第03話「天国への階段《EX-Tension》」
アバン OP Aパート1
人類が超光速航法を確立してから、ほぼ一世紀が経過していた。
しかしながら奥ゆかしい人類はそれを以て、
「人類は銀河系に進出した」
とは宣言しなかった。
それでもA級航海士――概ね直線バカ――による最大到達距離を基準にしてはいるのだが。
――誰が呼んだか“
W.W.97
それが人類の“
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ブルネットの豊かな巻き毛。
綺麗な青い瞳。
少し野暮ったいが――だからこそ純朴な雰囲気を残した――海鮮物を主に扱う食料品店の看板娘は満面の笑みを意識して浮かべた。
何しろ相手は上得意中の上得意。
両手で余るほどに愛想よくなれる理由を探すこともできる。
「はい! いつもありがとうございます! 今日もロブスターですよね? 入荷した分は別にとりわけさせてもらってます」
語尾にハートマークをサービスしたいぐらいの気分ですらある。
「今日は五尾でよろしいですか?」
相手はこっくりとうなずいた。
これについては確認するまでもないのだが。
看板娘はいそいそと最大サイズの紙袋を用意して、ボイルしたロブスターを詰め込んでいく。
実際のところ、この惑星「カルキスタ」で海鮮物という奇妙な代物が存在するはずはないのだ。
このカルキスタはレアメタル――AD時代の呼称の名残であるが――の鉱床が豊富で、特に宇宙船の外壁素材として有益なモリブデンの産出量が豊富なことで知られている。
が、そういった豊かな鉱物資源の代償としてか、この惑星には海と呼べるほどの水たまりが存在していない。
もちろん
そのため食料品の多くは他の惑星から運搬に頼る部分が多く、海鮮物に至っては嗜好品と言っても過言ではない状態だ。
カルキスタの位置は、
辺境というほどではないが、マクロ的な意味でさほど交通の便が良いわけでもない。運搬費用に因って自然とそういった嗜好品の類は値段も高くなるという寸法である。
その嗜好品を、この上得意の客は頻繁に買いに来るのである。
最初の内は現金という、面倒なもので買いに来ていため多少構えていた部分もあったが、最近はチャージされたカードからの支払いと、ごく常識的な手段に切り替えてくれたために、ますます好感度上昇中だ。
受け取ったカードから、ロブスター五尾分の代金をマネーリーダーで受け取る。
まったく値引きを頼んでこないのも、この客の美点である。
もっとも、これだけの上得意ともなれば喜んで応じて、細く長くお付き合いしていきたい――ということはもちろん口にしない。
看板娘が奇妙に思うのは、カードの残高が前に見た額とぴったり同じということだ。
この客は、ロブスター以外の買い物をしないのだろうか?
もちろん、それも尋ねたりはしない。
「お待たせしました~」
万感の思いを込めて語尾を伸ばし、ロブスターの詰まった紙袋を両手で抱えて看板娘は上得意に差し出した。
相手は起用に左手一つでそれを受け取り、空いた右手でカードを受け取る。
洗練されたやりとりだわ、と看板娘は心の中で自画自賛した。
上得意は早くもよだれを垂らしそうな表情を浮かべているがそれは気にしない。
むしろ、そんな表情も可愛く思えてくるお金の魔法。
「ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!!」
――念を押さなくても来るには違いないが。
紙袋を抱えた男は店が面していた大通りから、すぐ脇の路地裏に潜り込む。
一応は清掃の行き届いた大通りとは違って、この星では一歩裏側に潜り込むと一気に雰囲気が変わる。
そもそもカルキスタでは恒星の光はぶ厚い雲に遮られる天候状態がデフォルトだ。
まず、一気に薄暗くなる。
路地裏ではその暗さに紛れ込むように、ゴミが転がり、野良犬や野良猫たちが野生を取り戻して闊歩していた。
老朽化の始まったビルの壁には当然の如く落書き、そしてアングラなポスター。
全くの
男はそんな路地裏を数えきれぬほど角を曲がり、廃ビルにしか見えない薄汚れた賃貸ビルの裏手にたどり着いた。
勝手口のドアを開け、階段を上り二階へ。
そして鍵のかかっていない扉を開け、ようやくのことでねぐらにしているらしい部屋にたどり着いた。
部屋の中は事務所用の賃貸スペースで、なおかつ家具が全くないので生活臭が何もない。
窓から一番離れた隅にハンモックが吊してるだけだ。
いや――生活臭はある。というか臭いそのものであるが。
何の臭いかは言うに及ばずである。
男は大事そうに紙袋をハンモックの懐に抱かせると、早速一尾取り出した。
二つに割って大口を開けて――
――男の左腕が震える。
忌々しそうに、その腕時計を確認する男。
文字盤が二つ並んでおり、一つはこのカルキスタの時刻。
今ひとつがW.W.標準時を示す時刻。その短針が間もなく“6”を指そうとしていた。
男は剥いたロブスターの尻尾にかぶりつくと、きびすを返して再び外へ。
再び何度も路地を回り回って、先ほどとは違う大通りに出現する。
もっとも先ほどとは規模が違う――幹線通り沿いと言っても良いだろう。
様々な素材で建築された見栄えの良い建造物の群れ。概念としてのビルの範疇に収まらない奇抜なデザインなものも多い。
その中の真っ黒な石材で建設された三階建ての建造物。
そこに潜り込むようにして男がエントランスに入り込んだ。
