アイキャッチ Bパート1

                ◇◆


 一連の騒動から三ヶ月が経過していた――


 だが、その三ヶ月で天国への階段EX-Tensionに大きな変化があったわけではない。


 元々、広さも定かではない天国への階段EX-Tensionの片隅。

 しかも、秘密のままに営まれていた“篭”の王国。


 参加者達は、まさにその最期の瞬間だけを目撃しただけであり、その口の端に登ることさえも一週間も経過する頃には、すっかりと下火になっていた。


 人の記憶から消え去る時が本当の死だとすると、“篭”の王国は、随分と早く死を迎えた――いや、今となっては生きていたかどうかさえも怪しい、幻のような存在になってしまっている。


 だが、その命脈は未だ絶たれていない。

 記憶の中に、未だ“篭”の記憶を抱えている者がいる。


 あるいは服役中のクーン。


 またあるいは、公安の中心部に返り咲いたリシャール。


 そして――


               ~・~


 現実で会ってみようか、という案も一応は議題に上った。

 だが、それをジョージが拒否する。


 曰く――


「モノクルが裏切らないとは限らない」


 その意見にリュミスが大きくうなずいてしまったので、結局は天国への階段EX-Tensionで会う運びとなった。

 モノクルは心に傷を負ったようだが、それを気にする二人ではないし、本当に傷を負ったのかも怪しいものである。


 だがそれでも、天国への階段EX-Tensionで会う運びになったのは、もちろんモノクルが言うところの“竜”と会うためだ。


 ジョージはさほど会いたくはなかったのであるが、リュミスが会いたがったのだ。

 そして、その気持ちがわからないほどジョージも浮世離れしているわけではない。


 何より“竜”本人が礼を言いたいということでもあるので、


「じゃあ、会おうか」


 ということで意志だけは、一応同じ方向を向いた。


 ただ“竜”のリハビリが必要ということであり――これだけの時間が掛かってしまった、という顛末である。


 その三ヶ月の間に、ジョージはGTとしてリュミスのプロデュースと資金回収。

 リュミスは、協力ありがとうライブに、新作のPV撮影の計画、さらには新人の発掘と、ライフルを握ることのない生活を送っていた。


 もちろんその間に、モノクルから指令が来ることもなく、ごくごく当たり前の――というと語弊はあるが天国への階段EX-Tension参加者として過ごしてきたのである。


 なので、天国への階段EX-Tension接続ライズすることが取り立てて懐かしいというわけではなかったが、さすがにモノクルが使用していた例の小部屋に足を踏み入れた時には、僅かながらの懐かしさを感じた。


 薔薇を通して調整した待ち合わせ時間通りであるので、もちろんモノクルがいないなどという間抜けな状況にはならない。


「――直接会うのは随分と久しぶりになりますね」


 いつものようにソファに腰掛けぬまま、モノクルは立ったままで二人を出迎えた。


「これ、直接会うって言うのか?」


 GTが即座に突っ込んだ。


 確かに、天国への階段EX-Tensionで会うことを「直接会う」という表現を使用して良いのかは、意見の分かれるところだろう。

 だが、モノクルは即座に断言した。


「もちろん良いんですよ。一週間の世界ア・ウィーク・ワールドは人が交わりを得るには大きくなり過ぎました。今後はここで会うことが“会う”という意味を獲得していくことになるでしょう」


 随分と自信たっぷりな言葉に、リュミスが首をかしげる。


「……何か、希望的観測が混ざってない?」

「確かに、そういう世界になることを私は望んでいます。ですが、別にその希望的観測かんじょうだけで断言しているわけではありません。天国への階段EX-Tensionで会うことは、ある意味、現実世界で会うこと以上の価値があるんですよ」

