第06話「砂は血で潤う」

アバン OP Aパート1

 個体と化したように頭上に重くのし掛かってくる殺人的な陽の光。

 一歩踏み出せば、足下からサラサラと崩れていく頼りなげな感触。


 視線の先には陽炎が揺らめいている。

 陽炎の先に見えるのは波打つ地平線。


 ――砂漠だ。


「ここを歩いて行ったって言うの? バカなの?」


 それを確認したエトワールが苦々しげ呟く。

 傍らには微妙に顔をそらすGT。


『区画の位置はわかってても、その内情までは入ってみないとわかりませんから』


 即座に言い訳をするモノクル。

 GTとエトワールが揃った状態の時は、薔薇から話すことにしたらしい。


 ステレオで話されても困るので、その点については二人も異論はない。

 異論があるのは、砂漠を渡るためにモノクルが用意したサンドホバーの台数についてだ。


「何で一台しかないわけ?」

『昨日の今日ですから。それにGTの服の直し。手が回らないんですよ』


 またも言い訳ではあるが、確かに説得力はある。

 GTは納得いかないながらも、肩をすくめて納得しようとしたが、もう一人はGTの胸元を睨み付けた。


「GTはそれで丸め込まれても、私はそうはいかないわよ。このサンドホバー、ワットが造って量産化してたでしょ。それを買ってくるだけのことに何故手間が必要なの?」

「……そうなのか? しかし、こんな変な乗り物……」


「あのね。“ここ”に物を持ち込む努力を惜しまない連中は、どこか歪んでるの。だからまともな車よりも、こういう物の方が天国への階段EX-Tensionではありふれてるわけ」


 その説明に目を見張り、そして段々とそれを細めていくGT。


「……エトワールの言葉に興味が湧いてきたぞ、モノクル」

『い、いやぁ、はっはっは』


 突然、笑って誤魔化すモノクル。だが、それを許すGTではない。


「今すぐ買ってこい」

『い、いや、だから予算がないんですよ。あなたの銃に金がかかることはエトワールさんにもご理解いただけると思いますよ!』

「それは認めてあげるけど――」

『それにエトワールさん。あなたへの報酬分、今から貯蓄してるんですよ。それ吐き出しても良いんですか?』

「…………」


 今度は、エトワールが言葉に詰まる。


「お前、何貰うつもりなんだ?」


 当然の疑問としてGTが問いかけるが、エトワールは微妙に視線をそらす。


「そ、それよりもあんたの報酬はなんなの?」

「ん? 三度の食事がロブスター」


 即答するGTを、そらしていた視線を元に戻して、まじまじと見つめるエトワール。


「“三度の食事にロブスターが付く”じゃなくて“三度の食事がロブスターそのもの”なの?」

「そうだが」

「そ……それは、死んじゃうんじゃないの? 栄養の偏りとかで」

『それは私も言ってるんですけど』


「さぁ。特に問題はないけどな……ロブスターが死因なら、それはそれで本望だ」

「そう……まぁ、個人の好みに文句は付けないわ」

「それで、お前の報酬っていうのは?」


 GTは会話のとっかかりを忘れてはいなかった。

 エトワールは再び目を泳がせ、やがて途切れ途切れの声で、再びGTに尋ねた。


「そのロブスター代っていうのは、あなたがこの仕事をしている間、払われるって事?」

「……そうだ」


 一向に答えを言わないエトワールにGTも焦れてきているようだ。

 明らかに声のトーンが不機嫌になっている。


「あのね……今の仕事が十年続いたとして、あなたに払われるロブスター代ぐらいじゃ私の欲しい物は買えないと思う。純粋な価格だけで」


 GTの目元がピクリ、と引きつった。


「じゃあ、このサンドホバーが一つしかないのはおまえのせいってことか?」

『そうなんですよ。エトワールさんのせいです』


 間髪入れずにモノクルが便乗する。


「ちょ、ちょっと待って。その結論は納得いかないわ。モノクルの努力不足は――」


 今度はエトワールが言い訳を始めたが、GTはもうそれを聞こうとはしなかった。

 現状の装備に不満はあるが、いつも満ち足りていたわけではない。


 ――それよりも今は、一瞬でも早くアガンを仕留めなければ。


 今、一番問題なのは十分ではないバックアップ体制ではなく、アガンを仕留め無ければならないという、身を灼くような焦燥感。

 一刻も早く銃弾をぶち込まなければ、気が収まりそうにない。


 GTはホバーにとりつくと、エンジンを掛けた。


「運転するか? 後ろに乗るか?」


 そしてエトワールに話しかける。


「あなた運転できるの?」

「やったことはないな」


 その答えにエトワールはため息をついて、


「私が運転するわ――それに、あなたの両手が空いていた方が良いだろうし」


 GTは肩をすくめて、それに答える。

 エトワールは座席にまたがり、GTは後部座席に立て膝で乗り込んだ。


「出してくれ」


 ヴゥォン!


