第13話 皆が望む永遠

「夜景、きれいだな」

 お台場にある高級ホテルの中層階、レインボーブリッジを臨むバー。いつかの合宿で『雷に打たれたようにプロットが思いついた』などと詩羽先輩に呼び出され、黒いドレスのひどく刺激的な場所から出てきた部屋のカードキーが印象に残る(若干のトラウマとして)その場所で。今日はカジュアルながらも気品漂うワンピースに身を包んだ(カードキーを挟んでおく場所など持ち合わせていない)英梨々と横に並ぶ。

「・・・なぁ、英梨々、夜景、きれいだぞ」

「別にいい」

 英梨々は美観を無視して顔を横に、つまり俺の方を向いたまま、頬杖をついて柔らかい表情を浮かべている。せっかく高速道路会社が経費をかけて演出してくれているというのに。

「・・・えっ、英梨々?・・・とりあえず乾杯しようか」

「ん」

 ちょっと色の薄いジンジャーエールが注がれたグラスを軽く持ち上げて、一口目をすする。まぁ、英梨々のグラスに入ってるのは別に色も薄くない、正真正銘のジンジャーエールなんだけど。

「なぁ、英梨々。改めてこう、二人で隣り合って座ってみると、話すことってあまりなかったりするんだな」

 英梨々との会話と言えば、アニメ・ゲーム批評だったり、作品作りだったり、会社の人間関係だったり、仕事関係のネタばかりだったことに気づかされる。金月で二人でこうして並んで座った時も仕事の話、そのあとのファミレスでもゲームの話。澤村家でも、車の中でも。

「・・・それでいい。今日は、倫也が居てくれるだけでいい」

 英梨々が俺の肩に体をあずける。金色の髪が肩を伝って滑り、シャンプーのにおいに包まれた中にほのかに香る英梨々のにおいが鼻孔を刺激する。ワンピースに包まれた少し低めの体温がジャケットごしに肩に伝わってくる。英梨々のにおい、体温、体の柔らかさ、肌感、息遣い。すべてを知りたいという欲求が頭を満たす。

 英梨々の太ももに触れてみる。肩に触れた体がピクっと動いたものの、それ以降はリラックスしているのか、肩にあずけた体重が少しだけ重くなったように感じる。

 無言のまま時間が流れていく。金月と比べて明るく、BGMに混じって客の談笑の声が聞こえるくらい騒がしい店内。それにもかかわらず、あのときに英梨々と並んでいたときよりも情緒的な雰囲気に包まれていて。

「ねぇ倫也、部屋、戻ろう?」

「えっ、まだ飲み物ほとんど・・・じゃなくて、夜景だって見てないし、もうちょっと雰囲気をだな」

「いいの。飲み物はルームサービスで頼めばいいし、部屋からだって夜景は見える。倫也とは、その、昔から部屋で一緒に過ごした時間が、多かったから」

 英梨々は訴えかけるように俺を見つめる。言われてみれば英梨々とは部屋でアニメやゲームをしながら興奮したり、感動したり、熱く議論を交わしたり。そうやって感情や考えを共に通わせた時間が圧倒的に多かった。こうして外で過ごす時間よりもずっと。やや上目遣いのうるんだ瞳と、英梨々と過ごした思い出。庇護欲と、独占欲と、支配欲と、いろいろな欲求が体中をめぐる。

 俺は無言でうなずくと、英梨々と二人並んで店を出る。お互いに引っ張り合うように手をつないで無邪気に歩いた子供の頃にも、お互いに近づきたくても距離感を探り合っていた高二の頃にも、信頼関係が回復したついでにお互いがお互いに甘えてしまっていた高三のころにも感じたことのない、充足感と幸福感と、少しの緊張を、英梨々が抱き着いた腕に感じながら。


* * *


 恵は息を切らしながら、それでも高級ホテルなのでそれを悟られないように落ち着いたふりをして、三階を目指す。高校生のサークルだった時代に、霞ヶ丘先輩が抜け駆けをしようと画策したバーだ。結局、クリエーターの四人が作品作りに熱中している間に、私が倫也君と抜け出して一瞬のデートをしたことは、忘れることのない思い出だ。言葉の上ではごまかしてしまったけど、胸の内ではごまかしきれなかった、トキメキのような気持ちも含めて。

