アイキャッチ Bパート1
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「…………は?」
実に間の抜けた声が、喉から漏れだしてしまった。
そんなリュミスを見て、香藍は我が意を得たりとばかりに、にんまりと微笑んだ。
「……よかった。今までの長々とした説明が無駄にならなくて」
「ちょ……ちょっと待ってください」
「待たないわ。私もいい加減話し過ぎで喉にダメージ来てるし――とにかく、あの子が飛び抜けた存在って事は理解してもらえた?」
そしてメインディッシュが運ばれてくる。
見た目は鴨肉のソテー。
この店の格式からすると、ちゃんとした鴨肉なのだろう。
中にフォアグラのムースが組み込まれているのがこの店の工夫なのだろうが、平凡といえば平凡だ。
「ジョージが凄いのは……言ってしまえば、お話を伺う前から理解はしているつもりです。ただ、ちょっと桁が違いましたけど」
「その桁の違いを、理解して貰いたかったのよ。だからこそ……あの子の扱いには私達も苦慮しているのよ」
「――苦慮?」
「考えてもみて。今、私がこんなナイフじゃなくて――」
香藍は、鴨肉を切り分けていたナイフを掲げてみせる。
「――
「なんか……凄く想像しづらいんですが」
「そこは頑張ってよ。で、その
「……わかりました」
さすがに理解できた。
ジョージの戦闘能力は突出しすぎている。
だから、どこかの組織がジョージを傘下に収めてしまうと、それだけでもう火種になってしまうということだろう。
それが故に、ジョージは引退を宣言し、何事も成そうとしないのか。
あの自堕落にも一応理由はあった事に、リュミスはまず感心して、そこから違和感を抱く。
では――
「イシュキックでは、さすがにやりすぎたのよね」
同じ違和感を香藍――いや、裏社会が抱いたということか。
確かに、あの時のジョージは“やり過ぎ”だった。あとから話を聞く限りでは色々と理由があったようだが、この場合、ジョージに助けられたのは……
「楊さんのところが、疑われた……?」
「李家ね」
「でも、それは……」
「非常時だった、という言い訳は通用しない世界なの」
「そんな! ……でも、あれは」
そこで、香藍は罠にかかった獲物みるかのようにニヤリと笑ったが、下を向いてしまったリュミスはその笑みをみることが出来なかった。
「ジョージは、李家に申し出たそうよ。『今回の自分の行動は、ひとえに自分の恩人となったリュミス・ケルダーを守護するためのもので、李家はその行動で利益を受けたかも知れないが、それは結果論に過ぎない』ってね」
「……………………」
もはや、嫌な予感しかしない。
――しないがしかし、それであれだけ世話になった楊、ひいてはその楊が所属している李家が危機を回避できたというなら……
「恩人というのは――デマカセかと思ってたんだけど、その辺、どうなの?」
「……えっと、その
「恩人になったの? ……何か変な言葉ね、これ」
「だってそうしないと、二人とも殺されるところだったんですよ!」
思わず語気を荒げてしまうリュミス。
だが、香藍は逆に落ち着いていた。
「リュミスさん。冷静になって。私はそれを責めたりしないし、黒社会も今の状況を歓迎しているの」
――歓迎?
その言葉が、聞き間違いではないかと、一瞬耳を疑った。
ジョージという危険な男が、自分を恩人と認識している。
それの何処に、危ない連中が歓迎する要素があるのか?
