第05話「砂上の後宮《ハーレム》」

アバン OP Aパート1

 個体と化したように頭上に重くのし掛かってくる殺人的な陽の光。

 一歩踏み出せば、足下からサラサラと崩れていく頼りなげな感触。


 視線の先には陽炎が揺らめいている。

 陽炎の先に見えるのは波打つ地平線。


 ――砂漠だ。


 紛う方無き砂漠だ。


「改めて言うけど、もうここは何でもアリだな……」


 がっくりと肩を落としながらGTが独りごちた。


『だから、その格好じゃ無謀だって言ったじゃないですか』


 GTの出で立ちは相変わらず黒を主張していた。

 ほぼ白一色の世界の――


『“染み”みたいですよ』

「……お前、この前から俺に悪意しかねぇな」


 ボルサリーノを被りなおして、少しでも陽の光を遮る角度を探求するGT。

 が、黒ずくめのこの出で立ちでは焼け石に水も良いところだ。


「で――、方角はこっちで良いんだな」

『それはそうですが……歩いて着くんですかね?』

「だからこの世界は嫌いなんだ……」


 GTは呟きながら、砂の上へと一歩踏み出した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 その“事件”をGTが知らされたのは、砂漠に踏み込む前日のことだった。

 定期連絡に訪れたモノクルの部屋――なのだろう。


 部屋と言ってもこの部屋の外に入れ物としての“家”があるわけではないので、何とも言い様が難しいのだが、どのみちGTにとっては、どうでも良いことではある。

 GTが部屋に現れるとモノクルは珍しくソファに座って、グラスを傾けていた。


「それ、飾り物かと思ってた」


 とGTが言うのは、部屋に備え付け合った酒と氷についてだ。

 モノクルが初めてそれを活用している姿を見れば、GTが思わず呟いてしまうのも無理はない。


「今日はちょっと……上司とやり合いましてね」

「ああ、上司。そういう存在がいるとは噂には聞いている」

「いるんですよ。私なんか下っ端なので、もう立場が弱い弱い」

「下っ端なのか?」

「……GT。“天”と“地”はどっちが偉いと思いますか?」


 突然の質問に面食らうGT。

 だがモノクルの表情が特にふざけてはいなかったので、一応真面目に考えて、


「そりゃあ……“天”じゃないか?」


 と、無難に回答してみた。


「ですよね。私はその偉くない“地”のトップだそうで」


 今度こそGTは返答に迷った。

 それはそれで偉いように思えるし、所詮は下っ端というだけの事なのかもしれない。

 ただ、根本的な疑問がある。


「今の連合って、そういう風な仕組みなのか?」

「いやいや、今の話は仲間内での酒の席で出た、戯れ言でして。ただ、どういうわけかそれを本気にしている人が――よりにもよって一番偉いんですよ」


 聞くだに悲惨な話である。

 ただ、どうにも話が要領を得ない。

 結構酔っているのかもしれないな、とGTは無言のまま心構えをする。


「GT、あなたお酒は嗜むんですか?」

「いや。もし酒を気に入ったら、ロブスターに回す金がなくなるだろ。俺はロブスターが原因で死にたい」

「相変わらず猟奇的なラストがお好みの様で。お酒はもう飲める年齢ですよね?」

「多分な。法律的なことを言ってるならだけど」


 GTは肩をすくめる。


 見た目の年齢は二十代半ば程のGT。連合に所属している自治政府では十八から飲酒が許可されているところがほとんどだ。

 まず、間違いなくGTは問題なく飲酒できる年齢であるといえる。


 だがそんな飲酒の年齢制限など、今まで自分が犯してきた法に比べれば児戯に等しい。

 肩をすくめたことは、そんな事を言外に主張した仕草であり、モノクルも薄く笑ってそれを受け取った。


「あ、ロブスターありますよ」


 テーブルにロブスターが出現する。


「それを先に言え」


 そこでようやくGTはモノクルの向かいに腰を下ろし、例の手際でロブスターを解体して早速口いっぱいに頬張る。


「それで今後の話なんですが……」


 ようやく本題に入ったようだが、GTは首を捻る。


「今後?」

「今日のところは出勤はなしで……出勤?」


 自分で使った言葉に違和感を覚えたモノクルは思わず繰り返すが、GTはそれをスルーした。


「何でだ? あ、それが上司と揉めた原因か」

「当たらずとも遠からじ、といったところですね。あなたが制圧していってるのは、連合が探査できない区域だということは説明しましたよね?」

「ああ、くどい程な」

「逆に考えると、そこに奴らはいるわけです。で、あなただけに任すことはない。むしろ我々の手で片を付けるべきだ……」


 そこまで話したところで、モノクルは恐る恐るGTの顔色を伺った。