 吹き抜けの廊下に、腕を絡めて歩く二人の姿が目に入る。その姿は本物の恋人のようで。嫉妬と対抗心、不安と自尊心がせめぎ合う。不思議と激しい怒りや、失望、拒絶といった感情はない。

 二人の名前を呼ぼうとして躊躇する。三人が、というより blessing software のみんなが笑っていられるように。英梨々に対して嫉妬っぽくならずに柔らかく包み込むように。倫也くんに対してはやや皮肉も込めながら全体としてはフラットに。

深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

「お客様」

 深く息を吐いている間に、白いワイシャツに黒いベスト、蝶ネクタイ姿の男性が二人に話しかける。二人が同じ動きで声の方をへ振り向く。ほんとうにあの二人は息が合ってるんだから。と思う。

「こちら、お忘れではないでしょうか」

 男性は倫也くんにスマホを手渡す。彼はバーテンさんで、倫也くんがスマホを店内に忘れたのだろう。ぺこぺこと頭を下げてスマホを受け取る倫也くんのいつも通りの姿を微笑ましく思う。

その隣に立つ英梨々のほうは、愛情にあふれた表情で、それでいて凛として隣に並んでいて。二人の様子を観察しているうちに、二人はエレベーターに乗り込んでいく。倫也くんの腕にぴったりとくっついて、バーテンさんに軽く会釈をする。その立ち居振る舞いには、庶民では届かない気品を思わせる。それでいて、ただのお嬢様にとどまることなく、倫也くんと同じように生粋のオタクで、クリエーターで。そういう面では、本当に英梨々には敵わないなと思う。

 そうこうしているうちに、声をかけるタイミングを逸してしまったことに気づく。恵はもう一度息を大きく吐き、ゆっくりと踵を返して歩きだす。

 

 恵はホテルの外に出て上層階を見上げる。白く染まる息の向こうから、一粒、また一粒と雪が舞い降りる。声をかけなくてよかったと思う。

倫也くんと二人でホテルの外に抜け出した時、これからの作品づくりについてお互いに信頼の気持ちを改めて言葉にした。その時は秋口で、雪なんて降ってなかったけど。それでもって、倫也くんは『このエリアでデートの最中に雪が降ってきたら別れる』なんてことを言って、ちゃかしていた気もするけど。

今は、言葉にしなくてもお互いに信頼できていると思っているから。というより、今のわたしの立場では、倫也くんを信頼して待つ以外に方法はないから。倫也君が決めるからこそのものだから。会社も、倫也くんとの関係も、みんなとの未来も。

 だからさ、・・・


信じて待ってるよ、社長さん

(そっちの働きにかかってるぞ、副社長)

 これからトゥルーエンドを紡ぐのはあなただよ、シナリオライター

(最後に輝くのはお前だぞ、メインヒロイン)


* * *


「なぁ英梨々、ちょっといったん離れてくれるか?カードキー、こっちのポケットだから」

 英梨々が腕を離して俺の左半身を開放する。これまで英梨々がくっついていた部分が冷たく感じる。

 カードキーを扉にかざすと、ガタという音がしてロックが解除させる。英梨々とは何度も同じ屋根の下で寝泊まりをしたことはあるが、それとはまったく異なるシチュエーションで。汗ばむ手でドアノブを下ろす。

「シャワー、浴びてきちゃうね」

 部屋に入るや否や、英梨々が宣言する。予想していなかった言葉だけに、返事に少し躊躇が生まれる。

「・・・だって・・・、ねぇ」

 上目遣いで言葉を濁す英梨々は艶っぽくて、今までに見たことのない姿で。心音が英梨々に伝わるのではないかというほど、速く激しく音を刻む。

「・・・倫也はルームサービスでも頼んでくつろいでいてくれればいいから」

「あぁ。わかった。せっかくいい部屋だし、くつろいで来てな」

 英梨々はコクンとうなずくと、バスローブとバスタオルを持って浴室へと向かう。浴室の扉が閉まったことを確認してからソファに腰かける。窓の外には橋とビルが織りなす夜景が広がっている。

 ルームサービスのメニューをパラパラとめくる。値段が気になってしまい、結局何も頼めずにページを閉じる。ほら、英梨々と違って庶民の出だからね。社長とはいえ零細企業だからね。