 エンジン音がそれに応えた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 敵が二人がかりで来るならばこちらも二人――


 ――という単純な発想が根本に無かったとは言えない。


 しかし昨日のRAの自爆ぶりを考えると、今日の接続ライズは間違いなく無理。

 だがこちらに二人いれば、アガンを殺すことなく追い詰めることも出来るし、不測の事態にも対応しやすい。


 そんなわけで、ここ最近、何か用事があったらしいエトワールに緊急呼集が掛けられた、というのが今の事態だ。


 それに向こうにはあと、最低一人謎の幹部がいる。

 フォロンという名前だけが判明しているが、この人物がRAクラスの戦闘能力を保持している場合も想定済みだ。


 ――クーンの事はこの場合、余り考えてには入れていない。


「……なんにも障害がなければ、そっちには奴の剣を撃ち落として貰いたいんだが」


 後部座席からGTが話しかける。

 エトワールは振り返らずに答えた。


「そんなこと、あると思う?」

「思わないな」

「じゃあ、何故聞いたの?」


「そっちの戦力の使い方が思いつかないんだよ。アガン相手にさせると、お前があっという間に殺しそうだし、他の奴の相手をさせて、それが有効なのかどうか……」

「要は行き当たりばったりになりそうだってことよね」


 二人は砂塵を舞い上げて進むホバーの上で、だらだらと話し続けていた。


 打ち合わせらしく聞こえるのにモノクルが全然割り込んでこないのは、この会話の無益さを無言で主張しているのか、もしくは単純に席を外しているのか。


「……未帰還者の話だけど」


 突然にエトワールが話題を切り替えた。


「ああ。俺が強制的に目覚めさせた連中だな」

「それ……解決になってないかも」

「どういうことだ?」


「“ここ”の名前知ってるでしょ?」

「あ? あ、え~と、E.E.……」

「そっちじゃなくて」


 エトワールはホバーを操縦したままでケラケラと笑う。


天国への階段EX-Tensionの方。何でこう呼ばれているか知ってる……わけないわよね」


 エトワールはGTの知識欠乏ぶりを思い出したようだ。

 溜息と共に説明を続ける。


「ここでSEXするとね、現実で“する”よりも強い快楽を感じる……の」

「ああ、それで“天国”か。階段は上昇していることを現す暗喩か?」

「……そういうとこは理解が早いのね」

「待てよ、ということは……」


 GTは話の発端を忘れてはいなかった。


「未帰還者は、本当に自分の意志であの場に残っていた? 快楽中毒ということでは同じ意味かもしれないが……」

「もしかしたら、それがアガンという奴の能力かも」

「“それ”?」

「強力な快楽を分身体アバターに与える――それで相手の心を縛ってしまう」


 GTは難しい顔でボルサリーノを被りなおす。

 だが、その内心では事象の歯車が噛み合うのを感じていた。


 アガンに与えられているこの広大な区画に、あの刀。

 つまりは敵がアガンを“ひいき”する理由としては、妥当なところだろう。


 あるいは何かの研究材料として飼われている――そしてそれを気付かせないために……


「あんた、そっちの気は」

「……なんの話だ?」


 突然のエトワールの問いかけに、GTは思考を中断された。

 その問いかけの意味自体がわからなかった、というのも大きい。


「同性愛の趣味あるのか? って話よ」


 もう一度、言葉を変えて尋ね直すエトワール。

 今度はさすがにGTも理解した。


「ああ……いや、その気はないな。アガンにもないんじゃないか? 侍らせていたのは女ばっかりだった」

「なるほどね。じゃあ取り込まれる心配はなさそうだわ」

「……お前の方が心配になったぞ」


 この会話の流れは、当然そういう帰結になる。


「アガンに掴まったら、お前も虜にされる――可能性があることになる」

「正確な表現を心がけてくれて、ありがとう」


 イヤミな響きをたっぷりと含ませて、エトワールはGTの言葉に答えた。


「そうね、その快楽に負けてしまうことはあるかもしれない」

「おい」

「でもその先はないわ。私は快楽に負けて人を好きになれるほど健全じゃないから」


 淡々とした口調。

 行く先を見据えて動かない視線。

 この世界で、特殊な能力を有している者は現実世界で何かおかしいのだ。


 ――自分も含めて。


「……なるほど、お前を信用してもいい気になってきたぞ」


 GTの返事は、自らの罪の告白に似ていた。


                    ~・~


