第09話「格子窓の向こう、雨」

アバン OP Aパート1

 「一週間の世界ア・ウィーク・ワールド」にはおかしな言い方になるが、惑星の過密宙域と過疎宙域がある。


 地球自体がいわゆる銀河系のオリオン腕に含まれているわけだが、そのオリオン腕がそもそも均一な惑星分布状態ではない。

 だから当たり前といえば当たり前だ。


 惑星を開発テラ・フォーミングするにあたって、もちろんそういった惑星分布は大いに参考にされるわけだが、やはり過密地域への入植は人気がある。


 そんな過密地域に日系人が中心となって開発テラ・フォーミングし入植した特異な惑星があった。


 名を「天照」。


 第三次世界大戦の折、急速にその勢力を伸ばした近衛グループが中心となって開発されたこの星は「第二の地球」と呼ばれるほどに、地球に酷似した環境を有していた。


 超光速航法が開発されて尚、外宇宙への入植に心理的ブレーキがかかる中、日系人がこの星への入植を積極的に開始した。もともとの土地が狭いという、のっぴきならない事情もあったのだが、この決断によって日系人には繁栄を。そして人類には新たな可能性を示すこととなった。


 「天照」は今の人類社会が形成されるための橋頭堡となった、という評価が歴史的に固まりつつある。


 さて――


 日系人がこの惑星を開発するにあたって、意識的に目を反らしていた事があった。


 それはいわゆる裏の世界の住人達。

 いわゆるヤクザ、と呼ばれる人種に加えて、宗教的な慣習に則って生活する人達。


 狭い日本を飛び出して「天照」に入植するにあたって、多くの日系人はそれらを“見ないふり”をすることを選ぶ。


 だが大国主命を、常闇の世界に追い払った時からの因縁はそんなことで断ち切れたりはしなかった。

 そしてそれは近衛一門を中心とした日本の指導者層も周知のこと。


 彼らのために、善後策を講じることにした。


 「一週間の世界ア・ウィーク・ワールド」内で人類社会における確固たる地位を築き上げた日系人の指導者層は、そこで横車を引いた。


 「天照」にほど近い惑星密集宙域に、もう一つ独占的に開発できる惑星を保有することを望んだのだ。


 名を「月読」。


 ただ「天照」のように、何もかもが恵まれた環境であったわけではない。


 人類が生息するには、いささか寒すぎる平均気温。

 もちろん開発テラ・フォーミングの際に地熱の上昇などの手は入れられてはいるが、快適、という平均気温までには上昇できなかった。


 元々入植希望者が少なかったこともあり、さらにこの環境の為に「月読」の人口密度は他の惑星と比べても随分と低い状態に留まっている。


 だがそれが皮肉にも“日本”らしい風景を「月読」にもたらすこととなった。


 針葉樹中心ではあったが、森の中に蹲るように建ち並ぶ平屋の建物。

 山間部に佇む木造の寺院。

 湖沼に浮かぶ鳥居。


 それでいて、観光には徹底的に不向きな自治組織が幅をきかせているので、人が入り込まない。


 「日本の文化環境保全惑星」


 などと陰口を叩かれる所以でもある。


 そんな「月読」の温帯地域。

 ほぼ赤道直下であり、気候も穏やかと呼べるのはこの一帯だけと言っても良い。


 そこに純和風建築の家屋がある。敷地面積はおよそ千坪。

 元の日本であればとんでもない豪邸であるが、この「月読」では中規模ほどの家屋だ。


 その敷地の北東。


 折から降り出した雨の中に寂しげに佇む、母屋からは完全に独立した離れがあった。

 一見、座敷牢に見えてしまうのは窓の一部が、古めかしい格子窓であるからか。


 その格子窓の向こう。


 敷き布団の上で上体を起こし丹前を羽織った線の細い――細すぎる青年がいた。


 落ちくぼんだ眼。

 こけた頬。

 青白く透けるような肌。


 今ここで青年から命が失われても、誰も気づきもしない。

 それほどまでに青年は死と寄り添っていた――


 ――そのギラつく瞳を除いては。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 枯山水の内庭を臨む長い廊下。

