18.フェニックス


鮮やかな赤のドレスを着たレイラは東京の新宿にある高層ビルの展望バーで待ち合わせをしていた。窓の外には東京の夜景が広がっている。 レイラが座った席の近くでは他の客が注文したビールがサーバーからゆっくりとグラスへ注がれていて、そのきめ細やかな泡の音が聞こえてきそうな程、店の空気は静かで澄んでいた。


「いらっしゃいませお客様、お飲み物は?」

バーテンダーがレイラの前に立ち、声をかけた。


「そうね、フェニックスを頂戴」


「承知いたしました」

バーテンダーはそう返事をするとすぐにカクテル作成に取り掛かった。今度はシェイカーを振る音が店内に響く。


「お待たせいたしました。フェニックスです」

そう言ってバーテンダーはレイラの前にそっとコースターとカクテルのフェニックスを置いた。ラズベリーレッドのカクテルが程よく薄暗い店内の照明の影響で色を淡く彩らせる。


「ありがとう」


レイラがカクテルを一口飲んだところで「隣、良いですか?」とマルタンが腰をかけた。


「駄目よ。まだ良いって言っていないのに座ったじゃない」

レイラはそう言ってマルタンに微笑んだ。待ち合わせの相手はマルタンだった。


「まさか、ここでこうして酒を飲めるなんて思わなかったな」


「生き延びられると思わなかったってこと?」


「そうだな。相手は鳳櫻子だったからな。マスター、俺はバーボンをロックで」


レイラとマルタンはグラスを合わせた。


「「乾杯っ」」


「もし死ぬということが肉体を失うことならば私は一度死んで生き返っている。今私が肉体を持ってここにいるということが何よりフェニックスである証拠なんでしょうね。私の存在自体が生であり死でもある。新たな500年を前に私は肉体を持つことを選んだ。それは果てしない旅と同じこと。私はこの地球に生かされている」


「それはつまりレイラにはまだ使命が残されているってことだろう」


「そうなのでしょうね。まあ宇宙まで行ったり地球の核まで行ったり、もう何でも来いって感じよ」


「ははは。君たちに出会ってからにわかに信じがたいことばかりだが全て真実だったのだから、俺からしてももう何でも来いって感覚にならざる得ないさ」


「それで、私に伝えたいことがあるって?」


「ああ。いくつかの情報を手に入れた。共有しておくべきだと思ってな」


「そうなのね。何の情報?」


「まずは、そうだな、GAー1Aについてだ」


「ガイアについて?」


「ああ、そうガイアについてだ。まあ、容姿は俺がモデルだった訳だが、俺は容姿のコピーに協力しただけで実際、内容には関わっていないんだ。ガイアには感情があったと聞いて、何故そうなったか色々調べたらな、どうやらガイアにはHMTS《エイチ・エム・ティー・エス》が搭載されていたらしいんだ」


「HMTS?」


「ああ。Human《ヒューマン》Mind《マインド》 Technology《テクノロジー》 System《システム》の略でAI《エーアイ》が感情を持てるシステムらしい。それこそ人間の魂を持っているかの様にな。それでその研究開発に最も関わっていたのがバード夫妻と都幾川勝だ」


「え?両親と勝さんが?それって・・・」


「まあまあ、聞いてくれ。そのシステムには人間の脳から直接データを取る必要性があった。それこそ命に係わるその研究の危険性に気付いた彼らはその研究を闇へ葬ったんだ」


「でも葬られていなかった?」


「そう、鳳櫻子を始めとする良からぬことばかり考えるやつらによって密かにバックアップを取られていた。それこそフェニックス研究所の五所川原もその中にはいる。やつらは研究の集大成GAシリーズ第一号機、GAー1Aの中にHMTSを搭載させた。その実験の被験者になったのは当時FBIでトップの成績を収めていたガイ・アダマントという男だ。だからGAー1Aはアメリカの警察で優秀な成績を収められたんだ」


