アイキャッチ Bパート1

◇◇ ◆◆ ◇◆◇ ◆◆ ◇◇


 汽車は行く。

 心地よい振動と共に。

 古の詩人達は、その調べを揺りかご、あるいは母の胎内にいた記憶を刺激するリズムと喩えたこともある。


 そんな穏やかなリズムを体感することで、頭の中が“ロブスター時々人殺し”という“人でなし”まで随分と表情は穏やかだ。


 なにしろ、


「ロブスターの前に、まずはお茶でも」


 と言われて、差し出された紅茶に素直に口を付けているほどである。


 車窓から見える風景も素晴らしく、陽光を反射してキラキラと輝く湖面が世界を彩る中、鮮やかでそれでいて調和の取れた木々の様々な色合いの緑が、心の表面を優しく撫でていくようで、くすぐったくもある。


「……なんか金持ちになった気分だなぁ」


 その光景は、GTが思わずそんなことを呟くぐらいたいしたものだった。


『思うんですが、クーンさんのこういうセンスは中々得難いですね。最初の摩天楼も思い起こしてみればなかなかのものだったかと』

「最初のは、あいつのセンスかわからねぇだろ?」

『いえ、アレは彼のセンスでしょう。その後の古城のセンスもなかなか良かった』


 GTが今いるのはもちろん食堂車である。


 四角い車両の中に収めるには、いささか不釣り合いな丸テーブル。

 ライトグリーンのテーブルクロス。

 中央にはかすみ草が慎ましやかに飾られている。


 テーブルの上に、外の風景を切り取った、というような意図なのだろう。


 コントラストによる美しさはないが、外の景色との調和を重んじたその装いは、列車の中にいながら風景の一部に溶け込んでいくような心地良さもある。


 おおよそ微睡みにも似た心境に陥るGT。

 その静寂が、ノックによって破られた。


「お待たせしました。ロブスターです。ボイルしたものがお好みとのことで、お待たせして申し訳ありません」


 扉を開けて現れたのはスカー。

 その背後には、皿の上に山盛りに盛られた赤いロブスターを運ぶ給仕の姿。


「よう、待ってました」

「こちらは今回のロブスターをプログラミングした……なんて言う名前にしたんだ?」


 説明の途中で振り返るスカー。

 このあたりのグダグダさ加減が良い具合にクーンの部下、という感じではあるが穏やかな気持ちのGTは鷹揚に、給仕が名乗るのを待った。


「あ、“シュタインベルガー”ッス」

「…………」


 スカーがこれ以上ないほどの冷ややかな眼差しでシュタインベルガーを見つめる。

 GTは自らの穏やかな心境に戸惑っていた。


 普段なら銃弾で突っ込みを入れているところだ。

 スカーがGTへと向き直る。


「――このシュタインベルガーは、ウチでも指折りのプログラマーでして――」

「いやぁ、感激ッス。ずっとファンでした」


 言いながらシュタインベルガー――もちろんマイクなのであるが――がGTの前にロブスター山盛りの皿を置いた。

 置き方がいかにも乱暴で、このあたりいくら装ってもボロが出ている。


「ファン?」


 GTはもちろんそんなマナーに拘ったりはしないので、むしろ直前の言葉の方を聞き咎めた。


「もちろん! 遊園地での解体作業は今でも俺らの間じゃ語り草ですよ。俺はそれに加えて、もっと凄いところも見てるわけッスし」


 GTは思わずスカーへと目を向ける。


 その目が訴えていた。


 “説明をしろ”


 もしくは、


 “俺を助けろ”