 シャワーが勢いよく噴射する音が壁を通して漏れ聞こえる。喉の渇きを感じ、せっかくだからシャンパンでも頼もうと電話に手をかけたところで、やはり貧乏根性から通話ボタンを押すことなく電話から手をはなす。カバンの中からペットボトル入りのミネラルウォーターとタブレットPCを取り出してソファに戻る。

 水を口に含んで部屋の外を眺める。ぱらぱら雪が舞い始めている。詩羽先輩の書いた腐れ縁ヒロインルートで、妻を捨てて腐れ縁ヒロインに行くときの主人公と同じようなシチュエーションに、今の自分はあるのかな思う。恵には仕事のためと宣言してはきたものの、自分が百パーセント会社のために英梨々を連れ戻す目的でここに居るわけではないことを、自覚しているのだから。

背筋に冷たい感覚が走る。 この気持ち、この葛藤だと思う。ゲームで描写すべきなのは。タブレットを取り出して、詩羽先輩の書いたプロットをおさらいする。


 腐れ縁ヒロインと飲みに行った主人公。昔の話をするときの腐れ縁ヒロイン楽しそうな笑顔に、どうしようもなく惹かれてしまう感情と、これまでのイベントで何度かよみがえっていた当時の恋心が重なる。

 思い出話に花が咲き、楽しく飲みすぎたせいで記憶もまだらになっている。気が付いてみれば、終電がなくなるほどの時間に。腐れ縁ヒロインは、歩いていける距離に家があると言って、主人公に泊まっていくことを促す。

 ルート分岐の選択肢である「タクシーで帰る」「泊まっていく」が現れる。

 腐れ縁ヒロインの家に泊まっていくことにした主人公は、二人で卒業アルバムを眺める。写真を見ながら笑い合ううちに、二人の肩が触れ合う。それを合図に二人は体を重ねる。

 主人公は、自分の本物の気持ちは腐れ縁ヒロインに常にあり続けたことを自覚する。彼女への思いが果たされない諦めと孤独から、正妻ヒロインを選んで、寂しさを紛らわせていたことにも同時に気づかされる。その後悔と罪悪感に苦しめられながらも、腐れ縁ヒロインとの幸せな時間を過ごす。


 違うよ、詩羽先輩。罪悪感の正体はそんなんじゃないよ。もっとつらくて、苦しくて、でもいかんともしがたいものなんだよ。主人公が正妻ヒロインと過ごしてきた時間、主人公の気持ち、正妻ヒロインの気持ち。それを裏切ったら、利用していた罪悪感というだけの感情では絶対に片付かないものに決まっている。

 俺が今、こうしていられるのは恵がそばに居てくれたからだ。コミケで初の同人ゲームを作るきっかけとなったのは、恵との出会いだった。それが英梨々と仲直りするきっかけにもなった。そこからゲームを作り続けてこられたのも、恵が居てくれたからだ。そして恵を手放したくなかったからだ。そうしてまた英梨々に追いついて、一緒にゲームが作れるようになって。

 英梨々への恋心は本物だった。実らなかった未練もあった。離れてしまった孤独もあった。自分の中で確かな感情がそこにはあった。不運にもすれ違ってしまった時間が長かっただけで。

一方で、恵とは歴史なんてなかったから付き合えたのかもしれない。ただ、それは決して間に合わせではなくて、そこにも本当の気持ちがある。気持ちが通じ合った喜びがある。行動を、感情を共にできる心強さもある。自分の中では気が付かないほど当たり前になった感情が、英梨々とのかかわりによって自覚される。共に過ごしてきた時間が長かったせいで空気のような存在になってしまっていただけの。

どちらも本物で、どちらも甲乙のつけがたい、どうしようもなく愛おしい気持ちと、どちらか一方を選ばなければならない苦しさと。。。

 詩羽先輩のシナリオに赤を入れる。描写されない正妻ヒロインの悲哀と絶望を、二人への気持ちの間で揺れ動く主人公の葛藤を、それを知る腐れ縁ヒロインの苦悩を。それぞれ表現するエピソードへと書き換えていく。


* * *


 英梨々は体中に張り付いた水滴をバスタオルで拭ってから、バスローブ姿で倫也の待つ部屋へと向かう。いつも絵に描くときに意識をする、肌の上気した艶っぽさや、髪のしなやかな束っぽさなどが出ていると良いなと思いながら。

