い物なんてしてても大丈夫なの?
昨日あんなことがあったんだから、てっきりもうイナンナ様の関係の神殿にでも連れていかれて、二度と会えないのだと思っていたわ」
そう夜野さんに言われてから私は状況を理解した。
言われてみれば、そんなことにならなかったなと。
”ナナエだし、そこまで頭回らないのは仕方ないわよ”
(イナンナ様それは酷い……)
とは言え、実際、神が降臨なんてしたらニュースにもなるはず。と、私も思っていたわけだし、実際に神が降臨したと学校中に知られている私がこうやって普通に外を歩いているってのは確かにおかしい。
本当は今頃、イナンナ様を信奉する神殿に連れていかれているか、テレビ局が家に押し寄せて来ていて、私はお茶の間のマスコットにでもされているはずだよね。
なんて考えてみたが、私にはすぐにピンと来るものがあった。
多分、お父さんが何かしたんだ。
ベール教で祭事を行っているお父さんには、何かしらの強いツテがあるのは知っている。
どのくらい力があるのか本当の所はよく分かっていないし、私自身は親の七光りを使いたいわけでは無いけれど、こんな時お父さんが後ろで何かやりかねないと言う事も知っていた。
……そう、小学校の時の事件を揉み消した時のように。
お父さんとその関係の話をしていた時に、こんな事を言っていた事も思い出す。
今は新聞社とテレビさえ押さえれば、情報の封じ込めなんて簡単に出来るとかなんとか。今回は多分学校も対象なんだろうけれど。
「今日が最後の下界生活とか、そういう感じなのかしら?」
考えて黙りこくっていた私を見てどう解釈したのか、聞いてきた夜野さんはちょっと悲しそうな表情を浮かべていた。
「ううん、多分違うよ。来週も普通に学校に行くと思う」
首を振ってその質問を否定する。確証はないけれど、お父さんなら普通の学校生活を最後まで全うしろと言うに違いない。
私は学校なんて行きたくもないけれどね。と、つい数日前までなら言っていた所だけれど、今はそんなことを言える気分では無くなっている。
「そう。良かった」
それだけ言った夜野さんは、それ以上この件を深く掘ることはしなかった。
代わりに、当たり障りのないような質問で柔らかく話を切り替えてくれる。
「ところで、お隣の子は妹さんかしら? 小学生?」
「あ、うん。妹よ。一昨日出来たの」
「はぁ!? どういう事!?」
あ。
夜野さんのリアクションを見てから、この返しはマズいと気が付く。
”ナナエは本当に楽しくていいわね”
と、イナンナ様にも燃料が入ったようで、これは本当に宜しくない。
「いや、あの、昨日の事とは全然別だよ? あの、その、お父さんの知り合いが一昨日家に来てね?
りるちゃん、あ、この子、りるちゃんって言うんだけれど、りるちゃんを養女にって事で、うちの家族になったの!」
慌てて説明したけれど中身は問題ないし、ちゃんと伝わるはず。
「そういう事……それで昨日の事が続くって、幸運なのかどうかはわからないけれど、すごい確率ね」
「うん、そ……そうなの。そういう事で、今はりるちゃんの服とかを買いに来ているって所なの」
「なるほどね。そのたくさんの荷物はそういう事なのね」
と、夜野さんは理解がいったようで、うんうんと頷いていた。
私もほっと一安心。
「りるちゃん、この人はクラスメイトの夜野さんよ。ご挨拶出来る?」
「はじめまして! りるです!」
挨拶を促すと、りるちゃんは元気にそれに応えた。
よく出来たと思ったけれど、私と最初に挨拶した時にはそんなに元気でなかったような、とも思う。
まぁいいけれど。
「初めまして、りるちゃん。稲月さんのお友達の夜野よ。よろしくね」
夜野さんの少し屈んで目線を寄せてからの、よろしくねの笑顔が素敵だった。
(はいはい、返答に慌てる私とは雲泥の差ですよ。イナンナ様)
”私は何も言っていないけれど?”
