第4話
翼の意図に薄っすらと気づいてから十数分後。
ああ神様よ。
クーリングオフは利かないのか。
いや、そもそも僕が望んで手に入れたものでもないのだし、そもそもそんな制度は対象外か。
受け取り拒否ができればよかったのだが、そんなものはあの場にはなかった。
翼を仕舞えないことに気付いてから、ほんの少し気が滅入り始めていた。
そして気が滅入ってからさらに十数分の後、だんだんと焦りが見え始めていた。
しかし随分神様ってのはいい加減だ。
そもそもお賽銭を入れたのが神社で、なんでクリスマスにギフトなのか。
時期から宗教から、もうあまりに違いすぎる。
逆に神ともなると、そんなものなのだろうか。
大人が子どもに買い与える玩具にそんな興味を持たないように。
ガンダムは男の子にとっては全て違うというのに。
「で、その結果が、この翼だってか。」
空を飛びたいなんて、古今東西人間誰もが望んだであろうそんな願いが、なぜこんなよくわからないタイミングで、僕の背中へと託されるのか。
もちろん僕も空を飛びたいと思ったことがないわけではない。
だがそれも過去の話で、多分人並みに、何となくという程度だ。
一方今の僕には、それよりも重要な願いがあった。
たとえこの頭上に広がる青空全てと引き換えにしたって構わないくらいの願いがだ。
そもそも、僕がその願いを成就するために行かなければならない場所は、徒歩で10分とかからない場所にあるのだ。
本気で急げば3分とかからないだろう。
そう、間違いなく供給過多なのだ、この翼は。
供給過多どころか、下手をすれば余計に遠回りになるのではないか。
人の目だとか僕の気分だとか体調だとか、そんなにおいそれと飛んでいける訳がない。
まだ飛んだことはないが、そんなのはやってみる前から明白だった。
鳥とは違うんだ、この僕は。
空を飛ぶことに比べれば、僕の願いなんて下らないものだった。
どれだけ僕にとって大事なものであっても、他人にとっては下らないというその言葉を僕は否定はしない。
コンビニのバイトの女の子に惚れるなんて、我ながらあまりにも単純すぎる。
仮に飲み会で友人の誰かがそんな話をしたところで、色恋沙汰への興味は置いといて、出会いに関しては同じことを思うだろう。
いっそぶっちゃけてしまうと、僕はもっとドラマティックな出会いを夢見ていたのだ。
鏡を見ろといわれたって文句も言えないが、夢くらい見たっていいじゃないか。
だがそんな僕の思いなんて全く関係なく、僕は彼女に惚れてしまった。
ああ、惚れてしまったんだからいいじゃないか。
だが仕方がない。
こうして翼が生えた以上、何か意味があるのだ。
そうでないと俺の3日分の食費と、今後待ち受けているだろう面倒との釣り合いが取れない。
逆にこれが天から与えられたものであるなら、彼女を手に入れることが約束されたと、そう思ってもよいのではないのではないか。
勝利が約束された伝説の剣かはたまた、ウンメイか。
まるで少年漫画や少女漫画みたいな空想、いや妄想に全てを託す。
「しかしそれはさておきどうすっかな・・・。」
人間ってのは凄いもので、数分もすると、一時の熱い思いは醒め、一方でこの荒唐無稽な事態についても段々慣れてきた。
生えてしまったものは仕方ないのだ。
これが自分でどうこうできるものであれば、もう少しは焦ったのだろうが、焦ろうにも出来ることは限られてて。
こんな大変な状況でどうかとは思うが、正直なところとても面倒だと感じ始めていた。
今日は彼女のこととかで色々とあったということもあり、翼のことは一瞬明日でいいかとも思った。
だが少し考えた結果、この状態でどうやって寝るのかという大問題にたどり着いた。
うつぶせでもいいのではとも考えたが、いや待て万が一寝返りでも打とうものなら、大変なことになったりしないかと思い直す。
たとえ捻挫で済んだところでとんでもなく痛いだろうし、仮に骨折でもしようものなら目も当てられない。
どんなことが起きるかも読めないし、翼が骨折しましたなんて、病院に行けるわけもない。
数十秒悶々とした後、覚悟を決めた。
悶々としてはいたものの、実のところ頭の中ではもう随分前から決めていた選択肢ではあった。
決めてはいたが、それを実行に移すには何らかの決定的な理由もしくは、こんな風に手詰まりだと悟るまでの無駄な時間が必要だったのだ。
当たり前だが、よりにもよってクリスマスイブの夜に、こんな下らない理由で第三者に頼みごとなどしたくなかったのだ。
それにその案は解決策の一つではあったが、恐らく解決はしないだろうことは目に見えていた。
だがこのまま一人で考えてたところで、解決策が思い浮かぶ気配はさらさらなかった。
アイツが来たなら、コレだけは言ってやろう。
ごめんなさい、と。
ベッドの上の携帯を拾い上げ、
「頼む、出てくれよ。」
呼び出しの音を耳に、祈りの声を呟く。
「もしもしー。」
やや諦めも頭の隅をよぎり始める6回目のコールの後、携帯の向こうから聞こえた救世主様の声は、随分と酔った声だった。
「すまん、今大丈夫か。」
唯一の救世主様に粗相がない様、出来る限り下手に出る。
「大丈夫だよー。」
いつものコイツからすれば、多分大丈夫ではないだろう声とテンションで返事が返ってくる。
だがこっちだって、いやこっちの方が遥かに大丈夫ではないのだ。
心を鬼にして、気にせず続けることにする。
「お前これから時間ないか?