 一般的に縁側と呼ばれる、日本家屋によく見られる構造であるが、そこを風情も何もなくただひたすらに突き進む一人の男がいた。


 年の頃は二十代後半から三十代といったところか。


 黒い頭髪をほとんど五分刈りにまで切り込んでおり、眉根をきつく寄せた面差しはいかにも生真面目そうだった。肩パットを入れた押し出しの強いスーツ姿が妙に似合っている。


 彼は一昨年、先代の跡を継いで五代目・加東組組長に就任した西苑寺健悟。

 先代・西苑寺耕平の次男である健悟が跡目を継ぐ――つまり血縁者が引き継いだことになるのだが渡世の世界では異例と言っても良い。


 ヤクザ世界では、組が一家を為す。

 組長が親だとするなら、その長男は若頭であり跡目を継ぐのは通常であれば若頭のはずである。


 だが、先代の死はあまりに突然すぎた。


 耕平は組織の改革と拡大に乗りだし、それはある程度の成功を収めた。

 だが、それが十分に固まりきらないうちに突然世を去ってしまったのだ。


 組内に二派の存在を許したままで。


 一派の一つの頭が若頭、松浦克彦。

 もう一派の頭が、舎弟頭の高倉孝一。


 元々、そりが合わない二人でありそれが耕平の存在で何とか収まっていた状態であるのに、突然その重しが無くなったのだ。

 このままでは高倉が外に出て加東組が分裂してしまう、という事態に陥った時に耕平の母である瑠璃子が姐として裁定を申し渡した。


 先代の息子である健悟に跡目を任せる、と。


 二人はその後見役に収まる――つまりは同じ組の中で勢力争いを続ける、現状維持が選択されたのだ。

 それでも血で血を争う抗争に発展しなかっただけでも、その裁定には価値があった、と見る向きもある。


 その状況が変わったのは、健悟が跡を継いでから一年後のことである。


 完全に飾り物であった健悟が独自のしのぎを展開するようになり、これが大成功を収めたのだ。

 加東組のしのぎは、先代の頃からの女と薬。これは旧来の幹部二人の収入源でもある。


 健悟はそこに人材派遣業を加えたのだ。


 然るべき場所に、然るべき人数を。

 それを質は問われない一時雇いなどを中心に。


 これにより「天照」との間に堂々とではないが太いパイプを築くことに成功し、それによって、さらなる収入を得ることで組内での立場を強化した。

 その始まりには確かに組の金を運用していたが、今では組を潤す重要な資金源となっている。


 今、健悟が向かっている先には、そのしのぎにおいて重要な役割を担う男がいた。

 いつもなら幹部二人が同行するところではあるが、今日は事情が違う。


 これから大きな取引があり、そのために健悟は二人を先に現場に向かわせていた。

 これも二年前なら考えられないことではあるが、今ではそれだけの力を健悟は保有している。


 健悟は、母屋を出て北東部の離れへと向かった。


 雨はエアシールドで、その行く道をカバーしているので健悟はそのまま下駄を引っかける。

 下駄の音はそのまま、離れの住人に来訪者が近づいていることを示す合図となった。


 わざと敷石の上を選んで歩を進め、離れの玄関へとたどり着く。


 健悟はごくりと唾を飲み込んだ。


 組内ですでに絶対権力を確立していると言っても良い健悟が、この場ではひどく緊張していた。


 ガラス戸の扉を開け、離れの中に入る。

 出迎えに出てきたこの離れで家事一切を取り仕切っている老婆を手を振って下がらせると、離れでも一番奥の部屋へと向かう。


 そして障子の前で正座すると、拳をついて深々と頭を下げた。


「兄貴」


 静かに部屋の中に呼びかける健悟。


「入れ」


 弱々しい声が返ってきた。


「失礼します」


 健悟はほとんど頭を上げぬまま、障子戸を静かに開く。

 部屋には布団の上で上体を起こす青白い顔の青年――西苑寺哲士がいた。


 西苑寺耕平の長男でありながら、病弱に生まれついてしまったために、跡目を継ぐ候補にすら上げられなかった不遇の存在。

 少し前までは松浦や高倉も年賀の挨拶でしか会うことがなかった存在。


 組織の末端部分に至っては、存在すら知らなかっただろう。

 だが、今や哲士は加東組の至宝とも言える存在だ。


「本日、晴れて古川建設の役員と会合の場を持つこととなりました。それをご報告に……」


 健悟の口調も無駄に恭しい。


