2-16 いつも見る夢

 お父さんと一緒の帰りは無言だった。

 無駄口をほとんどしない厳しい父ではあったけれども、その道すがらはあまりも静かすぎた。

 それに、イナンナ様から言われた、「察して」と言う意味を噛み締めると、私からも何も言い出せなかった。


「ただいまー」


「ななえ! おかえりなさい!」


 唯一いつも通りだったのが、家に帰るなり私の所に飛び込んできたりるちゃんだった。私のおさがりを喜んで着てくれている。


「りるはひとりでちゃんと留守番してた! えらいでしょ!」

「そうね、えらいえらい」


 よしよししてあげる。


「服着替えたら、すぐにご飯作るからちょっと待っててね」


 そう言って私がりるちゃんを構っている間に、お父さんは無言で居間の方に行ってしまった。

 いつもと違う雰囲気を感じたのか、りるちゃんが私を見上げる。


「じいじ、元気ない?」

「ちょっとね」


 そのまま、りるちゃんはじっと私を見続ける。


「ななえも、元気ない?」

「……ちょっとね」


 出したくはなかったけれど、少しため息が私の口から洩れた。

 それを見たりるちゃんは、こう言った。


「ななえ、元気出して」

「ありがと、りるちゃん」


 ありがとう、と言ってから気付いた。

 あれ? これ、私が慰められてる感じ?


 これじゃぁ、お姉ちゃんの威厳無いじゃない。ああもう、これどうしよう。


 姉の威厳を作るにはどうしたらいいか。と言う命題は、夕食の間中ずっと私の中で続けられていた。

 それは一番面倒な所から逃れるための思考の逃避行ってのは、心のどこかで分かっていたんだけれどもね。


”ほんと、ダメな子よね、ナナエって”


(ごもっともです)


 逃避行の間隙にイナンナ様がちょくちょくツッコミを入れる。


”だからこそ、私が面倒見るんだけれどね”


(ありがたいんですかね、それって……)


”ありがたいのよ、あたりまえでしょ”


 なんて他愛のない会話を寝る前までイナンナ様としてから、大変だった一日を終えた私は布団に入って眠りについたのでした。



* * * * * * * * * *



 夜中に目が覚めた。

 とは言っても、いつもの明晰夢のような悪夢の中でだった。

 悪夢は、音が無い昔のサイレントムービーのようで、ずっとストーリーは一緒。

 ぼやけているときもあれば、今回みたいにはっきりとわかる時もあった。


 夢の中でいつも私は大きな生き物と戦っていた。


 オオトカゲのような胴体に蛇のような長い首、背中には折りたたまれた蝙蝠の羽。

 それがちょっとしたビルと同じぐらいのサイズで、頭はトラックでも食べられそうなぐらい大きかった。


 そう、言ってみれば、御伽噺で見たような恐ろしい竜。

 口からは炎ではなく黒い何かを吐き出した。

 触れた所が全て黒で塗りつぶされる。


 人も、建物も、地面も、空気さえも。


 本能が避けるしかないと理解する。夢に見慣れた今となってはどう避けるかもわかり切っていた。


 執拗に追いかけてくる黒い塗り絵を避けながら、私はすごい速さで竜に近づいていく。

 最後に、手にした棒で竜の顔を思いっきり叩くのだ。


 音が無い世界なのに、何故かそこだけカンッと軽い音が響く感覚。


 竜にはかすり傷一つ付かない。逆に、全力で叩きつけた反動で私の体が弾き飛ばされる。 

 その飛ばされて無防備な私を、最初は恐怖に震えていたが、今となっては懐かしささえ覚えるような、荘厳で巨大なトカゲの頭が睨みつけるのだ。


 私は何かに気付いたのか、僅かに視線が逸れて一人の男の姿が目に入る。

 はっきりとした夢の時にはその男の人が何かを叫んでいるのが良く見えるのだ。

 それが何を言っているのかわからないけれど、多分、逃げろ! とか、危ない! とか言って、夢の中の私を助けようとしているんだろう。


 そして、前を向いた瞬間に、竜の顎が閉じられ私の上半身と下半身はさようならをした。

 いつもここで、苦痛と共に本当に目が覚めて私は朝を迎えるのだった。


* * * * * * * * * *



 あ゛あ゛あ゛痛い!



 こんなに鋭い苦痛で飛び起きたのは久しぶりと言うか、記憶にないぐらいだった。 

 ああもう、真冬なのに、全身汗びっしょりで気持ち悪い。

 

 夢だとわかっていても、パジャマの上を捲ってお腹を確認することは忘れなかった。

 この夢を見た後はいつも、お腹にある少し斜めに走る横一文字の傷跡が疼くのだった。

 この傷跡と夢の中での傷が一緒だなんて思いたくもないけれど、傷が疼くとやっぱり気持ちが悪い。


”おはよう、ナナエ”


(おはようございます。イナンナ様)


 四日目? あれ? これ三日目? ともかくもう慣れた。この脳内会話。

 と、思考が筒抜けになっているのを認識しながら、そう返す。


”朝随分とうなされていたようだけれど、大丈夫?”


(いつもの事なんで大丈夫ですよ)


”いつもの事ってのが変な事多いわよね、ナナエって……”


(はは、ホントそうです)


 朝の冷たい空気は、私のから笑いと同じぐらい乾燥していた。


 さ、今日は土曜日で休みだし、朝から何しようかな。

 すぐに私は、嫌な夢を忘れるために普段通りの朝を過ごそうと心を決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る