第13話「現世と幽世の交差」
アバン OP Aパート1
イシュキックの夏の日差しは
そろそろ、恒星ククルカンは空の頂点へとさしかかろうとしている。
「シェル・カリアリ」には、午後から顔を出すことになっていたが、楊をはじめとしてスタッフが何人かはいるはずだ。
歩道を歩く人の群れをかき分け、懸命に「シェル・カリアリ」へと向かう。
後ろから、自分と同じに走っている足音が聞こえてきた。
恐怖を感じて振り返ってみると、昨日、自分の護衛ということで楊が手配してくれた二人だ。
その心遣いには感謝するが、それならそれで言っておいて欲しい。
しかし今は急いでいるので、構っている暇はない。
気になるとすれば、
基礎メイクしかしてないし、上も下着の上から大きめのシャツを羽織っているだけ。
下は覚えていないが、ショートパンツでも穿いていると信じたい。
足はほとんどむき出しで、パンプスで走っているので、内心冷や汗ものだ。
実際、何度か転びそうになり、おおよそ五分ほど走っただろうか。
問題なく「シェル・カリアリ」にたどり着くことが出来た。
扉を開けると、ライブハウスのスタッフがギョッとした表情を浮かべる。
それはそうだろうな、とリュミスは内心で苦笑を浮かべた。
髪もぼさぼさで、着の身着のままの自分が飛び込んできたら、どんな非常事態かと思うだろう。
そして実際、非常事態になる可能性はある。
だからこそ、その驚きに付き合っている暇はない。
リュミスは単刀直入に切り出した。
「……楊さんは居る?」
「え、ええ。今ステージで案内の打ち合わせを……」
それを聞くと、リュミスはつかつかとホールへと続く扉へと歩み寄る。
そのまま防音仕様の分厚い扉を開けて、楊の姿を確認しないままに大声で尋ねた。
「楊さん。G……ジョージは?
ステージ上の楊は、即座にその声に気付いた。
そして、リュミスの姿を見て大変慌てたようで、
「リュ、リュミスさん!? い、いえまだですけど……なんでそれを知ってるんですか?」
と、露骨な不審をあらわにしてしまう。
だが状況がわかる分、今はその方が有り難かった。
そして現状を見れば、リュミスが考えていた“最悪”が起こっていないことも理解できる。
「早くジョージを……」
――起こす?
――そんな方法があるのか?
「リュミスさん……?」
いきなり飛び込んできて、何かを言いかけてまま固まってしまったリュミス。
楊の反応も無理からぬ事とはいえ、リュミスはその反応の鈍さに苛立ってしまう。
だが、この状況を一から説明しているわけにはいかない。
全部自分の杞憂で終われば、ジョージにも手伝わせて、笑い話にでもしてしまおう。
「……昨日、ジョージ……さんが言っていた何か戦うのが得意という人は……」
「え? ええ。間もなく――」
着いていないのか。
いや、着いていれば当然自分の警護に回してくれるつもりだったのだろう。
それが未だに、昨日のスタッフということは必然的にそういうことになる。
「じゃあ、着いたら
「ああいった部屋はそもそも、かなり頑丈ですし……それに内鍵が――」
「それでも!」
全てを言わせずに、リュミスが重ねて言うと楊の目つきが変わった。
「リュミスさん、何かあったんですか?」
ステージを降り、リュミスに近づきながら、楊が真剣に尋ねてくる。
「あるかも知れないの。昨日の騒動はその前兆で、本当の狙いは私じゃなくて……ああ、いや私もそうかもしれないんだけど……」
楊の顔色が変わった。
「譚先生が狙われていると?」
「今は……その理解で良いわ」
「わかりました。その情報をもたらしてくれたことに感謝します。先生は我々の恩人です。それに我々の
もじゃもじゃの髪の下で、楊の瞳が強く輝く。
堅気ではない、とわかっていたことだが改めてそれを確認して、ゾクリと背筋が振るえるが――今はその震えも頼もしい。
「とは言っても、リュミスさんの警護がおざなりでは話になりません――丁度良かった。着いたようですね」
そう言われて振り返るとエントランスには、置き去りにしてきた昨日の二人と、明らかに顔つきも体つきも違うスーツ姿の東洋人が二人。
楊がその二人に駆け寄って、何事かを囁き合うと二人とも血相を変えて駆けだして行ってしまった。
ジョージはやはり相当なVIPであるらしい。
それを見送った、楊が改めて声を掛けてきた。
「リュミスさん、本家にも応援を呼びました。それと、この周囲一帯連合の官憲が検問を敷いているようです。なぜかウチの関係者は通されたようですが」
「え……?」
モノクル――だろうか。
なるほど、自分が気付くようなことは当然、あの人でなしも気付いているということだろう。
だが、それでようやくリュミスは一息つくことが出来た。
「じゃ、じゃあ、とりあえずは安心?」
「ええ。連合が動いている分、リュミスさんの心配事もいよいよ真実味が増してきた事にもなるんですけどね」
「そこから疑ってたの? ま、まぁ、とにかく間に合ったみたいで良かったわ」
「リュミスさん。どこか部屋を用意しますから、とにかくいったん落ち着きましょう」