こんな日に悪いとは思うんだが、別に何時になっても大丈夫だから。」
言ってて気付いたが、まるで告白でもするくらいの勢いではないか。
そう、電話の相手は久石カンナという、大学の同級生のひとりだった。
電話の向こうの彼女は久石と言って、僕の大学生活の最初の友人で、今のところ一番の友人だった。
そのいずれの理由も偶然以外の何物でもなかったが、それで足りないことは何もなかった。
「今から?」
「そう。こんなクリスマスイブの夜の真っ只中で大変申し訳ないと思うが。」
言いながら、まるで告白じゃないかとの思いが頭をよぎる。
「何の用事?」
ごもっともな質問だ。が、
「すまん、それについてはこっちに着いてから話すよ。
言いたくないわけじゃなくて、何というか凄く説明しにくい状況なんだ。」
話しながら、事態がどんどん深みにはまっていっているような気がした。
告白ではないと事実ありのままを彼女に打ち明けてしまいたかったが、こんな深夜に呼び出しておいて、そんなどうでもいいことを言われるなんて、向向こうにしてみればあんまりではないか。
僕にだってそれくらいは分かる。
最低限のマナーの問題であって、気がある、ないの問題じゃないのだ。
それにじゃあ何でと聞かれたところで本当のことを、電話で伝えられる訳もない。
「勿体ぶってるわけじゃなくて、多分来てもらえないと説明できないんだ。
そして少しばかり俺は厄介な状態になってる。」
厄介という言葉を使ったのは正解だったのか、はたまた不正解だったのか。
少しの沈黙の後、
「んー、ちょっと待ってね。」
久石が受話器を耳から話すのが分かった。
ごめんけど私ちょっと用事が出来たんで、今日は帰らせて貰うねー。
電話の向こうから久石が断りを入れている声が聞こえた。
間髪いれず、「えー」との不満の声も聞こえて来る。
割と誰にでも好かれる久石のことだ、周りから聞こえる声は社交辞令などではないんだろう。
皆さんすいません。
心の中で謝罪の言葉を念じておく。
でも多分あなた方よりこっちは、遥かに抜き差しならない事態になってるんです。
電話越しでも、少しは届くだろうと言い訳を謝罪の念に重ねた。
「それじゃ今からそっちに行くよ。」
今まで一緒にいた人とも離れたのだろう、ほんの少し息を切らしながら、少し静かになった場所から、彼女はそう言った。
「すまん、助かる。」
「あと15分もすれば着くと思うから。」
「了解。」
「あ、それと後一つ。」
電話を切る前に一つ思い出した。
「来るときに酒を2・3本買って来てくれないか。
安いチューハイならどれでもいいよ、酔えれば何でもいいから。」
「どれでもいいの?」
「ああ、どれでも。
後甘いものも適当に買ってきていいぞ。
流石に無理言ってるからな、少しくらいなら奢ってやる。」
「どれでもいいの?」
間髪入れずに久石から質問が返される。
「どれでもはよくないが、金銭的に常識の範囲内なら大丈夫だ。
急なお願いだし、ある程度現実的な値段に少し毛が生えた程度なら許してやるよ。」
「流石。太っ腹。」
「あ、それとちなみにキャットフードならタダでやるよ。」
「なにそれ。」
本当にな。
「まぁこちらにもさっき言ったように複雑な事情があってだな。
取り敢えず来たらまとめて話すよ。」
「ラジャー。」
「じゃあまた後で。」
「じゃあまたね。」
取り敢えず第一段階は突破だ。
ほっと一息ついて、背中の翼に目を遣る。
そういえばさっきの間はほんの少し、翼の重みを忘れることができたな、とそんなことを思う。
「さて、と。」
こんな日に無理くり呼び出されるのだ。
ほんの少しくらい部屋は綺麗にしておいてやろうと、また重くなった身体を持ち上げて気付く。
どうやって、これは廊下を抜けたものか。
早く来てくれ、久石。
また一つ思いは強くなった。
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