 前にエトワールを仲間にしようとした時の強い拒否反応を思い出してのことだろう。


 しかし、GTはどこ吹く風でロブスターを頬張り続けている。


「……怒らないんですか?」

「何で? 俺の仕事に割り込んでくるならともかく、そっちが勝手にやってる事まで俺の知ったことか」

「あ、そういう理屈になるんですね。いやぁ、良かった」


「それで揉めてたのか?」

「いや、そこは全然揉めてませんが」


 GTがねっとりとした目で、モノクルを睨む。


「で、連合の調査員が乗り込んだわけですが――」


 モノクルは、GTの視線の意味を理解しているであろうが涼しい顔でスルーして話を先に進めた。


「全員殺されました。逆GT状態です」


 GTは口をへの字に曲げた。

 何に不満を感じているのか、今度も実にわかりやすかった。


 そして、モノクルも安定のスルー。

 それどころか逆に嬉々としてGTに問いかける。


「誰にやられたと思いますか?」

「RAだろ」


 即答するGT。


「ああ、それはわかるんですね――そういえば名前もすぐに覚えてましたし」

「あんなもの名前であるものか」

「はい“お前が言うな”」


 モノクルの突っ込みにますます表情を歪めるGT。


「あ、ロブスター、まだありますよ」

「……もらおうか」


 幾らかは眉を開くGT。結構簡単だ。


「で、それからどうした?」

「あなたは経験がないから実感は出来ていないでしょうが、O.O.E.で死ぬとそれはそれで痛いんですよ。最低一日は倦怠感が続き、日常活動もままなりません」

「らしいな」


 天国への階段EX-Tensionで、いわゆるその手の仮想戦闘ゲームがそれほど発達していないのは、そういう仕様がデフォルトであるからだ。

 他に生活のある者は、安易に殺されるわけにもいかないのである


「要するに、結構な数の職員が継続してダメになってるんですよ。そこで日常業務にも差し障りが出るようになりましてね」

「……おい」


 揉めた理由がGTにも見えてきた。


「俺に、職員の代わりをしろって話になるんじゃないだろうな?」


 モノクルは苦笑いを浮かべながら、


「さすがにそれは虫が良すぎますよね。でも、ここ最近“銃”のことや“弾”のことで面倒を掛けたのも事実ですから」

「く……」


 それを言われるとGTも強い態度には出られない。


「が、無制限に全部受けるのは物理的に無理です――そこで一つ気になる事案に目を付けました」

「それはその……連合の監視の目が届かない区域に行く、ということか?」

「それは仕事を引き受けるための前提条件です」


 モノクルはンフフと笑ってみせる。


「未帰還者が相次いでいる区域がありましてね」

「未帰還者? つまり“ここ”から抜けられない……そんなこと出来るのか」


「出来ないはず、なんですけどね。ここに留まったまま――つまりは現実世界では安楽椅子リフティングチェアの上で寝転がったまま、という状態になってますね」

「それは……死んでるって言わないか?」

「直接的な表現は止めましょうよ」


 モノクルは愛想笑いを浮かべる。


「ああ、けどあれだ……なんか接続時間を延ばす薬があるとか……そうだ、使用禁止とか表示が出てたぞ」

接続延長薬ハイアップですね。きっぱりと禁止薬物――いわゆる“麻薬”ですね」

「まぁ、なんでもいいや……それがガンぎまってるだけじゃねぇのか?」


 モノクルはGTの質問に、すぐには答えなかった。

 その代わりに、グラスに酒を注ぐ。


「そういう輩もいます――だが、そうで無い者もいます」


 そう言って、グラスを呷る。


「……なるほど。おかしな事は全部あいつらのせい、というわけか」


 モノクルのそんな様子を黙って見ていたGTは、一足飛びに結論にたどり着いた。


「……まぁ、そいういうことになりますね」


 接続時間を無視して、天国への階段EX-Tensionに留まり続けることが出来る何らかのチート技。

 最有力容疑団体は――


「そろそろ、奴らの名前が欲しいな」

「考えておきましょう」


 図らずも、そのやりとりがGTがモノクルの依頼を了承した合図となった。


                    ~・~


 ――調査がそのやりとりの翌日になったのは、調査する区画用の装備を準備するためだ。


 その装備のほとんどはGTによって拒否されたが、ある装備だけはGTも大量に持っていっている。


 水、だ。


 砂漠を黙々と歩いているGTは、ボルサリーノの上から500ml容器に入っていた水を被る。


『……それ、意味ありますか?』

「“気化熱”って言葉を俺は知ってる」


『しかし、こんな広大な規模の区域を造成できるとは……敵の能力を見誤っていたかもしれません』

「結局“敵”か……」