 逆ピラミッド上部の空中庭園。


 ブロックが再び組み替えられたことで、あの異様な光景はある程度復活している。

 だが切り落とされた柱など、そこかしこに、壊れたままの施設が残っていた。


 昨日の今日では被害報告もままならなかったのだろう。


 そんな切り落とされた柱にそっと手を添える、和服姿の眼鏡を掛けた青年。

 ポツポツと何事かを呟くと柱の切断面がゴボゴボと泡立っていき、やがて柱が元の姿に戻った。


「僕はこの庭園とても気に入っていたんだ。だから無惨な有様になるのは忍びない」


 言いながら、玉座に腰掛けるアガンへと向き直る。


「他に修理すべきところはないかな?」

「……女だ」


 即座に、そして静かにアガンはその問いかけに答えた。


「それは待てと先ほども伝えた。君好みの女性体を作り上げ、ましてや内臓もある程度作らなければならないんだ。GTに潰されたのは不手際だったな」

「俺が悪いってのか!?」

「君が悪い」


 今度は和装の青年が切り返した。


「どうして不用意にGTをここに入れたんだ? 秩序を乱したいのか?」


 眼鏡の奥の瞳が異様な光を湛えていた。


「そ、それはGTを仕留めようと……」

「確かに仲間にしてしまえば仕留めたのと同じだが――そのような拡大解釈を君が行う権利はない」


 青年の声の温度が急激に低下する。


「な、仲間にしようとしたこと知ってるのか?」

「この世界において、盟主アーディ様の知らぬ事など無い」


 アガンの額にびっしりと玉の汗が浮かぶ。


「……まぁ、それは良いだろう。君自身がこの事態を解決しようとしてくれていたのは評価すべきだしな」

「そ、そうだよ!」


 緩んだ追求に、アガンの声が大きくなる。


「だが君は、RAが捨て身で作り出したチャンスをみすみす見逃した。“殺される”という恐怖に負けて。それは理解しているな?」


 そこをすかさず青年が叩く。


「だから君は謹慎だ、しばらくここで大人しくしていたまえ。女もここに入れるな。女性体は早めに用意する」

「な、何言ってンだ、お前ェ!」


 だが、その最後通牒とも言える青年の言葉にアガンは激しく噛みついた。


「俺が一日も女無しじゃ済まねぇことはわかってるだろ! 何バカ言ってンだ!」

「バカ……?」


 青年が真っ直ぐにアガンを見据えた。


                  ~・~


 ホバーの効果は確かにあって、徒歩とは比べものにならないほど早くピラミッドの麓に着くことが出来た。


 ピラミッドから落ちる大量の水もそのまま。

 オアシスもそのまま。

 マイナスイオンもそのまま。


 だが――


「階段が無いな」

「え?」


 その変化をわざわざ口にしたGTにエトワールは驚いた。


「もしかして、他の侵入方法考えてなかったの?」

「……こんな事をする奴だとは思わなかった。見損なった」

「どこに信頼を預けてるのよ」


 エトワールが心底呆れたと言わんばかりの声で答える。


「あいつ、女日照り状態が耐えられるとは思えないんだがなぁ」


 その点では、確かにGTの判断は間違っていないのかもしれない。

 だがエトワールは即座に反論できた。


「だからといって、門を開けておく必要はないでしょう?」

「何かこう……蟻地獄みたいな」

「女がこのピラミッドに吸い寄せられるみたいに入っていくって言うの……あ……!」

「いや、お前の推理に気付いていたわけじゃないぞ」


 エトワールの声に、GTが即座に反応する。


 女性が快楽にとらわれているなら、放っておいても接続ライズした女性が勝手にここにやってくることになる。そして、上昇中のエレベーター内部で気分を高め……


「何となくそんな気がしたからだ」


 根拠らしいものを見つけたGTだが、結局それは口にしなかった。

 エトワールもそれを受け入れる


「勘……ね。そういうものをバカにしたりはしないけど」


 エトワールは頭を掻きながらポツリと呟いた。


「けど現実問題として、階段はない」

「そうだな……」


 GTはブラックパンサーを抜き、ピラミッドの頂点に向ける。

 が、すぐにそれを腰のホルスターにしまった。


「驚いた。あなたもそんな無駄なことするのね」

「撃たなかっただけ、褒めてくれても良いぜ」


 と、返したもののGTにはそれ以外に策があるわけではない。

 このまま、無為に時が過ぎるかと思われたその時、


「……仕方ないか」


 エトワールは突然、その羽根マスクを脱ぎ捨てた。

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