 と。


「……お前、俺の敵じゃないのか?」

「ボスはGTさんを褒めると怒るんですが、俺それは違うと思うんッスよ!」

「お、おう……」

「強いものは強い。それで良いじゃないッスか!」


 もう付き合ってはいられないと、GTは無意識のうちにいつもの要領でパリンとロブスターの殻を砕いた。


「す、凄い! どうやったんスか?」


 丸く目を見開くシュタインベルガー。


「いや、指で弾いただけ……」

「指で弾いただけで、そんなこと出来るわけ無いでしょ。常識で考えてくださいッス。常識で」


 GTの口がへの字に曲げられた。

 撃ち殺すのは簡単だが、それだけと確実に負けた気分になる。


「……だから……俺は力が強いだろ」


 歯ぎしりするようにして、GTは言葉をひねり出した。


「それッスよ!」


 我が意を得たりとばかりにシュタインベルガーが叫ぶ。


「ボスの話じゃ、他にもGTさんみたいなのがいるって話じゃないッスか、あ、ロブスターどうぞ」

「おう」


 流れるように、剥き身のロブスターにかぶりつくGT。

 途端、その動きが止まった。


「GTさんは凄いと思うんすけどね。俺はそういう存在があること自体がちょっと許せなくて……」


 GTの動きは相変わらず止まったままだ。


「GTさんは自分が何でそんなに強いのか知らないんスか?」


 GTは、もぐもぐと剥き身を咀嚼して、ゴックンと飲み込んだ。


「ああ」


 その表情は、何とも晴れやかだ。


「じゃあGTさんの上役なら、その秘密を知っているはずなんスよ。聞いてもらえませんか?」

「なんで“知っているはず”なんだ?」


「だってそうでしょ? スカウトするにしても、その絡繰りを知ってなくちゃ手間が尋常じゃないッスもの。俺の知ってる限り天国への階段EX-Tensionで、いろんな連中が声掛けられたなんて話聞きませんから。GTさんが一本釣りでスカウトされたんなら、そういうことになるッス」