タブレットPCに向かって一心不乱に文字を打ち込む倫也の姿が目に入る。自分が後ろから近づいていることに気づく様子はない。大きく息を吸って罵倒の言葉が出る寸前で、バスローブの裾をつかんで思いとどまる。真剣に創作に打ち込むクリエーターの邪魔はできないから。

 スケブと鉛筆だけを手にしてベッドに滑り込む。倫也に対する自分の気持ちを持て余して掛布団をきつく抱きしめる。この世界で生きていくためには自分でも同じ選択をするだろう。仕事が乗っているときに目の前の恋に現を抜かしていて、第一線を張れるほど甘い世界ではない。恋を仕事の原動力にしてきたけれども、恋にとらわれてしまったら仕事の行き先を見失う。描けなくなった高校三年生の自分のように、書けなくなった最近の詩羽のように。


倫也の手が止まって伸びをしたところを見計らって、頭をコツンと一度小突く。「あうっ」という声とともに驚いた表情でこちらを振り返る。

「・・・英梨々シャワー済んだのか。悪い、俺もすぐシャワーしてきちゃうから」

 今まで集中してキーボードをたたいていたクリエーターとは思えないほどに柔らかい表情に言葉が詰まる。

「・・・ううん。いいの。倫也は書いてて。あたしもベッドでラフ描いてたから」

「・・・悪い、そうさせてもらう」

 シャワーから出てしばらく時間が経っていることにも、ラフなんて線一本すら描いていないことにも、ずっと倫也の横顔を眺めていたことにも、まるで気が付く様子はない。

「・・・バカ倫也」

 倫也に聞こえないくらいの声量でつぶやいて、窓の方へと目を移す。外を眺める自分の姿と眼鏡にパソコンの光を反射させながらキーボードをたたく倫也の姿が窓ガラスにほんのりと反射している。

外の景色に視点をずらしていく。どうやら外では雪がちらついているようだ。雪が降ると今でも思い出す。誠司と巡璃と瑠璃の七枚のこと。クリエーターとして自分の壁を突破した、倫也と世界が決定的に違ってしまった、そのできごとを。

 頬を涙が伝う感触に気が付く。理由のわからない涙に戸惑いながらも、倫也に涙を見せまいとベッドにもう一度潜り込んで頭から布団をかぶる。止めようと思うほど涙は勢いを増してくる。肩が震えないように、しゃくりあげないように、何よりも倫也に気づかれないように、体中に力を入れる。

 倫也と離れていた十年間。もちろんやりたいことを本気でやってきた十年間ではあったけれど、それはある意味で望まないことも続けてきた十年間で。世界一のクリエーターであることと、倫也の近くにいること。両立し得ない二つの望み。その一方を犠牲にして、もう一方を得てきた。倫也が再び近づいてきて、一方の満たされなかった思いを自覚して。満足できている自分とは別にいる、満足できなかった自分の心がどうしようもなく大きくなって。

 英梨々はベッドから這い出して、倫也の背中におでこをくっつける。倫也が泣き顔に気が付かないように。

「どうした?英梨々」

 倫也は背中のおでこを気にして、首だけ不自然に倒しながら自分の名前を呼ぶ。

「・・・ねぇ、トモくん。書き終わったらでいいから、そしたらちゃんとあたしにかまって。昔みたいにあたしのことだけ見て。あたしの隣で楽しそうにしてて」

「英梨々・・・」

 立ち上がろうとする倫也の肩を押さえつける。泣き顔が見られてしまわないように。

「・・・何やってんのよ。あんた、クリエーターでしょ。乗ってるときには最後まで書ききりなさい。今の頭の中にある作品は、今形にしておかないと二度と作れないものよ。途中で創作を投げ出して女をかまけるなんて、クリエーターとして最低の行いだと、あたしは思ってるから」

 涙声にならないように声を張り上げて倫也に悪態をつく。集中しているクリエーターに話しかけた自分を棚に上げて。倫也は溜息をついてソファに腰かける。

「・・・じゃあ、ベッドで待ってるから」

 英梨々は強く押し付けていた額を倫也の背中から離し、顔を隠すようにしてベッドへと戻る。倫也は気づいていたかもしれない。ベッドに戻るときに顔を見ていたかもしれない。それでも、もう一度キーボードをたたき始めた音を聞いて、体に入っていた力が抜ける。それと同時にいらだちもこみあげてくる。

