Aパート2 アイキャッチ

 しかし、そうはならなかった。


 男は左腕で上半身を庇うと、そのまま無謀な突撃を試みる。

 もちろん銃撃がそれに応えたが、男は平然と左腕を犠牲にした。


 そして“死”が再び訪れる。


 流れる水の中に、二人の男が倒れていた。


 死んでいる。


 間違いなく、そう確信できる異様な光景。


 だが、そのうちの片方が起き上がった。


 降りしきる雨の中、立ち上がった男が左腕から流す赤い流れが、蛇のようにリシャールへと這いよってきた。


 僅かに振り返る男の瞳がリシャールを見る。

 こんどこそ、自分にが訪れる。


 その恐怖と期待とが、リシャールを再び恍惚へと誘おうとした。


 ――だが。


 男は何もせずにその場を立ち去った。


 祝福を与えるまでもないと。


 まるで路傍の石のように自分を扱ったのだ。


 ――それから……


 それから、どうしたのか。


 連合の組織が思った以上に腐敗している現実を知った。


 そして、あれだけの暴挙を繰り返す、ジョージ・譚に対して静観を第一に、という方針が上部で決定される。


 もちろん表立っては、通常の対応をする。

 だが、むやみやたらに人員を投入してその行動を阻止しよう、という事には決してならなかった。


 リシャールが何度も。


 何度も。

 何度も。何度も。


 ――何度上申しても、全く反応がなかった。


 否定もされず。


 叱責を受けることもなく。


 もちろん、肯定され事態が動き出すこともない。


 そうこうしているうちにガリキュラー家の血統は根絶やしにされ、ジョージ・譚の足取りも消えた。


 「九族滅殺ナイン・イレイズ

 「復讐完遂者パーフェクト・リベンジャー


 という、物々しい異名を残して。


 ――そしてリシャールは、自分が緩やかな死亡状態であることを自覚した。


 死んではいない。

 ただ、それだけでは生きているとは言えない。


 死を待つばかりの生とは、すなわち“緩慢な死”を迎えていることと同義だ。


 そしてそれと同じ意味を持つ空間が存在した。


 ――天国への階段EX-Tension


 最初はまったく興味が湧かなかった。


 仕事上、僅かに利用するばかりだったその空間を彷徨うようになったのは何時からだったのか。


 すでに記憶は失われている。


 だが、そこでリシャールは新たなる神を見つけた。

 この空間に新たなる秩序を作り出そうとしている創造神を。


 そして、リシャールは「RA」となり――


 ――彼らの“走狗いぬ”となった。


              ~・~


 キャバレー「ナイト・シェパード」


 それが臨時にリュミスのライブ会場となった店の名前である。

 キャバレーであるだけに、ステージ設備は十分。


 音響面ではさすがに専門のライブハウスに一歩譲るものの、キャパは約七百人と「シェル・カリアリ」を上回る。

 しかも、座席を全て片付けてホールを最大限に広く使ってるので収容人数はさらに増えていた。


 その全員が――


 ――我を忘れて絶叫している。


 天国への階段EX-Tensionに隠れも無き、最高のアイドル。


 それがリュミス・ケルダー。


 いつもなら、分身体アバターでしか会えない存在が目の前にいる。

 確かにそういう“貴重な体験をしている”という興奮もそこにはある。


 だが、それだけではない。


 全身を打ちのめす、圧倒的で断続的なサウンド。

 すぐ隣で同じように興奮している、同志ファン達の熱と声。

 そして匂い。


 その全てが天国への階段EX-Tensionでは、曖昧なのだ。


 あの場所では快適であるように調整されているのか。

 それとも分身体アバターは、そういったものを感じ取れる能力が低いのか。


 人は時に不快感さえも快楽に変えることが出来る。


 さらに生演奏のサウンドだ。


 リュミスは、自分が歌うべき曲を自ら見つけてくる。


 天国への階段EX-Tensionで、曲を発表している利用者に接触して、その者と直接契約を結ぶのだ。

 そして、その曲をアレンジして天国への階段EX-Tensionのステージで演奏する。


 リュミスが隔絶した人気を誇るのは、このアレンジセンスと、他の追随を許さないこの演奏再現機器に負うところも大きい。

 この再現機器はリュミスが手ずから組み上げプログラムしたもので、ここにも彼女の努力が垣間見える。


 そういった楽曲を現実世界のサウンドに落とし込むと、それはさらに刺激的なものとなるのだ。


 本来、リュミスは天国への階段EX-Tensionだけで活動をするつもりだったらしい。

 だがファン達の熱意に負けて一度だけのつもりで、現実世界でライブを行った。


 それは一種の恐慌状態を引き起こすまでに、ファンを熱狂させ、以来リュミスの生ライブを求める声が大きくなり、今に至っている。


 リュミスを求める声の拡散に、もっとも貢献したのが天国への階段EX-Tensionの存在であることは、皮肉と言うべきか。


 深紅のボンテージ風のビスチェに、黒いレースをあしらった攻撃的な衣装。

 鋲付きのグローブやブーツを纏い、その輝きがカクテルライトを切り裂く。


 いや切り裂いているのは、その輝きだけではない。


 リュミスのハイトーンボイスが、光を圧倒していた。


 それに寄り添うように駆け上がる、エレキギターの旋律。

 キーボードの高音もそれに続こうとするが――


 ――それらは砕けて散ってしまう。


 そして始まるのは細かく、そして不安を煽り立てるようなバスドラの重なり合い。


 リュミスのこの曲にはドラムパートが二人必要なのだ。


 そして始まる、短調マイナーで始まるリュミスの声が奏でる再びの旋律。

 おどろおどろしい、複雑でねじ切れるような圧倒的な低音。


 「リバーサル・ラダーさかさま梯子」が始まった。


 リュミスの楽曲の中でも人気の高い曲だ。


 彼女の歌う曲には、むやみに明るいメッセージソングはさほど多くはない。

 深い闇の底で、必死に抗う抵抗レジスタンスの歌。


 それがファンの心を揺さぶるのだ。


 圧倒的な声量は、ホール全てを席巻し、そして巻き込んでいく。


 ――一人を除いて。


 楽屋の奥。


 ロブスターが山と盛られた皿と格闘する一人の男。

 風采の冴えない、東洋人の男。


 ジョージ・譚。


 その傍らには、小さなスポーツバッグ。


 それが、このライブの前に二人がモノクルと話し合った末に受け入れることになった、目に見える結果だった。


◆◆◆ ◇◇ ◆◆◆ ◇◇ ◆◆◆

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