香藍の説明は続く。
「あの子はむき出しにして置いておくには、危険すぎるのよ。誰のものでもないあの子は、いつか誰かのものになる可能性を持っている」
この説明で、リュミスは大方の事情を察した。
「――それなら、私みたいな素人に任せた方がマシってことですか?」
「有り体に言ってしまうとね。あなた、どう考えてもジョージを利用して組織間抗争を引き起こすとは思えないし」
「それは……そうですけど」
「だから、こう考えてほしいの。ジョージという剣は鞘の中に収められた、ってね」
「……鞘ですか、私」
比喩としても扱われ方が酷い。
それに“鞘”呼ばわりは、どうにも別の何かを連想させる。
どうやら、香藍も同じようで、今までとは別の視線でリュミスを見つめていた。
「……一緒に住んでるのよね?」
「はぁ、まぁ、それとあんまり変わらないような状況ではありますね」
「で、あの子が義足だって事を知らない――特殊なプレイ?」
「違います」
ごく冷静に、リュミスはそれを否定した。
自分でも今の状況が不自然であるとは思っていたし、船に乗せた段階で一応“そういう”展開も頭の中に入れていた。
だが現実は何も起きず、今に至っている。
「……もしかして……全然?」
リュミスの反応が、大げさななものでなかったことで香藍も事情をおぼろげに察したのだろう。
「そうですよ。お互いに清らかなものです――何しろジョージは、寝てるか、起きてるか……ステージのアイデアを出すかしか選択肢がない様な状況ですから」
「あなたを求めてくることはない?」
リュミスは顔をしかめた。
そういう言い方をされると、自分が悪いようではないか。
香藍も自分の失言に気付いて、
「ごめんなさい。そ、そういうことではなくてね……」
何だか慌てている。
「あの子にね……何か問題があるんじゃないかと思って――なんていうかそういうのに一番興味がある時期に、殺しまくっていたわけで」
「あ……」
言われてみれば、その通りだ。
「で、あの子ね。妹ね。朱蘭をきっと神聖視していたところがあったと思うのよ。だから復讐には違いないんだろうけど、それは譚家の復讐じゃなくて、きっと妹のためがほとんどなんじゃないかって……」
「…………」
「あの子の“そういう”部分も、死んでしまったんじゃないかって、そんな風にも思えるのよね」
これには返答のしようがない。
リュミスは仕方なく、目の前の鴨と格闘した。
香藍もそれに倣うかのようにして、しばらくは二人で鴨との格闘を続けていた。
だが、やがて香藍が先を続ける。
「……あなたは確かに、あの子の恩人なのかも知れないけど、あの子があなたの恩人であることも確実よね」
何だかこんがらがりそうな言葉の進行にリュミスは、一瞬理解を手放しかけたが、最後の言葉だけを拾って何とか香藍の発言の主旨を理解した。
だから、その先に続く言葉も概ね予想できる。
「――身体を許せ、と?」
「そうは言わない。でも、あの子のことを好きになってくれる可能性もなくはないわよね? という確認」
また、こんがらがりそうな言葉の羅列だ。
しかし、それだけ香藍も今の自分の発言が微妙であるということは理解している、ということなのだろう。
そう思うと、不思議に嫌悪感が湧いてこない。
――良いから言われたとおりにしろ。
頭の中で、砂を噛んだような嫌な雑音が勝手に再生される。
だが、実際のところ香藍という女性はそれぐらいの強制力を持っているのではないか?
相変わらず隙のない、むくつけき男達をチラッと見て、リュミスはそんなことを思う。
それなのに、自分に向ける言葉は終始、どこか戸惑い気味だ。
それは本当に――
――本当に弟の恋人と初めて話すこととなった姉の反応なのではないか。
「確認と言うだけなら……」
「うん」
「まだ、そういう心境には至っていません」
「“まだ”?」
やっぱりそこに食いついてくるか。
予測していた反応とはいえ、ちょっと引いてしまう。
「全然望みがないという話でもないということです。そこを強制だというなら、それこそジョージに相談しますよ」
その返答に香藍の表情が初めて引きつった。
ジョージが怖いというのは本当らしい。
「う、うん、こっちも無理強いはしないわ。今の状況でも大変に喜ばしいことでもあるし」
香藍は、何とか言葉を返してきた。
「そうなんですか?」
「だって、
身も蓋もなくなってきた。
「で、あの子がお嫁さんでも貰って落ち着いてくれたら万々歳。こっちもやっと気を緩めることが出来るの」
「……また」
「現状じゃ、あなたにその期待がかかっていることは、申し訳ないけど甘んじて受けて。これはね、あの子が怖いって言うのも理由だけど、私としては単純にあの子は報われてほしいのよ」
「…………」
「そりゃあ、あの子のしたことは許されないって感覚の方が一般的だとはわかってる。だけど、私にとってあの子はたった一人の身内なんだもの。幸せになってほしいのよ」
――なるほど。
と、リュミスの胸の内は納得の感情で満たされた。
公務としては、今の
私事としては、弟の幸せのために。
自分はこれに対してどう返事をするべきなのか。
前者に対しては簡単だ。
どのみち、自分でどうこうできる範疇を超えている。
では後者はどうだろう?
