第2話

「あー、もう。たまんねぇな、クソ!」

彼女が店にいたこと、彼女がやっぱり可愛かったこと、僕が相変わらずみっともないこと。

そんな思いがごっちゃになって、コンビニを出て数歩走った後、思わず叫んでいた。


店に入ったとき、彼女の姿は見えなかった。

勿論それは僕が予想していたパターンの一つだ。

だが予想していたからといって、僕がそれを受け入れることができるかというのはまた別の問題で、ただ僕のテンションが、予想をはるかに超えた勢いで下がっていくのを感じた。


商品を探すフリをしながら、彼女の姿と、一方で僕の今の正確な感情を探る。

途方もなく低いテンションと、それでもまだ彼女がいるのではないかという希望に振り回されながら。

この状況の落としどころがわからないのは僕の身体も同じようで、心臓が嫌な脈を打っていた。


そんな風にしてその後しばらく店内を確認した結果、認めたくはなかったが、やはり彼女はいないという結論に至らざるを得なかった。

彼女が今日ここにいなかったとしても、僕の敗北が100%決まったというわけではないのだが、気分は冴えないままだった。

負けが決まったわけではなかったとしても、事態は決してよい方向へ転んだわけではないのだ。


となればここにこれ以上長居する必要もない。

もう少し粘ってみるという選択ももちろんある。

が、僕の精神の状態的に、もうこれ以上ここにいられそうにはなかった。


さて、取り敢えず店を出ることは決まったが、今度は店を出るために何を買ったものかとまた一つ悩みが生まれる。

ポーズとして何かを買うとして、まるで何も買う気が起きない。

コミックなど読む気にもなれないし、一方で食欲もない。

家事を行うための日用品など、考えただけでうんざりした。


そんなこんなでかれこれ5分くらいは経過しただろうか。

どうでもいいことを中々決められないタイプなのだ。

そして結局、考えることに疲れてどうでもいい選択をしてしまう。

散々悩んだ結果、僕の手に掴まれていたのはキャットフードだった。


勿論一人暮らしのマンション生活の身に、飼い猫などいる筈もない。

いる筈もないのだが、悩んだ結果、最終的にどうでもよくなって、いっそ全く生活とは関係ないものを、と選ばれた結果がキャットフードだった。


レジに向かうと、すでに数人が会計待ちで並んでいた。

最後尾につきながら、こんなどうでもいい買い物に限って、並ばなければならないのかと少し陰鬱な気持ちになる。

急ぐ必要はないが、早く帰りたいという思いはあった。

ただ僕のそんな思いも空しく、レジは一人のまま忙しそうに、だが散漫に処理されていた。


やっとこさレジの終わりが見えたのは、それからまた数分後のこと、前に並んでいた二人の公共料金の支払いが終わってからだった。

正直このどうでもいいキャットフードの缶を、前のどうにももたもたしているおっさんに投げつけて帰ってしまいたかった。

全くもっておっさんには申し訳ない話だとは思うけれども。


おっさんへの敵意を抑えるべく、ぼんやりと入口から向かいの道路を眺めていると、

「お待たせして申し訳ございませんでした。」

今のレジを対応している男の人とは別の、女の人の声が聞こえた。


その声が聞こえた時、幻聴ではないかと思った。

いや、そんなに明確に自身の耳を疑ったわけではないのだが、その声が今ここで聞けるだなんて思っていなかった。

色々と面倒になった結果の、僕の感情が作ったあってほしい妄想か何か、そんなものだと思って、特に真面目に考えてはいなかった。


だから彼女の姿が目に入ったその時、僕は途方もなく間抜けな顔をしてたのだと思う。

間の抜けた呆けた顔から、間の抜けた驚いた顔への華麗なるシフト。

僕が間抜けな人間であるということは、それが事実かはともかく、余すところなく彼女へと伝わったであろう。

僕が本当に伝えたいものを一段も二段もすっ飛ばして、全く別の方向で。


「こちらのレジへどうぞ。」

案内されるままに隣のレジへ、文字通り吸い寄せられるように移動する。


彼女が名札か何かでレジの準備を行っているうちに、手に持ったキャットフードをレジへと置く。

一方、レジへと置かれたキャットフードを見て、彼女はにっこりと微笑んだ。

状況から見て、それは猫が好きだろう人間へ向けられた、猫好きな人間からの笑みなのだろう。


僕は正直に言って、猫が好きな女性なんて、好きじゃなかった。

何のひねりもない、ただただ可愛いだけのものを愛でる人間なんてものは。


ただそんな考えはいとも容易くひっくり返った、本当に一瞬にして。

猫好きな女性を含めて、猫そのものまで愛せるようになりそうな、魔法というよりは反則に近い、そんな笑顔だった。


そんな笑顔から一旦目を逸らし、財布から小銭を出しながら、どれだけ彼女の顔を見るべきなのかと考えていた。

直観的には彼女の顔をずっと見つめていたい気が半分、彼女の顔を見ることへの恐怖が半分。

理論的には彼女の顔を見続けることは失礼だが、一方で彼女の顔を全く見ないこともまた失礼に思える。


どうしてこんなに世の中は複雑なのかと、焦る指で十円玉を探しながら思う。

死にそうな人は助けなければならないのと同じくらいに、コンビニの対応が決まっていればいいのに。

結局は紳士ぶって、後から聞いた友人からの評価によれば全く無駄どころかやらない方がよかったそうだが、必要以上に彼女の顔は見ないように、お釣りを受け取る。

「ありがとうございました。」

彼女の声に、なんとか震えないように「どうも」と一言を絞り出し、店を後にした。


店から出た後、まだ妙な脈を打ち続けている身体を納得させるように、またその原因から遠ざかるように、足早に家へと向かう。

手にぶら下げたレジ袋の中のこのキャットフードを、今後彼女と一緒に猫にあげることはあるのだろうかと、そんなことを考えながら。

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