第11話「焦点の夏《イシュキック》」
アバン OP Aパート1
母なる星、地球からA級航海士が船を操って約二日の距離に位置する恒星ククルカン。
そのハビタブルゾーン、第五惑星イシュキック。
植民が始まったのは、超光速航法が開発されてまもなく。
その頃は“ただの”惑星に過ぎなかった。
大きさは地球とほぼ変わらない。
そして
ただ土壌の問題か“緑豊かな”という形容詞が冠されることはなかったが、居住区を広げるにあたって人類はそこに何の痛痒も感じなかった。
テラ・フォーミング技術まで手に入れた人類にとっては植生の多寡など些末な問題である。
景観上、緑が欲しくなったとき強引に植樹してしまえばいいだけの話だ。
また。この星の気候は地球の気候で言えば、地中海性気候によく似ており、
ちなみに、星の名前との差異が激しいのは発見者が開発に全く関与していないからであり
だが、その名前がこの星の運命を決めたのか、イシュキックはその名を持つ少女の神話さながらに数奇な運命を辿ることとなった。
当時は中央省庁とだけ呼ばれていた人工天体がしずしずとその衛星軌道にやってきたのである。
――野放図に広がった人類の版図の距離的な中心に位置しなければ、業務もままならない。
……と言われては、イシュキックの住人達もイヤとは言えなかった。
それに、またすぐに移動するだろうという楽観視もあった。
だがしかし、中央省庁は
そして、さまよえる湖ロプノールの名を冠された行政首都からこぼれ落ちたものは、単なる水ではなく
それはイシュキックに、爛熟と退廃をもたらした。
連合職員の保養所としての機能をイシュキックが持ってしまったところまでは、必然の流れだったかも知れない。
だが
全世界から集まってくる情報。
しかも握ったものに富をもたらす情報だ。
イシュキックが腐れ落ちるのにさほどの時間はかからなかった。
それが今のイシュキック。
豊かな海から水揚げされる新鮮な海産物、それにイシュキック豚。
地球から持ち込まれたヨークシャー種がよほどイシュキックの水があったのか、事実上品種改良されてしまった結果だ。
このように食材の豊富さも、イシュキックの退廃に拍車を掛けた一因だろう。
そして今――
――イシュキックの首都、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
都市計画も何もなく必要に応じて、あちらこちらと道路が蜘蛛の巣のように張り巡らせた結果、新・カリアリは十年ほど前まで混沌の極みにあった。
しかし十年前にイシュキック首相に就任したフェリーニは、再開発を強力に主導。
新たな利権と既得権益の調整の末、新・カリアリには綺麗に整備された道路網が完成した。
特に新・カリアリの中心を貫く、フィルテ通りは片道四車線の大動脈。
だが、ただ道路を敷設しただけの殺風景なものではなく、中央分離帯と道路脇には街路樹が配置され景観に配慮された立派なものだ。
――敷設途中で大量に発生した使途不明金が有効に使われていれば、もう一段階グレードが上がるのであるが。
そのフィルテ通りを南東に向けて大型の黒塗りリムジンが、音もなく走っている。
相対的な問題でさほどの速度が出ているようには見えないが、実のところ時速150km以上の速度でフィルテ通りを突き進んでいた。
その行く手に見えるのは、空に向かう
鋭角的なデザインを随所にあしらいつつも全体的には、風を感じさせるエアロデザイン。
大胆なオリーブグリーンの外壁の色は、今の季節に合わせてのことだろう。
ホテル・トゥーットゥリア。
新・カリアリでも有数の超高級ホテル。
再開発時に誘致され新・カリアリの新たな顔として君臨するこのホテルの利用者は、
だが、その利用者は超高額な富裕層。
自然と人を選ぶ、格式高いホテルでもある。
リムジンはフィルテ通りからホテル前のロータリーに乗り込んだ。
控えていたベルマンが、出迎えのために姿勢良くリムジンへと近づいてゆく。