「・・・ほんと、バカなんだから」

 英梨々は窓の外でパラパラと舞う雪を見ながらつぶやく。今日はこれでもいい。これまでとは違った倫也との関係が、これからもずっと続いていくのだから。


* * *


 週明け、夕日が差し込むblessing software社長室で、英梨々は倫也が書いたシナリオに対峙していた。今にも紙束をくしゃくしゃに丸めてしまいそうな両手を、なんとかいなしながら。

「・・・これが倫理君の本当の気持ちなのね」

 本当の気持ちという言葉に反応して、紙束を握る手に力がこもる。

「主人公の本当の気持ちなのかって質問でいいよね?作品の話だよね?フィクションの」

 フィクションだとしてもこんなの書かないでほしかった。よりによって自分と二人きりの時間を過ごしているときに。倫也は一番だと言ってくれるかもしれないけど、倫也にとっての「唯一の」一番には、なりえないんだということを突き付けるような内容だったから。

「・・・まぁいいわ。でも、これだと、これまでに書いてきたシナリオの設定の変更が必要になるわね。正妻ヒロインと腐れ縁ヒロインが親密だった過去がないと、登場人物の心情や行動に辻褄が合わない部分が出てくるから」

「おっ、いいね~。それってどんどん実話に近づいていく感じ?好きだね~、あんたら。自分の周りをネタにするの。シナリオライターってみんなそんなもんなのかね?まぁ、いい作品が出来さえすれば、あたしにゃカンケーない話ってのがちょっと解せないんだけど」

 無頓着能天気女の挑発にも反応する気にもなれず、ただ黙って時間が過ぎるのを待つ。自分の役割は、作品にとって最高の絵を描くだけだから。

「そ、そうですよ。みんなでいい作品作りましょ?ね、ねっ」

 調整を試みる波島出海にも、自分がへそを曲げて作品づくりを放棄すると思われて心外だということを表現することもせず。

「そ、そうだね、出海ちゃん。目指すは神ゲーだ。詩羽先輩、シナリオの調整、よろしく頼むよ。それでいいよね?恵」

 倫也の意思決定は、常に恵とともにあることをまざまざと見せつけられる。そうやってこれまでの十年を歩んできたことを見せつけられると、議論するメンバーの声がどこか遠くで背景音と化す。

 恵は常に倫也と向き合ってきた。高校生の同人ゲームの制作から、商業化して注目のレーベルにのし上がるまでずっと。対する自分は、小学生の時に八年、高校生の時に一瞬だけゲーム制作の時間をともにしたものの、そこから住む世界が異なることを言い訳にして十年。倫也と共にする時間の差はそれだけ積み重なっていた。

 それでも最初の八年は、倫也は自分のことを一番に見ていてくれていたと思う。倫也ともう一度時間を共にできるきっかけを作った彼女と出会うまでは。

 それからというもの、倫也は自分のことを唯一の一番だと思ってくれることはなくなった。気の合う幼馴染としての歴史もあって、トップクリエーターとしての実績もあって、倫也は一番だと言ってくれる。だけれどもそれは自分の望んでいることではなくて。

 きっと自分が望むことはこの先も倫也は叶えてくれない。自分がいくら努力したとしても、自分のことをだけを見ていてくれるようにはならない。それでもきっと、これからもずっと、倫也とともに時間を過ごしていくことになるんだろうと思う。倫也とゲームを制作できる環境が、自分にとって一番魅力的な選択肢なのだから。


* * *


「そ、そうだね、出海ちゃん。目指すは神ゲーだ。詩羽先輩、シナリオの調整、よろしく頼むよ。それでいいよね?恵」

 恵は無邪気に合議をかけてくる倫也くんを恨む。できれば、自分がこの会議に出席していたかわからないような状態で、この時間を切り抜けたかった。自分の中にある、ゲームのシナリオとは無関係の、いや、関係はあるんだけど、商品のデキとは別の視点からの、迷いや葛藤や、言葉にならないような感情を悟られたくなかったから。

