2-14 進路決定(勝手に)

「ねぇねぇ」


 ?

 私に声が掛かったのかと思って周りを見渡す。

 声を掛けられていたのは、私ではなく夜野さんだった。

 視線を戻し、耳だけはそちらに向ける。


「やっぱり、夜野さんはイナンナ様を選ぶの?」


 と、近くの女子が声を掛けていた。


「うん、そうする事にしたわ。

 周りの期待の方が高くて、自分の意志で決めてる感じがしなかったからどうしようか迷っていたんだけれどね」


 これは夜野さんの声だ。本当に夜野さんはイナンナ様を専攻するらしい。


「その方がいいよ。だって夜野さんなら、何でもできるもん。きっとイナンナ様も気に入ってくれるわよ」

「そうよねー」

「もしかしたら、ただ選ばれて眷属になれるだけじゃなくて、その先もあるかもしれないわよー?」


 周りの女子たちがはやし立てている。


「それってもしかして? 神様、降りてきちゃうとか?」

「流石にそこまでは無いと思うけれど、眷属に選ばれればそれで充分よ」

「あるかもよー? そんな事になったらイナンナ様の事、紹介してね」

「あっそれずるい、私もお願いー!」


 そんな会話を耳にしながら、私はイナンナ様に話しかける。


(だそうですよ。イナンナ様)


 降臨する話に関しては、流石に夜野さんもやんわりと否定していた。

 けれど、眷属に選ばれることに関しては、彼女の声には出来ると信じて疑わない自信が乗っているような感じがする。


 返事が無いイナンナ様に対して、私はいつもの軽い感じで問いかけた。


(イナンナ様、私じゃなくて、夜野さんを眷属にした方が良かったんじゃないですか?)


 正直、特に深い理由も無かったし、肯定も否定も特に何か期待したわけではない。



”そうね”



 だから、あっさりと返されたこの一言に私は驚いた。


(えっ?)


(えっ? えっ?)


(あの、それはどういう?)


”先に謝るわ。ごめんね、ナナエ”


(……えっ? 私があのイナンナ様に謝られた? 何を、何が、何のために?)


 思い浮かぶこと、それは、


(イナンナ様が、私を捨てて夜野さんを眷属に選ぶって事……?)



 願ったり叶ったりじゃない。



 なんて考えは一瞬だけだった。心に浮かんだのは、ついに見捨てられた? と言う気持ちの方が強かった。


”確かにあの人間はいいわね。さっきの魔力の使い方を見ても、丁寧で、すぐに使い物になりそう”


 それは、私には掛けられたことのない誉め言葉だった。


”でもね、人間なのよ”


(……)


”ナナエ、人差し指を上にあげてくれる?”


(どうしてですか?)


”逆らわないの。従って”


 手が震えている。いや、体もか。

 何が起こるかわかってはいないが、体が逆らえない。


 私はイナンナ様に選ばれて、心のどこかでは喜んでいたのかな。

 それはわからないけれど、捨てられると思った瞬間から、私の心は張り裂けそうな気持ちに塗りつぶされていた。


 言われるがままに、震える右手の人差し指だけを伸ばし、誰にも見られないように胸の前で小さく上にあげる。


「ん? どうした、稲月? 手を挙げて、何か聞きたい事でもあるのか?」


 そう声を掛けられて、私は水代先生を見た。


”私の力はね、生き物、特に人間に影響を及ぼすの。

 そうね、ここの言葉で言えば、神経とか、脳ね。それに触れて操る力なのよ”


 頭に響いてくるいつも通りの澄んだイナンナ様の声。

 指を上げたと思っていたのだが、私は右手を高くあげていた。


”あんまりナナエにはやりたくないんだけれどね。

 「人差し指」をあげるという信号を、「右手」をあげるにすり替えてみたわ”


(どういうこと? どうしてですか?)


 ああもう、疑問ばっかり。

 体も動かない。どうして動かないの? って、また疑問だ。

 考えることは出来ても、体は固まったように動かなかった。


 皆の視線が私に集まっている。席に座ったまま、右手を高くあげて石のように固まった私に。


”人は私の事、美の女神というじゃない? 確かに私はね、神の中では一番綺麗なんだけれどね。

 これ、理由があるのよ。知りたい?”


(イナンナ様、何を言っているの?)