「お前……実はボスより頭がいいんじゃないか?」

「いや……そんな……」


 照れて、ようやくのことで舌の回転が止まるシュタインベルガー。


「このロブスターもすげぇ旨ぇ。陰険片眼鏡が用意するのよりずっと良いぞ」

『悪うございましたね』


 今までの話を聞いていたであろう薔薇が拗ねたように応じる。


「悪いついでに、俺の力の秘密を話してみないか?」

『いやぁ、はっはっは……』

「GTさん、よくわかりませんが、この人は悪い人です」

「もちろん、その通りだ」


 意気投合し始めたGTとシュタインベルガー。

 そして指名手配犯と裏社会の人間に“悪い人”扱いされる連合職員。


 空気が微妙なものへと変わり始めた頃、


「待たせたなぁ!」


 と、食堂車の扉が勢いよく開けられて芸人――ではなくてクーンが現れた。


 アッシュブラウンの生地に、水色のパイピングジャケット。

 合わせるボトムスはアーミーグリーン。


 目眩がしそうな色彩感覚だ。


 さらに加えて、ブラウンのフェルト帽を斜めに被っているので明らかに装飾過多である。


 これでトレンチコートに、真っ白なマフラーでも揺らめかせていたら始末に負えないところではあったが、列車とはいえ屋内のことであるためそこまでのことはしていなかった。


 幸いと言うべきだろう。


「どの一張羅にするか、色々迷っちまった」

「“どの”? “一張羅”?」


 聞き咎めるべき単語が多すぎる。


 が、クーンはまったく意に介さずGTの向かいに腰を下ろした。

 そして、フェルト帽を脱いでスカーへと放り投げる。


「なんだお前、こういう席への招待に応じたんだから帽子ぐらい取れよ」


 ニヤリと笑うクーン。


 GTはそこで初めてクーンの素顔を見ることとなった。

 尖った顎、ぐらいの特徴は覚えていたが、他の顔のパーツもほとんどが三角形で構成されているような顔の造作だった。


 それでいて、割とハンサム――と言っても良いぐらいのバランスは取れている。


「それとも禿げてるのか? あ?」

「誰が」


 GTは大人しくボルサリーノを脱いだ。

 銀の髪が、波打ちながら姿を現した。


 GTはそれをスカーに預けることはせずに、テーブルの傍らに置く。


「いいだろう。これでお互いに情報交換ができる体勢にはなったわけだ」

「おい。俺はそんな話……」

「ロブスター……旨かったよな?」

『GT。ここは素直に受けましょうよ。情報“交換”と仰っているわけですから』


 モノクルが割り込んでくると、GTはわずかに目を伏せることで、その申し出を受ける意志を示した。

 そしていきなり切り出す。


「……わかったよ。それじゃあ。まずこっちの番だ」


 GTは声を上げそうになったクーンに暇を与えず、まずはこう問いかける。


「この乗り物は、お前のセンスか?」

「……そうだ」

「くそぅ。バカのくせにセンスだけは良いなぁ、お前。いやバカだからセンスが良いのか」


 バカという言葉が66%含まれている褒め言葉に、クーンは表情の選択に迷っているようである。

 二の句が継げないまま、モノクルの割り込みを許してしまった。


『バカはあなたですよ、GT。もっと他に有意義な質問あるでしょ』

「いや、いくらバカでも“フォロン”の居場所教えろ、といって素直に応じはしないだろ。そうなると他に聞くことあるか?」

「“フォロン”の名前知ってるのか?」


 一瞬、GTの瞳が窓の外の風景を撫でた。


「――もちろん。なぁ、モノクル」

『ええ。我々も遊んでいたわけではないのでね』


 その情報を漏らした当の本人にそれを知らせる必要はない。

 この局面は自身の迂闊さを指摘して、絶望に落として口を割らせるよりも、調子に乗せてしゃべらせた方がやりやすい。


「お前のセンスはともかくとして、これ作るのにかかった金はフォロンが用意したんだろ」

「金を持ってるのは俺。“奴ら”は金無しでこういうものを作れるんだ。もっともそれを利用すれば金儲けも出来るだろうがな」


 重要な単語が飛び出てきたが今度はそれに気付かぬふり。


「それじゃ……」

「待て待て。情報交換だと言っただろ。一方的こっちばっかり吐き出させるな。損した気分になる」

「金なら、モノクルが出すぞ」

『決めつけないでくださいよ。まぁ……真に重要な情報であればもちろん金は出ますが』


 クーンはその申し出に、しばし黙り込む。


 脇でやりとりを見ていた、スカーとシュタインベルガーはクーンの頭の中において高速で金勘定が行われていることを察した。

 クーンは金に従属する。


 で、あれば答えは分かり切っている。


「……ダメだ。いくら積まれてもあいつらと組んでいる利益の方が大きい。将来的な利益分も含めて」


 それもまた一つの情報ではあるのだが、これほどに強固な拒絶をGTは経験したことがなかった。

 義理でも、仲間への信頼でもなく、自分の見栄でもなく。


 ただ、ひたすらに金。


 GTが少しばかり感心している中、クーンがGTへと質問を繰り出した。


「俺の番だな。俺の欲しい情報は――」

「俺の正体とか言ったら――お前もフォロンの位置情報を寄越せよ。その時はどっちが先に殺すかの競争だ。お前の得意の金勘定で、それは儲けが出るか?」


 GTの、その返答にクーンはまたも考え込む。

 真剣に検討するあたりなんとも業が深い。


「……出ないな。じゃあ、仕方がない他のことを聞くか……」

「お前、こういう状況作り出しておいて聞きたいことも考えてなかったのか?」


 言いながら、GTはロブスターの殻を粉砕する。

 そのGTの指摘にシュタインベルガーは思わず冷や汗を流すが、スカーが落ち着き払っているのを見て、何とか落ち着きを取り戻した。


「そうだなぁ……お前どこの出身なんだ? 今いる場所じゃなくて、どの星で生まれたのかって事だぞ? これなら良いだろ」

「知らねぇ」


 ロブスターを頬張りながら、GTはあっさりと答えた。


「俺は親の顔も知らない。欲しい物は奪い取って生き延びてきた。で……」


 GTはそこで言い淀む。


「で?」

「拾われた」


「拾われた? 誰に?」

「お前と御同業だよ」


「じゃ、お前やっぱり裏稼業の……」

「それぐらいは察してただろ? 俺がまともじゃないって事ぐらいは」


「そりゃあ、まぁ……」

「そろそろ俺の番だな。モノクル、何か聞きたいことあるか?」

『はい。あります』


 わざとらしさを感じるほどの明るい声でモノクルが応じた。


『クーンさん。このO.O.E.を利用して商売する前は貧乏だったんですか?』


 ビキッっと、クーンの額に青筋が浮かんだ。


「GTさん」


 今まで黙って控えていたスカーがGTの名を呼び、静かに首を横に振った。

 それだけで答えを察するGTとモノクル。


「……お前も……苦労してたんだなぁ」

「るせぇ! 同情はいらねぇ!」

「ボス……」


 艱難辛苦を共にしてきた仲間達――かどうかはわからないが随分と雰囲気が湿っぽくなった。

 普段のGTなら、そんな雰囲気に反比例的に反応して機嫌を悪くしていくところだったが、今日はいつもと違った。


 ロブスターのせいなのか、思った以上に似た境遇のクーンにシンパシーを覚えたのか。


「すいません。私からも質問よろしいですか?」


 和らいだ雰囲気の中、スカーが声を上げる。


「おう」


 GTは、いつになく気さくに応じた。


「GTさんの好物……はロブスターでしょうから、他に何かありますか?」

「ないな。何だ、次のパーティでもするつもりか? 言っておくがなれ合いはこれっきりだぞ」

「その点は同意です。ただロブスターばかりというのも……例えば子供の頃に口にすることが多かった食べ物は?」

「あ~~~~……」


 GTは、視線を上へ向ける。


「粥、かな?」

「粥? 粥というとあのライスを水浸しにしたアレな食べ物ですか?」

「上手いことを言う。だけどアレは実はお湯なんだ」

「なるほど……」


 何がなるほどなのかわからないが、スカーはそれで満足したようだ。

 元から弛緩していた空気が、それによってさらに緩む。


 そして身体に感じるマイナスG。

 列車も速度を緩めたようだ。


             ~・~

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