『昨日の今日ですからね。お役所というのは時間がかかるんですよ』

「…………あ」


 GTは、思わず声を上げた。


 陽炎の向こうに地平線ではない、異物が紛れ込んでいる。

 砂漠と言えば、まず思い出されるのは今も昔も――ピラミッド。


 素晴らしきかな、エジプト文明。


 そして遥か彼方に揺らめいて見えるのは確かにそんなエジプト文明の象徴ピラミッドの形だった。


 だが、そのピラミッドは普通の状態ではない。

 簡単に言うとひっくり返っているのである。四角錐の漏斗、というのが適切な表現だろうか。


 そして、その逆さまピラミッドの四辺から大量の水が滝のように流れ落ちており、そこには椰子の木の生えたオアシスが形成されていた。


『……ピラミッドではなくて、空中庭園、といった方が適切なんでしょうか』

「なんか今までの区画とは桁が違っているような……本当に“あいつら”か?」

『それを否定するだけの材料がありませんから、そのつもりで事に当たりましょう』


 妥当ではあるだろうが頼りにならないモノクルの言葉に、GTはさらに肩を落とし、ピラミッド改め空中庭園へと歩を進めた。


                    ~・~


 近づいてみると空中庭園の規模の大きさに、改めて開いた口が塞がらなくなる。

 滝の規模は、もう瀑布と呼んでも差し支えないレベルで、砂漠の暑さもどこへやら。


 マイナスイオンが充満しすぎていて、肌寒いくらいだ。


「これはまた罠が用意されているのか?」

『この区画の存在自体は、かなり前から確認されています――もっとも改装している可能性は否めませんが』

「アレが入り口か?」


 逆さ円錐の頂点に、タラップのような階段が取り付けられている。

 してみると、このピラミッド自体は宙に浮いているということになり、幻想的な雰囲気に拍車がかかるわけだが――


「登るの面倒そうだなぁ……」


 情緒も何もない相手には、それも通じない。


 GTは無造作に階段に足をかけ、ピラミッドの中に入り込んだ。

 そんなGTを迎えたのは、両開きの鉄扉。


「これはきっとエレベーター」


 わざわざ口に出して確認するGT。


『……都合が良すぎるような』

「そういう場所にあってこそのエレベーターだろう」


 GTは迷うことなく呼び出しボタンを押す。するとすぐに扉は開いた。

 もちろんGTは躊躇わない。


 そのまま乗り込んで、二つしかないボタンの上を押す。

 即座に扉は閉まり、エレベーターは上昇を始めた。

 あまりにもスムーズな展開だった。


「いやぁ、助かった」


 本当に有り難がっている様子でGTは呟く。


『大丈夫ですかね』


 罠があると疑っているモノクルはなおも懐疑的な言葉を漏らすが、GTは自信満々に言い返す。


「大丈夫じゃなかったら、罠のためだけにこの逆ピラミッドが昔からあることになるじゃないか。ここは使われてるんだろ?」

『……なるほど』


 と、モノクルが一応、納得したところで周囲の風景が一変した。


 出現したのは極彩色の崩れた渦巻き模様――人類はこういった模様に「サイケデリック」という名称をすでに付けている。

 チカチカと明滅する光の波が、上昇するエレベーターの周囲に溢れていた。


『これはもう……』


 主に、ドラッグを使用した際の幻覚症状の象徴とも言える、この幻想的な光景の出現に、モノクルはこの施設のいかがわしさ――あるいは未帰還者に関連しているであろう事を確信したようだ。


 そんな中、突然GTが口元を抑える。


『薬ですか?』


 モノクルの驚いた声に、GTは何も言わずにうなずいた。


『……この世界で、どれほど特質が再現されているかわかりませんが、水で洗浄してみてみてください。口元の湿度を上げるマスクがあれば良いんですがそれは今は望めませんし。水溶性の高い物質であれば、ある程度は――しかしこれはやはり罠だったのか』

「これは媚薬だ」


 GTが突如短く告げた。


『媚薬?』

「ああ、それも科学合成物じゃない。一度嗅いだことがある」


 そのまま二人は黙り込み、エレベーターは静かに上昇してゆく。

 その間もサイケデリックな光景が周囲で蠢き続けている。


『透明なパイプの中を進んでいるわけですね……で周囲にこういった映像を流してる。おまけに媚薬ですか』

「罠、というよりはこれはそういう仕様なんだろう」


 モノクルの独り言じみた呟きにGTが応じ、それが合図だったかのようにGTの身体全体にマイナスGが働いた。どうやら到着したようだ。


 周囲が暗闇に戻り、僅かなタイムラグの後に静かに扉が開く。

 そしてエレベータの中を白い光が一瞬で侵略していった。

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