”人間の頭の中をね、ちょっと触ってあげるだけで、みんな私の虜になるのよ。

 だからみんな私が大好き! 私が美しさの基準になっちゃうの。

 そんな感じだからね、もてはやされるだけの存在なんて正直つまらないわ”


(イナンナ様、だから何を?)


「稲月、どうした?」


 水代先生が何か言っているが、切羽詰まっている私の耳には届かない。


”私の供物エサなんて、いつも私に心酔していて、エサとしての役割しかないモノばかりでね。美味しくても飽きちゃった。

 その点、ナナエはね”


(イナンナ様? イナンナ様、何を言っているのですか? イナンナ様?)


「イナンナ様!」


 動けないと思っていたのに、自分の声が教室に大きく響き、私自身も驚いた。


”ナナエはね、魔力だけは素晴らしく大きいくせに、愚図で性格も捻くれていて、体も全然美しくないわ。

 その上、人生も虐げられてばかりで、喜びも楽しさもほとんどないわね。

 私の感覚からすると、美しくはないわね”


 酷い言われようだった。


”だからこそ、私は思ったわ。依り代に選んだ以上、私が神として、あなたを美しい人生に導いてあげようと。

 代償として、あなたの思う『普通の生活』は二度と返らないわ。

 だから、これがさっき言った私の謝罪の理由。普通の生活を、私の勝手であなたから取り上げる事に決めたわ”


「イナンナ様がどうしたというんだ?」

「稲月さん、イナンナ様を選ぶなんて、身の程を知ったらどうなの?」


 先生やクラスの女子から声が掛かっている。でも、私は固まったままで動けない。


(謝罪? 普通の生活が戻らない? 導く?)


”そう。ホントは隠れて色々とやりたかったんだけれど、このままだとナナエの境遇に私が我慢できないしね。

 私だって代償は払うんだから、手始めに少し勝手をさせてもらうわよ”


 頭は大混乱だった。

 そして、体は固まっているのにお腹の中で魔力が高まっていて、全身の感覚が大火事になっていた。


(これは……?)


 熱さを感じた直後、全身に強い虚脱感が襲う。急な睡魔のように一瞬だけ意識が途切れたがすぐに持ち直す。

 この意識の途切れ方は、ごっそり魔力が抜けた時の感覚に近い。

 一瞬でも意識が途切れたおかげか、持ち直した後は逆に頭が冴える。


 その冴えた頭で私が何が起こったのかを考える前に、事は始まった。



《 《我が名は、愛と美の化身、イナンナ》 》



 私の背後の頭上で声がした。

 首を上に向けようとしたが、首どころか、右手を高く挙げたまま体は未だ微動だにしない。



《 《故あって、下界に降臨した》 》



 教室が、静まり返っていた。



《 《我が役割を果たす暫しの間、この者、ナナエを我が依り代として成す。以降、我として丁重に扱うように》 》



 ここでようやく右手が下がって、私は体が動けるようになったことに気付く。


 気付くや否や、私はすぐに声のした後ろを振り向いた。


 後ろの男子と目が合う。驚いているけれど、それは私も一緒。


 上も左右も確認したが、変わったものは何も見ることが出来なかった。


 ……いや、違う。


 変わったものはここにいる。

 左右も前後も、教壇からも、その場にいる全員の視線が私に集まっていた。


”これであなたも人気者ね”


 と、いつもの様に聞こえる声。


(これは……私にしか聞こえない声ですよね。さっきのは……みんなにも?)


”そう、そうよ?

 そして、これであなたの人生は変わるのよ、ナナエ。

 楽しみにしなさい”


 椅子に座り、手をだらしなく落としたまま、私は周囲の注目を痛いぐらいに感じていた。


(私、どうなるの……これ?)


「おめ……でとう、なのか? 稲月」


 混乱の渦中にいる私に、壇上から先生が声を掛けてくれる。


「あ……ありがとうございます」


 絞り出すような小声で、返事を返すのが精一杯だった。


 もう、何がおめでとうで、ありがとうなのか全然わからない。


 私、フリーズ。


 とりあえず考える事を止めて、私はその場に固まっていた。



 その後、私は急遽、先生に職員室に連れて行かれることになった。

 それまでの間、私は誰からも声を掛けられることが無く、教室の中は不自然なまでに静かだった。

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