第3話 「どんな主人公が読者にうけるのか?」③
てなわけで、前回は新海誠作品の主人公の目線を語ったわけですが、今回は別の作品について考えてみましょう。
そう、今回は普遍のコンテンツとして名高い【仮面ライダー】シリーズ。
仮面ライダーと言えば、昨今は【昭和シリーズ】と【平成シリーズ】などと区分されていますよね。
とは言っても、僕も全ての作品を鑑賞したわけではないですから、はっきり物を断言するわけにもいかない。
それに、昭和作品にしたって、幼児期から少年期の記憶を基に考察していますし、平成に至っては、たまたま【仮面ライダー555】を見た経験しかない。
それでもはっきり可能性として分かるキャラクター上の特徴があります。
それが、
【昭和のキャラクターは、かなり利他的であった】
ということ。
※※※
勿論、平成のキャラクターも利他的ではありますが、どちらかと言うと【自分探し】的な要素が強く、
「自分とは何なのか? 自分は何でこんな生き方をしているのだろうか?」
みたいな要素が強かったり、
「自分の野望のために、この力を利用する」
と言ったキャラクターのベクトルを中心として物語が構成されている感じでしたね。
※※※
そこに行くと、昭和は単純明快。
「世の為、人の為、悪の秘密結社の野望に敢然と立ち向かう」
と言った図式が形成されていて、主人公はまさに勧善懲悪的なヒーローとして設定されている。
そこに、
【改造人間にされた身の上の孤独感】
というものが相まって、ほとんどの昭和作品にはただならぬ〝哀愁〟が漂っている。
そんな悲壮にもめげすに戦う彼らは、まさに昭和的理想のヒーロー。これはある意味、日本人的であり、アメリカンヒーローとは少し異なる部分だと言えます。
アメリカンなヒーローは、未だに映画などで、
「自分探し」と「善と悪とはなにか?」
を追及していますから。
勿論これは、その国に根付いた思想と宗教観から来るものだと容易に考えられます。
※※※
これは良い悪いということではなくて、時代の流れということなんでしょうね。
創作物は、その時代の社会情勢とリンクされていることが普通で、だからサブカルチャーなんて呼び方もあるくらいですから。
話はズレますけど、あのガンダムだって、今やストーリーが思想とは無縁になりつつありますしね。
初代のガンダムから連綿と続いていた【思想vs.思想】の戦争、そしてその戦争に翻弄される登場人物という図式は、時代の流れと共に別の潮流になりつつあるわけだし。
※※※
てなわけで、次回は【昭和のキャラクター】について考察してみようかと思います。お楽しみに!
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