「あ~、そうだね~。いいんじゃない?ようやく倫也くんもシナリオの方向性が見えたみたいだし。霞先生も直すって言ってくれてるし。とりあえずやってみれば」

 皮肉やユーモアの一つも出てこない自分の機転の利かなさに落胆しながらも、冷静にフラットに返せたことには一定の手ごたえを得ていて。

「恵?どこか方針変えたほうがいいところあるのか?」

 こういう時の倫也くんの無駄な鋭さには感心する。普段は全く鈍感で、気が利かなくて、最低な部類の人間なのに。

「いいゲームになりそうだなぁって。早く完成がみたいなぁって」

 ゆるく首を横に振りながら、本心だけれども、本心でないようなことを答える。わたしにはそれしか選択肢がないから。

 本当は書きたいと思ってほしくなかった。書きたいと思うことは仕方ないけど、実際に書いてほしくなかった。よりによって、英梨々と二人でいるときになんて。

書いてほしくないなんて、ゲーム会社の副社長として失格だし、クリエーターの妻としてありえないと思う。倫也くんのありのままを受け入れることができない自分が、自分自身を含めて三人をそれぞれに苦しめることになるから。

 本当はすべてを受け入れて、受け止めて、みんなが幸せで、笑ってゲームを作れるような環境を作りたいのに。考えつく選択肢は、誰かが悲しむか、自分が犠牲になるか、それしかなくて。

 だとしても、倫也くんとも英梨々とも、これからもずっとゲームを作り続けていくんだと思う。だってそれしかみんなが幸せでいられる選択肢がないから。


* * *


「それにしてもこの二人のヒロイン、不俱戴天の仇か世紀の大親友にしかなりそうにないわね」

 詩羽はモデルになったであろう二人のヒロインを横目に、傍から見ればガン見しながら、ため息交じりに倫也に言葉を投げる。

「まぁ、社長さんがようやくお目覚めになったようで、私からは何も言うことはないのだけど」

 言いたいことならある。ただ、自分にはそれを言える立場にないことは、とうに自覚している。自分は彼にとって、憧れの先輩であって、目指すべきクリエーターであって、等身大で対等に深い関係になる女の子ではないということ。彼の眼には、そういう対象としてとらえられることはないということ。自分を攻略対象のヒロインに昇格させろなどとは言うべきことではないし、言ったところで採用されないことはわかっている。今回の作品作りで思い知らされたことの一つだ。

 もう一つ、思い知らされたことがある。本気で仕事にも恋愛にもとことん向き合って、自分の考えと思いをもって仕事を、恋愛をしていく彼の姿勢には心底惚れさせられるということ。私にとっても彼は憧れの存在であるということ。違うのは、私の方は、彼と等身大で対等に深い関係になりたかったということだけ。

 彼とは仕事を一緒にできるだけでいい。とは本心から思えないけれども、彼とゲームを作れるのは人生の喜びだ。これからも彼とともに創作活動を続けていくのだと思う。恋愛では彼と一緒に創作したいという願いはだけは、自分でかなえることができそうだから。


* * *


「ねぇ、倫也くん」

 恵は、自分の横でと眠りの淵でうとうととしている倫也に小声で話しかける。

「んぁ?」

 もう半分以上眠っているのに、自分の呼びかけに律儀に答えてくれるところがかわいい。倫也くんのこんな姿は自分しか見られないんだろうな。微笑ましさと同時に、胸を軽く刺すものがあることに気が付く。彼のこんな姿を見られるのは本当に自分だけだろうかとか、それが見られることを自分が自分を肯定するための材料にしているだけじゃないかとか、悪い考えが頭をよぎる。それでも、倫也くんの顔を見ていると、困っていたら助けたいとか、もっと幸せで笑顔でいられるように何かしたいとか、そういうことばかり考えてしまう。もう、変なプライドとか、不安な気持ちとか、そういうのを抜きにして考えたら、彼のことを本当に愛していて、それしか残らないのだと思う。

 倫也くんの腕に絡みつくように自分の体を寄せる。

 ちょっと、想像してたのと違うな。わたしはあくまで待ってるだけで、それで倫也くんが戻ってきてくれて。本当はそうするように根回しはしていたんだけど、それは表に出さなくて。もうしかたないなぁ、でもずっと待っていたんだから許しちゃおうって受け入れて。そんな、白馬の王子様が迎えに来てくれるような甘い夢じゃなくて、現実にはわたしからこうやって迫っちゃうんだから。倫也くんはそうやって女の子にせまらせちゃうんだから。もう、なんだかなぁだよね。本当に。

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冴えない夫婦生活(トゥルーエンド)の育みかた せりざわ よし @ser_1

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