ベルマンも今や普通のホテルでは見られない存在だ。
第三次世界大戦の折、人口を激減させた人類は、当然のように不足した人手を機械に肩代わりさせた。
このベルマンという仕事も、今ではほとんどの場合、アンドロイドが行っている。
だが格式高いホテルでは今でもきちんとベルマンを雇っていた。
それは、サービスを行うホテルマンとしての登竜門が、この職業であるからだ。
だからこそこういったホテルを利用する客も、この判断に口出しすることはない。
ホテルを自ら育てていく。
一種の、ノブリス・オブリージュ的な精神がその根底にはあった。
ベルマンがリムジンの後部座席を開けると、まず突き出されたのは鰐皮の紳士靴。
そして、ネイビーブルーのダブル。
さらにはローズレッドのシャツにパールホワイトのネクタイ。
このような、あまりにも異常な色彩感覚の持ち主には、通常であればそのままお引き取り願いたいところではあるが、こういった客が訪れることは、ベルマンも連絡を受けていた。
荷物を預かろうとベルマンが話しかけようとしたところで、この客は手を振ってそれを追い払う。
が、すぐに呼び戻してチップを差し出した。
現在ではこういう場面以外にほとんど出番がない紙幣。
その最高額面のものを三枚。
格好はともかく、金払いはなかなか良い。
ホールに乗り込んだ客は自然と視線を集めるが、その視線はすぐにそらされる。
関わってはいけない人種だと一目瞭然でわかるからだ。
だが仕事であればそうもいってはいられない。
ホールの格式を保証するかのように、装飾を施された制服を着込むガードマン。
そして、ホテルの玄関口を預かるフロント。
そのフロントから、柔和な笑みを浮かべるマネージャーらしき男性が、この派手な客に近づいていった。
そのまま一言二言、言葉を交わすと、そのままホールのずっと奥へと案内する。
そこにあるのは最上階にある、インペリアルエグゼクティブスイートへの直通エレベーター。
この派手な客は、そこに逗留する、謂わばホテルにとってのVIPが呼んだ客人である。
ホテルとしてもおろそかにするわけにはいかない。
慣性制御まで働いた快適なエレベーターでの移動を終え、開かれた扉の向こうにあるのは、一つの街。
服飾店、理髪店、レストラン、プール、カフェテリアに映画館。
その全てが、このフロアの客に
マネージャーに案内されて、派手な客も黙ってついていく。
周囲の雰囲気に圧倒されているという理由もあるのだが、それ以上にこの客を引かせているのは人の多さだ。
見たところ、芸能事務所のマネージャーが十名ほど。広告代理店に音源発信社の営業担当がこれまた本当に必要なのかと疑いたくなるほどの人数。
この全てが今から尋ねる客に従い、従属し、依存している連中である。
客の口が思わずへの字に曲がった。
儀礼として行われたマネージャーのノックの音が聞こえる。
技術的には、部屋に近づく者がある場合はそれとなく知らされる防犯装置が働くし、扉の前に立った場合は自動的にその顔を判断して、登録されていない場合は排除行動を行う仕掛けだ。
つまり、ノックが出来る段階である程度の信用ある人物ということになる。
扉が自動的に開け放たれた。
声が届く範囲に、いつも居られるほどに狭い部屋ではない。
開け放たれたいうことは、それは同時に入室が許されたと言うことである。
マネージャーは恭しく一礼すると、部屋に入り込む。
派手な客もそれに続くしかない。
部屋の中は真っ白だった。
このクラスになると調度品も選べるようになるのだが、それにしても白ばかりだ。
床も真っ白な大理石で、壁紙も白。
周囲がこれだけの白だと、自分の位置を見失ってしまいそうになる――いや妙な浮遊感を感じてしまう、と言うべきか。
「ありがとう。下がって良いよ」
柔らかな男の声が聞こえる。
そちらを見てみれば、ちょうど二階から降りてきたらしい一人の青年の姿があった。
