1-7 事の真相
目を覚ますと、私は夜の足稲山の麓に戻っていた。
コートもなく凍える体を縮ませながら、切れた息を深呼吸で治す。
戻って来た事に安堵した。
全部が全部、唐突に始まって唐突に終わった気がする。
最後の記憶は本当に私の記憶なんだろうか? 整理はついていないけれど、気絶していたという割りには妙な現実感が私の中に残っていた。
自販機の前に立ち、体中のポケットを探して小銭が無い事を確認した後、がっくりした私は雪で細くなっている山道へと向かい山頂へと登って行こうとしていた。
……ん? あれ?
ここに来た時、すぐに自動販売機で缶コーヒー買ったよね私? それに、山頂に行く用事なんて無いし。
”あなたはね、これから山へ行くのよ”
イナンナ様がそう説明した。
(どうしてですか?)
”私が呼んだから”
呼んだ? どういうこと?
私は自分の姿を見た。そこには汚れた制服と、不安と寒さで憔悴しきった私の顔。
……?
あれ? 私が私の顔を見る、ってことは、ここはまだ昨日の記憶の中なの?
”正解よ”
私は、いや、昨日の私は右足を引きずりながら参道を登っていく。まるでそれは何かに取り憑かれたかのように。
”その前に何があったのかは知らないけれど、混乱しているあなたを焚きつけてここに呼ぶのは簡単だったわよ”
忘れていた記憶が朧げに蘇る。
そう、ボロボロになった家で目覚めた私は、混乱と恐怖でいっぱいになりながらも、状況を確認した後で足稲山に来ないといけないと思ったんだ。
でもそれは、お父さんが何かあった時にはそこに行けと言っていたからであって……?
いや、今思ったけれど本当にそうだったの? お父さんそんな事言ってたっけ?
”さぁね? でもあなたはここに来た”
続いて、くすくすと声を漏らして笑うイナンナ様の声。
(どうしてですか? どうしてここに呼んだんですか?)
二回目のどうしては意味が違った。
”ちょっとした事よ”
(ちょっとした事、ですか?)
”そう、ちょっとした事”
山道を辛そうに登る昨日の私を見ながら、イナンナ様は話を続ける。
”私ね、理由があって、隠れてこっちに降りてきたの。
それでね、体が欲しかったから波長が合いそうで強い魔力を持った人間を呼び寄せていたのよ”
(それが私って事ですか)
”そう、ちょっとした事でしょう?”
何がどうちょっとした事なのか私には全然わからない。
”ただね?”
それなのに、話はこれで終わりではないの?
”ちょっとした事の筈だったのだけれど、ちょっとした手違いもあったのよ”
(手違い?)
その瞬間、言い知れぬ恐怖が心の中を突き抜けていく。
頭の中ではもうどこまでがちょっとした事で、そうでないのか分からなくなっていた。
”まさか私の体が、神降ろしの儀式を用意していたところに連れて行く途中で足を滑らせて大きな怪我を負うなんて、思ってもいなかったのよ”
これは記憶の世界なはずなのに、今度は鈍い痛みが私の体を貫いた気がした。
その痛みに無い眉をひそめる。
視界の先に見えたものは、雪がまばらに積もり、所々に薄氷も貼っている細い山道から足を滑らせて崖下に転がり落ちる私の姿だった。
二転三転した後、急斜面に仰向けに横たわるその姿は一言で言わなくても無残な状態になっていた。
全身は打ち身の痣だらけで、骨の状態まではわからなかったけれど、お腹からは下手な生け花のように木の枝が突き刺さり貫通していた。
(これ……私……?)
”そう、あなたよ。ナナエ”
目は虚ろに、体も痙攣のような動きをするだけしか動かず、かわりにゴポッという水音と共に、私の口から一筋の赤いものが垂れていく。
(これ、私……死にかけてませんか?)
”そうね”
あっさりしたイナンナ様の肯定の後、記憶の回想であるはずの世界はどんどん暗くなっていき、最後に何も見えなくなってしまった。
(これ、私、死んだんですか?)
確認するのが怖かった。だから、一言一言区切るように問う。
”死んでないわよ。だって今、ナナエは生きてるじゃない”
すべてが闇に包まれた世界で、イナンナ様はそう言った。
(イナンナ様が本当はイナンナ様ではなくて、冥界の神のエレシュキガル様でもうこの世界は死後の世界とかそういう事は……?)
”そんなこともないわよ!”
強く否定されたけれど不安はぬぐえない。
”よく聞いてナナエ。
本来はね? 神降ろしの儀式は特別に組んだ祭壇で、依り代に成る体に元々入っていた魂を取り込むことで成立するの。
でもね、ナナエは祭壇に着く前に死にかけてしまったの。仕方ないから、私は普通じゃない事を行った。祭壇以外の場所でこの体に入ったのよ。そして、馴染む前にすぐに体を治療したわ”
だっていずれ私の体になるんだし、と言う声は聞こえないふりをした。
”ナナエの体の怪我は思ったより酷くてね、治すのに結構無茶をしたのよ。それが理由だと思うわ”
(理由……?)
”一つの体に、私とナナエが一緒に居る事のよ”
…………!
なんかこれ、宇宙から地球を守りに来た三分間ヒーローみたい。
あ、ううん。
それよりも、大事な事は、イナンナ様が普通じゃない事で治療したから私が生きてるってこと?
”そうね……多分それが理由よ。
結果、私はあなたを取り込めなかった。だから今の状況になっているんだわ。
それにね……”
(それに?)
”しばらくこのままになると思うから、私を信用して欲しくて見せたのよ”
もし、後に私の半生を記す自伝でも作ろうものなら、私はこう書いただろう。
これが、女神イナンナ様と私の一身二心の共同生活の馴れ初めだったと。
私はそれを受け入れた。
疑うことは出来た。全てが驚くことしかなかったけれど、それを虚構だと断じることも出来たけど、私はそれを本当だと飲み込んだ。
だって……、うん、最初っからイナンナ様は嘘を言っていなかったから。
全然私の考えとは合わない所もあったけれど、神様的に助けてくれたところもあったし、考えの違いは神様と人間の違いって事なんだろうし……って思ったから。
”信じてくれてありがとう、ナナエ。
さっきも言ったけれど、私はここでちょっとした事をする必要があるの。その間一緒にさせてもらうから、よろしくね”
はい。と返事をしようと思ったけれど、一つだけ私は気になった事があった。
(イナンナ様? 一つだけ聞いていいですか?)
”何?”
(イナンナ様のちょっとした事ってなんですか?)
”うーん。そうね、ちょっとした探し物よ。運が悪ければ人ぐらいは死ぬかもしけないけれど、神殺しを手伝えとかそんな大したことじゃないわ”
(……はい? あの、それは……?)
”それじゃぁ、伝えたいことは伝えたし、現実に戻すわね”
私の戸惑いをよそに、視界が揺れて、私は記憶の世界から今の世界へと引き戻されていった。
本当にちょっとした探し物ならいいと思っていたのだけれど、まさかこれから私の人生がイナンナ様にひっくり返されて、大したことのある方向に向くだなんてこの時の私は思いもよらなかったのでした。
あたりまえだよね、普通の落ちこぼれ女子高生だったらさ。
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