「つまりHMTSは人格だけでなく、その人の能力そのものもコピーできるってこと?」


「簡単に言えばそんなところだ。脳が体の運動方法を記憶している。それはつまり・・・」


レイラはマルタンの話を聞きながらガイアのことを思い出していた。


― それはまだ二人が出会って間もない頃のことで、場所はアメリカのニューヨーク、マンハッタンにあるバーでのこと


「レイラ、バーで待ち合わせて、冗談のつもりか?」

ガイアは淡々とそう言った。


「あっ、そうだった・・・ごめん」

レイラはガイアがアンドロイドだったことを忘れ、夜の待ち合わせで行きつけのバーを指定していた。それに気づいたのがこのガイアの一言だったのだからばつが悪い。


「マスター、ガソリンをストレートで頼む」

ガイアは淡々とバーテンダーにオーダーをした。


「ごめんなさい、何とおっしゃいましたか?」

バーテンダーは聞きなれないオーダーに慌ててガイアへ聞き返した。


「すまない、もう少し考えるよ」


「あっ、承知いたしました」


「ちょっと、ガイア?」

レイラは一瞬、ガイアは怒って無茶な注文をしたのかと心配したが、少し微笑みながらバーテンダーと話す様子に安心し、眉間にしわを寄せた。


「ははは、アンドロイドは酒も飲まないし、ガソリンだって飲まないが、イメージでは何だかガソリンを飲めそうだろ?それに酔っぱらうことだって出来ないから、体内の配線のいくつかをつなぎ変えたら酔っぱらうという状態になるかもしれないな。試してみるか?」


「ちょっとガイア?ジョークだよね?」

レイラはどうして良いかわからずにそう言葉を返した。


「ははは、勿論、ジョークだ」


「ガイアはジョークかシリアスか、わかり難いのよね」


「すまん、すまん。でも、バーには初めて来たが、こういった雰囲気は良いな」


「・・・うん」


「どうしたぼんやりして?」

ボーっとしているレイラにマルタンが声をかけた。


「うんん。昔のことをを少し思い出してね。じゃあ、ガイアの人格はそのガイ・アダマントさんのコピーってことなんだ・・・。なんかやるせないな。その被験者になったガイ・アダマントさんはどうなったの?」


「・・・死んだよ」


「はー・・・。そう・・・。お気の毒に・・・」

レイラは大きな溜息をついてそう返した。


「被験者にだって自ら進んでなった訳じゃないそうだ。恋人を人質にされて、泣く泣く被験者になったって。脳をいじられて殺されたと言った方があっているかもしれないな。データ上は事故死扱いになっているがな」


「ますますやるせなくなる。私がガイアからもらった幸せの時間はその人の犠牲の上に成り立っていたってことでしょう」


「そう嘆いても何も変わらないだろう」


「そうだけど、悲しいわ」


「もう二度と同じ悲劇を繰り返さないようにしないとだ」


「そうね。間違いなくそうだと思うわ」


「あっ、後な、レイラの両親や赤音の両親の消息についてなんだが、これが非常に掴みにくい情報でな。流石は天才科学者たちと言うべきか、本当に情報が錯綜さくそうしているんだ。でも常に流動しているその情報があるということは生きている可能性が高いのだと俺は思う。引き続き、調べ続けるよ」


「ありがとう。私も調べ続けるわ。絶対また会いたいもの」


「・・・しかし、まさか、あの鳳グループを解体せずに自分の手中に収めちまうとはな」


「あっ、その話?元々、鳳グループはフェニックスをあがめたてまつっていた一門でね、先祖代々、静かにそれを引き継ぎ、後世に伝えていたの。そして地球の核の更新が来る時に備え、それを一番近くでサポートする役目だったの。それを鳳櫻子はフェニックスの知識だけを利用し、財を成し世界の全てを手に入れようとした。彼女は地球の歴史そのものを狂わせてしまった。私はこれからその立て直しをしなくちゃ。残った鳳グループの皆も手伝ってくれるみたいだしね」


「何か規模が相変わらず壮大だな~。まあ、俺に出来ることがあればお任せを」

「ありがとう。まあ、また何かしらの陰謀だとか悪いことする人が現れたら何が起きるかわからないだろうけれどね・・・。そう言えば、フェニックス研究所の所長、五所川原ってどうなったかご存知?」


