Aパート2 アイキャッチ
GTは干されていた。
比喩表現でも何でもなく、文字通り干されていた。
ビーチチェアに長々と横たわって。
「……一応聞いておくけど、何がしたかったの」
エトワールが、心底嫌そうに尋ねてきた。
ちなみに周囲の連中は、先ほどのGTの行動のおかげで本格的に何か特殊な事情があると考えたようだ。
見事に、ある一定の距離から近づいてこようとしない。
結果、人の輪に囲まれているわけだが、両者ともそれは気にしていないようだ。
「水の上を歩くことが出来る方法というのを聞いたことがあってな」
「まさか“右足が沈む前に左足を出す”とかじゃないでしょうね?」
即座にエトワールが切り返すと、GTは見事に絶句した。
どうやら、本気で秘法の一種だと思いこんでいたようである。
「……そんなに有名なのか?」
「与太話としてね。本気で信じている人がいるとは思わなかったわ……交友関係の少なさが思いやられるわね」
「しかし、この世界なら何とか、何とかなると思ったんだ」
『砂に足を取られていた人が言う台詞じゃないですね』
モノクルから鋭い突っ込み。
「ねぇ、もっと単純に泳いでいったら良いんじゃないの? 身体能力に任せて進むって言うなら。まぁ、服着たままで泳ぐのはかなり無理があるだろうけど」
エトワールの提案はごく真っ当なものだと言えるだろう。
妙な事を考えないで、泳いで行く方法を選択するのがごく真っ当な判断というものだ。潮の流れは確かに速いだろうが、それをねじ伏せるだけのパワーがGTにはある。
しかしGTは、さらに深刻な表情を浮かべていた。
「……そういえば俺、泳げないのかも。と言うか、水に浸かった記憶がほとんど無い」
「はぁ? お風呂は?」
「風呂……?」
小首をかしげるGTを見て、エトワールが盛大に後ずさった。
「あんた……」
そのまま絶句する。
「この世界で、風呂に入ってる入ってないは関係ないだろ?」
そんなエトワールの反応に、GTは眉をひそめた。
エトワールは、イヤそうな顔を隠そうともしないでもう一度尋ねる。
「ちょっと……本気で入ってないの?」
「現実でもシャワーは浴びてるな。臭いがすると困るし」
「そのレベル……そういう事じゃなくて身だしなみとしての話でしょ」
「俺がいつ、身だしなみの話をした」
にらみ合う、GTとエトワール。
完全に異文化交流状態だが、それでも悪意や敵意は明敏に伝わるものである。
『ま、まぁ、実際泳いでいくというのは、その後の疲労や装備の不備から考えても選択肢に入れるのはどうかと……』
モノクルが仲裁代わりに泳いで渡る案を、事実上却下した。
「……で、どうするのよ? 船のようなものはないのよ」
GTの胸元の薔薇を睨み付けることで、エトワールはとりあえずの鬱憤晴らしをしてるようだ。
一方のGTは、もうエトワールからは視線を外していた。
その視線が見据える先にあるのは――水上コテージだ。
「まさか、水上コテージ一つを大きなオブジェ扱いにはしてないだろう。ということはあの下の柱を叩き折ったら……どうなる?」
家が乗った筏のようになる。
……というのが素直な想像力というものだろう。
そしてエトワールとモノクルの想像が追いつく頃には、すでにGTはブラックパンサーを抜いていた。
「待って待って。中に人がいたらどうするつもりなの?」
「海に落とせばいいだろう」
事も無げに答えるGTにエトワールはまたもこめかみを押さえた。
「……ちょっと待ってて。私が確かめてくるから。無人のものを拝借しましょう――その方が手間が省けるから」
そう言い残すと、エトワールはGTに背を向けてスタスタとコテージへと歩き出した。
『……お手間を掛けます』
仮面が振るえて、モノクルが詫びを入れてくる。
「……わかってるんなら日頃から教育しておきなさいよ」
『いつもは無茶苦茶やっても許される相手ばっかりの場所で活動していているわけで……ナイショですが本人も概ねそういう経歴の持ち主です』
「まぁ……それはなんとなくわかるけど……その尻ぬぐいを私がやるのは納得できない」
『それも契約分だと考えてください。何しろあなたへの報酬はとてもとても高価ですから。正直、エネルギー的に大丈夫なのか? と思うんですけど』
「それはこっちでする心配よ」
エトワールはそこでいったん言葉を切って、大きく息を吸い込んだ。
「とにかく了解。仕事だと思えば大体のことは我慢できるものだしね」
『助かります』
「……ねぇ、もしかしてこの世界でのGTの子守も私をスカウトした理由に入ってるんじゃないでしょうね?」
仮面は何も答えなかった。
~・~
コテージとはそもそも宿泊用の施設である。
おおよそ三時間限定のバカンスで、ここを利用して休もうという者はなかなかいなかった。
そのために無人のコテージは割とすぐに見つかり、エトワールは合図を送った。
待ちかまえていたGTは即座に、それを支える柱を破壊。
ビーチを
そして手近にあった椰子の木をへし折ると、それを持ってエトワールの待つコテージに飛び移った。
「……ああ、それで漕ぐのね」
椰子の木の意図がわからなかったエトワールが、実際にそれで漕ぎ始めたGTの様子を見て、納得する。
「漕ぐというか、これを海底に突き刺して進ませるつもりだったんだが……お」
「手応えあった?」
「ああ……なぁ、俺間抜けじゃないか?」
「う、ううん」
済ました顔で、首を横に振るエトワール。
黒スーツに身を固めて精一杯格好付けている男が、筏の上で椰子の木で船を漕いでいるのである。