「その理由が聞けるんだな?」


 GTが、身を乗り出してきた。


「おや、この会合にはあまり乗り気ではないと伺っていましたが」


 その態度にモノクルが混ぜっ返す。


「来たからには、手ぶらで帰るつもりはねぇよ。それでその“竜”はどこに?」

「私はこの部屋で良いと言ったんですけどね。まぁ、礼はしたいという事は本当ですから。で、彼は全力を尽くしてロブスターを造ると言いだしましてですね」


 その言葉にリュミスが再び小首をかしげた。


「要は、アーディがピラミッドとか、海とかを作っていた能力の元の持ち主って事よね。その“竜”は」

「そうなりますね」


 即座にモノクルが肯定する。


「……それでこの部屋を使わない理由がわからないんだけど? ロブスターを造ってここに持ってくればいいじゃない」


 すでに全力ロブスターという単語に大脳が侵され始めたGTは会話に参加してこない。


「私もそう主張したんですけどね。まぁ、ご覧になればわかると思いますよ」


 そう言うと、モノクルは部屋の外へと通じる扉に手を掛けた。つまりは、つい先ほど二人が入ってきた扉でもある。


 モノクルは扉を開けると、二人を先導するかのように歩を進めた。


 実際、向かうべき座標を知覚しているのはモノクルだけであるので、先導して貰わなければ二人は迷うしかないのであるが――


 ――たどり着いた、その場所の光景に二人は目を見張った。


                   ~・~


 まず圧倒的に目に飛び込んでくるのはキラキラと輝くオーシャンブルー。


 だが単純に海がある、というわけではない。


 その場所は海の底だったのだ。


 優雅に泳ぐカラフルな南国の熱帯魚も、色鮮やかな珊瑚も、ゆらゆらと揺らめく海藻も。

 全てが自分の目線に高さにある。


 そして見上げる空には、優雅な曲線を描いて泳ぐ大型魚に、時折光を遮るタイマイの巨大な影。

 ふわふわと浮かぶクラゲの群れはまるでシャンデリアのようにも見える。


 そんな幻想的な光景ではあるが、いきなり水の中に放り出されということではないらしく、謂わばここは水中の泡。

 海底に空気のドームのようなものが形成され、そこに案内されたようだ。


 移動の行程がいい加減きわまりない天国への階段EX-Tensionならでは、とも言えるがこれだけのものを“創造”した力量は確かに、かつてのアーディより上だろう。


 何しろ、あの海は言い換えればただの水たまりでしかなかったのだから。


「……おい、まさか三ヶ月ってのは……」

「私には制御できないので」


 GTのイヤな予感に、モノクルは答えになっているような、なっていないような曖昧な言葉を返す。


「お、来たか」


 その時、泡の端の方から嗄れた声が聞こえてきた。

 老人の声――と迂闊に言い切ることも出来ない、何とも判断に迷う声だ。


 自然とそちらに目を向けると、そこにいたのは期待を裏切って若者だった。


 白髪。水色の瞳。かなりの痩せぎす。

 大きめのリネンのシャツを緩やかに身に纏い、アームバンドで袖を持ち上げている。


 そして胸元にはポーラー・タイ。その金具部分には琥珀に精緻な細工を施したカメオのようなものがあしらわれていた。


「わざわざ、呼び出して済まなかった。ロブスターが好物と聞いたのでな。それでこんなものを造ってみた」

「ロブスターのためなら仕方がないな」


 殊勝な言葉に、GTは鷹揚にうなずいた。

 果たしてその若者の右手には、ピチピチと尻尾を跳ね上げる活きの良いロブスターが握られているのだからGTが文句を付けるはずがない。


 どうやら海を造って、この泡を作って、ロブスターを直接捕まえていたらしい。

 その若者は自らの手中にあるロブスターを眺めながら、ポツリと呟いた。


「さてと……茹でるか蒸すか」

「蒸していこう」


 お互いの名前もわからぬままにロブスターを中心に話を始める二人。


「……念のために確認するけど、あれが“竜”なの?」


 ロブスター絡みのGTに近づくこと恐れて、リュミスがそっとモノクルに確認すると、


「その通りだ!」


 思った以上に快活な声が、若者から返ってきた。


「儂は、そうだな……DICディックとでも名乗っておこうか。“竜”では曖昧に過ぎるからな」


 水色の瞳を猫のように細めて、若者――DICは笑みを見せた。


            ~・~


 その後、蒸したロブスターには何を付けて食べるべきか、という論争もあったのだがひとまず置く。

 DICが用意したのはこの絶景やロブスターだけではなく、贅の限りを尽くした、あらゆる料理が用意されていたからだ。


 また中華料理になるのか、と半ば覚悟を決めていたリュミスだったが、その多彩さに望外の喜びを味わった。さらにはDICからこの場所の使用許可も貰い、早くもライブやPVのアイデアが脳裏に湧き上がっている。


 そして、GTはといえばロブスターさえあれば満足する男である。

 丸いテーブルを囲んで、おおよそ一時間の歓談の後、いよいよ本命とも言うべき、


 “天国への階段EX-Tensionとは結局のところ何なのか?”


 という、話題に到達した。


「先に答えを言っておくと、ここは人の意識が作り出した天国……のようなものだな。謂わばそのきざはしだ。天国に向かう魂がその踊り場で寄り集まっている、というのが儂の認識だ」

「ちょっと待って」


 すかさず、それに待ったを掛けるリュミス。


「じゃあ、名称としては天国への階段EX-Tensionの方が正しいって事? O.O.E.って言うのはどこから出てきたの?」


 そんなリュミスの疑問に、モノクルが苦笑を浮かべながら答える。


「まさか、この人の説明を公式説明には出来ないでしょ? なのでもっともらしい名称を連合で付けたんです。怪しげだから使わない、という判断はこの天国への階段EX-Tensionの利便性を考えると、絶対にあり得ませんでしたから」


「まぁ、造ろうと思った理由は、アインシュタインの馬鹿が光速以上の速度はない、と宇宙を固めてしまったから――だがな。奴は宇宙項といい何事も固めたがる。それを超光速航法が打開したが、それでもまだ通信技術の利便性は地球だけに留まっていた頃の足元に及ばない」


 DICが、さらに説明を重ねてきた。


「つまり、人間が無意識に信じている“天国”という共通概念を利用して、物理法則に縛られない世界を作り出したというわけです」


 そしてモノクルがその説明にとどめを刺した。


 そこまで黙って聞いていたGTが、右手を挙げる。

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