Aパート2 アイキャッチ

「俺の?」

「彼女を攫って欲しい」


 あっさりと告げられたその依頼に、クーンは一瞬理解が及ばなかった。


 だが、その依頼は確実に犯罪行為だ。

 自分を呼んだ理由はそれで理解できたとしても、よくわからないのはその動機だ。


「そりゃあ……金さえ出してくれればそれぐらいはするけどよ。あまりに大人げないんじゃないか? お前とは全然格が違うだろ。危険な橋を渡っても割に合わない――」

「いや違うよ。彼女の活動の妨害は目的じゃない」


 カイは、さわやかな笑みを浮かべた。

 クーンはその笑みに焦臭いものを感じながらも、もう一つの可能性を口にする。


「自分の女にしたいってんなら、アンタなら股を開く女たくさんいるだろ。これもわざわざ俺に依頼することは……」

「実はそっちも違う。まぁ、女はいくら居てもいいだけどね」


 間違いなくアガンだ、とそこでクーンは確信した。


「GTにパートナーが居るのは知ってるだろ? 会ったことは……」

「どうも、そいつに一度撃ち殺されたらしいが、直には見てないな」

「そのパートナーの正体がリュミスなんだ」


 カララン……


 と、クーンの持つグラスが涼やかな音を奏でた。


「……驚かせてしまったかな?」

「驚く以外のことができるか? ――それフォロンには」

「言ってない。ここは二人で片付けてみないか? そのままGTの正体もわかれば、さらに面倒事が減る。もちろん、聞き出す時に役得もあるだろうね」


 その提案に、黙り込むクーン。


 仲間内で自分たち二人の立場が微妙なものになっているのは感じている。

 ここで一つ手柄を上げて立場を強化しておきたい――そういう意図があるのだろう。


 カイは自分の欲望もそこに乗っけているようだが、クーンにしてみれば、それによってもたらされるであろうGTの情報により魅力を感じる。


「……そのリュミスが、パートナーというのは確かなんだな?」

「それは間違いない」


 その強い言葉に、クーンも覚悟を決めた。


 起死回生を狙ってのことか、それとも自分の欲望を優先させてのことか。


 今まで、最重要情報を黙っていたことに疑問を感じないではないが、それだけにその情報を自分だけに明かしたと言うことは、逆にその情報に信憑性があると考えることも出来る。


「……で、リュミスがイシュキックに来るんだって? どの連絡船に乗ってくるんだ?」

「それが難しいところでね。彼女は個人でクルーザーを持ってるんだ」

「何?」


 今度こそ、クーンは声を上げて驚いた。


「お、おい、まさか超光速船か?」

「ああ」

「なんて奴だ……」


 個人用の超光速クルーザーは言うまでもなくもの凄く高い。


 見たところリュミスの年齢は、行っても二十代前半と言うところだろう。

 この年齢で、クルーザーを買うほどの金を貯める――クーンにはそれが何よりも驚きだった。


「それで、航法士も雇ってるんだろ?」

「いや、それがね」


 カイは、喉の奥で笑う。


「……彼女自身が航法士なんだ」


 クーンは大きく目を見開いた。


 現在の一週間の世界ア・ウィーク・ワールドにおいて、航法士はほとんど異能者扱いである。


 超光速航法。


 それが実際にどんな仕組みで果たされているのかを、人類のほとんどは知らないまま受け入れてしまっている。


 現状の社会情勢において、超光速航法を受け入れないまま過ごすと言うことはほぼ不可能であり、喩え一つの惑星ほしで生涯を過ごす者がいたとしても、惑星ほしそれ自体が生存し続けるためには他の惑星ほしとの連携は不可欠で、それを成すためにはやはり超光速航法に依存するしかない。