サテン地の大きく襟元の開いた白いシャツ。
つや消し黒のパンツと、シンプルな出で立ちながら、その装いにはどこか華があった。
首からは銀のロザリオ。
両耳に、サファイアのピアス。
その色は、自分の両の瞳に合わせたのだろう。
青年の瞳は
髪の色は、東洋の漆器のような艶やかな黒。
顔立ちも、特徴として人に印象を与えるパーツはないが、それだけに調和の取れた完成した美しさをそこに見いだすことが出来る。
彼こそがカイ・マードル。
今現在、
今は
カイに限らず、ツアーのファイナルをこのイシュキックで迎えることは、芸能界ではほぼ慣例となっていた。そういうシステムが出来上がっていると言っても良い。
その為に恐らくは疲労も蓄積しているだろうに、自然に人を惹きつける笑顔を浮かべたまま、カイはトントンと階段を下りてくる。
マネージャーはカイに対して一礼すると、そのまま派手な客にも一礼して部屋を出て行った。
「ようこそクーン。実際に会うのは初めてだね。僕がアガンだよ」
二人きりになってすぐに、青年はそう話しかけてきた。
派手な客――クーンはその言葉に戸惑いの表情を浮かべていた。
「気持ちはわかるよ。君はほとんど同じだねクーン。わざわざ来て貰ってすまなかった」
「本当に……アガンなのか?」
「向こうでの僕は、欲望を解放しているからね。おかげでこっちでは良い子で居られるんだよ。で、ボロが出ないように普段からこういう風にしているわけさ」
納得できるようで、納得しきれない話ではある。
が、実際そこに拘ってもお互いに益はない。
アガンという名前を知っていて、自分をクーンだと認識できる。
それに何より、
それがこれ以上はないほどの、カイがアガンであることの証明になる。
「さて……今日は割と時間に余裕がある。何か飲むかい?」
「安い酒なら貰おうか。だがまぁ、その前にやるべき事はやっておこう」
クーンはそう言って、懐から樹脂製のタブレットケースを取り出した。
「いつもの通り五十錠だ」
「ああ」
言うまでもなく
非合法の薬物に分類され、製造、売買、所持共に固く禁じられているが、禁じられているからこそ商売になる。
カイは、受け取ると黙ってマネーカードをクーンへと差し出した。
クーンは無言でその残高を確認し、大きくうなずく。
カイは、クーンの上客の一人でもあるのだ。
だが上客と言っても、こんな風にクーンが手ずから捌くようなことは通常なら行わない。
クーンも部下を向かわせて終わりである。
リスク管理の面から考えてもそれが当たり前だ。
だが、今日はカイから直々に呼び出された。
どうも、薬の入手以上の用件があるようだ。
カイは薬を大事そうに金庫――これも当然の如く白である――にしまうと、バーカウンターからバーボンを取り出した。
「これでいいかい?」
「よくわからんが、いいだろう。で、酒盛りをしよう……って話じゃないんだよな」
「ああ。まずこれを見てくれ」
その声と同時に、部屋の照明が落とされる。
随分とこの部屋を飼い慣らしているらしい。
その薄暗さの中で、カイはロックに仕上げたバーボンのグラスをクーンに差しだした。自分の左手にも同じものを持っている。
そして、そのグラスを掲げるようにすると、白い壁に大きく一枚の
そこには蜂蜜色の豊かな巻き毛が特徴的な女性の姿。
「誰だ?」
カラン、とクーンがグラスの中の氷を鳴らして尋ねる。
「リュミス・ケルダーと言ってね。
「あ、ああ。言われてみれば確かに。だけどこんなんだったかな? もっとこう派手な……」
「
「現実? そんなことしてるのか?」
「ああ。実は彼女は数日後に、このイシュキックにやってくる。
「ははぁ……それはご苦労なことで」
「そこで君の手を借りたい」
いつの間にか、カイの声に欲望の色が付いている。
そんなカイは壁のリュミスに向けて、グラスを掲げて見せていた。
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