このビルは雑居ビルではない。あるサービスを行う企業が、そのためだけにこの星に建てた。
だから、入ってすぐのところにサービスを案内する女性コンパニオンが常駐している。
「いらっしゃいませ、ジョン様。いつものお席でよろしいですか?」
儀礼的な確認に、男は軽くうなずいた。
この店のサービスを男は年間予約している――という表現は正確ではない。
どこかの誰かが予約している席を、男が利用しているといった方がより正確だ。
コンパニオンに案内されて――実際には案内は必要ではないのだが、他の利用者に対して「プライベートは守られていますよ」とアピールするためのコンパニオンだ――男はいつもの席に着く。
そこでコンパニオンとはおさらば。
男は内鍵を閉めて、リクライニングシートに似た、専用の機器に身を預ける。
すぐに認証が始まり、せり出してきたコンソールにいつもの如く自分の名前――もちろん偽名のジョンではなく本名の方だ――を走査面上に描く男。
意識が遠のき、男の
~・~
GTがO.O.E.で出現するポイントは欧風調にまとめられたとある一室だ。
柔らかな絨毯。豪奢すぎて大げさに思えるほどのマントルピースを備えた暖炉。常に最高級品の酒と氷が用意されたソファセット。
欧州に多く見られる厳しい冬。
その冬の間を引きこもって過ごすのに十分な設備をこの部屋は備えている。
「GT。今日はとりあえずお話をしましょう」
出現したGTに話しかけるのはクラシカルなショートタキシードに身を包んだ壮年の男性。
ソファに腰掛けている姿も実に絵になっている。
灰色の髪を綺麗になでつけ、整った顔立ちではあるが笑い皺の刻まれた表情はいかにも柔らかだ。
もっとも今は、その笑い皺も苦笑を形作るのに使われているが。
そして
この部屋の雰囲気と相まって、見ているだけで軽い
――そう。
もちろん、この男がGTの直接の雇い主であるモノクルだ。
「いいぜ。ロブスターがあるのなら」
「用意してますよ」
さすがにそのあたりは抜かりがない。
GTはモノクルの向かいのソファにどっかと腰を下ろした。その前にロブスターの乗った皿が現れる。
何度か、それっぽく調理したロブスターも用意されたことはあるのだが、結局のところGTが一番気に入っているのはただボイルしただけのロブスターであるらしい。
「話といっても簡単なんですが――殺さないでください」
「努力はしている」
「そういう議員先生のような受け答えはいらないんですよ」
GTは目の前のロブスターを指で弾いて、その殻を粉々に粉砕した。
神業と言っても良いだろう。
今のGTが殺すことの次に得意な技である。
「そもそも、お前が俺に黙ってもう一人……ええと、なんだったっけ?」
「“エトワール”です。そう名乗られるそうです」
「そうそう、そのエトワールだけど、お前の意図としては俺に暴れさせといて、その裏で何かしらの情報収集をメインに考えていたんじゃないのか? 俺の戦闘のサポートじゃなく」
「……わかってるじゃないですか」
「そりゃあなぁ。俺にサポートが
むき身になったロブスターの身にかぶりつくGT。
そしてむしゃむしゃと遠慮のない咀嚼。
モノクルは「はぁ……」とわざとらしくため息をついた。
「区画の制圧速度を上げてますね。それも意図的に」
「…………」
GTの咀嚼が止んだ。
これは間違いなく、モノクルの指摘通りであるからGTも反論のしようがない。
今までは一応建造物に気を遣って行動していたのだが、最近ではブラックパンサーのでたらめな威力に加えて、その身体能力まで駆使して、何もかも直線的に行動して皆殺しにしてしまっている。
「何がそんなに気にくわないんですか? こちらがどういう風に連中に対抗しようがあなたにとってはどうでも良いことでしょう? ああも早く片付けられると情報収集も何もないんですよ」
「……俺の仕事の領分に口を出されて面白いと思うか?」
「また、そんな子供みたいな」
「仕事って言ってるだろ!」
「厳しいこと言わせていただきますとね。あなたが仕事と呼べることをしているのは、今回が初めてですよね? 仕事については私に任せてもらえませんか?」
黙り込むGT。
ほとんど拗ねた子供のような有様だ。
「……別にあなたが無能だから他に仕事を頼んだわけではないんです。あなたはずっと一人でやってきたのでチーム戦という形式に不信感があるのかもしれませんが」
モノクルの口調が柔らかになる。
「ただ私は事態の早期解決を目指しているだけなんです」
「……しかしな。“答えなければ殺す”という常套手段が使えないこの世界で、情報を引き出すのはかなり困難だぞ」
GTが建設的な方向で会話に乗ってきた。
「だから今は時間がかっても。奴らの心に恐怖をすり込むことが大事だ」
「……私が事態の早期解決を目指す理由は二つ。一つはもちろん早く終わらせて、あなた方への支払い額を減らすこと」
「勝手に増やしたのはお前だ」
「それとこちらの方が重要ですが――時間がかかればかかるほどあなたの素性が向こうに知れる可能性が高くなります。私はこれを避けたい」
ポリポリと自分の頬を掻くGT。
ここで、自分なら心配無用だ、と言い返すほどGTは愚かではない。
現実の世界ではGTもまた、ごく普通の名前を持つ、ただの人間に過ぎない事をGT自身が弁えていた。
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