 その航法の重要な要因の一つに位置するのが航法士だ。


 超光速航法のブラックボックスが機能して、現行の物理法則から船体が切り離されている間に、


「目の前の星には、直ぐに着く」


 と“思いこむ”ことで“世界をねじ伏せ”船を超光速へと導く者。


 それが一週間の世界ア・ウィーク・ワールドにおける水先案内人、航法士の役目である。


 A級航海士ともなれば、思いこむ、というレベルではなく“見えてるのにすぐに着かないと思う方がどうかしている”と他を見下し“世界の中心が自分だと確信してる”という、天上天下唯我独尊の鼻持ちならない奴らばかりと言っても良い。


 こういう人間が育つのはかなり希で、そもそも世界を停滞させた大元、相対性理論アインシュタインの洗礼を今の人類は少なからず受けており“思いこむ”前に常識が邪魔をする。


 最初の航法士は今よりも、もっと相対性理論アインシュタインが幅を効かせていた時代に出現したことになるから、それはもうほとんど狂人と言っても良いだろう。


 何しろ、航法士は宇宙船の操縦士であることが絶対条件なのだ。


 それであるのに相対性理論アインシュタインを頭から否定する非常に面倒な人物こそが最初の航法士。


 しかし、そういう人物を連合は養成しなければならない。


 さらに相対性理論アインシュタインに対して懐疑的な教育を施す。


 これを続けていけば、宇宙自体がパラダイム・シフトを起こす――はず、と言われているがそれがいつ起こるかは誰にもわからない。

 だが、航法士とはそれだけの存在である。


 一週間の世界ア・ウィーク・ワールドの人口が、現在約300億。


 その中で、航法士の素質を持つ者は潜在的な者を含めても約100万人と言われている。

 その希少種が、同時に天国への階段EX-Tensionでのアイドルだというのだ。


 職業選択の自由は確かにある。


 だが航法士の素質が認められた者は、概ね航法士の職業を選ぶ。

 なぜなら、圧倒的な報酬で報われるからだ。


 連合の連絡船に乗り込んでも良いし、先ほどクーンが言ったとおり企業なり個人なりに雇われても良い。


 まず間違いなく天国への階段EX-Tensionで、地下アイドルしているよりは生活も安定するし、収入も良いはずだ。


「それ、間違いないのか?」


 そういう理由もあって、クーンは今一度確認した。


「ああ。その点は何度も確認した。僕も信じられなかったからね。彼女は謂わば自分のクルーザーに引きこもった状態なんだ」


 言われてクーンは想像してみる。


 安楽椅子リフティングチェアは、個人で所有することも可能だし、それを宇宙船に積んだところで機能不全を起こすことはない。

 つまり天国への階段EX-Tension接続ライズすることは可能だ。


 その上で、本物の彼女がどこにいるかは誰にもわからないのである。


 広い宇宙に一人きりで、彷徨っている――それがリュミスの普段の生活。

 確かに、引き籠もりと言っても良い。


 だが、その光景を想像できたことでクーンの脳裏に閃くものがあった。


「……おい、これフォロンも巻き込めるぞ」


 その言葉に、カイは眉を潜めた。


「何を言い出すんだ。リュミスのことは内緒にしていたと言ったろ」

「だが、そのリュミスがそんな妙な状態であることは言い訳に使えるだろ。あいつの力は使えるなら使えた方が良い」

「……だが、それは天国への階段EX-Tension限定の力だろ? この場合、何の助けになるんだ?」


 その指摘に、クーンはぐっとグラスを呷った。

 その頬が染まっているのはもちろんアルコールのためではないだろう。


「……そうか。そうだよな」

「わかってくれて嬉しいよ。で、最初の依頼だが……」

「いいだろう。必要なのは細かなデータ。それに金だ」

「金? おいおい、これは君にだって益のある話じゃないか? それに情報を提供したのは僕だ」


「わかってる。だが、人を動かすとなると俺の部下だろ。手当も出さなきゃならんし、士気を上げるには特別報酬、攫ったリュミスを輪姦まわすのを止めさせるには別の鼻薬を嗅がさなきゃならん」