「ああ、やつは俺も行方を追っているんだ。正確には俺の仲間が行方を追っている。噂では世界中を飛び回っているとのことだったが、都内にいるって話もある。野放しにして良い人間ではないからな」




― その頃、五所川原は


黒いスーツ、サングラス姿の五所川原は高級車の後部座席に乗り、地下駐車場へ潜って行った。一見、何処へ向かうかなんて見当もつかない入口の先に300台は優に駐車出来そうな駐車場が広がっていた。そのスペースには高級車がずらりと停まっている。

「今日はどれくらい集められたんだ?」葉巻を口にくわえながら五所川原は黒服の取り巻きに声をかけた。


「56名です」


「少ないな!」


「申し訳ございません。顔である櫻子様がいなくなってから、集客力が弱まりまして・・・」


「言い訳はいいっ!聞きたくなどないわ!」

そう言って五所川原はガニ股歩きで奥へと進んだ。


五所川原がここにいる訳は研究結果の発表会でもなければ、何かの会議でもない。世界中のVIPと呼ばれる政財界やスポーツアスリート、エンターテイメン界などの金持ち連中を集めた社交パーティーに参加する為だった。今までは東京開催ならばその主催者はいつも鳳グループだった。しかし今、鳳グループはレイラに奪われ、本来あるべき姿に戻されてしまった為、その存在はVIP業界からは姿を消している。


今現在、五所川原は専門だったの遺伝子研究だけでなく、FSIから奪った多大なアンドロイド開発のデータを保持し、新たなアンドロイド開発を密かに進めていた。バード夫妻や都幾川勝が破棄したはずのHMTSのデータを手にしていた五所川原は、そのデータを主軸に完全なアンドロイドを生み出すことに精力を傾けていた。その研究には優秀な人材が必要不可欠であり、その財源発掘にも使われていたこのVIPパーティーを手放す気には到底なれなかった。


膨大な資金が必要な背景にはその悪逆無道な研究内容があってのことだった。

パーティーに参加した者たちは同じスペースの中で集団催眠にかけられ、意識を失っている間にそこでDNAを採取される。脳内にはその者たちがそれぞれ抱いている欲望が叶ったと錯覚させ、パーティーへの再参加欲を強めさせる。その再参加までの間に、研究所はその参加者のクローンを急ピッチで用意する。


二度目に参加した者は再び催眠をかけられるが、その時は眠った状態でHMTS専門の研究所に移送され、その場所で脳を抜き取られてしまう。その中で最も優秀なデータを採取し、HMTSとして新たなGAシリーズに搭載される。亡き当人の替わりにはクローンを差し替えているので世の中で騒がれる心配もないが、使われる資金が工作費も合わせ、莫大な額となっていた。


その流れで被験者にしようと五所川原たちが早めに目を付けたのがそもそもの開発者であるバード夫妻や都幾川勝だったが、何度もその挑戦は失敗に終わり、遂にはその行方を見失ってしまった。都幾川勝については一度成功したかのように思われたが、骨折り損のくたびれ儲けに終わっている。




― 今から約一年半前


五所川原はフェニックス関連のこと及びクローン研究のことは得意分野ということもあり順調に進めていたが、アンドロイド開発に関しては失敗の連続で、行方不明のバード夫妻を追うことを半ば諦め、標的を都幾川勝に絞っていた。都幾川勝には何度もあの手この手でVIPが参加する社交パーティーへの参加を促したが五所川原を始め、鳳グループを全く信用していない勝がその招待に応じることは無かった。


ある日、勝の行動にしびれを切らした五所川原は、遂に強行突破を図った。都幾川家が所有するGAー4I《ジーエーフォーアイ》(都幾川蒼志)の不在時を狙い、黒ずくめの格好をした武闘派の配下2名、戦闘特化型アンドロイドのGAー48B《ジーエーフォティーエイトビー》と共に長瀞の都幾川家へ押し入った。突然の出来事に勝は成す術無く、勝と愛子は拉致され、二人の替わりに勝と愛子のクローンが都幾川勝、愛子として都幾川家に残った。