 古川建設は、現在惑星「フルハーブ」において軌道エレベーター建設に着手している。

 そのために人員を送り込まねばならないのだが、その時に“形に残らない状態での労働力”を求めた。


 それに協力を申し出たのが加東組なのである。


「不安か、健悟」


 その報告に、突然悟ったように言葉を返す哲士。


「は、はぁ……何しろ相手が相手ですから……」

「そうではないだろう」


 哲士がそれが即座に否定する。


「GTという男の存在を知っているな?」


 その指摘にますます畏まって頭を下げる健悟。


「伝手を頼り、ようやくのことで天国への階段EX-Tensionに引っ張り出した大物だ。そこに乱入者が現れては、組の面子が潰れる――」


 健悟に対する語りかけであるはずなのに、どこか熱に浮かされているように感じてしまう。

 いや、実際に発熱しているのかも知れない。


 哲士は、そこで突然咳き込んでしまう。

 健悟は腰を浮かし掛けるが、それを必死でこらえた。


 この血を分けた兄は、病人扱いされることを何よりも嫌う。

 だから、咳のことは露骨であっても気付かないふりをして、話を先に進めた。


「ついては……兄貴にも出張って貰いたいんだが……」


 普通に考えれば、こんな病人を引っ張り出したところでどうにもならないだろう。


 だが、これから会合がもたれる場所は、現世のことわりからは外れた場所だ。

 さらにいえば、この兄は自分が頼られているという状況に何よりも愉悦を感じる。


 健悟はそれも仕方のないことだ、と半ば諦めていた。


 生まれてこの方、腫れ物にでも触れるように、それでいて“いなかった”様にも扱われてきたのだ。

 健悟も自身も、つい先日まではそういう風に兄を扱っていた。


 それがある日呼び出されて、驚くべき提案を受けて後、この兄は自分以外を窓口にしようとはしない。

 高倉が、色々と画策しているようではあるが、身体のことがあるので強引な手段に訴えられない。


 この兄に死なれては元も子もないのだ。


 では、この兄が自分に協力的なのは何故か?

 健悟は、何度も繰り返してきた疑問に行き当たった。


 肉親の情――なのだろうか?


「僕を? 何故だい?」


 答えはわかっているだろうに、哲士が尋ね返してくる。

 哲士は身体は弱いが頭脳は明晰だ。


 それをわざわざ尋ね返す意図も、健悟はわかっている。


「兄貴は強いから――古川建設に対しての脅しが効くんです。もちろんGTが現れた時にも助けて貰いたい」


 そんな何もかもを委ねるような。

 ある意味、無責任な文言こそが兄の望んでいる言葉。


 事実、兄はこけた頬に裂け目を浮かべ、満足そうにうなずいていた。


(肉親への情――では、決してない)


 何度目かの確信を得る健悟。

 その確信を胸に静かに兄の返事を待つ健悟。


「――そうだな」


 ようやくのことで哲士が答えを口にする。


「僕も何かと忙しい身だが、そちらの取引については監視を怠らないようにしよう。問題があればすぐに駆けつける」

「兄貴……出来れば姿を見せて欲しいんです。フォロンである兄貴の姿を」

「健悟、それはあの世界での秩序を乱すことになる」


 一転、哲士の瞳に異様な光が讃えられる。


 その姿は、もう人のものとは思えなかった。

 異界に通じる“穴”そのもの。


 健悟の喉がゴクリと鳴った。


「しかし、そうだな……大事な弟のためだ。会合が成功したならば、その時は少し姿を見せてやっても良い。だが会合自体は、自分で成功させるんだ。いいな健悟?」

「――ありがとうございます」


 健悟は平身低頭。限界まで頭を下げた。


 現在、非合法活動を行うにあたって最適な場所を提供する、天国への階段EX-Tensionにおける最高の技術と暴力を保有するブローカー集団。


 その最高幹部が加東組と強い繋がりがあるとなれば組の立場はますます補強され、つまりは自分の立場も強くなる。


 だから、ここでいくら頭を下げても下げ足りぬということはなく、プライドが傷つくこともない。

 それに弟が兄に助力を頼んで何を恥じることがあるだろうか。


 ――だが“毒を食らわば皿まで”ということわざが思い出されるのは何故か?


                  ~・~

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