「君の部下は野獣の群れかい?」


「人のこと言えた義理か。だから折半だ」

「折半?」

「さっき言ったみたいな人件費を半分出せ。その代わりリュミスはお前にそのまま引き渡してやる」


 ゴクリ、とカイの喉が鳴った。


「……いいだろう」


 その様子を見て、やっぱりアガンだな、とクーンは再確認した。


                     ~・~


 くどいようだが新・カリアリは夏である。


 地中海性気候に区分されるだけあって湿気は少なく乾燥している分、過ごしやすくはあるのだが、暑い事に変わりはない。


 そんなカリアリの夏の市街地を、薄汚れた合成繊維のシャツに、飾り気のない灰色のチノパンをサスペンダーで吊った東洋系の男がフラフラと歩いていた。

 再開発された綺麗な通りではなく、昔ながらの蜘蛛の巣が如き路地を右に左にとさまよっている。


 言うまでもなく、ジョージだ。


 数ヶ月前、モノクル――シェブランの情報からイシュキックにやって来てからも三食ロブスターという、変わらない生活をおくっていた。


 イシュキックについて直ぐにねぐらを確保したあとは、ロブスターを売っている店舗を確認。

 それだけでジョージの生活は満たされてしまう。


 もちろん、ロブスターを買うために相変わらず天国への階段EX-Tensionには出入りしているわけだが、そのための手配はシェブランが行ったので、言ってしまえばジョージのあずかり知らぬ作業である。


 今日はすでに天国への階段EX-Tensionでの定期連絡は終わっているので、今は昼食用のロブスターを求めて、いつもの店に向かうところだ。


 この惑星ほしはロブスターは自前で取れるらしく、安いし、品切れの心配もない。

 それを実感したジョージは、イシュキックを旅立つ事態が訪れた時用に、そういう惑星ほしを調べていくつか候補として頭に叩き込んでいた。


 カルキスタに留まっていた理由を、今となってはどうやっても探せ出せない。


 あと一つ路地を曲がれば、観光客用でもなく、妙な手を入れていない、地元民用の食料品店がある。

 老夫婦で経営していて、未だにジョージのことを常連だと認識していないところが、また良い。

 その食料品店が、視界に収まろうとしたその時、その視界を遮るものが現れた。


 まず、目に入るのはスリムなシルエットの黒スーツ。

 この暑さの中、とても正気とは思えないが、スーツ姿でなければならない職業というものはある。


 ジョージは、ザッとそのスーツ姿の男を確認した。


 まず身長。


 2メートルはあるだろう。だが、それに比例した身体の厚みがあるわけではない。

 研ぎ澄まされたナイフのような印象だ。

 アフリカン独特の筋肉の付き方が、周囲の空気に緊張を強いている。


 その男がジョージに向けて真っ直ぐに頭を下げた。

 本当に空気を切り裂いたのではないかと思えるような、鋭い会釈である。


 その挨拶一つで、ジョージは悟った。

 裏社会の人間だ。


 もっとも自分に挨拶をしようという輩が、まともな人間のはずはない。


 すぐに頭を上げた褐色の顔には笑みが浮かんでいる。

 それも威嚇するような笑みだ。


 どうやら人生の中で、あまり笑った経験が無く、それでも自分に媚びなければならない事情が発生したらしい。

 そこまで判断したところで、ジョージは先に折れることにした。


「……何か用か?」

「はい。まずは挨拶が遅れましたことを――」


「そのあたりの下りは良いから。挨拶できない事情も何もかも俺は承知してるよ。だからこそわざわざ声を掛けてきた、今の状態が信じられないわけなんだがな」

「では、譚先生。ここは単刀直入に折り入ってお話が」


 男が普段の表情なのか、眉間に縦皺を浮かべてジョージに迫ってきた。

 なかなか端整な顔立ちではあるが、非常に暑苦しい。


 年は四十代程……だろうか?


「まぁ、こうやって接触してきたからには、何かしら覚悟を決めては来たんだろうが……」


 ジョージの視線が、男の向こう側にある食料品店を探す。


「もちろん、昼食はご用意してます。ええ。ロブスターを」


 この日のジョージの運命は決した。


◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇

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