― しかしそれは五所川原たちの記憶でしかなかった。


都幾川勝やバード夫妻は生物工学のことは勿論、電子工学分野での知識や経験も圧倒的で、その実力は正に業界トップクラスだった。FSIに残されたAIの研究者や開発者よりもその実力は上だったので、研究内容を破棄しようがその内容は頭の中にあったし、データを奪って金の力でどうにかしようとしている五所川原など到底及ばなかった。


事実、誰にも通信傍受されない手段でバード夫妻は勝へ事前にコンタクトし、五所川原の動きを伝えていた。


「よお勝、久しぶりだな」

そう言ってある日、ケイン・アキラ・バード(鹿留聡ししどめあきら)は歯磨きをしている勝が写っていた鏡の中に姿を現した。


「おわっ、おっ、おう、聡。久しぶりだな。ここに登場したってことは一大事なんだな?」


勝はハトが豆鉄砲を喰らった様な顔で動揺すると、すぐに我に返り、慌てて口をゆすいだ。


「ああ、実はお前と愛子ちゃんの命が狙われているのでな、そのことを知らせようと」


「成程な。詳しく聴こうか・・・」


その為、勝は五所川原一行が襲撃してくることに対しての準備がしっかり出来ていて、実際に戦闘特化型アンドロイドのGAー48Bには一時的な可動の無効化、更に五所川原以下全ての襲撃者に対して、侵入者に対しての即時催眠と記憶の改ざんを施していた。


五所川原の記憶では、都幾川夫妻の拉致に成功したものの、データを取り出す際に過ってショック死させてしまったというのが記憶として残されていた。それは今日まで及んでおり、五所川原は未だに都幾川夫妻は死んでいると思い込んでいる。実際には、赤音は無事にフランスで、都幾川夫妻も自宅とは異なる場所で生活をしている。


そしてその事実を知る者は都幾川夫妻とバード夫妻のみだった。


鳳グループという後ろ盾を失った五所川原は、膨大な研究データを片手に、鳳グループとは好敵手関係にあった財閥の一つ、ペトロフスキー家の傘下に入った。ペトロフスキー家はロシアに本拠地を置いているグループで、天然油田やガス資源を元手に世界のエネルギー関係の頂点に君臨していた。 


そんなペトロフスキー家の有り余る程の資金を元に、五所川原は遂に念願だったHMTS研究の完成形を手に入れることに成功することとなる。しかしそれはもう少し先のことである。


― 再び新宿にあるバー


 マルタンは二杯目のバーボンを口にしてからこう言った。


「そういえば、結局レイラは今回の騒動の前までは何の仕事をしていたんだ?」


「えっ、何でもいいでしょ?大した仕事してないので、私のことは、ね」


「いやー、教えてくれよ?その身のこなしといい、その頭の良さといい、只者ではないでだろ」


「そんなおだてても何も出ませんから」


「はは、煽てているんじゃなくて本当のことだ。もしかして、傭兵とかか?」


「あはは・・・かもしれないし、そうではないかもしれない。そんなことより、本当、色々とありがとうございました。マルタン警部には本当、感謝しています」


「いやいや、感謝するのはこっちの方だ。何しろ、この地球の危機を救ってくれたのだからな」


「本当、色々あったなぁ・・・」

レイラはそう言って遠い目をした。


「ああ。特に最近は濃かったな。人には思い出がある。でも思い出を思い出せないようでは平和とは言えない。そういった世界は良いとは思わない。だから俺は、いや、俺たちは、この世界を大切に愛し続けなきゃ駄目なんだよな」


「良いこと言いますね・・・」

そう言ってレイラはグラス片手にマルタンへ微笑んだ。



今宵も都会の夜は更けて行く。


レイラは二度と手にすることはない過去を思い起こし、そしてまた、計り知れない自分自身の未来を想像しながら平和な夜に酔いしれた。






―レイラの活躍で地球は新たな500年をスタートした。


―どんなにフェニックスが平和を願おうと、人間は欲望を抱き、その想いに呑まれていく。


―レイラはこれからその欲望を抑制させながら、与えられた使命を全うして行く決意を胸に抱くのだった。




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