そう言われて、リュミスはハッとなって両手で全身を確認した。
髪はボサボサ。
シャツは肩からズレ落ちそうになっていて、下は――よかったレギンスは穿いていたようだ。
が、もちろんみっとも良い格好ではない。
「そ、そうね。後で一度ホテルに戻るにしても……これはちょっと酷いわね」
「いやぁ、役得でした。スタッフ志願して本当に良かった」
そういえば、楊も自分のファンの一人であることに違いはないのだった。
だが、ここまで明け透けに言われると起こるよりも先に呆れてしまうし、何よりも自分の緊張を和らげようという気遣いにも気付くことが出来た。
「じゃあ、えっと……そこに応接室みたいなのがあったわよね。とりあえずそこで」
「わかりました。支配人には俺から話をしておきますよ。あと女の子も向かわせますね」
「うん、お願い」
有能すぎて、ちょっと気持ちが落ち着かなくなるぐらいだが、ここは素直に感謝しておこう。
そうして応接室に引っ込んで、とりあえず髪を何とかするか、鏡代わりになるものはないか、とりあえず窓で良いか、と結局は一向に落ち着かないままバタバタとしたまま五分ほど経過しただろうか。
応接室の扉が控えめにノックされた。
楊の手配してくれた女の子だろうと思い、
「どうぞ」
と、声を掛けると開かれた扉の向こうにいたのは、またしても楊だった。
「何……かな?」
予想とは違った出来事に、いささか警戒心強めで尋ねてみると、楊の口から思いも寄らない、そしてあるいは最悪の報告がされた。
「――その……リュミスさんにお客さんです。カイ。カイ・マードルが来ています」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
リュミスがそもそも陣取っていたのが、応接室だったことがこの場合幸いしたというべきなのか。
突如、ライブハウス「シェル・カリアリ」に訪れたカイは、まるで主人の様にソファに腰掛けて、座ることも出来ないリュミスを平然と眺めていた。
ジャケットを着てはいるが、インナーは格式張ったものではなく、この突然の訪問がトップアイドルの気まぐれで行われたものであることを暗に示していた。
「落ち着かないな。掛けたらどうだい?」
「……生憎だけど、あんたみたいなゲスの前で、気を許す気はないわ」
即座の切り返しに、カイは苦笑を浮かべる。
「
「
カイの笑みが、引っ込んだ。
「なるほど、それぐらいは君もわかっていたのか」
「それぐらいわね。だから雇い主の連合職員も気付いてるわ。ここに来るのに、検問受けたでしょ?」
「いや」
涼しい顔で答えるカイに、リュミスは思わず言葉に詰まる。
「え? そ……だって……」
「検問は確かに行われていたね。でも僕を誰だと思ってるんだい? カイ・マードルだよ。僕が通りたいと言って、通れないことがあるものか」
「く……」
「だから、僕の友人達もそのまま素通りさ。君の言うとおり、GTの本体がここにいることは昨日からわかっていたからね。準備をする時間もたっぷりあった」
「昨日? じゃあ、昨日の騒動は……」
「ああ、昨日のはね。君を攫うだけの仕事だったんだけど」
さりげなく告げられた、その言葉の意味をリュミスは瞬時には理解できなかった。
だが、脳が理解するよりも早くリュミスの身体中の細胞が怖気を感じて、思わず後ずさる。
カイはそんなリュミスの反応に一向に構うことなく、説明を続けた。
「だけどそれは失敗した。よくわからない男の妨害でね。ところが妨害してきた相手はかねてから仲間が手配していた、最大の障害――GTの本体だというじゃないか」
「……か、勘違いじゃないかしら」
ほとんど反射的にリュミスが言い返すが、カイはそれに構わずこう続けた。
「――恐らく真っ当な人間ではない」
「…………」
「東洋人。そして、身なりはパッとしないね」
「……残念ね。私もGTの本体は知らないのよ」
ほんの数時間前まで、それは事実だった。
だがカイはこれにも取り合わない。
「そういう人物をこのライブハウスから捜して拉致。いやその場で始末かな。大丈夫、それ以外には人死にが出ないように頼んである。さすがに殺人事件となるといかな僕でも、官憲に話を聞かれるぐらいの手間は掛けさせられる。それは面倒だ」
ただ自分の事情だけを並べ立てていくカイ。
「ひ、一人死んでるじゃない」
「まぁ、それは誤差だね。それに一人の死体ぐらいなら片付けられる――そうだよ。僕は詳しくないから、よくわからないけどね」
そういって肩をすくめる、カイ。
この男は、明らかに人としての“何か”が壊れている。
それが生まれつきなのか、今の地位に上り詰めた事による後天的な物なのか。
リュミスにはわからない。
だが、この男と分かり合えることだけは絶対にない、とそれだけは理解できた。
…………ンッ!
音にはならない。
それでいて確実に感じられる振動がリュミスの全身を襲った。
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