1-6 知らない戦い
「ただいま。ああ、お客さん来てるのね」
学校から帰ってきた私が玄関を開けると、そこには見慣れない靴が二足あった。
一つは男物の革靴、もう一つは幼児用の小さいやつ。
(これ、私が家に帰って来たところですね)
俯瞰で見ている私が状況を確認すると同時に、昨日の私は、靴を脱いでちゃんと揃えてから、着ていたコートをコート掛けに掛けて居間に行く。
”ここから先、記憶にある?”
(……あんまりないです)
イナンナ様に聞かれて思い出してみるが、強い光のような記憶が残っているだけで後はほとんどなかった。
お客さんが来ていたのは覚えている……と言うより、今思い出した感じだけれど。
”でしょうね。ちゃんと見てなさい、もうすぐ楽しい事が起きるわよ”
(楽しい事……?)
いぶかしむ私は意識を昨日の私に戻すと、そこでは、私とお父さん、お父さんの知人と子供が一人、四人で居間のテーブルを囲んで話をしているところだった。
そう、そうだ。私は帰って来てから、お父さんの知人と話をしていたんだと思い出す。
たしか、その男の人は
でも、全部を思い出す時間はなかった。
カシャン
それは、窓ガラスが割れる乾いた音。
その後で見えたのは割れた窓ガラスと、転がる見慣れない金属の円筒だった。
(何?)
直後に、視界から色が抜け落ち、人も物も全ての輪郭が粗く変わる。人の顔は完全に灰色で潰れて、全てがまるで水墨画の出来損ないの世界に変ってしまった。
”ここで気絶したのよ、ナナエ”
(気絶って……? どうしてこんな風に見えてるんですか?)
相変わらず私の体の感覚は全く無いままだった。視界は固定されたままで、瞬きさえもできないで不自然に塗られた白黒の世界の世界を見させられている。
”気絶しているあなたから、記憶を無理やり見せようとしたらこんな感じになるのよ”
本当に神様の魔法って何でもありなんだ。それに、どうして私が気絶していたのだろう?
”ナナエ、あなたは
(はい?
意味が分からない。
”
あなたが気絶する前に見た円筒のことよ。
閃光と爆音で、魔術師を無効化するのに使うのよ。まともに浴びると、あなたみたいに気絶することもあるみたいだけれど”
イナンナ様、全く意味が分からないです。
”
あなたの知人とやらは、随分と手際のいい連中と遊んでるのね”
イナンナ様の言葉に対し、私の理解が置いてきぼりになったまま、視界では不思議な状況が続いていた。
窓の外から、沢山の水滴のような墨色の粒が短い軌跡を残して飛んでくる。
それらは私やお父さんたちを中心として現れた球体に当たって逸れていく。
たまに野球の玉のようなサイズの墨も飛んできて、それは私たちを覆う球体に当たると二重の波紋を残して散っていく。
不思議な世界だけれど、私にはそれはある意味芸術的な光景に思えた。
感動するのも束の間、イナンナ様が詳しく解説をする。
”ああ、その水滴みたいなのは突撃銃の掃射でしょうね。大きなのは投擲弾ね。
それに対して、あなた方は魔法の結界で守られているわ。
いい? 魔法の結界ってのはね、物理現象に関してとても強固なのよ。
その代り音と光は遮断するのが苦手なの。だから閃光爆弾なんて小細工を使うのよ”
それは全く知りたくない情報だった。芸術的に見えていた景色が、途端に泥をぶちまけただけの抽象画のように見えてくる。
とは言えやはり目は離せなかった。
墨粒の水滴は強い風雨のように横殴りに吹き付けられ、全て逸らされている。逸らされた水滴の先は見えないけれど、多分、破壊されていくであろう家の家財があり、壁があるのだろう。
動きがあるのは外からだけではなかった。私たちが居る球体からも時折、くさびの形をした何かが突き出て窓の外に飛んで行った。
くさびが飛ぶにつれ、その本数に比例するように外からの風雨が次第に少なくなっていく。
(お父さん達、一体何してるんですか?)
”戦闘でしょ。
詳しい事は本人たちに聞いてみたら?”
戦闘って……
一体誰が? 誰と? どうして?
その疑問は解決することなく、主観で10分も経たないうちに暴風雨のようだった外からの墨粒の嵐は終わりを告げた。その後で、床に寝ている私を残して他の人たちはそこから離れていったようだった。
”ね? 楽しかったでしょ?”
そう言ったイナンナ様へ返す言葉は、今の私には無かった。
その代りと言うわけではないけれど、昨日の私は目を覚まし、世界に正常な色彩と輪郭が戻る。
家財が壊されたせいか、あたりは暗闇で何も見えなかった。
”ここからの記憶はある?”
(ここから私は……?)
その記憶を思い出そうとした瞬間、体を強く揺さぶられた気がした。
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