2-3 いつもの朝

 習慣と言うのは恐ろしいもので、私は目覚ましを掛けなくても六時前のいつもの時間に起床した。

 悪夢を見たけれどどうってことは無い。いつも通りのストーリーだし。


 いやそれよりも……


 違和感を覚えて布団をめくると、中にはりるちゃんがいた。


”おはよう、ナナエ”


 そして、頭の中にはイナンナ様までいた。


(ああ、昨日のアレは夢じゃないのね)


”全部現実よ。ついでに、そこの小娘は昨日の夜からそこに入っていたわ”


(夜から!?)


”懐いているのね”


(そうみたい……ですね)


 どうしてそんなに懐かれているのかはわからないけれど、懐かれて悪い気はしない。


 りるちゃんを起こさないように静かに布団を抜けだしてから、体を動かしてみて調子を確かめる。

 うん、特に問題は無さそうだ。


 問題ない事自体が変な気はするけれど、まぁいい事かな。


 それよりも私にとって喫緊の問題は、昨日から私が制服姿で寝たままで、ついでに昨晩はお風呂にも入っていない事だった。


 急いでお湯を沸かせば、ご飯支度する前にお風呂ぐらいは入れるかな?


 新しい着替えを用意してから、静かにお風呂場に向かう。

 脱衣所に着替えを置いた後で、お風呂の様子を確かめる。冷たくなっているけれど、風呂桶には残り湯があった。


 よし、追い炊きしよっと……


 風呂釜のボイラーに火を入れて追い炊きをセットする。


”何してるの?”


(追い炊きです。お風呂の水冷たいんで温め直してるんですよ)


 私はイナンナ様に説明しながら、見えているのかもわからないけれど機械やボタンを指さしていく。


(この機械がお風呂のお湯温めてくれるんですよ。いい所でちゃんと止めないと、カンカンのお湯になっちゃいますけどね)


 風呂場の時計を確認して、大体15分後に来ればいいかなと目算をつける。本当はタイマーをセットしたいけれど、朝は音がうるさいから止めておこう。

 脱衣所から足早に廊下を抜けて、食堂室に向かおうとした私に、イナンナ様はこう言った。


”ねぇ? なんで自分でお湯ぐらい作らないの? そのぐらい出来るでしょ?”


 その言葉に反応して、私は一瞬だけ動きを止めてしまった。


(出来ないんですよ。昨日、理由教えましたよね?)


 私は魔法を使わない。


”使わないじゃなくて、怖くてしないんでしょ?”


(そうです……ね)


 図星もいいところだった。

 これ以上この話はしたくなかったから、さっさと切り上げようとばかりに私は歩みを戻して食堂室に向かう。

 食堂室に入ってすぐに台所を確認したけれど、ご飯の下拵えは当然ながら何もしていなかった。

 冷水に凍えながら米を研ぎ、煮干しを鍋に張った水に入れて、ぬか床から野菜をいくつか出す。

 とりあえずご飯だけは炊飯器にセットして、先にお風呂にしよう。もう少し時間が経てば少しぐらい温くても入れるだろうし。


 あれ、そう言えば、りるちゃん昨日お風呂入ったのかな?


 残り湯があったってことはお父さんが昨日の夜入っていたんだろうし、多分りるちゃんも入ったのだろう。

 と思ってみたけれど、お父さんがそこまでやるかちょっと疑問だった。

 やっぱり聞いてみよう。もし入っていないなら入れないといけないしね。



 そこまで考えてから、一つの大きな疑問が私の頭をよぎった。



 ……あれ? お風呂? 食堂室……?



 お風呂は何も変わっていなかった。食堂室にも何も変わりなく、台所にある長年使ってきたぬか漬けでさえいつも通り。

 私は小走りで居間に向かう。


 居間も何も変わりなかった。

 お父さんの趣味の調度品も、古くなったダイヤル式のテレビも、何もかもが変わりなくそこにあった。

 一昨日、あれだけ滅茶苦茶になったはずの居間が何も変わらずにそのままあった。

 考えてみたら、昨日も問題はなかった気がする。


 ……イナンナ様に見せられた世界は夢だったの?


 私の疑問に対して、イナンナ様も私に聞こえる様に同じく声を上げる。


”……どういうことかしらね?”


「どういうことか聞きたいのはこっちの方ですよ……」


 思わず口から独り言のように出てしまう。



「教えてやろうか? 奈苗ちゃん?」



 ハッと後ろを振り向くと、そこにはお父さんの寝間着を着た霧峰きりみねさんが立っていた。


「……驚かさないで下さい」

「それはすまなかった。こんな早くに起きてくるだなんて、思っていなかったんでな」


 口では謝罪しているし、霧峰さんの仕草や口調はいかにも起きたばかりで眠そうに見えた。でも、その視線は何か違うものを見て見いるようで、気持ち悪く感じてしまう。


「家に、泊まっていたんですね」


 気持ちは表に出さないようにしながらそう聞く。今までも、たまにお父さんの知人が家に泊まることはあったし、彼もそうなんだろう。


「ああ、昨日はな。ご厚意に甘えさせてもらったよ。

 今日からは駅前のホテルを取っているから、そっちに行く予定だけどな」


 霧峰さんはあくびを一つ挟み、話を続けた。


「それより、奈苗ちゃんは何か気になることがあるんじゃないのかい?」


 霧峰さんの気の抜けた態度とは対照的に、私の気が張る。

 正直、聞きたいことは沢山あった。


”聞いてもよいけど、私の事は気づかれないように気を付けてね、ナナエ”


(わかっています。でもまずこれを聞かないと)


「……居間、どうして綺麗なんですか?」


 本当に記憶の通りだったら壊れているはず。でも、それは言わない。


「ん? 居間? それは奈苗ちゃんがいつも綺麗にしているからじゃないのかい?」


 霧峰さんの表情が、人を食ったように見えるのは気のせいじゃない……と思う。


「そういう事じゃなくてですね」

「爺やの調度品の方かい? あれを綺麗だと思うのなら、奈苗ちゃんはほんとにここの娘だな。俺にはガラクタにしか見えないものもあるんだが」

「それでもないです!」


 でも、話のそらし方があからさま過ぎてつい口調が強くなってしまった。


「じゃあなんだい? このテーブルや調度品が一つも壊れていなくて、ついでに目も当てられないような銃と爆発の跡が何も残っていない。

 とか、そういうこと?」


 そして、それを見計らったように直球が飛んできて、今度は言葉に詰まる。


(……イナンナ様。これ、私は気絶してたんですけど、見てたって言っていいんですか?)


”いいけど、詳しい事はごまかしてね”


(はい)


 と、頭の中で確認を取ってから、「そう……です」と私は答えた。


「なんだ、早々に気絶していたから見ていなかったのかと思ったけれど、ちゃんとわかっていたのか」


 急に霧峰さんの口調から、おどけた空気が消えた。


「……私だって、お父さんの娘ですから」


 ちょっと苦しいけれど、今の私にはこれが精一杯の返しだった。


「ふむ、魔法を使わないようにしていると聞いてはいたんだけどなぁ。

 なるほど、感覚的な所は別って事か」


 感覚?


 なんだか納得してくれていると気を緩めたその時だった。

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