(……)
頭の中で会話している私を置いて、夜野さんはりるちゃんと話を続けている。
「りるちゃんはいくつかな?」
「えーとねー、はちにち!」
「8日?」
「5歳でしょ?」
と、すぐにりるちゃんに訂正を入れる。
私と最初に会った時も、りるちゃんは日にちと年を間違えて霧峰さんに直されていた。今回は数字も間違えていたけれど。
「んー……そう!」
間違えていても、りるちゃんは元気ね。
「そう、5歳なのね」
そう言ってから、得心したような表情で夜野さんは私の方を向いた。
って、あれ、いつもの腕組みポーズを崩してどうしたのだろうか。
そこから、夜野さんは、ビシッと音が出そうなぐらいしっかりと私を指さした。
「駄目ね!」
は? え?
「え、何が?」
「何がも何も、その買い物、安いだけが売りの服屋で買ったでしょ! そんなものをりるちゃんに着せる気をしていたの? 買い物をするならもう少し考えて買いなさい! そんな安物だと、すぐに破けてまた買い直すことになるわよ」
え? 買い物の事!?
驚いた私の頭の中でイナンナ様が笑っているのがわかる。
「お金はどのくらい残っているの?」
「まだ貰った額の半分ぐらいは……」
「その額なら一着ぐらいは足りそうね」
「えっ、でも、これは晩御飯の分で……」
「晩御飯は外食なの? それなら都合がいいわ。安くて美味しい所があるのよ」
えっ、えっ?
いつの間にか強引に物事が決められていってない?
「じゃぁ、そういう事で。りるちゃん? 行こうか?」
「えっ、あのー? 夜野さん?」
夜野さんは、困惑する私を置いてりるちゃんを引っ張って行こうとして手を伸ばしていた。
あっ! それは何か嫌な予感。
りるちゃんはその手をじっと見つめていた。
これ、私の時と同じように手をガブっと噛むんじゃないかという予感がする。
パンッ!
でも、その予想は外れた。代わりに、りるちゃんは差し出された手を叩いていた。まるで、握手を拒否するような叩き方で。
「りるちゃん!」
強く声を出した私の方を、りるちゃんはゆっくりと振り向く。
「どうしたの? ななえ?」
「どうしたのじゃないでしょ! 叩いたらダメよ!」
「……そうなの?」
「そうなの。ほら、夜野さんに謝って!」
夜野さんは、よほど痛かったのか叩かれた手を擦っている。
子供に叩かれたぐらいであそこまで痛がらなくても、と思ったが、きっと叩かれたのはやっぱりショックだったのだろう。
「ごめん、なさい」
りるちゃんは素直にしおらしく謝っていた。
「ごめん、夜野さん。りるちゃんがあんなことするなんて思わなくて!」
私も一緒に謝る。
「……いいのよ。子供がやったことですし。躾はちゃんと行ってくださいね。稲月さん」
「う、うん……」
夜野さんからの視線がいつもより痛かった。
その後、夜野さんに連れて行かれた私達は、私の忌避していたデパートの中に突入していた。
「ね? このぐらいの値段であれば大丈夫でしょ? 質は比較にならないし。こっちの方がデザインもいいし長持ちしていいのよ」
「う、うん……」
実は、私は昔からお父さんにデパートは高いから行くなとずっと言われていて、それを信じていた。
だから、正直どんなものがあるのか全然知らなかった。値段は確かに高かったけれど、質の事を考えれば最終的には安くなる……かな。
色々と見て回るうちに、一つの疑問が頭に浮かぶ。お父さん、デパート来たことあるのかな……? 多分無いんじゃないかな……
そんな事を考えているうちに、時間は過ぎ、追加の買い物も済んでしまっていた。
”ほーらやっぱり”
”こっちの方がいいわねー”
”あ、これ
私の頭の中では、買い物の間中ずっとイナンナ様が脳内攻勢していて……ホントに疲れた。
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