どの感性から切り取っても、珍妙な絵面に仕上がるしかない運命だ。
砂浜に居並ぶギャラリー達も、いい余興だ、とばかりに二人の行動を見守っている。
考えれば、時折こういう風に島への挑戦者が出て、皆が盛り上がるイベントが自然発生することがこの場所の知名度を上げた原因なのかも知れない。
……誰もいない海に利用者が迷い込んだ段階でこれはすでに予定調和と言っても良いが。
そんな中、GTのアイデアは即採用されたようで、数人の男達が早速コテージにとりついているが、そもそも柱を破壊する方法がないのである。
その様子を見ていたGTがポツリと呟いた。
「……マズイかも知れん」
『何がですか?』
「このやり方は“篭”の連中が思い描いていたとおりのやり方かも知れないって事だ。現状でコテージ利用できるのはブラックパンサーを持っている俺だけじゃないのか?」
「で、その椰子の木で漕ぐのも想定の範囲内って言うの?」
「そうだ」
まじめくさって答えるGTに茶化そうとしていたエトワールが思わず言葉を飲み込んだ。
「モノクル。ここはいったん引き返して……そうだな。曲射砲か何かを用意して島までアンカーを飛ばすという作戦はどうだ?」
『どうだも何も、そんなものすぐに用意できませんよ。それに曲射砲って……』
「銃器をこの世界で使うために、マニアな連中が拘ってるんだろ? 曲射砲ぐらい無いか?」
『いや、それもうほとんど骨董品ですよ。警察軍でも揚陸部隊の……』
「ああ、あそこに気の良い連中がいてな」
『ちょっと! 聞き捨てなりませんよ!』
「エトワール」
喚きだした薔薇を無視して、GTが曖昧な表情を浮かべていたエトワールに呼びかける。
「何?」
「もう一回、島の様子確認してくれ。相手の反応が見たい」
「了解」
エトワールはライフルを装備して、島へとスコープを向けた。
拡大される、島の小屋。
だが、そこに先ほどまで居たはずの和装姿の青年の姿はない。
「……とりあえず移動したみたい。
「周囲も探ってみてくれ」
「わかったわ」
そうしている間にも、GTは海底に椰子の木を突き刺しては、コテージを島へと近づける。
『GT、その警察軍の話を……』
「今の状況わかってるか?」
『それなら何で、あんな話したんです。そっちも到底看過できませんよ』
「うるさいなぁ。犯罪者とつるんでるのは、お前だってそうだろうが」
『し、しかしですねぇ』
そうこうしているうちに、コテージは潮の流れが速い箇所にさしかかった。
今までGTに押されたままに動いていたコテージが、一気にその動きを激しくし、大きく揺れた。
「と、ととと……」
それに気付かなかったエトワールが思わずバランスを崩す。
GTは片手で突き刺した椰子の木を抱えたまま、エトワールの肩を支えた。
「あ……ありがとう」
「いや、俺が先に注意すべきだったな。それで見つけたか?」
GTの素直な言葉にエトワールは多少戸惑いながらも、首を横に振った。
「この局面で、黙って待っているはずはないか……とりあえずこの流れを乗り切るから、どこかに掴まっておけ」
「う、うん」
言われるままに、ライフルをしまいコテージの窓部分にしっかり手を掛けるエトワール。
それを確認してGTは椰子の木を引き抜く。
途端、海流に弄ばれるコテージ。
そんな様子は、ビーチからも見えているようで、何か歓声が聞こえるが無論GTにしてもエトワールにしてもそれどころではない。
GTは海流に攫われそうになる椰子の木を海から引っこ抜く。
パワーもそうだが、この場合称賛されるべきはそのバランス感覚だろう。
そして再び海底に突き刺して、強引にコテージを進ませた。
無論、真っ直ぐには進まない。
しかし斜めにではあるが確実に島へと近づいてはいる。
「いけるかも」
「ああ」
短く答えて、GTは再び同じ作業を繰り返す。
それを何度か繰り返すと、コテージの動きが変わった。
変わった原因は、明白だ。
潮の流れが変わったのである。
今までとは逆方向に。
いや、正確に言うと完全に逆方向というわけではない。
微妙に渦を巻くように流れていて、
「……この流れに乗れば、島まで行けそうじゃない?」
「確かにな」
と言いながら、GTはダメを押すために椰子の木を引き抜いた。
――結果論になるが、ここにGTの油断があった。
本番は島に上陸してからだと自然に考えてしまっていたこと。
そして、海底がいつまでも遠浅のままだと考えてしまっていたこと。
突き刺そうとした椰子の木に手応えがない。
そのために、揺れの中バランスをとり続けていたさしものGTも体勢を崩してしまう。
そして、災厄はそこから始まった。
海中の椰子の木が、まさにその海の中から強く引かれたのだ。
「GT!!」
エトワールが思わず叫んだ時には、GTは水しぶきを上げて海中へと引きずり込まれていた。
~・~
海とは言っても、さすがに塩分濃度までは再現する必要性は感じなかったらしい。
この海は真水だ。
その点は問題もなく、しかも透明度も高い。
だがそれによって見える“もの”が最悪だった。
黒曜石のような瞳。墨を流したような真っ暗な髪。
そして犬耳と白いボーラーハット。
そのまま沈んでいけば、やがて白いジャケットも見えてくる。
RA。
水中にいるのに、涼しい顔をしてボーラーハットを取ると優雅に一礼した。
その手には水中銃が握られている。
それを確認したGTは、
――薄く笑った。
◆◆◆ ◆◆◆ ◇◇◇ ◇◇◇
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