これに対しては、自分は明確な答えを持っていない。
今まで探そうともしなかった――いや、無意識に探すことを避けていたのかも知れない。
ジョージに対する漠然とした好意はある。
そもそもそうでなければ、いくらなんでも乗船を許したりはしなかった。
そのあたりを、あの
だが――
「……すいません。やっぱり今はそこまでは考えられません。これは私自身にも原因があると思うんですけど、私も“そういう”事にどうも冷めているらしくて」
それは嘘ではない。
ただ、冷めているという表現は自分でも違うと感じていた。
自分はきっと……
「良かった」
だが、そんな中途半端な答えに香藍は笑みを返してくれた。
「ちゃんとあの子のことを考えてくれてありがとう。無理ばかり言ってごめんなさい……だけど、あの子の生活習慣は、ちょっと治してもらえると嬉しいかな」
「ご存じなんですか?」
「ちょっと前まで、ロブスターしか食べてなかったことは知ってるわ。さすがに
「それはもう。私もそんな馬鹿な食生活に付き合ってはられませんから」
「良かった。これから先、黒社会は全面的にあなたをバックアップするからね」
「は…………い?」
迂闊に相槌を打ちそうになったが、とんでもないことを言われなかったか?
「あの子は、私達中華系マフィアの守り神でもあるのよ。その戦闘能力が無くなることは内向きには歓迎できるけど、外向きには歓迎できないのよね。だから、あの子はいざとなったらいつでも刀を抜ける、みたいに扱う必要があるわけ」
「そんなの……今でもそうじゃないですか」
「あなたと一緒にいることで、牙まで抜かれたと外に思われたらマズイわけよ。だから、あの子の牙が抜けていないという証明のために、私達はあの子を丁重に扱うわけ」
「……私はおまけですね」
「いや?」
「まぁ、積極的にご協力願おうとは思ってませんから、同じ事ですけど」
「うん。そのぐらいのスタンスだと思ってくれてると有り難いかな――ふう、お待たせしたわね」
「確かに、この結論にたどり着くまで長かったですね」
「あ、え? いえ、今言ったのはそうじゃなくて」
「まだ何かあるんですか?」
さすがに、リュミスの声に疲労が滲む。
だが香藍は、構わずに続けた。
「……この料理、微妙だったでしょ?」
意表を突かれたと言っても良い。
そして思い返してみると、香藍の言わんとしていることはわかる……様な気がした。
ごちそうになっていて、何とも同意しかねるが、目立って美味しかったわけではない事は確かだ。
もちろんまずくはないのだが。
「ここの店のデザートが絶品なのよ。だけど単品で注文は出来なくてね」
ため息と共に香藍が、そう告げると当然の疑問が湧く。
「その……パティシエと言うんでしたっけ? 香藍さんが援助して店を出させるとか」
「そのパティシエが、ここのオーナーシェフの連れ合いなのよ。だから……ね」
何ともしょっぱい話だ。
夫を見捨てるのが忍びない。
子供がいれば、そのために
「才能があっても、それを存分に発揮できるかは、本当に運次第だわ」
香藍の言葉は確かに一般論に違いなかった。
だが、その言葉はリュミスの“傷”に障る。
「さて、待ちに待ったデザートよ。いただきましょう」
その香藍の言葉を合図に、緋色の皿に載せられたデザートが運ばれてきた。
見かけは洋なしのコンポート。
口に入れると酷く甘い。
けれど、ほろ苦いチョコレートソースとジンジャーの風味が、その甘みを一瞬にして奥深いものにして洗い流していくので、その後味はとてもさっぱりしていた。
デザートを食べているという満足感と共に、それ以上の何かを与えてくれる。
「美味しいでしょ」
香藍は無邪気に語りかけてくるが、リュミスは、何だか皮肉な味だと思っていた。
――甘いだけのものは、時に不快さを感じさせる、と。
~・~
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